まず、草薙剣本体の材質について。
社伝ではかつて一度、新羅僧に盗まれ再び封印された際の『剣』の描写が残っているが、
再封印後、現代に至るまで御神剣は一切錆を被っていないとの伝説、あくまでも伝説があったが、
六十年前にその勅儀のために封印が解かれたとき、思わぬ象で伝説の根拠が明らかになった。
つまり御神剣は「錆びることのありえない素材」=金のムクで、もとより剣としての実用に耐えぬ、
あくまでも祭祀用の具として造られたと思われる。
そして最も問題だったのは御神剣の形そのもの。
社伝では中空の矛のような短銅剣とされていたのだが、実際には、とても《剣》とは言いがたい、異様な形状の御体だったという。
喩えることのできるものがあるならば、国宝・石上神宮七支刀にやや近いというべきだったらしいが、
七つに別れたその先が左右に羽根をひろげるが如く長く手を広げ、
これまた、そもそもこれが《剣》として造られたものでないことを示していたという。
(ちなみに、後年、俺のその同級生の曽祖父=当時の大宮司は、自らの日記の中で、
御神剣が七支の形状をなしていた事実と、記紀中のヤマタノオロチより剣がいでたとの伝承を結び合わせ、
ヤマタノオロチの八つの頭がそのまま草薙神剣の七支の穂先と幹の突端になったのではないか、
との自説を記しているという。…なるほどね。)
で、問題の儀式中に起きたことは、大宮司が祭文を唱えるにつれ、
御体が唸り声のような重い音声をあげたかと思いきや、
祭殿の左、西の方角に向けて自らいざりはじめ(続く)
そのまま震えて祭文を唱え続ける大宮司に代わって、
御神剣を押しとどめようとした禰宜職が御体に触れた途端、
口より青い炎を上げて体が燃え上がり、骨も残さず溶けるように一片の黒い炭になってしまったという。
あまりのことに、神職・禰宜らが取り乱す中、何とか祭文をほふり終えた大宮司だったが、
三ヶ月半後に再び同じ儀式を行うよう命が下った際には、
さすがにこれを拒み続け、そのまま敗戦を迎えたという。
なお、その時も爾後も、その大宮司の一の弟子だったのが、
神社本庁・前総長だった鶴岡八幡宮の白井前宮司で、存命中の方でその儀式に立ち会っていた
数少ないお人だそうなので、当時の‘’ナマの様子を聞きたい方は訪ねてみては、
との友人のことばでした。
…以上が、今から13年前に、京大文学部史学科の某助教授の研究室で、
そのセンセと私ほか2名の前で語られた内容の大筋です。