【国際】パラオも共同提案国に G4案、大統領が表明

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237名無しさん@6周年
>>214
の続き。

パラオの島民は、日本人を慕っており、ペリリュー島に住んでいた大人も子供も
日本兵とともに戦う決心をしていたが、

日本軍はこれを押しとどめ、夜間を利用して住民全員をパラオ本島に退避させ。
そうして昭和19年11月24日16時に、パラオ本部に中川大佐から軍旗・機密書類を
すべて焼き払ったことを伝える「サクラ・サクラ」の電文が届き、
27日までにはほぼ全員が戦死したのである。
 戦後、ペリリュー島に戻った住民達は夥しい日本兵の遺体を見て涙を流し、
「アメリカ人は、日本人の遺体には見向きもせず、自国兵の遺体だけを整理した。
ここに征服民族の本性を見る」として、日本軍の遺体を葬り、墓地を作り、自分達の島を守る為に戦い、
果てた兵士達を弔い、その墓を守り続ける事を誓ったそうです。
 現在でもこの墓地は島民の手によっていつでも綺麗に掃き清められ、
訪れる日本人は驚嘆とともに深い感動に襲われるそうです。