【社会】虐待主導の女「"連れ子"可哀相」、祖父「甘えだ」…"骨と皮状態"中3虐待★12

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150名無しさん@4周年
暴力を振るう側には、振るわれる側に対する想像力というものが怖いぐらい欠如している。
相手に感情があることに気づいていないか、あるいは気づかないふりをしているのか。
母親が幼い子供に対し振るう暴力も、夫が妻に振るう暴力も、おおざっぱにいえば「相手に自分の言うことを聞かせるため」だ。
相手が自分のことをどう思うようになろうが知ったこっちゃないのである。
自分が圧倒的に優位な立場にあるのだから、そんなものは意に介する必要もないとでも思っているのだろうか。

DVの本を読んで、大きく認識を改めたことが一つある。
それは、「夫婦の問題だから第三者がどうこういうことではない」と考えてはいけないということだ。

人は恒常的に暴力を振るわれつづけることによって自己に対する信頼感を決定的に損なう。
その結果無力感、絶望感などに支配され、「逃げ出すことなどできない」と思い込んでしまう。
当事者同士でどうにかなる問題ではない。「子供は経験値が圧倒的に不足しているから、
自分の家族がどんなにヘンでも逃げようがない。だから第三者の介入は必然。
でも夫婦間の問題は大人同士のことだから、つまるところは当人同士の自由意思」と考えていたが、これは大きな考え違いだったと今は思う。