【宗教】世界的ベストセラー「ダ・ビンチ・コード」、レバノンで発禁処分に

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278名無しさん@5周年
>>271
ハザール=ハン国 の検索結果 約 71 件中 1 - 10 件目 (0.23 秒)
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&q=%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%83%8F%E3%83%B3%E5%9B%BD

あと、褐色肌については
【伍】気になる名称
 何となく見ていたアフガン報道で北部同盟の幹部が名前とともに「ハザラ人」だと紹介されていた。
ハザラ→ハザルか?とすると、アシュケナジーユダヤ発祥の地じゃないか。
 イスラエルの支配層を構成する彼等そして世界の金融界を支配する彼等は、元々中東に住んでいた
「ユダヤ族」ではなくハザール(ハザル、カザール)と呼ばれた国の民であるとする説を「荒唐無稽」とする人々が
いる。しかしこの「アシュケナジー」を後にユダヤ教に改宗した人々だとしたのは、アメリカ在住のユダヤ人で
彼が自身のルーツを探した結果である。そして海つばめ21頁で取り上げた滝川義人著「ユダヤ社会のしくみ」
にも、ユダヤ社会はスファルディ(スペイン)・アシュケナジ(中欧)・ミズラヒ(中東、アジア)の3系統があると
書いている。「イスラエル寄り」の資料で書かれているこの本でさえユダヤ人に異系統が存在することを認め、
かつてイスラエルは「アシュケナジー」の存在を否定していたらしいが今は否定しないようだ。
 本来のユダヤ人はアラブ系なので色浅黒い、つまり「フセイン」のような風貌と褐色の肌の筈だが、
アーミテージやケント・ギルバート、デープ・スペクター、そしてクリントンの妻、ゴルバチョフの妻は
「真っ白け」で、明らかにアラブ系ではない。
 この北部同盟幹部がハザール系とすると、燃えるアフガンには経済戦争だけでなくもっと奥深いものが
あるのか?。 
http://www.google.co.jp/search?q=cache:CJqRvnQrk6kJ:www.ai-trip.com/users/ai07/backnumber06.html+%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB+%E8%A4%90%E8%89%B2%E3%80%80%E8%82%8C&hl=ja

答えがあった模様。アシュケナジー の検索結果 約 344 件中 1 - 10 件目 (0.28 秒)
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&q=%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%B1%E3%83%8A%E3%82%B8%E3%83%BC
279名無しさん@5周年:04/09/20 23:23:14 ID:E/F4nC7x
>>277
なぜってそれは・・・読めばわかる
280名無しさん@5周年:04/09/20 23:25:55 ID:zh7OZR3v
>>279
もったいつけんなよー
おまいは中尾彬か
281名無しさん@5周年:04/09/20 23:26:11 ID:s9vfbXZV
>>278
間違った。ttp://tanakanews.com/990528israel.htm
 海岸に出れば、どこまでも続く砂浜で、夕方には地中海に沈む夕日を眺めながら、語り合う恋人たちや、
犬を連れてゆっくりと散歩する人、ジョギングする人などが、人生を楽しんでいる。
 この街に住んでいる人々、特にこの街の北の方に広がる高級住宅街に住んでいる人々の多くは、
イスラエル人の中でも「アシュケナジー」(Ashkenazi)と呼ばれる系統の人々だ。彼らはヨーロッパ方面から
移民してきた人々で、イスラエル社会の中ではエリート層を占めている。
 彼らと対をなす系統として存在するのが、「スファラディ」(Sephardi)である。この人々は、中東・北アフリカと
いうイスラム圏から、移住してきた。彼らは、主にブルーカラー層を形成しており、アシュケナジーに比べ、
失業率も高い。2つの系統の人々は、社会的な階級という意味でも、対照的な存在だ。
 政治家、医師、マスコミその他知識人のほとんどは、アシュケナジーであり、建国後、スファラディが
首相になったことは、まだ一度もない。
 スファラディの人々が多く住んでいるのは、たとえば砂漠のなかにあるビルシェバといった町だ。
スファラディの人々がイスラエルに移住してきたのは、一般にアシュケナジーの人々より遅く、イスラエルが
建国され、世界中からユダヤ人を呼び寄せるようになった、1950―60年代より後のことだ。
 ヨーロッパのユダヤ人たちによって建国運動(シオニズム)が始められ、その結果建国されたイスラエルは、
当初からヨーロッパ風に作られた国だった。イスラム世界に住み、ヨーロッパ風の近代的な生き方を
身につけていなかった多くのスファラディの人々は、高収入を得る方法もなく、悪い条件の街に住まざるを得なかった。
282名無しさん@5周年:04/09/20 23:32:13 ID:s9vfbXZV
スファラディ の検索結果 約 313 件中 1 - 10 件目 (0.29 秒)
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&q=%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3

ttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0946.html

ほうほう、いわゆる褐色肌のユダヤ人はイスラエル人口の「10%」っぽいね。

>1948年にイスラエルが建国されたとき、その原動力になったのはほとんどアシュケナージだった。
>建国後、スファラディがイスラエルに入ってきた。しかし、スファラディとアシュケナージは
>全く別の“人種”だったのである。
 
>では、今日のユダヤ人の90パーセントを占めるアシュケナージとは何なのか。
>ケストラーによると、アシュケナージとカザール(ハザール)人の歴史は重なっている。そして、
>この歴史こそがヨーロッパの裏側のシナリオの解読にとって最も重要なものだという。
>375年をさかいに、フン族をはじめとする民族大移動がユーラシアを動きまわった。
>このときビザンチン帝国の使節はフン王アッチラに親書を送り、戦士部族としてのカザール人の存在を
>報告した。歴史上、初のカザール人の登場である。

283一言で言うと、ハザール人は歴史を捏造したっぽい:04/09/20 23:34:27 ID:s9vfbXZV
>フンの王国が崩壊すると、カザール人はコーカサス北部を中心にしだいに勢力を拡大していった。
>首長はカガンと呼ばれた。ついで広大な草原にトルコ民族の突厥(チュルク)が出現すると、
>カザールの民はいったん突厥の支配下に入り、アバール・ハーン王国を名のった。
>そのうちビザンチン帝国の版図の拡大にともなって、ビザンチンとカザールとのあいだに軍事同盟ができ、
>コンスタンティヌス5世がカザールの王女を娶り、その息子レオン4世が“カザールのレオン”として
>ビザンチン帝国の皇帝の座についた。
 その直後の740年ころ、カザールはユダヤ教に集団改宗した。理由ははっきりしない。
>ともかくカザールの民はいっせいにユダヤ化してみせたのだ。ノアの3番目の息子のヤペテを
>始祖とする“血の伝承”に関する見方もこのころにつくられた。
>しかし、その血統は実際にはセム系ではなく、白色トルコ系であり、その気質はあきらかに遊牧民族系だった。

>こうして、カール大帝が西ローマ帝国を治めたときは、ロシア・トルコ地域には、キエフ王国とユダヤっぽい
>カザール王国(首都イティル)の二つの勢力がが相並んでいたということになる。
>そのカザール王国の盛衰に終止符が打たれたのは、1236年にモンゴル軍が侵攻し(いわゆる「タタールの
>くびき」)、1243年にキプチャク・ハーン国が成立したときである。カザール人はバトゥ・ハーンの支配となって、
>ここに王国は滅亡した。
>しかしケストラーは、このあとにカザール人がロシアから東欧に移動して、のちにアシュケナージとよばれる
>親ユダヤ的な中核をつくったと推理して、そこにブルガール人、ブルタ人、マジャール(ハンガリー)人、
>ゴート人、それにスラブ人が交じっていったと判断した。ケストラー自身がハンガリー生まれだったのである。
284一言で言うと、ハザール人は歴史と言葉を捏造したっぽい:04/09/20 23:37:16 ID:s9vfbXZV
>黒海とカスピ海に囲まれた地域を中心に広がった半径のなかにいたカザール人が、しだいにマジャールや
>ブルガールと交じっていったことは、その後のユダヤの歴史をひどくややこしくさせている。
 まずカザール・ディアスポーラは、東欧にかなり高密度な集落をつくっていった。これはゲットーではない。
>自主的なコモンズで、もっぱら「シュテトゥル」と呼ばれた。この集落がロシアの地からの拡張にともなって
>しだいにポーランドのほうにも移行して、やがて「ユーデンドルフ」(ユダヤ村)と総称された。
>そのユーデンドルフに、それまで離散していたユダヤ人が少しずつ加わった。
>そこには”本来のユダヤ人”(セム系ユダヤ人)やスファラディも交じっていた。
>ここからはハウマンの記述が詳しいのだが、こうして、ポーランドが東方ユダヤ人の原郷とされていったのだ。
>これこそ、モーセ以来のセム系ユダヤの十二支族にもうひとつが加わることになった
>「第十三支族」なのである。
>けれども、そのポーランドこそは近現代史の悲劇の舞台であった。ポーランドはたえず分割された。
>そしてそのたびに「第十三支族」が影のシナリオを担わされていった。これはかつての
>「さまよえるユダヤ人」ではなく、新たな近現代の「さまよえる複合ユダヤ人」の物語なのである。

>第1に、「モーセの民」と「タルムードの民」は必ずしも一致していないということだ。本来のユダヤ教は
>「旧約聖書」と「ゾハール」と「タルムード」が聖典であるが、アシュケナージは「タルムード」しか読まない。
>第2に、言語の問題がある。「モーセの民」はヘブライ語の民である。ところがディアスポラのユダヤ人は
>各地でその地域の言語を編集して、新たな“ユダヤ風の言語”をつくった。それが10世紀ごろに
>確立されたイディッシュ語である。ドイツ語を基盤に、そこに「タルムード」の単語や句を交ぜた。
>これが大流行した。アシュケナージは主としてイディッシュ語をマメ・ロシュン(母語)とした。さきほどの
>ユダヤ・コモンズ「シュテトゥル」もイディッシュ語である。