【社会】"日本・ロシアとも捕虜手厚く扱い世界から称賛" 日露戦争シンポ
★捕虜の扱い手厚かった 平和考える日露戦争シンポ
・日露戦争を終結させたポーツマス講和条約締結から今年は百年になることを
記念し、国際シンポジウム「捕虜から見た日露戦争」が三日、大阪市
北区の大阪国際会議場で開かれた。
シンポジウムは日米露友好シンポジウム実行委員会(委員長=中山太郎
元外相)が主催。約七万二千人のロシア兵捕虜を収容した全国二十九カ所の
収容所中、最多の約二万二千人を収容した浜寺収容所が、現在の大阪府堺市と
高石市にまたがる浜寺公園内にあったことなどから、大阪で開催された。
パネルディスカッションでは、まず拓殖大学の佐瀬昌盛教授が日露戦争の
歴史的位置付けについて「アジアのチャンピオンが欧州列強の一角に挑んだ
単なる二国間の戦争としてではなく、より大きな世界的観点で意義をとらえる
傾向が最近は海外で強い」と指摘。「日英同盟があったから、日本は戦争が
できた。英国が牽制(けんせい)したから独仏は戦争に干渉できなかった。
そして最後は米国が講和を取り持った。こうしたことから、日露戦争を
第0次世界大戦と称する学者たちもいる」と語った。
日露戦争では両国ともハーグ条約の規定を順守して捕虜を手厚く扱い、
世界から称賛された。浜寺に収容されたロシア人捕虜は比較的自由に街を
散歩し海水浴も楽しんだことや、収容所内では日本語教室が大人気だった
ことなどが、収容所の研究活動を続けている中野生穂さんによって紹介
された。近くの泉大津市内の墓地には収容所で亡くなった八十九人の捕虜の
墓があり、今も地元の人たちが焼香、献花を続けている。
約千八百人の日本兵を収容した捕虜収容所があったロシア北西部
メドベージ村のロゴジン村長は「村には十九人の日本人捕虜の墓が
あったが、第二次大戦でのドイツ軍の侵攻時に破壊されてしまった。
しかし、近年、七基の墓石が発見された。さらに発掘を続け、村に慰霊公園を
造りたい」と語り、同村を訪れたことがある中山元外相は「村の博物館には、
日本人捕虜が作った三味線や尺八などが保存されていた。手厚く扱われた
ことがうかがえた」と説明した。(一部略)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050404-00000004-san-pol
そうなの
3 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 12:55:36 ID:AjmQ32W/
3get
4 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 12:55:43 ID:ssElaQme
2?
5 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 12:55:50 ID:Cdy6bOJp
ロシア人など、どう信用していいものか。
6 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 12:56:20 ID:LDY03Umi
ロシア人来てるところで、日本人が自分で言ったんかい こいつらマジで恥じさらしだな
7 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 12:56:29 ID:l40/Pa1U
僕の肛門も手厚く保護されそうです。
8 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 12:57:05 ID:NOiz6e/F
いい話?
9 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 12:57:11 ID:dA7hQQjd
皮剥ぎボリス
10 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 12:57:20 ID:VdPmvpSi
ロシアがねぇ…
チャンコロよりはまし。 北方領土以外はこれといった問題もないし。 まあ
12 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 12:57:38 ID:cw+jv6a/
なにこの茶番
13 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 12:57:40 ID:pbJXdwRi
両国とも????
14 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 12:57:51 ID:/lcLoQaz
シベリア抑留
15 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 12:57:52 ID:x1LfwCwN
うはwwww 馬鹿だ日本軍w 捕虜は人間じゃないのにww
16 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 12:58:03 ID:eaNHvBPW
ロシアが捕虜を(r
18 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:00:03 ID:mlzYD2Gq
シベリアの強制労働で何万人死んだんだ?
19 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:00:38 ID:TwQDnGlu
すぐ後に共産勢力が出てきてシベリアで日本人殺されまくったが
しかし日本人のくせによくもまあこんなことをいえたもんだな。
21 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:00:46 ID:pZuhHFCh
極寒の地で強制労働させられてたんじゃないのんか?
日本の美談だから広まらないのね。 この事実を、捏造した資料で否定した新聞記事があったっけな。 どこの新聞かは言うまでもないが。
23 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:01:54 ID:4xeG96o8
つまり、ロシアは悪くない。悪いのはソ連だったって主張だな。
日露戦争時代はまだまともな時代だったみたいだ 第2次世界大戦が悲惨すぎただけで
>>18 強制労働での寒さで凍傷になるほどなのに、ろくに薬すら与えられなかったとか報道されてるのにね
厚遇ですかそうですか
26 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:02:48 ID:ux7vJ/JI
ロシア:捕虜の扱い方がどんなだったか考えてみよう
27 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:03:16 ID:Q18nn/M/
>>18 60万の俘虜で6万死亡...くらいかな。
このスレに日露戦争と太平洋戦争をごっちゃにしているゆとり教育の成果者がいるみたいだな。 どこで歴史を習ったんだ?南京大虐殺とかだけはやたら詳しかったら笑うけどなwww
29 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:05:34 ID:Q18nn/M/
>>26 山崎豊子著(だったと思う)の『不毛地帯』がほぼ実際に近い内容だとか。
日露戦争では夜になると両軍の塹壕から相手側塹壕にむかう「決死隊」なる部隊が出現した その目的は酒瓶を持っていって向こうで飲み、歌い、酒タバコを交換し合い、故郷について語り合うというものである しかも両軍だんだんやる気がうせてきて上官が視察に来たときは どちらも人に当たらないように撃ち合いをはじめたらしい 駄目だコリア
31 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:09:44 ID:kTVcQ/ya
32 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:10:51 ID:1Xx0RSt4
>>日本・ロシアとも捕虜手厚く 嘘付け!!!俺のじいちゃんはロシアで捕虜になって、なんとか日本に 帰ってきたが、体壊して死んだぞ。
┏┫ ̄皿 ̄┣┛<ロシア革命での内戦とその後の粛清で軍が弱体化し、規律が乱れる迄は ロシア軍は決して乱暴な軍では無かったですよー。特に貴族を中心とした将校団と彼らの率いた軍は、 その勇猛さと規律で西欧では畏敬の対象で有ったと聞きます。
日露戦争:日本が強かったから露助も日本の捕虜を大事にした。戦争後が怖いからね 太平洋戦争:日本が負けるのは目に見えていたから露助も捕虜を奴隷としてやりたい放題
35 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:12:24 ID:qZkpWSPr
>>32 それ太平洋戦争
これは日露、当時は那須与一ごっこを両軍で始めるほど比較的朗らかな戦争だった
36 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:12:45 ID:E8+1I8nH
第0次大戦というが、この程度の合従連衡は 欧州勢は、ナポレオン戦争、クリミア戦争の昔から やってきてるわけで。
日露戦争のことなのに、なんでシベリア抑留の話とかしてるの? 知識ないけどロシアの話はしたいから無理やりシベリアがどうこう言ってるの?
38 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:13:24 ID:b3YS3Kt+
シベリア抑留で日本兵が何十万人死んでんだよ・・・
>>31 うむ、シベリア強制労働は征露丸の時代ではなかったorz
40 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:13:32 ID:1Xx0RSt4
うっ! 勘違いだった。
41 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:14:00 ID:Q18nn/M/
>>28 あはッ!
漏れもそうでした。 スレタイよく読まなかった。
日露戦争の事だったんだね。
ゴメンチャイ!
44 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:14:08 ID:dalBW7oo
これはまた中国がネタに使いそうな話だな
45 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:14:11 ID:faseDoZh
ロシアは扱いよかったのか ソ連は最悪だったけどな
46 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:14:58 ID:pjRyNLay
国体が捕虜の扱いにまで影響したってことなんかね? まあ、俺はスターリンが嫌い。
48 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:15:57 ID:d0VYZ87h
日露戦争の後には何も無かったかの如く第二次大戦の話に入る厨房が多いが。ソ連・ロシア からしてみれば、ロシア革命後の内戦中の日本のシベリア出兵でのやりたい放題 は恨みに思ってる筈だよ。
49 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:16:50 ID:l6em3yDc
そうか、そういえば第二次大戦の時はソ連だったな。 最近どうもソ連の存在を忘れがちだ。
50 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:16:53 ID:7oPOMktA
ここはゆとり教育の効果が見て取れるスレですね。
当時の「労働者」って教養とか道徳心と言うかマナーとか・・・ まあ暴力革命だったし
そもそも太平洋戦争時はソ連兵の捕虜なんかいない 終戦直前に攻めてきたんだから
53 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:18:20 ID:JZJNuahE
言い訳しないで一貫して大日本帝国の流れを受け継ぐ日本最高!
54 :
◆65537KeAAA :2005/04/04(月) 13:19:28 ID:yUj34Z0B
日露戦争の時は手厚く扱ったのに、二次大戦のときはシベリアで強制労働させたの? なにがあったんだ?ロシアに。
55 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:19:35 ID:YiFemPrv
>>50 すごいね…
>>2 −34あたりまで全く凄まじいの一言に尽きるな…
帝政ロシアとソ連と今のロシアの区別がつかない人が多そう
57 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:23:09 ID:hoINXxLM
ロシアを賞賛するとスターリンに粛清されますよ
>>47 ┏┫ ̄皿 ̄┣┛<まず、革命内戦とその後の粛清で貴族を中心とした上級将校団が消え、
スターリンの大粛清でロシア時代から居た本物の軍人とも呼ぶべき将校が殆ど消えます。
これと同時に軍に共産党からの政治将校が送り込まれるのですが、政治将校の多くが兵の
統率法として兵の略奪・暴行を多めに見て歓心を買うという方法をとります。
その結果がスターリングラードからベルリンまでの惨状となりますです。
60 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:24:21 ID:aYCJuhq+ BE:37026825-
私の祖父はロシア軍の捕虜になったらしいが アイスホッケーとかで遊んでたらしい
>>58 ロシア革命があったな。そう言えば…_| ̄|○
62 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:24:44 ID:79AQDAbo
こんな大昔のこと知るかよ
63 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:24:49 ID:UOnG3QrM
>>45 帝政ロシアと共産主義国家ソ連の違いだろ。
捕虜の扱いは、共産主義者の方が思想的力が働くから極端に残虐。
共産主義は、もともと過酷な労働に苦しむ労働者を解放するという人道的面から始まったが、
反資本主義になったために常に敵を創り出す必要が生じたために、必然的に一党独裁体制
と反対者への迫害が伴うようになった。
だから、ソ連で敵国の捕虜の扱いが過酷だったのは、思想的必然である。
中国も北朝鮮も同様だ。
まぁ、そのソ連や中国や北朝鮮を賛美していた社会党や日教組などのアフォもいるが...
64 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:25:28 ID:G3xQ46LF
>>54 日露戦争のときロシアは帝政、WW2のときはソビエト政府。
やっぱりアカが元凶(ワラ
65 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:26:35 ID:mspVLcl7
"ロシア"と"捕虜"というキーワードで脊髄反射するように教育された奴隷がおおいこと…
66 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:26:39 ID:aYCJuhq+ BE:177725568-
私の祖父はロシア軍の捕虜になったらしいが アイスホッケーとかで遊んでたらしい
67 :
unknown :2005/04/04(月) 13:28:20 ID:9zoKuRaG
>>66 ななしさん
なるほど、あなたのおじいさんはナイスなホーケーだったと。
私の祖父はロシア軍の捕虜になったらしいが ロシアンルーレットとかで遊ばれたらしい。
松山のロシア人収容所の話を聞いたことがあったが、全国的だったのか…
70 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:30:08 ID:Hm02HpJl
>>36 >第0次世界大戦と称する学者
これは米国と極東の日本が絡んでいるからじゃないかな?
71 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:30:10 ID:mspVLcl7
>>62 大昔じゃねーよ。
お前みたいな脳みそツルツルが、WW2も「そんな大昔のことシラネーヨ」っていいだすんだろう。
とりあえず横須賀にいって、戦艦三笠を見てこい。
あれはいい資料館だ。
72 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:30:42 ID:dMts/y3F
日露戦争の時代は第二次大戦時代と違って、まだまだ騎士道精神のようなものが残っていた時代でね。 戦闘中も、両軍の負傷者の収容などを行う停戦時間が設けられるなどの一定のルールがあった。 そうした流れが一変したのは、第一次大戦からだな。 第一次大戦では戦闘の形態が総力戦に変わって、騎士道精神など挟む余裕がどこの国からもなくなったからね
74 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:33:33 ID:yA30QpMb
>1 >現在の大阪府堺市と >高石市にまたがる浜寺公園内にあったことなどから、 浜寺公園にあったのか知らなかった。 石碑でも立ってないのか? 場所はどのへん? 府営プールか ゴーカートの方か?
75 :
unknown :2005/04/04(月) 13:33:53 ID:9zoKuRaG
>>71 ななしさん
そういえば、戦艦三笠は大東亜戦争後、ロシア人によって大破されたな。
そういや203高地の映画でも、 戦闘中に休止タイムが取り決められていたような解説を見た記憶が
一次大戦の西部戦線も時には和やかなムードが戦場にあった。 一時的に休戦してスポーツしたり会食したり懇談したり。
イデオロギーやナショナリズムの台頭で、戦争がより悲惨になったのかな
79 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:35:44 ID:dMts/y3F
ソビエト革命の直後にあった日本のシベリア出兵の際には、アカのゲリラ達の執拗な攻撃にさすがの日本軍もかなりまいっていたようだ ソ連の村ごとゲリラとその協力者と見なして攻撃を加える場面もあったようだしな 戦争の形態が変わってきたのは、戦闘そのものの形態が変わったからに他ならないよ
80 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:35:48 ID:1oYC1sHe
>ロシアが捕虜を手厚く扱い ウソつけ
81 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:36:06 ID:MMn3cLeG
日本も世界も、日露戦争の頃をピークに、道徳が劣悪化の一途を辿っている。 武士や騎士など、戦いを道徳の基礎とする階級が無くなったからだ。
お年寄りから 夜店で叩き売られてたルーブル紙幣のこと聞いた事ある人いる?
東部戦線で投降したドイツ軍将兵の70%を「捕囚中死亡」で片付けた露助が?
84 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:39:44 ID:QAuS5rAK
ロシアとソ連は別物と考えて良いのか?
85 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:41:18 ID:dMts/y3F
>>77 大量破壊兵器や長距離爆撃機に代表される戦略兵器の出現が戦争そのものを変えてしまったよ。
戦闘は敵軍を撃破することよりも、敵の国家システムそのものを破壊する方向に走り
第一次大戦では、敵潜水艦による通商航路の破壊が行われるなどの軍隊ではなく、相手国の国民そのものを叩きのめす攻撃が行われだした。
日露戦争でも実のところ、二隻のロシア艦艇によって通商航路の破壊が行われていたのだが、この当時はまだまだ戦争の形態そのものを変化させるほどのものではなかった。
>>78 宗教や民族的な対立というのは、異民族や宗教間同士の葛藤の経験の乏しい日本人には理解できないほど根深いものがある。
だから十字軍の遠征などは、物凄く陰湿なものになり、異教徒というだけで十字軍の兵士が子供まで虐殺するほど徹底したものがあった。
戦争が利権を巡る争いから民族・宗教の対立が絡むとどうしても陰湿になるものだ
86 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:42:53 ID:t0XGnMwY
>>81 >日本も世界も、日露戦争の頃をピークに、道徳が劣悪化の一途を辿っている。
日本の場合は江戸時代だな。
薩長のテロリスト達のせいで一気に後退した。
87 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:46:08 ID:b3YS3Kt+
ロシア兵は旧満州で日本人レイプし放題。
マツシマー! マツシマー!
89 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:47:02 ID:dMts/y3F
>>86 国家としての矜持を否定し、争わぬことだけを美徳とした時点で国家としての道徳が守れるわけがない
90 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:47:14 ID:sz4dSlrz
杉野! 杉野はいずこ!
91 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:47:36 ID:txRFJ7t8
四国松山では日露戦争と第一次大戦のとき、捕虜収容所が設けられたそうだが 捕虜は銭湯や遊郭にも出入りしていたそうだよ・・・ 凄くのんびりした捕虜生活を送っていた。
あれ? マツシマーじゃなくてマツヤマーだったっけ 投降するときにロシア兵が、収容されるならそこにしてくれーって叫んだってのは
93 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:50:49 ID:lAGKtZ38
スゲーな〜。 確実に軍靴の足音が聞こえるよ。
94 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:50:58 ID:dMts/y3F
>>87 第二次大戦時代のソ連軍のモラルの低さはかなりのものだったな。
徴兵の軍隊というのは一般的にモラルが低いものだが
ソ連軍は特にひどかった。
>>91 この時代の日本は、第二次大戦時代のように兵士に食わせる飯もなかった時代ではないからな
捕虜に対する扱いも国家の賓客に対する扱いとしていたようだ。
ドイツ軍捕虜に関しても、地元住人との交流会が開かれ、日露戦争でもロシア人捕虜から感謝状が送られるなど確かに厚遇だったな
>>75 > そういえば、戦艦三笠は大東亜戦争後、ロシア人によって大破されたな。
そんな事実無いだろ。
あれは放置されて朽ち果てそうになったところを、地元の名士が買い付けて
ダンスホールとして利用。プラネタリウムとかも上映された。
さらに、そののち保存会が市に掛け合って現在の展示艦になった。
鎌倉時代までの戦は、武将がまず「やーやーわれこそは」と名乗りをあげてから始めていたのが、 元寇でそれやってバシバシやられて、以降戦闘形態が変わったと習ったのを思い出した。
97 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:53:56 ID:jALAkUxa
両方嘘だろ・・・・。
98 :
unknown :2005/04/04(月) 13:56:14 ID:9zoKuRaG
>>95 ななしさん
あれ、そうなの?
日露戦争の時の恨みとばかり、素手で壊せる分は壊して回ったってきいたけど。
まあ、ソ連みたいに前線の連中の寿命がすさまじい事になりゃ、モラルも低下する罠。
100 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:56:54 ID:lGdTPFXn
へー、初めて知った。 本当ならどこぞの中国とはえらい違いだよな。
このときのロシアってロマノフ王朝じゃなかった? 帝政ロシアと共産党支配ソヴィエトじゃ大分扱いが違うと言うことか?
102 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:57:53 ID:5L9FUT03
rueecyuuID:Sn2VTMjG って…( ̄〜 ̄)ξ って…( ̄〜 ̄)ξ って…( ̄〜 ̄)ξ って…( ̄〜 ̄)ξ ID:VItVQwN/ Bobby Valentino メタメタ(^^; ↑ 誤爆ですか?? ゲーマーだな〜 およよ およ♪van van van van van およ? くりか! くりくりくりっくり♪ PZ1+0XtMいい加減秋田しつまんねーからやめとけや、カス わかんねーよ!
103 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 13:58:58 ID:HLvGFN0+
今、考えると悠長な殺し合いしてたんだよな。 その反面、今よりもお手軽に戦争が出来たんだろうけど。
104 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:03:33 ID:0bW3k04O
そして捕虜を手厚く扱う慈悲の精神は 今現在も日本人の精神の中に深く根付いているのです 刑務所の待遇とかに
105 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:04:50 ID:3BGeiayn
勘違いしている人がいるがこれは 1904年に勃発した 日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争 日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争 日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争 日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争 日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争 日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争 日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争 日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争 日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争 日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争 日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争 日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争 日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争 日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争 日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争日露戦争
106 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:05:10 ID:glJWjPRS
日露友好で中国に対する牽制が目的かな。 ロシア人も中国が強くなってきてることを警戒してるようだな。
107 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:07:22 ID:dMts/y3F
>>98 三笠は記念艦として今も陸に上げられて残されているよ
大戦直後にはさすがに保存に力を注ぐ余裕がなかったもので、見るに見かねたGHQの将校が尽力を尽くしたくらいだ
>>99 第二次大戦ではソ連は日本より一桁多くの戦死者を出している。
それだけに兵士の士気を維持するのが大変で督戦隊まで設けられていたくらいだ
厳しい軍規で統制された軍隊ほど、それが破綻した時は混乱するのが常識でね。
捕虜や占領地での民間人の扱いは物凄く無残なもんだったよ
日本軍の捕虜の扱いの良さは「坂の上の雲」に出てきたな。
109 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:09:39 ID:iR1hPSSh
♪あはは〜♪ ♪また炉輔がウソこいてやんの〜♪
国際法を守る事は近代国家の証だからね。日本もプロパガンダの一環として ロシア兵を丁重に扱った。 海戦では溺れた敵の水兵を助ける事になってたがWW2の様に余裕がなくなって くると情報収集に仕官を数人助けるだけで後は殺した。 WW2のソ連軍はクーデターを恐れたスターリンが将校を大量に粛清したため 戦場に借り出されたのはド素人の農民ばかり。ソ連兵の質が悪かったのは その為。地上戦は後ろから仕官に銃で脅されながら万歳突撃。 戦争も末期になるとしぶとく生き残って実戦で経験を積んだ連中が部隊を 率いたのでまともな軍隊になった。
日本もロシアも、この後の捕虜の扱いはひどいものだったが。
日本国内でも、ここまでやる必用があるのか?って批判があった 遊郭にも行かせてやったそうだ
113 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:12:01 ID:4/irw9uD
三笠が荒れ放題になったのは進駐アメリカ兵のせい
114 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:12:12 ID:A7QS+WQh
この世に永遠につづく真の平和などない。 平和とは戦争と戦争の合間の期間をさすのだ。 ただひとつ平和と呼べるものがあればそれは 地球上から全ての人間が消えうせたときだろう。 『平和論』 磯野カツオ
ソ連の満州侵攻は独ソ戦の絶滅戦のノリでやってきた。一方関東軍は日露戦争の頃 とあまり変わりないおめでたい意識。
116 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:13:19 ID:dMts/y3F
日露戦争は「日本が勝った」と言われているけど、実際のとこはロシアが惜敗しただけであり。 日本が勝ったというよりロシアが負けたと言った方が事実としては正しい事実認識だよ 戦争による負担もあり、ただでさえ高まっていたロマノフ王朝への不満がいっそう高まり共産主義運動が激化するなどの国内問題への処理に迫られたロシア政府が、早期に日本との戦争を終わらせたがっていたのだよ。 実際のところ、ポーツマス条約が結ばれた当時は、ロシア側には戦う余裕がまだまだ十分にあり、対して日本は完全に青息吐息の状況にあった。 もしロシア側が日本との戦いを維持できる状況なら、完全に日本は叩きのめされていただろうな。 まあ、日本側も共産主義活動家に活動資金を渡すなどのロシア内部の混乱をあおっていたのだから その意味で日本がロシアを追い詰めたとの指摘も成り立つけどね
117 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:14:09 ID:0bW3k04O
>>114 それは中島の言葉をカツオが学校の宿題のために
勝手に使ったやつだろ?嘘ソース出すなよ
118 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:14:34 ID:t0XGnMwY
庶民から鍋ややかんを巻き上げてもスクラップにしないで残る戦艦三笠。 軍のエゴの象徴。
119 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:14:39 ID:PxAUyhhp
120 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:14:50 ID:u0Ompu5C
<#`Д´><日本人に500万人くらい虐殺されたと言ってくれなくては極東の宗主国であるウリ達が困るニダ!!
121 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:15:20 ID:lWXobmEP
パンツァーフロントであったな、タイガー戦車に向かってソ連の雑魚戦車が突撃するやつ
122 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:17:55 ID:dMts/y3F
>>111 太平洋戦争では前線の兵士に送る食料もなかったのだ。捕虜を優遇する余裕などあるか。
日中戦争でもゲリラ戦になり、補給線が限界まで延びていたのだから捕虜を護送するような余裕もなかったしな。
なかなか思うようには行かないものだよ
>>115 満州侵攻の際には関東軍はろくな戦力が残っていなかった。
精強な部隊はみんな太平洋方面に回されて全滅に追いやられたのだしな
対してロシア軍は対独戦で勝利した歴戦の猛者たち、関東軍が蹴散らされたのは当たり前だ
この頃の帝国同士の戦争って現代戦ほど殺伐としてなかったてことかな。
124 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:19:02 ID:EsekoY/O
戦場に向かって走る あの列車に乗って行こう 憲兵に見張られながら あの列車に乗って行こう カチューシャがオルガン奏で シュトルモビクが飛び回る その音が響き渡れば 進撃は加速して行く 戦車に乗って突き進み 降りたら銃を撃ちまくる まともな戦術教えておくれよ ここはモスクワじゃないんだ かといってキエフでもない 冬将軍は居ないけど 包囲されたわけでもない 兵隊だけは星の数 だけど言葉通じてない 臆病風に吹かれたら 味方から撃たれて痛い 戦車に乗って突き進み(ウラー!) 降りたら銃を撃ちまくる(ウラー!) まともな戦術教えておくれよ ソ連ソ連走って逝く ソ連ソ連どこまでも ソ連ソ連走って逝く ソ連ソ連どこまでも
125 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:20:35 ID:t0XGnMwY
>>122 >太平洋戦争では前線の兵士に送る食料もなかったのだ。捕虜を優遇する余裕などあるか。
要するに現代で言うカード破産者みたいなものだな。
身の程を知れって事だな。
>>123 ななしさん
ひこーきもない、せんしゃもない、せんすいかんもない、むせんきだけちょっと
あった時代ですから。
127 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:20:54 ID:PWtCOjsT
おいおい・・・4月1日じゃないよ?
ヒント:ロシア革命の前、韓国併合の前
129 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:25:49 ID:mspVLcl7
130 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:30:06 ID:krO5mbX4
要するに帝政ロシアは国際法を守る国家だったが ソ連と今のロシアは非道国家だということですね? だから早く北方領土返せと。 そういうスレですね?
131 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:34:57 ID:aYCJuhq+ BE:33323933-
日本はWW2ではオランダ兵を豚小屋に閉じ込めたり 最悪だったな
132 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:35:52 ID:694mtxD8
まだ戦争で、フェアプレイとか騎士道とか言ってられた時代の話。
>131 現代日本は自国民をウサギ小屋に閉じこめるとこまで進化しました。
134 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:37:08 ID:G3fwfqTH
日露戦争の話題なのに無理矢理WW2の話を始めるヤツはブサヨ
ふはっふぁっふぁっふぁっ
>>133 ななしさん
体積比でも面積比でも小学校のウサギ小屋の方が我が家より広かったぞ。
136 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:39:10 ID:t0XGnMwY
>>133 日本上層部の馬鹿さ加減は昔から変わらない。
日露戦争でも森鴎外に数万人が殺された。
日露戦争で最強の殺傷能力を持つ兵器は森鴎外。
>>85 戦国時代では織田信長が敵対勢力(宗教)相手に「根切り」と呼ばれた殲滅作戦を取っているよ
武士同士の戦いだとお互いが戦争のプロだから引き際を心得ているけど
宗教や一揆相手だとどちらかが全滅するまで徹底的にやりあう結果になることがほとんどだった
3行目の大阪という文字を読んだ時点で 全てがうそっぽく思われるから不思議
139 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:41:40 ID:GH31DRBO
シベリア抑留問題はスルーかよ。
>>131 木の根っこを煮たものや、豆を腐らせた食べ物を食べさせたらしいし
141 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:44:04 ID:CoaawSab
>>140 牛蒡と豆腐か。
東京裁判は裁判じゃないからな。信じない方が良いぞ。
142 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:44:08 ID:G3fwfqTH
>>94 徴用した兵士をそのまま汽車に乗せて戦場に送り出して
弾か銃を持たせて訓練もなしに最前線にどんどん送り出す人海戦術をとってたんだよね
で、逃げ帰ってきた兵士をその場で射殺して「突撃しろ!」とやってたんだよな
ムチャクチャだよな
>136 んー、そんなこと言ったら イギリスの上層部だって壊血病で何人殺したかわからんのですが・・・ 治療法わかってから何年くらい放置したんだっけな。 えらい長期間だったような記憶。
145 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:45:05 ID:cI0QGhFt
森鴎外は戦犯といっていいだろうな。 日本には高木けんかんという優れた医学者もいたんだが、彼の優れた 研究も、医学界のドイツ医学一辺倒の体制に押しつぶされた。
146 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:47:06 ID:lWXobmEP
日本の銃は天皇陛下から賜ったもの、ソ連の銃は2人で1丁
当時はまだ騎士道・武士道が生きてたから・・・ 戦争中じゃない間は普通に会話交わしたり 前線の死体の片づけしてるし
>145 かねひろッス。 兼寛。 まああの時代の名前の読み方は大らかだったんで間違いとは言い切れんけどね。
149 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:48:30 ID:CoaawSab
>>147 第二次大戦から戦争のあり方が変わったよな。
150 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:54:21 ID:cI0QGhFt
J大学の関係者はけんかんと言っていたけど、かねひろが正式なんですか。 戦争に騎士道精神があったのは第二次世界大戦の独対英仏までみたいですね。 独ソ戦はヒトラーの方針で、それこそ民族絶滅をかけた戦争に変質したらしい。
151 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:55:09 ID:PkhcAUcs
このスレは定期的にこのメッセージをあげて置いてください。 シベリア抑留は、 「 第 二 次 世 界 対 戦 」 の 話 そのときの敵は、共産主義になったソ連 このスレの主題は、 「 日 露 戦 争 」 の 話 そのときの敵(?)は、帝政のロシア 日本の捕虜がひどい扱いを受けたのは、ソ連です。 日本の捕虜がひどい扱いを受けたのは、ソ連です。 日本の捕虜がひどい扱いを受けたのは、ソ連です。 日本の捕虜がひどい扱いを受けたのは、ソ連です。
>>150 名前の読み方がわからないときは音読みすれば
失礼にはなりませぬ.
154 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 14:58:44 ID:Tce0DJEe
日露戦争を扱った映画少な過ぎるって。 「203高地」と「明治天皇と日露大戦争」くらいじゃないか?
>150 本人が日常どっち名乗ってたかまでは知らんですが、以前前百科事典で引いた時はかねひろでした。 むしろ親はけんかんで付けたけど〜ということかも。 あの時代の人名前の読みどっちでもOKなの普通だから。 山本権兵衛だってごんのひょうえと言われてるけど、 もとはごんべえで、かっこわるいからごんのひょうえって読ませるようにした なんて逸話もあることだし。 んで、戦争の形態が変わったのは基本的に一時大戦てのが通説かと。
実際お互い医薬品や食料、タバコとかがなくなると夕方相手の陣地行って貰って来たらしいね。
>>116 ロシア側の国内問題がなければと仮定するのなら
日本側の問題もなければと仮定しろよ。
国債売り込みが失敗しなければ圧勝もありうる
すでにロシア海軍は壊滅しており、日本への上陸は不可能
少なくともロシア側が望んでいた不凍港を手に入れるすべはない。
また史実でも日露戦争の勝利によりロシアの東南アジアへの野望は消えた
領土は増えてないが、領海は名実共に日本海が日本海になった。
防衛戦争ととらえれば日本の大勝利。
要するに 共産国家がクソすぎるってことでOK?
>>158 世界で最後まで残った共産主義国家、
北の将軍様の国と厨凶さまが良い見本でつ。
>160 社会主義標榜してる国はまだたくさんあるよ。
賊軍呼ばわりされたあげく死者の埋葬すら許されずに野ざらしにされた会津は いまだに薩長を許しません
>>157 ななしさん
どうしても「日本」と「勝利」を一つの文章に入れたくない人がいるんですよ。
そういう人に出会ったら、その屁理屈を楽しむのが通です。
社会主義共産主義国家 :ベトナム・スリランカ・キューバ・北朝鮮・中国 もう少しあったか?
166 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 15:40:24 ID:RpghAoY3
>153 蜃気楼?
>>160 息子に家督?を譲ろうとしてた頃
共産主義じゃねーよそれってソ連から言われてたw
>>164 屁理屈がエスカレートすると、しまいには、第二次世界大戦で結局負けたから、
日露戦争も負けとか言い出すんだよな。
169 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 15:43:13 ID:mRQGk8Du
ソ連と帝政ロシアを一緒にするなよ、日露戦争のときはまだ帝政ロシアだ 帝政ロシアの仕官は全員貴族で卑怯さや臆病さは禁忌とされていた。 日本側も仕官は元武家の人間が多く、双方ともにルールを堅持して戦ったらしい。 「騎士対武士の戦い」とか「封建制度最後の戦い」言われている。 ソ連はあまりにも糞だが、帝政ロシアは賞賛に値する。
>165 共産党が政権握ってる、となるとその程度だったと思われ。 でもスリランカはちがうような・・・ ラオスかな?
171 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 15:47:48 ID:axgDRkZE
中国・南北チョンがあまりにも酷すぎてロシアがましに見える。
172 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 15:51:03 ID:aYCJuhq+ BE:155509867-
>169 士官は全員貴族、てわけではないよ。 平民からのたたき上げもいることはいた。 まあ貴族出身が多かったのは事実だし、彼らの教育程度は高かった。 西欧に対するコンプレックスの裏返しで、西欧的な美徳を重んじて見せる風潮もあったし。 日本の士官(兵隊もだけど)も非常に教育が行き届いていて質が高かったと言っていいし。 でも帝政ロシアがそれほど素晴らしい国だったかは個人的にはちと疑問。 ソ連との比較においても、国内に関してはどうかなぁ・・・・微妙かも。 もちろん周辺国にはソ連のほうが圧倒的に迷惑だったけど。
174 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 15:53:51 ID:trBFR5VJ
社会主義をまだ名前に関してるのは スリランカとリビアとベトナムだね。 人民なら中国やラオスやらバングラデシュやら… ほとんどあの国の周辺ばかりだが
>174 あとアフリカに結構あると思うけど。
双方とも、最も民度が高かった時代
>>175 冷戦前は東欧や非同盟諸国の多くが
人民共和国を名乗ってたけど
今はさほどないよ
179 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 16:05:18 ID:ANOspJDR
>173 帝政ロシアの方がずっとましだよ。政治犯でも面会がちゃんとできたんだぜ。 経済でも第一次大戦前までの経済的成長は結構なものがある。 いずれ立憲君主になる必要はあるがニコライ2世が死ねば自然と変わっていったでしょう。
>>154 日本海大海戦は?
今じゃ考えらんないくらいの豪華キャストですが
32のお爺さんは100才以上だね!!
皇太子を暗殺されかけても国際法に乗っ取って犯人を裁いた 日本を許した国でつから、大人の付き合いができた国でつね。 その国がスターリンの時代になると「みんなが俺を追い落とそうとしてる」と 疑心暗鬼で有能な人材全員あぼーん。
>176 んー、どーも国中総シベリア強制収容所てなイメージがw ストルイピンの改革て日露戦争の後でしょたしか。
野蛮度 金氏朝鮮>>中共>中国国民党>大韓民国>大韓帝國>ソ連>>(野蛮と文明の壁)>>帝政ロシア>>大日本帝国 ってとこか
185 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 16:16:25 ID:YqQIeLw2
第一次大戦でも日本はドイツ捕虜を極めて寛大に取り扱った もともとドイツへの敬意があったのもその理由 日本にそのまま居着く兵隊もいた お菓子のユーハイムも日本を気に入って残ったドイツ捕虜がルーツ
>>184 >中共>中国国民党>大韓民国>
李登輝塾長はバ韓国以下でつか?
187 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 16:20:45 ID:YqQIeLw2
188 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 16:22:19 ID:6nW8gufq
|∀・)・・・・・シベリア・・・シベリア・・・シベリア・・・シベリア・・・シベリヤ
189 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 16:23:30 ID:YqQIeLw2
>>186 んなこたーない。
あの人は終戦のときは京都で日本陸軍岩本小尉だった。
外側だけ台湾人。
中身は元日本陸軍将校。
190 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 16:27:03 ID:AFbPbxHn
日露戦争の時は世界中の注目の的だったからじゃあないの 欧米の視察官が両軍に結構来てたみたいだし。
191 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 16:29:55 ID:XBRwJ4DV
>>189 うろ覚えだけど、名古屋で終戦迎えたんじゃなかったっけ?
192 :
:2005/04/04(月) 16:30:42 ID:xq7NswvU
まぁ、そんな日本も第二次世界大戦では捕虜を虐待したってことで有名だが。 でも、それは徴収された朝鮮兵がやったらしいという話もあるが。
GI〜!GI〜!FUCKYOU!くたばれGI〜!
194 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 16:34:16 ID:txRFJ7t8
>>145 医学界での主流争いだけじゃなくて、陸軍対海軍ってのもあるかもね。
高木兼寛は遠洋航海で水兵に麦飯を摂らせることで脚気患者を撲滅することに
成功したが、同時に森鴎外など陸軍側が唱えていた脚気病原菌由来説を実証に
より否定した。
陸軍側が過ちを認めて謝罪したってことは在り得ないが、海軍側の経験を取り
入れたってことは実質的に過ちを認めたということだな。
195 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 16:37:27 ID:KDICdJEO
日露戦争で負けた後は民度が低くなったな→ロシア 敗北責任を全てロマノフになすりつけて レーニンが台頭して世界最大の富豪王朝ロマノフは滅亡したんだぞ
ポチョムキン
朝鮮人が日本軍に加わるようになってから、日本軍の印象がわるくなった。 火病と残虐な遺伝子は、5000年の熟成を経て現在に花開いている。
199 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 16:47:51 ID:txRFJ7t8
第2次大戦中の日本軍による捕虜虐待として有名な「バターン死の行進」だが、 それと全く同じことを英連邦軍が日本兵捕虜に対して行った、「トロキナ死の 行進」は、欧米だけでなく日本人にも知られていない。
200 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 16:50:40 ID:fmnqaBT6
201 :
198 :2005/04/04(月) 16:52:23 ID:ZVghjVQs
●アルハンゲリスキーの解明
・マリクがモロトフに宛てた文書では、「1946年12月4日付け政府決定に従い、ソ連から
の日本人の本国帰還が緒に就いた。本国帰還該当者105万2,467人のうち既に
10万 1,075人が送還された」
・1947年3月5日付けの対日理事会でビジョン米代表が、日本捕虜帰国の現状に言及し、
ソ連領内にまだ105万301人の日本人が残留していると述べたところ、1947年3月27
日付けのマリクからモロトフ宛ての書簡では、ビジョンに反論するため「1947年3月5日
現在ソ連内にいた軍人及び民間人の日本人は総計約70万人」としたのである。折りしも
東西冷戦が本格化した時期で、以後、鉄のカーテンに阻まれ、抑留者の数、死者の数と
も曖昧にされていく。
なぜ、こんな隠蔽工作をしたのかといえば、1945年から1947年にかけて大量の日本人
がシベリアの地で死亡したからだ。とくに1945年から46年にかけての冬、シベリア全土
を異常な寒気が襲い、日本人抑留者の命を次々と奪った。防寒服も防寒用の靴もなく、
布テントに収容され、しかも食料も十分に与えられなかった日本人捕虜たちはひとたまり
もなくシベリアの冬将軍の餌食をなった。
●アルハンゲリスキー著 「シベリアの原爆」 邦題「プリンス近衛殺人事件」
・シベリアでのソ連の犯罪を告発したもの。
・ヒトラーの悪行さえかすんでしまう、スターリンの悪行を白日の下に晒すことになった。
・日本人捕虜の大量死亡を隠し、国際世論をかわすためにクレムリンが日本人の埋葬地
さえ後に破壊したという聞くに絶えない事実が明らかにされた。
『 プリンス近衛殺人事件』 V.A. アルハンゲリスキー (著) 新潮社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/410540301X/qid%3D1060583650/250-1422702-8180237
202 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 16:53:09 ID:fROF6xnW
捕虜を取り調べる時、ロシア語の通訳をしている将校が捕虜の挑発にキレて銃殺しようとし、 上官に取り押さえられてテントの外に連れ出された時、「乃木式でどうやって戦えと言うんだ!」と言い返したとか、 そいうことは無かったのだろうか。
美しいロシア 美しい日本
この手の話をするやつらは何の責任もとらなくてよく、なにをどう言おうと 自分の腹が痛むことなど無いから好きなことを言うね。 子供みたいだ。(マスゴミもな)
206 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 16:58:27 ID:ZVghjVQs
【シベリア抑留】 元ウクライナ人捕虜から入手した日本人捕虜についての情報
「チェルニフチ市のヴァシリ・ミハイロヴィチ・ザクレフスキー氏の証言」
私たちはここから鉄道建設のために作業大隊で強制的に連れて行かれた。ここでは一日に
2〜3人の捕虜がまるで野ウサギのように射殺されていた。死体は頭を金槌で割られ、
埋める前に掘った穴の中でもう一度機関銃で撃たれた。そして墓地は有刺鉄線で囲まれて
おり、見張り台でソ連兵が監視していた。
「チェルニフチ市のウィポブィ氏の証言」
2〜3日後、同じ所に20〜25人の日本人捕虜が輸送されてきた。日本人を見たのはこれが
初めてだった。彼らはほとんど皆、金歯があった。この日からものすごい苦痛の叫び声を毎晩
聞くようになった。ソ連兵たちが日本人を殴りつけた上、金に換えるために金歯を折って取り
出していたのだということが後になって分かった。この行為は暗闇の中で行われた。金歯を
抜き取った後にソ連兵は電気を点灯した。赤い共産党サディストの拷問を受けた血だらけの
日本人が私たちの目に入った。そこから私たちは貨車でドゥディンカ経由ノリリスク収容所へ
連行された。その時日本人は一緒に連行されなかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/siberia.htm ソ連軍が満州やドイツで行なった強姦、輪姦【4】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1092036061/ @世界史
207 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 17:08:44 ID:mYqhpKaw
時計はもう11時を回っていた。北緯五十五度の夜はまだうっすら明るい。
街道の方から、小型の三輪オートバイが現れた。
さっきの少年が二台に乗り、ハンチングをかぶり、黒い革のジャンパーを着た
小柄な老人が運転している。日焼けした老人の顏は、ぼくのいるところから
10メートルくらい離れた場所に停車し、車から降りると、その場にたたずみ、
じっとこちらを見つめていた。ぼくは何か引き寄せられるように老人のもとに
歩み寄った。ロシア人ではない。
「みなさんはどちらからですか?」
老人はこちらを直視せず、遠慮しがちに訊ねた。訛りはあるが、達意のロシア語だ。
「日本から来ました」
老人はしばらく黙っていたが、相変わらずこちらに視線を向けずに、
「自分も日本からきました」
そう語る言葉は、ため息まじりだった。
「じゃあ、日本語でいきましょうか」
日本語に切りかえてみた。
「日本語は、わすれた……四十年間もしゃべらなかったから」
消え入るようなつぶやき。
これですっかり合点がいった。この人は抑留者だったのだと。
それにしてもほかでもない8月15日の終戦記念日に、日本の何十倍もあるシベリアで、
ほんのわずかしか生き残っていないソ連残留の日本人捕虜にめぐり合うとは……
いったい何という奇遇だろう。ぼくをここに導いたのは誰の手なのだろうか。
瀧澤一郎著 『バイクで走った、見た、話した ソビエト大横断1万四千キロ』1991年 文藝春秋社 ISBN4―16−345450−0
シベリア抑留と日本共産党
http://money3.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1091112700/
そういや戦時中にも係わらず、日本兵とロシア兵の集団が赤十字の旗の下で 休憩してる写真見たことがあったな。いくら停戦中でもあんなに穏やかだったのは びっくりした。
大二次大戦の時が酷かったから疑う、、、と言うわけじゃないが >「村の博物館には、日本人捕虜が作った三味線や尺八などが保存されていた。 > 手厚く扱われたことがうかがえた」 自作の三味線と尺八でもって「手厚く扱われた」と言われてもねえ。 むしろ 狭い収容所に押し込められて、退屈凌ぎに楽器を自作 故郷の歌でボロボロの精神を繋ぎ止める日本兵達… みたいな暗いイメージが浮かんできた。
まあ、日露戦争の時にはまだロマノフ王朝だからな・・・ ソビエト共産党みたいな無茶はせんかっただろうとは思うが。
211 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 17:34:28 ID:+aQYdwwc
>>86 意地悪くないと帝国主義時代は生き残れないよ。
江戸時代は平和で良かったけど・・
日本が江戸時代のままなら 今ごろ日本は植民地だ。
日本が、清や李氏朝鮮のような末路を辿ってたらと思うと、
「脱亜入欧」「富国強兵」「殖産興業」を唱えた当時の先人たちの偉大さが改めて思い起こされる。
それに比べて・・・
20世紀は 「アジア主義者」 が日本を台無しにした時代だよな。
30〜40年代も、80〜90年代も、「アジアと共生を!」 なんて
起きたまま寝言をほざく馬鹿共が 日本を台無しにしてしまった点では同じだな・・
212 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:10:03 ID:s/EeuIE2
世界から賞賛されてる、と日本人が言った
213 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:13:16 ID:1/HGjjTp
>>209 いや、日露戦のころはロシアの待遇もそんなに酷くなかったらしいよ。
ちなみにあの頃の日本は「捕虜は生き恥」という思想がなかったので、帰還してから
勲章貰った陸軍兵士とかもいる。
214 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:13:45 ID:4bXgjYp9
∧∧ ( =^-゚)v ( ^▽^)v
215 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:16:12 ID:jnznCwu5
在日韓国人って韓国側のやり方からするとみんな捕虜みたいなもんだしな そんでも楽しくゲームとかやらせてもらってるわけだからすばらしいことだ
216 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:22:51 ID:AJTN0mAE
第一次大戦までは紳士的だったんだよ>日本軍 なんで、あんなになっちゃったのかね?
217 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:25:07 ID:f6vzHsms
戦陣訓がやっぱり良くなかったのか?
218 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:26:39 ID:7p6YhxoP
また産経か・・・ 自画自賛ハズカシイ・・・
219 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:27:23 ID:bC1KLdn0
歴史しらなさすぎ
220 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:27:41 ID:+aQYdwwc
>>216 ・ 朝鮮人兵士の増加(現地でのレイプの大半)
・アジア主義者の妄想に付き合わされて、そんなに仲が悪くなかった欧米と対立
・当時の右翼新聞(朝日など)が、戦争反対派の政治家を攻撃し、軍部を煽った
etc......
などなどです
学校ではあまり教えられませんが・・・
嘘つくな。
222 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:34:27 ID:+aQYdwwc
>>221 ・朝鮮は当時進んだ先進文化国だった
・日本人は朝鮮文化と財宝を奪った
・言語を強制した創氏改名を強制された
・南京では30万人虐殺
・朝日新聞は反戦だったので軍部に弾圧された
etc.....
などを先生に教えられて育った方ですか?
224 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:36:02 ID:WnWNfFq8
日露戦争から兵士を単なる駒扱いにする 無駄な突撃命令が山ほどあったのを知らない奴が多すぎ 日本の末端兵士の死者数は何十万人って規模だったよ、日露戦争のときから。 日本は日露戦争からどこかおかしくなっていた
225 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:39:45 ID:GlkBpu0I
>224 機関銃を使った大規模な戦争って日露が最初じゃなかったっけ
226 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:41:14 ID:O845P2LT
ドイツ軍がなぜ日本人の墓を破壊するのかね? これだから露助って言われるんだよ。馬鹿め。
228 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:43:50 ID:+aQYdwwc
負ければ後が無かったからねぇ・・・ 植民地はいらずら('A`) 確かに日露戦争での死者は多かった。 武器が進化したのも大きいし。 でも明治維新以来 死に物狂いだったからねぇ・・ 頑張ったよ。 先祖GJ!
>>224 日露戦争は如何なる犠牲を払っても、ロシアの拡大を食い止めなければならなかった
それを善しとした戦後のキチガイ報道にこそ問題がある
230 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:45:10 ID:hdSpVZwC
>>213 え。おかしい。
日本に生きて帰った捕虜は生き恥さらしたとして
自害を申し付けられた人もいるのに。
ちょっと待ってよ、ソース探してくるね。
「映像の世紀」の何番目だったか、 第一次大戦から第二次大戦までの戦争の移り変わりが 紹介されていたよな。 数十年で劇的に変わる物だなぁ・・・と思ったよ。
232 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:51:08 ID:+aQYdwwc
ソ連の悪待遇は、ロシア人気質というより、共産主義気質、というわけか・・・
233 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 18:58:24 ID:UnBn5cep
第一次対戦も塹壕戦でたくさんの犠牲者が出たからな 戦車のような機動力や、飛行機のような飛び道具が開発される前の戦争の形態はそんなものだったんだ もちろん無能指揮官の働きも大きかったんだろうけど
>>231 「世界は地獄を見た」な。
ゆとり教育の成果者諸君へ。
中公新書ラクレ「あの頃日本は強かった」読みなさい。著者があれだが…。
上のレスに書かれてあることが大体解るでしょう。
まあ、貴族ロシア司令官に致命的無能者が数名いたことが日本には幸いだったらしいね、
この本の論によれば。フランス語は話せるがロシア語で兵士を鼓舞することはしない…。
しかし、このスレの最初の方をみるとさんさんたる有様だな…。ソ連崩壊後に生まれた奴らか?
俺の子供は中・高校は公立には絶対に入れないでおこう。
235 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 19:02:01 ID:mspDHJkx
>>225 そう。だから二百三高地などで死屍累々ということになった。
しかし各国の観戦武官は、「これはたまたまだべ」と防御され、機関銃がすえられた
陣地に突撃すると犠牲が大きいよというものをシカトした為、WW1でひどい結果に。
>>235 乃木が無能で前線指揮所をはるか後方に置いたために状況が理解できなかったのが
二百三高地死屍累々の原因、と「あの頃〜」では結論づけられてます。
繰り返しますが、著者がアレですが…。
>>224 11万8000人だそうだ。何十万人じゃなくて十何万人だね。
それと「無駄な突撃命令」って具体的に何のこと?
>>227 Mein Kampf読めば分かるが、同盟国であってもNaziにとってアジア人は猿。
まして国防軍の末端兵士など、教養のないバカばっか。
まあ、旅順攻略は誰が指揮を執ってもさほど変わらなかっただろうという説もあるようだし。 バルチック艦隊到着前に旅順艦隊をどうしても消さなきゃならなかったわけだし、 負ければ植民地という恐怖感を上から下までみんな持ってたわけで、 そういう状況を無視してバンザイ突撃をただ批判するのはどうかとも思うがな。 そういや、乃木も旅順で息子を二人亡くしてるんだよな……
まあ、戦術に変わり目にはそういう事は起きるもんだ。 今の人間が全ての情報を知った上で( ´,_ゝ`)プッ バカジャネーノ とか言うのは、 推理小説を最後まで読んだ人間が、まだ読んでない人間が惑っているのを見て笑うようなもんだからなあ。 しかしまあ、非難する点をあげれば、 勝算も無いのに戦争始めた所か。日露では、たまたま勝ちはひろったが、 おかげで、勝算なくても、とりあえず戦争始めれば何とかなるんじゃねえの?って投機的方向に進んじまったからな。
>>217 戦陣訓って日中戦争あたりで新兵を大量動員しなくちゃならなくなったから、
兵士の基本的な心得を書いた一種のマニュアルだったっけ?
>>230 そういや20年前の記憶が突然蘇ってきた…。
小学校の時に読んだ学研「物語日本史」の日露戦争の巻で、”ロシア士官が浜辺に打ち上げ
られている日本軍将兵二人を見つけた。まだ息があるので助けようと寄ったところ、両名
は短剣で互いの胸を突いて息絶えた。これをみたロシア将校は「とんでもない敵と戦争を
始めてしまった」と震え上がった”とあった。
>>241 そうは言っても日本より弱い国なんてあんまり無いんだからさ。列強の植民地ばかりで。
>>242 支那人が日本人をたくさん食べたりしたんで、生きて捕まると
大変な事になるぞ、と作ったわけ。
246 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 19:35:47 ID:1/HGjjTp
>>230 >日本に生きて帰った捕虜は生き恥さらしたとして
>自害を申し付けられた人もいる
俺、日露戦争関係の書籍結構持ってるけど、そういう話は聞いた事ないなぁ。
捕虜になった士官が田舎の郷里に帰って
地元で村八分に合ったってケースはあったみたいだけど。
247 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 19:37:33 ID:wPPvY+EN
うそくせぇ・・うそくせぇ・・ 俺はこんな話信じないぞ。 きれいな戦争なんてあってたまるか
>234 >ゆとり教育の成果者諸君へ。 >さんさんたる有様 >さんさんたる有様 >さんさんたる有様 >さんさんたる有様 >さんさんたる有様
249 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 19:38:17 ID:1/HGjjTp
>>237 その内の半分は戦死じゃなくて戦病死なんだよね。
どの戦争でもこれは同じなんだけど。
>234 最初のころは騎馬隊とかあって多少ほのぼのした感じがあったけど、 最後のあたりは塹壕の中で砲弾を受け続けて体が痙攣するようになった 兵士の映像だからな…
251 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 19:40:32 ID:e+q9ISfy
>>5 ソ連とロシアは全く違う国だと思った方がいい。
ロシアの共産主義者と伝統的なロシア人を一緒にしない方がいい。
日本でもサヨクは全然日本人らしくないのと一緒。
その国らしさを消し去るところから共産主義革命は始まる。
252 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 19:41:17 ID:39hJKrA2
アメリカとイギリスにそそのかされてロシアと戦わされた、 ってのが本当の所なんだろうな。
>>245 日本陸軍って、基本的には小規模な組織で、仮想敵国以外とは戦うことを考えていないって感じだよね。
ロシア(ソ連)対策の組織・装備を持って「何故か」中国と戦争。
今度は中国対策の戦陣訓を持ってアメリカと戦争。
陸軍の暴走が戦争につながったって言うけど、陸兵にしてみりゃ、「あちこち引きずり回されているのはこっちだ!」って気持ちかも。
254 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 19:42:55 ID:1/HGjjTp
>最初のころは騎馬隊とかあって多少ほのぼのした感じがあった 関係ないが、第二次世界大戦序盤でナチスの機甲部隊に突撃して全滅した ポーランドの騎兵部隊を思い出した 勇名轟くポーランド騎兵部隊に対し、開戦前のドイツ機甲部隊の兵士は一様にブルッていたが いざやってみたら機関銃&戦車vs馬で凄惨なワンサイドゲームに・・・
255 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 19:43:11 ID:OO+exlRk
てts
マツシマーマツシマー のことか? 日本人って律儀でバカお人好しだなぁ・・・そんな先人を誇りに思うよ
257 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 19:45:52 ID:53mMJRxy
去年12月18日(土)NHK教育 「ロシアから見た日露戦争〜兵士たちの手紙・日記が語る真実」 で捕虜の扱いついて語っていた あながち嘘ではない
258 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 19:46:41 ID:mebCpdsz
ジャップが捕虜を大切に扱うわけねぇ。
日清、日露戦争の開戦時の天皇の言葉にはあくまで国際法上に則って との一文が入ってるのだから当たり前といえば当たり前なんだが。 ちなみに日米開戦の時は削除されたようだけど。
捕虜を手厚く扱い、世界から称賛された国も共産主義体制になるとダメになる もともとダメポな民族が共産主義に走るともうお手上げ
シベリア超特急がぬかしゃあがってとおもたら日露戦争の話か
>>254 フランスとかが注意したのに
「ドイツ軍? うちの騎兵は最強(プゲラ」
と余裕かまして奇襲されて電撃でボロ負けのあれですかw
>>254 ポーランド騎兵の気持ちはわからないが、
まさかあそこまで一方的にやられるとは思っていなかったんじゃあるまいか。
>>244 まあねえ、で権謀術数の外交戦略を軽視する傾向になっちゃったのは確かだなあ。
ウダウダやってないで一発どかーんとくらわしゃなんとかなるさって方向にさ。
もともと対異民族外交経験値が低い所もってきて・・・
ま、今から何非難しても後だしジャンケンで、渦中にあった人間から言わせれば
何言ってやがんでえってなもんではあるだろうけどw
267 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 19:53:39 ID:4fbaQvWz BE:55081477-
>>217 そういう意味では、東条英機はやっぱり国賊ですね。
さっさと靖国神社から追い出すべきだと思います。
>>227 >>1 程度の平易な記事すら正しく読みとれない、
「ゆとり世代」の文盲の方ですか?
268 :
エラ通信 :2005/04/04(月) 19:54:13 ID:sZPj+Spy
世界最後の艦隊決戦で、日本側がロシア側の主力の新鋭戦艦四隻を撃沈・拿捕した段階で 『決戦→掃討戦』に替わったから、それだけの余裕もあったみたいだね。 拿捕した船が結構、そのまま日本軍の戦力にもなったし。 (日清戦争における清の主力艦鎮遠が現役で、日本の旧式戦艦として戦闘に参加したという記述をみたときは、ウームとうなったよ)
269 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 19:54:30 ID:cEYqpYYE
中国・朝鮮半島が反日攻勢に転じてる今、無理にロシアと争いを大きくすることはない 領土は放棄できないが、今後の政経考えるならロシアともっと接近してもいいと思われ
270 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 19:56:12 ID:HWcDA8oY
シベリア抑留が世界から大絶賛!!
>>270 だからロマノフ朝ロシアとソビエトを同一視するなってのw
272 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 19:59:07 ID:kw5SWvMi
兵士にすら下が雪だからといってパラシュートなしで降下させる露助が 捕虜の人権に気を回すわけないだろ
日露戦争では日本が文明国であることを世界にアピールするために 捕虜を大事に扱ったと聞いたことがある
>>254 騎馬と言えばコサック兵の方が…。スターリンの言うとおり独軍に挑めば全滅、
裏切れば戦後これまた全滅。ま、WWIIなんでスレ違いになるが。
>>248 さんたんたる(惨憺たる)、な。分かってると思うけど。
>>274 ななしさん
頭の中が「さんさん」たる、でも意味は通じるか?
>>275 えーと、すまん。どういう意味かわからんが?
277 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 20:56:18 ID:V/Ei5w/e
278 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 21:00:59 ID:EuXA4DHR
あんまし露助を美化しない方がいいよ。
>>278 まあ、勝った戦争だからね。勝者の余裕なんでしょうなあ。
「水師営の会見」の歌も、そうだもんなあ。ステッセル美化しすぎ。
>>278 しかし、まあ、できることなら、尊敬できる隣人であって欲しい、と切に思う。
>>280 そうだね。だだっ子みたいな隣人もいることだしねえ…。
>>254 それでようやくわかった・・・
大昔のシステムソフトのゲームで、ドイツの戦車相手にポーランド騎兵ユニットが
出てきたのが。
確かに妙に自信満々(の配置)で出てきたと思ったよ。
当然攻撃するもボロ負け。
あの時は何故出てきたのか全然わからなかったけど、そういうことだったのか。
まさにこれぞシミュレーションゲーム也。
283 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 21:12:10 ID:Iu1yAZqz
203高地ってもうレンタルビデオに無いのかな? また見たい
>>241 がいいこと言った。
後だしジャンケン(・A ・)イクナイ!
285 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 21:15:02 ID:10MTuTQ4
ロマノフ朝>>>>>>>>>>>超えられない壁>>>>>>>>> レーニン
286 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 21:19:19 ID:bxt2bHsD
>>279 勝ったと言い切れるか?
俺は引き分けだと思う。
まあ引き分けでも日本は立派だがな
287 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 21:20:55 ID:UXq7o7Is
「八甲田山 死の彷徨」を思いだしますた
正直ロシア人が捕虜を手厚く扱うなんて絶対に信じられない
>>288 同意。
利権が絡んでると思う。
ほれ、坂田にそっくりな議員が北海道のやつね、あれが失墜したでしょ。
後釜がまだ見付からないからじゃないかと思うね。
これ、日本を迷走させるための誤報だと思う、ロシアの部分は。
>>288 実際大黒屋の仲間やらその他の漂流民も手厚く扱ってるし、
レザノフやラックスマンの外交も実に紳士的(そのおかげでペリーにアブラゲ浚われたんだが)だったがな。
もともとのロシア人は野蛮だけどお人よしで親切なんだよ。
ソビエト共産党時代だけで判断するとやつらの性質を見誤るぞ。
>>282 騎兵は大したことないんだけど、なんかポーランドのショボい戦車が壊しにくくて
苦労するゲームですか? ケースホワイト。
>>286 まあ、勝った、でいいんじゃないかと。既にして帝政ロシアがほころんでいたとはいえ
日本が互角以上に戦った、ことでその後の国際社会での地位は上がったよねえ。
293 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 21:37:57 ID:CoaawSab
ニコライが糞だった件についてはスルーかよ>帝政ロシアマンセー野郎
>>276 ななしさん
太陽のさんさん、太陽がさんさんでもいいけど。
297 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 21:44:38 ID:aW91dMxZ
とにもかくにも、これだけ国際法守って闘ったのは、WW2では 北アフリカのドイツ軍とイギリス軍くらいか?
>>293 すぐにマンセーとか言うw
何も帝政ロシアがスンバラシイ国だとは一言も言ってないがな。
ただスターリン時代のソビエトのイメージで、
ロシア人の資質を語るのはアレだぞ、とゆうとるだけ。
ニコライは確かにアフォだがw
299 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 21:45:00 ID:CoaawSab
>>224 おかしくなっていった根源が何か、吉田満著の「戦艦大和ノ最期」に出てるね。
沖縄特攻に向かう艦内で乗組員達が出した答えこそそれだろう。
しかし、俺自身も何か失敗した後でいつもその下りを思い出す。
結局同じことやってんだよな、戦争じゃないけどさ。
日本人って根底に変えようの無いものが流れているのかもしれんと思う時が有るよ。
300 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 21:45:33 ID:Ux4aPwLI
日本は日清戦争も日露戦争も太平洋戦争も奇襲攻撃からはじめた国だ。
>>295 …えーと、依然、了解不能なんですが…。
すまん。とりあえず、謝っとくわ。俺が悪かった。
302 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 21:48:08 ID:XSMk/oUb
>>300 そもそも開戦に宣戦布告なんて必要ないからな。
真珠湾攻撃前に日本の艦船(潜水艦だったかな?)が米軍に沈められたんじゃなかったっけ。
お互い様だよ。
>>299 別に日本人に限った事じゃ〜ないさ〜w 誰しもそんなもんだよ。
違いは異民族相手の丁々発止の外交を1000年以上にわたってやって来た国か、
ディープな外交といえば、同じ言語と文化を共有する他領主のクニ相手にしかやってこなかったか
その経験値の差であって、まあ、過渡期の日本にとっては、ああいう結果も
経験値上げの為には仕方が無い事だったんじゃないかねえ?
304 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 21:51:03 ID:kXsGrY8S
要するに 共産主義は人を残忍貪欲にするということだ。 なぁ代々木?
>>違いは異民族相手の丁々発止の外交 といっても、上層部は皆・親戚という当時のロシア・ヨーロッパ…(除くフランスぐらい?)。 所詮、戦争もスポーツみたいなものといってはいいすぎか? ウィンタースポーツやF1に喩えるのは不謹慎かなあ。ヨーロッパ中心の競技の世界に日本人 参戦。最初はやっぱり向こうのルールに合わせて仲間にいれてもらわないと…。 でも、日本人が強くなってくると、突然、ルール変えられるんだけどね。
306 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 22:03:46 ID:XSMk/oUb
>>305 マツダのロータリー、本田のターボエンジン…
モータースポーツってのはマジで貴族の遊びだな。
>>301 ななしさん
いや、あやまらんでくれ。
多分、儂の頭の中が「さんさん」たるもんなんだろう。悩みないし。
>>307 …うーん、気の利いた返しができんが…。
脳天気、ってことで可?
309 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 22:10:02 ID:+aQYdwwc
さんさん 0 【▼燦▼燦/▼粲▼粲】 美しく光り輝くさま。鮮やかに輝くさま。 「太陽の光が―とふりそそぐ さんたん 0 【惨▼憺/惨▼澹】 いたましくて見るに忍びない様。 「―たる結果に終わる」
310 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 22:10:59 ID:zvlZInJx
宝石強盗とかが起きた時、 どさくさに紛れて宝石盗んでいくおばさん もといロシア人
ふざけんな シベリアで何万人死んだと思ってるんだ
313 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 22:14:02 ID:+Yy11T8E
シベリア抑留のお話は?
>>313 毛布一枚で−40度の牢屋の中で眠らされる楽しいお話。
316 :
おのれ露助め! :2005/04/04(月) 22:17:41 ID:sBsMIpOr
ドイツ軍の侵攻とは何の関係もない 日本人捕虜の墓を壊すとはどういうことだと小一時間…。
>>316 いや、だからロクに歴史(特に東洋の歴史なんて)を勉強してないバカばっかですから。
士官でもない末端の国防軍兵士なんて…。
318 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 23:12:14 ID:v+CW0k7Z
このころは武士道・騎士道精神があったらしいね
319 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 23:18:38 ID:1/HGjjTp
>>317 あの時代は、一般国民レベルでは欧米より日本人の方が教養があったからね。
太平洋戦争でも、日本軍は下級兵士までもが流麗な文章で日記をつける事に、アメリカの
士官達が驚いたというエピソードもある。
ただし軍システム構築の巧みさや戦術の高度マニュアル化、戦略的思想のレベルでは、日本人は
欧米の人間よりいささか劣るんだよな・・・宮崎駿が言ったとおり、日本人はWW1以降の近代戦争には
体質的にあまり向いていないのかも。
この時代の日本は国際社会を政治的に考える指導者がいたからまだいいが、 第二次大頃はあまり国際的な視点で見れる指導者がいなかったん だろうな。
日露戦争が最後の戦争。 以降、兵器の殺傷力の異常な進歩により事実上戦争は消滅した。
322 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 23:28:46 ID:VQr+J6OM
ロスケがいない時点ではダメダメ ロスケによるレイプやシベリア過酷な強制労働で 日本人を多く死なせてやったロスケは核汚染されて滅びろ
323 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 23:36:35 ID:HWcDA8oY
どんなにロスケ美化を試みようと、 日本人が舐めた辛酸を考えたら全て帳消し。 せめて北方領土返してから出直して来い。
ソ連とロシアを混同しとる。
325 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 23:40:01 ID:mtTJdPNG
ロシアは捕虜を手厚く扱ったけど ソ連は捕虜を手酷く扱ったというわけですかな
やれやれ困ったもんだw いかに今のシナが馬鹿ぞろいの野蛮人国と謂えど歴史的な偉業は否定できまい。 ロシアも同じさ〜 半万年属国の劣等ミンジョク国家とは訳が違う。
327 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 23:50:34 ID:wFOhMS2k
>日露戦争を終結させたポーツマス講和条約締結から今年は百年 戦勝から百年だろ? それをどうして >国際シンポジウム「捕虜から見た日露戦争」 なんてくくりにする必要があるんだ.おい.責任者出て来い.
別にどんな切り口でシンポジウム開こうと主催者の勝手だろ・・・ 狂犬みたいになんにでも噛みつくなよ・・・
329 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 23:57:52 ID:V+/zd24O
330 :
名無しさん@5周年 :2005/04/04(月) 23:58:00 ID:X3uQpPOf BE:63233892-
>>ただし軍システム構築の巧みさや戦術の高度マニュアル化、戦略的思想のレベルでは、日本人は 欧米の人間よりいささか劣るんだよな. その劣った国の戦術戦略構想を世界最強といわれてる国が運用してますよ? 機動艦隊を例にとると、世界で初めて空母を集団で実戦運用した国はどこですか? ついでに言うと、現代の戦略や戦術などの構想を当時の貧弱な国力と比較で語るのはお粗末すぎる。 国力が劣っていたとなら分かるが、人間が劣っていたとは凄い妄想。 欧米コンプレックスに笑止、あなたの言う欧米とは何処ですか? 電撃戦をやってのけた国ですか? 協力な支援してもらい戦争継続ができたイギリス? 人海戦術のロシア? ヨーロッパ戦線と二方太平洋戦線の二方面戦争をしつつ原爆を開発できた国力の国ですか? 軍の構想や戦術はお国柄が反映されるので、他国と比較する場合何を基準に語るかでも難しい場合が多い。 一律で劣ると言い切るあなたに脱帽。
331 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:05:35 ID:Jvmu1gjo
パルチザンなんかは日本人の民衆を酷い目に遭わせたって聞くけどね。
332 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:10:07 ID:L1HzdRID
どこのパルチザン?
('A`) .。oO(パルチザン?)
334 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:12:41 ID:PT+veP8u
パルメザンチーズ
335 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:17:43 ID:/UqRPdJg
336 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:17:54 ID:Uc7aF1hE
>>328 なにが狂犬だ,えらっそーに
てめえのカキコ,他人のあら捜しばっかじゃねーかw
337 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:17:56 ID:JQcebCvm
尼港事件の事かな? あれはシベリア出兵だけど…。
>335 お手数だが教えてくれ。 >336 間違った知識前提に話してもしょうがないでしょ。
339 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:23:28 ID:UrVGI8qk
>>330 >ついでに言うと、現代の戦略や戦術などの構想を当時の貧弱な国力と比較で語るのはお粗末すぎる。
>国力が劣っていたとなら分かるが、人間が劣っていたとは凄い妄想。
アホかお前
頭に血を昇らせる前に、俺のレスを少しは読んでくれよ
俺が
>>319 で「日本人が欧米人に劣っている」とカキコしたか??
340 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:23:55 ID:bUmX4ixJ
>>199 「バターン死の行進」は単なるプロパガンダだよ。
捕虜を移送する車がなかったから結果的に徒歩での移送になったに過ぎない
当時はすでに車社会にアメリカの兵士は、徒歩でそれだけの距離を歩くことに馴れてないから辛かったのだろう。
それで日射病にやられるのが何人かいたようだが、決して捕虜虐待の意図はなく
日本軍は非難された時には何のことかわからなかった
実際にその任務に当たった日本軍兵士も、重い装備を担いで同じように徒歩で歩いたのだよ。
当時の兵士達は、「装備を担がなくて良い捕虜が羨ましいと思った」と証言しているくらいだ
>>319 しかしイタリアのような華麗な立ち回りは日本人には無理だし…
アレで戦勝国になれるなんて…
そーねー、あそこまで要領よくなくていいから せめてフィンランドくらいの立ち回りと確固とした戦略目的もってほしいなあ。
343 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:28:40 ID:dUUaU30c
>>330 >>世界で初めて空母を集団で実戦運用した国はどこですか?
その後がお粗末だったけどな。
とくにレイテ沖海戦なんて目も当てられん。
謎の栗田ターンは最強。
344 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:31:05 ID:tw1Z/gIm
家のじいちゃんも、露助だけは許さんと言っているぞ。 シベリアで兄弟がなくなったらしい。
345 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:32:35 ID:paX8RVfL
インチキ野郎が湧いてますね
346 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:39:23 ID:sesZn3ah
>>341 日本人はイタリアのようなお調子者気質こそをもっと学ぶべきだな。
要領が悪し
347 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:40:33 ID:w/AR7KgF
ロシアが日本の捕虜を手厚く・・・そうかなぁ。 日本は厚遇したらしいけど、ロシアは違うんじゃないかな。 漏れの曽祖父は日露戦争に従軍(香川善通寺師団所属)したけど、 日本の捕虜が虐殺された話にはゾッとしたぞ。 漏れの曽祖父は、戦闘で負傷して意識不明のところをロ軍の捕虜に なったそうだ。負傷した捕虜はシナ人の馬小屋のワラの上に寝かされて いたらしい。ある日の深夜、曽祖父が異様音で目を覚ますと、ロシア兵が 寝ている日本兵を銃剣で次々とメッタ刺しにしているではないか。 曽祖父は必死で逃げようとしたが、ケガのために動くことができない。 戦友は断末魔の悲鳴を上げて絶命していく。ついに曽祖父の番がきた。 ブスッブスッ・・・曽祖父は八箇所刺された。そこから意識がなくなったらしい。 気がついたら日本軍の軍医に手当てされていた。中にいろいろと着込んでいた 曽祖父は奇跡的に助かった。ロ軍は撤退に邪魔な捕虜を殺していったらしい。 曽祖父「軍医殿。私以外に助かった者は・・・」 軍医は首を横に振るだけだった・・・。
348 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:43:13 ID:UrVGI8qk
>>330 ○軍システム構築の巧みさ
ドイツのヒゲ伍長に皮肉られた様に、そもそも国内の海軍と陸軍があれほど
不毛な対立を繰り広げている有様ではとても優れているとはいえないだろ。
陸軍海軍の対立はどの国でも激しいが、旧軍は度が酷過ぎ。
とりわけ優れた人材はいないが、一つの戦闘組織として軍を強力に纏め上げた
アメリカとはその点では比較にならない。
○戦術の高度マニュアル化
ドイツやアメリカでは、例えば戦車や銃などの兵器の運用法から、ある状況下に
おける敵の傾向、その対処法までが、高度な教育の無い兵士でも理解出来るように、
しかし的確に簡易にマニュアル化されている。反面、旧軍は兵士個々の能力は高いが
そういう戦場の状況に対する対処法がいい加減過ぎる。ソ連すら対戦車攻撃マニュアルや
地雷除去マニュアル等を製作して効果をあげているのに、旧軍の体質は現場の兵士に多くを
背負わせ過ぎだろ。
坂井三郎なんかも言っていたが、アメでは旧軍機の対処法が研究され的確にマニュアル化
されていったのに対し、日本側には敵戦闘機に対する情報が現場での兵士自身の体験以外に
何もなく、F6F配備時も上からの情報は紙切れ一枚だったって状況は幾ら敗色濃厚とはいえ
近代軍として異常じゃねぇの?
南国の島々の戦闘にしても、現場部隊が地図を保有していなかったので道に迷い壊滅という
ケースが多々あった様だ。
349 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:45:54 ID:idqzayei
>>303 >>305 >>305 にほぼ同意。近代社会というのは基本的には
ヨーロッパ世界のホームゲームだから、
欧米がデフォで最強なのはある意味当然。
欧州人も、近代兵器で捩じ伏せる能力を身に着けるまでは、
ユーラシア辺境の劣等生だった。
十字軍遠征なんてオリエントのイスラム側からみれば恥ずかしさ満載だ。
外交も何も全く出来ていない。野蛮に襲い掛かるだけだったからね>欧州勢
ロシア北西部のなんとか村って当時ロシアに併合されてたフィンランドじゃないの? 今もカレリア地方は併合されたまま。多分それは元フィンランド人だろう。 ロスケの捕虜に対する意識は帝政時代から現在に至るまで酷いもんだ
351 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:52:53 ID:UrVGI8qk
>>330 ○戦略的思想のレベル
地球の反対側の国と同盟を結んだ時点で語るにあたはず。
日英同盟と違って、両サイドに敵を挟んでの同盟だし・・・
ただし欧州派遣の優秀な旧軍武官達はドイツの破滅を予見、ドイツと結ぶ事の
危険性を一様に把握しており本国指導部に盛んに警告したが、枢軸同盟は
既に決定事項であり上層部は聞く耳を持たなかった。
>>349 確かに欧州地域は中世〜近世に渡って万時適当だよな、外交も戦争も。
先進地域って言えば 中世前期⇒中東 中世後期⇒トルコ 近世前期⇒北欧で、
欧州、特にフランスやドイツやエゲレスあたりは後進地域だったわけだから。
まぁ要するに、WWUでの日本のお粗末さは単に経験値の不足の問題ではあるんだよな・・・・
日本は日露戦争後に、かなりの長期間にわたってデカい戦争を行わなかったわけだからね。
>>327 戦勝とはいいきれない。
別に相手が降伏したわけでなく日本が決定的に有利な状況下でアメリカが仲介に入った。
日本も苦しかったので相手が降伏するまで待てなかったという中途半端な終わり方だった。
よって賠償金は獲得できないなど戦勝とはいえない条件で終戦し、東京では暴動が発生した。
353 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 00:58:43 ID:dUUaU30c
>>352 まぁそうなんだけどな。
日本海海戦で買ったのは事実だし、水師営の会談なんて美談だよな。
それにしても乃木と伊地知の無能さには呆れるが。
東南アジアなどの有色人種国家では日露戦争ってのは凄い衝撃だったそうだ。
まぁ日露戦争以降日本は慢心していくのでアレだが、日露戦争に関しては誇っても良いと思うけどなぁ。
>>352 まぁ帝政ロシアの南下は確実だったし、勝利とは言えずとも
得る物は大きい進塁打的な停戦だったんじゃないか?
その後の状況を考慮すれば、敗北したのはどう考えてもロシア
355 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 01:00:37 ID:dUUaU30c
そういやアメリカの仲介も日本の計画通りだったよな。
356 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 01:02:03 ID:idqzayei
>>348 さすがに英米独の三カ国には劣るだろうが、
これは当時の『世界の三強』だよ。
他の欧州各国より遥かに上というのがすさまじい>旧軍
維新後100年も経っていなかったわけだからね。
マニュアル化については、
現場の兵卒の基礎的能力が徴兵による総力戦レベルになっても極めて高い場合
マニュアル化を敢えて進めないと言うのはひとつの有益な方法だ。
米軍は米国の国としての性質上、
英語も満足に読めないようなヤシを末端に配属せざるを得ないわけで
マニュアル化は死活事項だった。
旧軍の致命的なところは、軍事ヲタ的なテクニカル部分ではなく、
近代国家における国軍の位置付けの本質を全く理解できていなかったことにある。
つまり一言で言えば「文民統制の精神」だ。
旧軍首脳部にとってこの言葉は結局旧軍解体のその日まで「宇宙人の言葉」だった。
国家における軍の存在理由を理解できていなかったことになる。
このことだけは誰も否定できまい。
357 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 01:04:08 ID:Hc6uIhOl
日露戦争は列強クラブの20世紀帝国主義リーグ戦の 緒戦を飾ったわけだが。 で、21世紀になり帝国主義もすっかり絶えたかに思えたが 極東3馬鹿は、遅れてやってきた帝国主義なんだよな。 帝国主義なんて古いんだよとG7の国々は思っているんだが 3馬鹿はやる気満々。どうしたもんだが。
358 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 01:07:52 ID:dUUaU30c
>>356 >>国家における軍の存在理由を理解できていなかったことになる
日露勝利以降、日本軍は一直線に頭が悪くなっていったよな。
日露でアメリカに和平を頼んだ同じ国が、WW2ではソ連に和平の仲介を依頼するんだからな。
泥棒に防犯の相談に行ったようなもんだ。
またしばしかんか
>>356 うーん、確かに比較対象が適切ではなかったかも。
当時陸軍大国と言われていたフランスはおろか、冷静に考えるとアメ抜きの
エゲレスよりも強力だったかも、旧軍は・・・
>現場の兵卒の基礎的能力が徴兵による総力戦レベルになっても極めて高い場合
>マニュアル化を敢えて進めないと言うのはひとつの有益な方法だ。
いやこれは、現場に熟練兵がいる内はいいんだよ。
ただ、旧軍みたいに人材は優秀だが層が薄く、しかも熟練兵も使い捨ての軍隊では
逆に重要な事だと言えよう。マニュアル化を怠る事は、現場がトーシロばっかに
なってから滅茶苦茶響くんだよ。戦争序盤には無敵と言われていた旧軍の航空隊が、
マリアナでは七面鳥撃ちと嘲笑われる有様だ・・・・・あの時点では向こうもそんなに
場数を踏んだわけでもないのにな。
いや、あれは錬度の問題だけじゃなくて 向こうに対空レーダーがあったから仕方ないか・・ VT信管も配備されてたし
362 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 01:21:42 ID:tw1Z/gIm
ところで
>>1 で講演してる奴は、皮肉で言ったんだよな。
日露戦争でそれまでほとんど知られていなかった日本人という民族が 「武士道精神」と「教育勅語」で教育された国民で、世界トップクラスの民度を持っている ということが欧米で認知された点は大きい。 仲介したルーズベルト大統領は当時の欧米のベストセラー「武士道」に共鳴して仲介を買って出たのは有名な話。 PS.森前首相が今の日本の荒廃ぶりを見て当時の教育勅語教育を懐かしむ発言をしたら 共産党をはじめ野党が軍国主義回帰だと猛烈に批判したけど教育勅語 十二の徳目はすばらしいよな
364 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 01:28:49 ID:1SYZPOyj
日本がロシア人捕虜を優遇したのは、間違いなかろう。 ロシアのほうがどうかというと? >近年、七基の墓石が発見された。さらに発掘を続け、村に慰霊公園を造りたい」 >と語り、同村を訪れたことがある中山元外相は「村の博物館には、 >日本人捕虜が作った三味線や尺八などが保存されていた。 >手厚く扱われたことがうかがえた」と説明した。 これだけではなぁ。 作った直後に処刑された可能性もあるし。
>教育勅語 十二の徳目はすばらしいよな まぁ素直に読めばね。 ただ、何事も教条化されると途端に腐るから、そこは中々難しいところだね。
つうかドイツ人のせいにしてるが、 自分たちで破壊した疑いがかなり強いと思われ
>>335 パルチザンの話はどーなったんだ?w
やっぱシベリア出兵の話と混同か?
368 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 02:01:34 ID:eXxqMbOc
>>340 つまり軟弱なアメ公が日本兵と同様の状況で動いたらアメ公の体が
耐えられなかったって事か。
帝政ロシアが素晴らしかったって言ってる奴! 農民虐げて革命興される様な国が素晴らしいわけないだろう! 少しは考えろよ!
370 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 02:07:25 ID:0wDl3CGq
帝政ロシアは貴族国家だからね。 貴族に対しては他国でも経緯を払う。 農奴に対しては自国民でも動物以下。 ちなみに高級将校は貴族扱いなのは各国共通。
371 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 02:10:07 ID:x/ymqV1p
>>365 インデックスにしかならんからな。
教育勅語だけ持って行っても別時代の人や
外国人には使いこなせないかもしれない。
教育勅語 十二の徳目 孝行 親に孝養をつくしましょう 友愛 兄弟・姉妹は仲良くしましょう 夫婦の和 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう 朋友の信 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう 謙遜 自分の言動をつつしみましょう 博愛 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう 修学習業 勉学に励み職業を身につけましょう 智能啓発 知識を養い才能を伸ばしましょう 徳器成就 人格の向上につとめましょう 公益世務 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう 遵法 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう 義勇 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう 意味くらいは誰でも分かると思うがなー
>>124 笑った。保存しました。でもカラオケで歌っても軍オタにしか受けないだろうな・・・。
374 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 03:23:32 ID:AkJXpphL
捕虜を強制労働させる国ロシア 捕虜を虐殺する国ロシア 捕虜を強姦する国ロシア
375 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 04:10:13 ID:2hNSP+g4
>>372 軍グツの音が聞こえます!!
軍国主義の亡霊が見えます!!
376 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 05:26:40 ID:IsiN6TO9
日露戦争前に情報将校として満州で写真屋を開業して情報収集にあたり、 日露戦争開戦後は第2軍管理部長として従軍した石光真清少佐は、日清 戦争当事は少尉で近衛師団の小隊長として戦争に参加した。 後に「石光真清の手記」4部作として発表された著作を読むと、捕虜の 日本兵は例外なく殺害されるが、それも目を刳り貫かれ、両手両足を切 り落とされ、内蔵を引き出されるなど、清国軍の捕虜日本兵に対する残 虐な仕打ちに驚かされる。
377 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 05:39:22 ID:gRqlWcEV
378 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 05:53:35 ID:gbrdtmm4
>>30 いしいひさいち の『眼前の敵』(戦争4コマ漫画)に似た話があった。
前線に送られてくる食料が「サバ缶」ばっかりなことに
業を煮やした兵士Aが、塹壕から敵陣に向かって叫ぶ。
兵士A「おーい」 敵兵「なんだー」
兵士A「食料を交換しようぜ、サバ缶ばっかで飽きたー」
敵兵「だめだー」
兵士A「なぜだー」
敵兵「ウチもサバ缶ばっかりなんだー」
数日後。配給がサバ缶→ニシン缶詰に変わって今度は
ニシンに飽きる兵士A。
兵士A「おーい」 敵兵「なんだー」
兵士A「そっちのサバと替えてくれ、ニシンは飽きたー」
敵兵「だめだー」
兵士A「なぜだー」
敵兵「ウチもニシンばっかりになったんだー」
兵士B「この戦争何かヘンだぜ」
379 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 05:54:57 ID:VEUbNAyU
俺の爺ちゃんシベリアに連れて行かれた。でも体操やってたから ハラショーって言われて助かったと母親が言ってました
378の後日談を発見。物資が不足気味の前線でついに戦闘が始まった。 隊長「おい、迫撃砲弾はどうした!」 兵士A「このところサバが豊漁らしくて、サバ缶を山ほど送ってきました」 兵士B「サバ缶を撃つのかorz」 サバ缶箱の脇に発射筒を発見する。 兵士A「サバ缶用の迫撃砲がついてました」 隊長「またワケのわからんものを」 隊長「しょうがない、うてーー!」 スポン スポン スポン (サバ缶が発射される) 兵士A(敵陣を見て)「あ、隊長!毎日毎日サバ缶で見るのもイヤになった 敵兵が逃げて行きます」 隊長「そんなことで逃げるなー(#゚Д゚)」
381 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 06:34:32 ID:jxfwKmcQ
共産おそるべしという事か。 共産が進むと人権は失われる。
382 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 12:10:58 ID:Add0Mkqq
ソ連でも生き残った将校はまともだったそう
383 :
エラ通信 :2005/04/05(火) 12:30:50 ID:x1Td8S/p
>>382 まともじゃないロシア将校はよく『事故死』したから。
良いロシア将校は死んだロシア将校だけだ って言って欲しいのか
385 :
エラ通信 :2005/04/05(火) 12:33:48 ID:x1Td8S/p
あ、それからロシア・ソ連の捕虜の扱い方は日本に比べてはるかに残虐だったよ。 生き残った人数が比較的多いシベリア抑留は、基準になる絶対数を大幅に減らしている という噂は以前からも囁かれている。
386 :
エラ通信 :2005/04/05(火) 12:39:21 ID:x1Td8S/p
>>384 ロシア帝政に盲目的に忠実で、兵士にむやみやたらと厳しく、
虐待するのを将校の権利と思っているロシア将校を『まともじゃない』と称したがなにか?
387 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 12:44:18 ID:CiGh7aWD
ニコライとその側近に付いて
388 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 12:50:06 ID:Xees7O2H
>>日露戦争でそれまでほとんど知られていなかった日本人という民族が ぷっ。無知が語ることほど恥ずかしいものはない。
ロシアなんて元がモンゴルなんだから(←駄洒落になってるw)残虐で当然だろ。 そんなものと比較して自己正当化だなんてウヨの提灯記事も笑わせるよなw
ロ助のいう事を信用するのは愚か
391 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 16:33:32 ID:SjIN8yao
WWTにおける日露関係
http://ww1.m78.com/sib/exhortation%20for%20expedition.html 参戦要請ではないがロシアからは装備・武器弾薬の供給要請があった。
この当時日露関係は非常に良好だった。イギリスとは開戦時の地域制限
論争が気持ちのうえで最後までつきまとった。これに対しロシアの要求
は日本の実情を考慮し非常に懇切ではあり丁寧(*)なものだった。
朝野では日露同盟論が沸きあがったという。この気分がシベリア出兵に
影響したことは確実だ。戦時中の帝政ロシアは自ら総動員によって開戦
原因を作ったためか同盟国にたいして誠意でこたえた。
(*)ニコライU世は大正天皇の即位式(1915年11月京都)に
花瓶と手箱を贈った。ダイアモンドをあしらった工芸品で当時500
万円を越えると噂されたという。ニコライU世の工芸趣味はイースター
エッグで有名であるが、この2品は他の国のものを圧倒していたという。
日本も小銃や野砲の供給でできる限りのことをした。当時全世界で武器
供給能力のある国は日本のみだった。アメリカは生産能力は圧倒的だった
がこの時は民生品に限られていた。1916年のロシア軍の攻勢、
ナロッチ湖の戦いとブルシロフ攻勢はこの日本の援助と関係がある。
100年後に日露戦争は歴史家はどういう評価をするのだろうか?
393 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 20:25:37 ID:F/OwBVKa
日露戦争と太平洋戦争の区別がつかない馬鹿が大量発生してるな。 小学校からやりなおせよ。
394 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 20:59:07 ID:LLczY6w1
日露戦争の現実を知りたい場合は 児玉穣の「日露戦争」を、 ロマンを求める場合は司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むといい。 「天気青朗なれども浪高し」の日が、実は曇りだったとか、終戦間際は両国共に疲弊しきっていたとか… あとはビジュアル的に知りたいなら江川達也の日露戦争の完結を待つとか(w
スレタイを見て判断しただけだと とんでもない釣りスレに見えたんだが、 共産国家になるまえの捕虜の扱いはまともだったってことなのか?
396 :
エラ通信 :2005/04/05(火) 21:14:36 ID:mDFQ/gaa
だいたい帝政ロシアに捕虜になった日本人の話って聞いたことはないんだが。 軍人交流で、ロシア戦艦『アリヨール』の艦長ユング大佐と戦艦『朝日』の 野元艦長が面識があったってのは、そういう関係じゃないし。
>>394 江川のは、絵が汚すぎて読む気にならんよ
日露どころかまだ日清も終わってないんじゃないのかあれ
>>30 203高地だったかな?映画の中でそれに似たシーンがあったような
一日だけ休戦になったんだけど、その日は両軍兵士で合同呑み会やってたな
ロシア兵がアコーディオン弾いて皆で歌を歌ってた
次の日には本気でドンパチやってたけど
まだこの頃は武士道騎士道があったんだねぇ(遠い目
400 :
名無しさん@5周年 :2005/04/05(火) 23:37:24 ID:SjIN8yao
大津事件の日本側の対応 日本側も大慌てである。巨額の損害賠償どころか、下手をすれば神戸沖の ロシア艦隊が艦砲射撃を始め、ロシア兵が上陸してくるかもしれない。 国家存亡の危機である。 十一日夜十一時、三十八歳の明治天皇はアレクサンドル三世に親電を発し 皇后もマリアに親電を送った。まず皇室外交で危機を回避しようとしたのだ。 それから翌朝一番の列車で、天皇自ら謝罪に向かったのである。 十三日の午前十一時すぎ、天皇は常盤ホテルにニコライを見舞った。 ニコライは、もう熱もなく平気です、とにこやかに天皇を迎えた。 (中略) 十七日、青木外相から、西からの電報が届く。 「日本の天皇、政府、国民がこぞって皇太子の凶変を嘆き深く同情しているので、 ロシア皇帝、皇后は十分に満足しており、本件については何らの補償も要求しない」 かくして危機は回避されたが、ニコライが強く望んだ東京行きは中止となり 皇太子は急遽、帰国した。シェーヴィチの強い要求による。実はシェーヴィチの 許には、日本の極右から脅迫状が届いていたのである。 ・・ 新人物往来社『別冊歴史読本(第28巻37号) 皇女アナスタシアとロマノフ王朝』より
日露では手厚く捕虜を扱ったはずのロシアがなぜ2次大戦の時には シベリア送りにしたのか教えてください… うちのじいさんシベリア帰りなんだよ…去年死んじゃったけど。
402 :
名無しさん@5周年 :2005/04/06(水) 00:08:10 ID:Nj9/YgQx
ピース大阪はどう反応しますか?
403 :
名無しさん@5周年 :2005/04/06(水) 01:45:07 ID:g/NBKfCE
>>401 貴族が支配 → 帝政ロシア ← 日露戦争のとき
共産主義者が支配 → ソ連 ← 第二次大戦のとき
404 :
名無しさん@5周年 :2005/04/06(水) 01:48:54 ID:SLioFOWn
405 :
名無しさん@5周年 :2005/04/06(水) 02:23:49 ID:UQBvJ+xQ
というかハーグ平和会議の開催を提唱したニコライ二世のロシアが捕虜虐待 なんぞしたら他国から非難囂囂だろう。
俺ちょっとアニヲタ入ってるんだけど、 アニメ関連とかのロシアの掲示板読んだことある? するとね、なんつーか、フツーの人たちなのよ、ロシア人。 北方領土の話とかについてのトピックなんかだと、 「先人は何であんなとこ獲ったんだ?」とか、 「日本に返すべきなんじゃないか?」 「いや、あそこを譲歩するとドイツ側からも返せと言われる、難しいとこだ」 とか、いろんな意見がある。 「日本人見たことある?」ってトピックなんかもあって、 日本の風景のカレンダー持ってるぜ、日本行ってみたいな、なんて会話もされてる。 やっぱりソ連が、共産主義がすべて悪いんじゃないかなぁと 蛆が沸いた頭で考えてみたりするよ。
>>399 ガンダムでも似たようなシチュエーションがあったような。
漏れの中のロシア軍人のイメージはランバ・ラル。
>>406 中国人は頭が良い、ロシア人は人が良い、朝鮮人は…ありゃダメだ。役に立たん。
が年寄りの中じゃ定説らしい。
>>406 軍事的にロシアは極東唯一の不凍港を手放すわけが無い。
その方々はそのことを分ってないだけかと。
410 :
名無しさん@5周年 :2005/04/07(木) 23:18:42 ID:dOJxVzeY
日露戦争のロシア捕虜に対する厚遇ってなんか 当時の白人の世界支配にブルって過剰にやりすぎてる印象を受けるよね ぶっちゃけ帝政ロシアが日本兵士をここまで手厚く寓したかどうかは疑問
411 :
名無しさん@5周年 :2005/04/07(木) 23:23:00 ID:PD0I0i64
また江戸時代生まれの明治人は偉く、明治生まれの昭和人はDQNということが証明されましたな
413 :
名無しさん@5周年 :2005/04/07(木) 23:35:10 ID:sIYV9fwS
ロマノフ王朝の時代は良かったらしいよ。 宮廷を戦傷者の為に開け病院にし、確か皇女自らも負傷兵を看護した。 皇帝もロシアの発展のため、鉄道建設などに自費を投じた。 しかし、その幸せな皇帝一家も革命を経て、アカの兵士どもに全財産を 奪われ、奴らの劣情により小さな子まで一家皆それはもう残虐な方法で 殺された。アカのやることは今も昔も変わらない。
共産主義のソ連時代に、子供は社会の共有物だとかで 親子という家族を否定した制度(?)を取ったことがあるらしい。 でも、治安が悪くなったりとかで、人心荒廃が著しいことになったとかって聞いたことがある。
戦争は悪
日露戦争中に開催された日露将校同士の晩餐会の絵が残っている。 戦争中に国交が交わされている事自体今考えれば信じられない話ではある。 軍人同士に共通するポリシーみたいなものがあるんだろな 反面、アカ国家が非人道的な行為を行う根底には軍人を含めた支配階級への憎悪があると思う。 虐げられたものはその大小に関わらず歪むもんだ。
418 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 00:59:42 ID:dLlIFEHT
>>414 >共産主義のソ連時代に、子供は社会の共有物だとかで
>親子という家族を否定した制度(?)を取ったことがあるらしい。
今現在の、北朝鮮&中国で実際にやってるよ。
自分の両親より、将軍様が大切な人なんだと...
共産主義の常套手段だよ、家族の絆を引き裂くのは。
419 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 01:42:22 ID:TP9h5rww
>>418 補足トリビア1
ポルポト時代のカンボジアでも実際にやってた
年端もいかぬ子どもらに親兄弟と縁切ることを学校で教えたりしていた
黒板で親子の絆に×印をつけると教室中の拍手が・・・というのをどこかのTVで見たことがある
補足トリビア2
「子供は社会で育てる」というのはルソーの思想が起源
420 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 01:46:42 ID:Ig5VwGFd
ロシア帝国と反逆者のソビエト、今のロシアは全然違う国だからな
421 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 01:48:57 ID:Zc0bxARS
ロシアがっすか!?
422 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 01:50:26 ID:quErQDMN
ステッセルに帯剣を許可したとかあったもんな
423 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 02:06:20 ID:gKzOiNa0
まとめると、共産主義が諸悪の根元か。
今となると何だったのかねぇ共産主義ってのは・・・ 伝染病の如く世界を覆い混乱をもたらした印象が強いが、 実際共産主義が生まれて何か良い事有ったっけ?
425 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 04:47:45 ID:wwUAKWII
>>424 >今となると何だったのかねぇ共産主義ってのは・
おいおい、まだ隣に共産主義国家が2つ残っていて、そのシンパが国内にも
たくさんいるぞ。勝手に、過去の遺物みたいにいうな。
悪い宗教としかいいようのないシロモンだったな 実際過去の遺物臭いけどね 中国ももう共産主義バンザイでは持たないだろうし
427 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 04:55:55 ID:sBII+m57
この中山元外相ってのがどういう人なのか厨房は調べるべきだな
428 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 04:56:19 ID:1wxu7UJu
アジア系ロシア人が最悪だった 白人系ロシアは比較的マシ
429 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 04:58:25 ID:lVWwziMf
>>1 "日本・ロシアとも捕虜手厚く扱い世界から称賛"
日本はそうなのかもしれないが、
ロシアがそうでないのだけは確かだな。
>>131 豚小屋じゃねーよ
オランダがインドネシア人のためにつくったんだよwww
んで、自分たちが入れられて虐待とほざく
結局あれだろ、朝鮮が悪いんだろ?
432 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 06:01:32 ID:RegnlQ7+
ご存知、「映像の世紀」よりコピペ 日本人は西洋の学問の成果を全て集めた。 そして、西洋の成果を応用し、組み合わせて使いこなしている。 この民族は我々の育んだ複雑な文明を、 わずか一世代余りの内に習得したのだ。 ロシア軍はロシア人最高の武勇を発揮している。 しかし、それを攻撃する日本人はもっと偉大と言わざるを得ない。 粘り強さ、機転、素晴らしい勇気、厳しい状況への知的な対応。 今、世界中が興奮している。 日本人は誇り高い西洋人と並び立つ列強であることを世界に示したのだ。 ――タイムズ(イギリス)より 1905(明治38)年1月3日 世界に人類の運命を決する大きな危機が近づいている。 その第1回の戦争は、我ら白色人種のロシア人と 有色人種日本人との間で戦われた。 白色人種は不幸にして敗れた。 日本人は白人を憎んでいる。 白人が悪魔を憎むように憎んでいる。 しかし、我らにとって日本そのものが危険なわけではない。 統一されたアジアのリーダーに日本がなることが危険なのである。 日本による中国の統一。 それが世界に脅威を与える、最も不吉なことである。 ――ウィルヘルム2世(ドイツ皇帝)の談話より
433 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 06:04:18 ID:RegnlQ7+
ご存知、「映像の世紀」よりコピペ (第一次世界大戦後、殺伐とした空気になるね) 戦争から、きらめきと魔術的な美がついに奪い盗られてしまった。 アレクサンダーやシーザーやナポレオンが、兵士たちと危険を分かち合いながら、 馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。 そんなことはもうなくなった。 これからの英雄は、安全で静かで、物憂い事務室にいて書記官たちに囲まれて座る。 一方、何千という兵士たちが、電話一本で機械の力によって殺され息の根を止められる。 これから先に起こる戦争は、女性や子供や一般市民全体を殺す事になるだろう。 やがて、それぞれの国々は大規模で、限界のない、一度発動されたら制御不能となるような 破壊の為のシステムを産み出すことになる。 人類は、初めて自分たちを絶滅させることが出来る道具を手に入れた。 これこそが、人類の栄光と苦労の全てが最後に到達した運命である。 チャーチル ――――――――― 世界の危機 より
434 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 07:56:45 ID:mPwDe0Ry
日露戦争は、日本に侵略される朝鮮を助ける為にロシアが、正義のための戦争なの だが、なぜ学校では教えないらしい。
>>419 >「子供は社会で育てる」というのはルソーの思想が起源
もっと遡ればプラトンの「国家」じゃないか?
436 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 11:52:54 ID:S52zxvd/
プラトン、ルソー、マルクスは全体主義者だからな カール・ポパー大先生の「開かれた社会とその敵」を読むべし 日本のフェミも全体主義者だ。
437 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 11:57:48 ID:ebHoG+8M
旧ロシアはソ連とは大違いだなw
もうそんな昔の事など忘れようではないか 日本は捕虜の扱いは手厚かったと評価されているのだし 世界的にはプラスなんじゃないの? 昔の露はどうこうだったといちいちほじくり返して騒いでたら かの国の奴らと変わらないですよ。 日本人らしくいきましょう。
439 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 12:02:14 ID:B81Xj4ru
>>425 社会主義国のことか?
共産主義国家というのは概念的には存在しないはずだが。
440 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 12:07:22 ID:YzBz2utq
ロシア皇帝は戦時国際法を整備することに熱心だったと記憶している。 確かそのための国際会議を主催したとこともあったはずだ。ロシアは 白人のなかでは蛮族扱いされることが多く、遅れているとして蔑視 されていた。そういうイメージを消すために必死だったと思う。 日本も近代化をなしとげようとして欧米においつきおいこせでやって きた。戦時国際法遵守の優等生にならねばならなかった。お互いに 周りの目を意識してやらねばならなかった。 そういうわけで、こういう美談になるわけだろう。 そうそうお互いに相手が残虐行為をしているという宣伝戦も行わなかった。 これはよく使われるんだが・・。
441 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 12:14:51 ID:YzBz2utq
日露戦争の後、日本とロシアの関係は好転した。非常によくなっていった。 満州の北半分は依然としてロシアの影響下におかれていた。ロシアの 側から、満州分割を提案してきたと書かれている研究書を読んだことが ある。南は日本に北はロシア領にしようということだ。当時の状況からみて 日本とロシアが手を組めばできないことではなかった。中国政府に共同で 圧力をかけるのだろう。
442 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 12:25:16 ID:drdz4KD3
443 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 12:31:05 ID:q0JJGPBA
日露戦争のときは休戦日が週一回あって、その時は両軍交えて宴会とかやってた。 でも、翌日は殺し合い。 スポーツみたいな戦争。
>>442 情報戦ってだけなら、黒海からはるばるやってくるバルチック艦隊に
「日本の水雷艇が夜闇に紛れて奇襲をかけてくる」ってデマを流したり、
そのせいで彼らが地中海の中で民間漁船を日本の水雷艇と間違えて
砲撃してしまうというヘマをやらかすないなや、
「民間船を砲撃する極悪非道な艦隊」とヨーロッパ中に大宣伝をかまし
(契約のあった)フランスをのぞく一切の国からの補給、
特に航路途中での各国植民地での石炭補充をさせてもらえなくしたりと、
神業的な情報・メディア戦略を披露してくれてます。
なんでこれが二次戦になるとあんなんなっちゃったんだろーなー……
445 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 12:37:45 ID:q0JJGPBA
日露戦争はアメリカが日本に戦費を支援し、開戦まえに講和の手筈まで約束し、イギリスがロシアへの支援を断ち、日本に軍事技術を支援した。
446 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 12:50:36 ID:BKgulNX2
二百三高地を日本軍が攻撃した時は、2、3千人の歩兵が機関銃陣地に銃剣突撃。 気が付いたら、2,3千人が2,3人になっていたという笑い話が豊富にある。 日本陸軍弱すぎ。
447 :
:2005/04/08(金) 12:59:57 ID:YmZhmEem
>>446 森鴎外のせいWマジで。
広瀬武夫少佐はシャラポアみたいなのと
(当時の露西亜三大美人だったらしい)
恋愛中だったし、観戦武官(アルゼンチン)は日進の
指揮をとってしまうし優雅な美しい戦争だったなぁ
第三師団以外は。
449 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 13:07:15 ID:MRyhgm2D
「映像の世紀」第一次世界大戦編を見ると、 戦争当初、各国がどれだけ戦争を甘く見てたかが分かる。 というか、それまでの戦争はあんなのどかな感じでやってたんだろうな。
450 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 13:11:52 ID:BKgulNX2
>>448 北斗の拳やドラゴンボールのように人間が銃に勝つ事は普通、ありえない。
体育の成績「2」の俺でも、50メートル先から突進してくる、
曙やボブサップに勝てるかといえば、機関銃があれば勝てる。
ジャギ様の言っている事は常に正しい。
ロシア皇帝は来日の折り横浜で刺青していった。
100年前の戦争もちださんても60年前のは戦犯は出すはシベリアで虐待されるは、だったはずだが
453 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 13:22:06 ID:9elTJ7US
454 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 13:24:26 ID:9elTJ7US
我々は、2島返還への心構えはある。 でもなぜ彼らは石の連なりみたいな島を欲しがるんだ? --Project-2501 男性(モスクワ) 2島返還?彼らは4島返還を求めてるよ。 --Akela 男性(サンクト・ペテルブルグ) Project-2501、もし2島返還したら、絶対次ぎに全部の返還を求めてくるよ。 --D'Hife もし島を返還したら、同じように沿海地方まで持って行かれる。 極東地方の住民人口は、モスクワ1都市よりも少ないんだぜ? それに加えて、最近は極東の住民人口が減少しているし、 逆に中国人や日本人?などの外国人が、どんどん流入してきてる。 --Holy Ghost 男性(ウラジオストック) 島は俺たちのものだ! --Placher 男性 売却すべきだね。島は俺たちには必要無いし、日本人は必要としてる。 --*Serber* 男性(Hell) おそらく、日本も島を持て余すよ。 --noir 男性 そうとも、クリルは日本、サンクト・ペテルブルグはフィンランドのものさ。^_^ オークションを催すってのはどーかな?実際、俺たちは島を必要としていないし。 何と言ったらいいか、俺たちには決められないな。でももし日本に返還したら、 それなりの見返りは要求しなくちゃ。外貨とかの。 --Egorych 男性(サンクト・ペテルブルグ)
455 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 13:28:38 ID:MRyhgm2D
>>447 6万の死者の内27000人が、脚気による死者だったらしいね。
外国の観戦者には、日本軍は酔っぱらって突撃してると言われてたが、
脚気で足がまともに動かなかっただけだった。
>>452 日露戦争のスレで一体何言ってるんだ?
>>447 >観戦武官(アルゼンチン)は日進の指揮をとってしまうし
お〜、それは初耳っす。
各国の海軍武官が命張って乗艦してたのは知ってたけど。
457 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 14:01:47 ID:c7OdSA7l
>>446 機関銃というものが国vs国の戦争で本格的に使われたことが
それまでほとんど無かったってことを考えれば、それも有る意味では仕方ない。
国と国が意見を異にした時に、互いに殺し合いをして優劣を決する、
その際に勝ち残るのは、「より勇気を持ち高潔な精神を持った集団」でなければならない、
だからこそ神はそちらに勝利をもたらすのだ……
というのは当時の戦争に対する普遍的な考え方だった。
戦争がそういうものである、というよりむしろ、「そうでなければならない」以上、
「良く訓練された兵隊による勇気ある突撃は、ありとあらゆる防御をうち砕く」
というのは当時の普遍的な考え方、つまり絶対的な常識であったし、
なによりも戦争というものは「そうでなければならなかった」という背景がある。
機関銃は当時すでにかなりの完成度を見せていた武器だったのだが、
主にそれは「無知蒙昧な植民地の原住民、つまり人間以前の生き物」に対して
使われる場合にのみ威力を発揮するもので、訓練された兵士相手では無意味である、
そうでなければならないというのが多くの軍人が持っていた「常識」だったということ、
それを知らずに二〇三高地での犠牲者数をあざ笑ってはならない。
日露戦争後も、機関銃で防御された陣地に無謀な突撃を繰り返して多数の死者を出す、
という戦闘は何度も世界中で行われている。
所詮日本人など植民地の原住民と変わらない、だからあんなに死者を出したのだ……
というのが、二〇三高地での戦闘から彼らが何も学ばなかった理由だと言われている。
>>458 世界初の機関銃は、丸玉と四角玉(破壊力大)を打ち出せて、
丸玉はキリスト教徒用、四角玉は異教徒用と聞いたことがある。
故障が多すぎてすぐお蔵入りしたらしいけど。
460 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 14:29:25 ID:4mQuhH4U
アミラル、アミラル。
461 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 14:34:39 ID:jTyv9OPM
>>446 映画「二百三高地」でも日本軍の将校が累々と横たわる死体をみて
「なに?あいつ等死いんじょるのか!」と絶句していたな…
不謹慎だがあのシーンは、笑った。
>>459 1918年にジェームス・パクル(イギリス)に交付された特許に
描かれてるものを指してるんだろうけれど、
(実際、最初の機関銃の発明としてよく引き合いにだされる)、
それは設計図だけ描かれた状態で特許を取られたけれど、
結局形にはなってないはず。
というか、四角い弾と丸い弾を同じ銃身で発射しようって時点で
脳内ファンタジー優先で技術的にそれが可能かどうか考えてなかったことは明白。
パクルって早い話、一種の詐欺師だったんじゃないかと思う。
>>462 小学生の時に読んだ「世界不思議物語」に騙されてた。
リーダーズダイジェスト社に20年釣られてたのか・・・orz
訂正 ×1918年に ○1718年に
465 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 14:46:04 ID:btm/JNNs
>>414 それで失敗したから、社会主義になっても家族はなくならず「社会主義的家族」
が存在するという理論が法社会学的見地から生み出された。
政治的には、共産主義では直接民主主義であり間接民主主義はあり得ないことに
なっているが、共産主義に移行するまでは「社会主義的代議制」があることになった。
さらに、「社会主義的国家」「社会主義的軍隊」「社会主義的貨幣経済」「社会主義的金融制度」
「社会主義的都市」「社会主義的農村」「社会主義的競争」・・・とどんどん生まれた。
完全に共産主義に移行するまでは已む無しとされた。実際は、共産主義からどんどん
遠ざかるいっぽうだったのだが。
ロシア人は伝統的に科学的思考が得意なだけに、それなりに合理性は持ってるんだな。
アジア人はその点教条主義になってダメだ。文革やポルポトみたいになっちゃう。
ネパールなんて、毛沢東主義でガンガンやってる勢力がまだ健在なんだから。
清でも李氏朝鮮でも、近代化や改革をめぐって結局主義主張の争いに帰着してしまい、
合理的な政策はなんら打ち出せずに終わってしまった。
この点からも、日本人は正にアジア人にあらずで、科学的思考を重んじ合理主義的な行動様式へ行く。
個々の人間同士の付き合いでは、日本人とロシア人が馬が合うのはその辺に由来するのかも。
>>455 軍隊の食事を、それまで日本庶民の主食であった麦飯から白米に切り替えちゃったせい
だったね。そー、森鴎外の指導で。
466 :
名無しさん@5周年 :2005/04/08(金) 14:50:42 ID:ozsKd84k
467 :
名無しさん@5周年 :
2005/04/08(金) 16:08:07 ID:vvL0TJxy >>465 日本の左翼と右翼はまさに大陸アジアの血を引いてるな
大アジア主義なんてアホなことを言うのも合理的な思考ができないからだ