【マスコミ】"解釈違い" 皇后さまの和歌で、週刊朝日に申し入れ…宮内庁
比較して分かる通り、皇族方の歌は、出来栄えにかなり差がある。
例えば、今上は平凡で、皇后は才能がある。歌については、おそらく
かなりの部分、本人が作っているのでもあろう。ゴーストライターの
歌人が代作するなら、もっと出来栄えを揃えて、あてがうはずだからである。
しかし、皇族の記者会見の発言は、前もって役人が書いた作文である。
国会の答弁と同じだ。質問さえも事前に裏で提出されており、役人が
答弁を書き、本番でそれを偉い人が読み上げる。
その傍証として、皇族の記者会見の発言は、一様にそつがない。皇族一人
一人が自前の原稿で発言していたら、もっとバラツキや失言が出るはずで
ある。ェ仁さんは例外だが、皇族方の発言は、言質を取られないように、
用心深い工夫が漏れなく施されている。これは、役人の作文の特徴である。
さて、皇室の実際の生活が「美智子―雅子ライン」(の価値観、考え方)で
進行していくことは、既定事項であろう(皇室の、狭義の伝統的部分は除く)。
禁裏を取り巻く狡猾な老人たちも、大方「美智子―雅子ライン」を認めているはずだ。
そうでなければ、そもそも「民間」出身の美智子さんや雅子さんを、
皇太子妃(当時)として迎え入れるはずがない。皇族の結婚は、私事
ではない(
>>893)。皇室会議の議を経ることを要する、公事である。
皇室典範
http://www.houko.com/00/01/S22/003.HTM ところが、「美智子―雅子ライン」を覆そうと策動する復古勢力が、
今日の日本にもまだ生き残っている。彼らは、例えば
>>898-899の
「美智子バッシング」の際に暗躍した。「大内糺」なる匿名のニュース
ソースが、これでもかとばかりゴシップを振り撒き、美智子さんや
今上一家を、「快楽主義的」だの何だのと中傷したのである。
「バイニング夫人の教育を受けた今の陛下と、クリスチャンの聖心
女学院出身の皇后陛下に、真に国民が望む天皇、皇后を体現される
ことを期待するのは、いささか無理があるように思われる」(大内糺)。
皇室に圧力をかけるこの復古勢力は、今度は雅子さんをイビリ倒そうと
している。
これに対し、皇太子と宮内庁は、ある程度共同で、反撃を開始したのでは
あるまいか。ただし、宮内庁は一枚岩ではないだろうし、湯浅長官が
どっちの勢力かは、よく分からない(それによっては、長官は「芝居」して
いないことになる)。
まず皇太子は、一部勢力による雅子さんイジメに言及した。しかし、立場上
遠回しにしか発言できないから、それを聞いて、世間では揣摩憶測が飛び交う。
マスコミは、ここぞとばかり、センセーショナリズムに走る恐れがある。
それを前もって牽制するため、宮内庁は渡辺みどりを槍玉に上げたのだろう。
「流言蜚語は看過しない」という、宮内庁の意思表示である。
白珠は くさぐさの色 秘むる中 さやにしたもつ 海原のいろ
だが、渡辺の「さやに、したもつ」を退け、「さやにし、たもつ」(「し」は
強調)で読んでも、皇后の御歌に「姑との確執(と、それを乗り越えての愛情)」
を読み取るのは、少しも無理ではない(
>>728-729)。私は繰り返しそう主張してきた。
要するに、宮内庁は、珍解釈の渡辺みどりのような小物に、ムキになって
いるのではない。皇太子・宮内庁(の有志)が戦っている相手は、もっと大きな
隠然たる勢力である。それは、皇室に圧力をかけてくる、復古思想・復古
勢力である。宮内庁長官の「殿下の帰国を待って(真意を)お伺いしたい」は、
とぼけているのだろうか。
……というようなカラクリは、マスコミも感づいていると思う。これは、
宮内庁からマスコミに、皇室問題を論じるお許しがやっと出たということ
でもあろう。「愛子様がお出かけした、手を振った」の類の、どうでも
いい話ではなく、もっと本質的な議論である。
皇太子発言で「宮内庁の対応見守る」と官房長官
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20040513i206.htm > 細田官房長官は13日午前の記者会見で、皇太子さまが皇太子妃
> 雅子さまの苦悩について発言されたことについて、(中略)宮内庁に
> おいて責任を持って適切に対応されると思うので、これを見守りたい」
> と述べ、宮内庁の対応を見守る考えを重ねて示した。
ここは和歌のスレなんだから、関係ない話は他でやりなよ。
皇太子が投げたボールは、この官房長官の見解により、官邸から宮内庁に
投げ返された。役所というのは、責任のたらい回しが好きである。
さて、以上の論は、一種の自作自演説ではある。しかし、これは、先般の
「イラク邦人人質事件・自作自演説」のデマとは、本質的に異なる。
異なるのは、「外部」の存在である。
イラクは、距離的にも精神的にも日本から遠く隔たった、「外部」である。
日本の左翼とイスラム原理主義は、ツーカーの仲ではない。パレスチナ・
ゲリラと日本赤軍の共闘は、昔の話である。最高幹部の重信房子も、
帰国して獄中の身となった。
それに対し、皇太子と宮内庁(の有志)は、宮中の「内部」で事を運べる。
自作自演は、そのように内部・内密の場合にだけ、可能なのだ。
「外部」の存在をわきまえないのは、「ひきこもり」の特徴である。「イラク
人質=自作自演説」が大流行した、2ちゃんねるの悲惨な醜態を見ると、「2
ちゃんねる常駐者は、ひきこもりが多い」という噂も、当たっているのだろうか?
「変わらないでいるためには、変わらねばならない」。この格言は、皇室に
おいて、最もよく当てはまる。
かつて明治天皇は、世間に先駆けて盛んに肉食をし、一部の祭祀を除いて、
洋装をまとって臣民の前に姿を現すことに決めた。また、1990年代初頭、
皇太子妃候補の話題が週刊誌・ワイドショーを賑わせたころ、「職業婦人は
ダメ。皇太子より背が高い人はダメ」などと、時代遅れの条件がまことしやかに
語られた。しかし、実際に妃となった雅子さんは、ことごとくそれらを破っていた。
禁裏を取り巻く老人たちは、さすがに知恵者であり、我々下々より、むしろ
柔軟で進取の気性を持っている。変わらないでいるためには、変わらねば
ならない。皇室が新時代に適応し、ますます栄えていくためには、肉食をし、
洋装を正装とし、自分より高学歴・高身長の、職業婦人だった女を妻に
迎えるという決断も、必要だったのである。
しかし、旧弊な復古勢力は、それが気に食わない。世継ぎ(男子)が生まれ
ないことも、雅子さんのせいであるかのように言ったりする。
989 :
名無しさん@4周年:04/05/16 20:45 ID:FY+YAmV9
池沼がまた出てきた。
懐妊しにくいのは、おそらく雅子さんより、皇太子に原因がある可能性が
高いだろう。結婚を認める前に、現代医学で予測できるギリギリのところ
まで、雅子さんに不妊の要素がないことを、検査したに違いないからである。
少なからぬ勢力が、雅子さんイジメに靡いている気配がある。美智子さん
イジメの歴史を、愚かにも繰り返す。
19世紀後半、「足軽政府」に過ぎなかった明治新政府は、ぜひとも天皇を
京都から担ぎ出す必要があった。担ぎ出した以上、傷がつかないように、
時代の変遷に合わせて、周到に保護していくべきだろう。それができない
なら、京都から担ぎ出した天子様を、京都にお返ししなければなるまい。
「皇室は日本の伝統だから、変わらなくていい」というのは、皇室を
粗末にする無思慮な考えにほかならないのである。
(終わり)