【社会】「日の丸・君が代は子供をロボットにする道具」 先生、弁護士、識者らが一致団結★4

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冒頭の「君が代は」の部分は、古今和歌集の中など古い記述では元々「我が君は」となっていた。時代が下るに連れ「君が代は」と
言い換えられた形が広まっていった。更に時代が下り江戸時代頃には、この歌は一般的な祝いの席で祝いの歌として庶民の間で
も歌われるようになった。例えば婚儀の席で歌われるときは「君」とは新郎のことを指し、すなわち新郎の長寿と所帯の安息を祝い
祈願する歌として用いられた。

因みに、文部省が編集した『小学唱歌集初編』(明治21年(1881年)発行)に掲載されている歌詞は、現在のものよりも長く、幻と言わ
れる2番が存在する。曲は英国の古い賛美歌から採られた。

  君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで うごきなく常盤かきはにかぎりもあらじ
  君が代は千尋の底のさざれ石の鵜のゐる磯とあらはるゝまで かぎりなき御世の栄をほぎたてまつる

【歌完成後の世論の変化】
大山らが登場させて後は専ら国歌として知られるようになった「君が代」だが、それまでの賀歌としての位置付けや天皇が親政を行
っていた時代背景から、戦前にはごく自然な国家平安の歌として親しまれていた。

戦後、戦時日本の体制を軍国主義であると主張し、その体制に利用されたとされる事物や概念を批判したり、それらに対して反発し
たりする者が登場した。彼らは戦意高揚と選民主義・占領地支配(「皇民化」教育をともなう同化政策)に利用されたとして皇国史観
を批判し、それを通じていわゆる天皇制自体を、ひいては当時の日本という国家の象徴の一つであり彼らが天皇讃美の意味を読み
とった「君が代」の歌をも、その批判の対象とした。
(以下略)