【国際】チベットは中国の「隣国」…FIFA公式サイトが表記 中国国内で反発

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529過去のダライラマスレより
現在のチベットの状況
独立国家であったチベットは、1949年に口火を切った中国の侵略で、戦闘によって
人命損失の危機にさらされ、続いてすぐに、共産主義イデオロギーと文化大革命
(1967- 1976)に代表されるような計画によって、普遍的な自由さえも失ってしまった。
しかし、最悪の事態は既に過ぎ去ったかのような誤った認識がまかり通っている。
現在でも、チベット固有の国民性、文化、宗教の独自性は、中国によって深刻な脅威
にさらされ、翻弄され続けている。

中国の占領と弾圧の政策は、チベットの国家としての独立、文化、宗教性、
自然環境の破壊を引き起こし、人々は基本的な人権まで奪われている。
再三再四、国際法を犯す中国のこれらの破壊行為は、注目はされている
が、未だに罰されることなく繰り返されている。

中国支配以前、チベットが独立主権国家として存在していたことが、2000年以上も
前の歴史に記されている。近年では、1913年にはモンゴルと蒙蔵条約が、
1914年にイギリスとシムラ条約が締結されていることでも、チベットが完全な
独立国家として認識されていたことが明らかである。ただ、国際連合に代表を
もたなかったために、世界は中国の侵略と破壊行為をただ傍観することを
容認してしまったのである。

チベット人は繰り返し中国からの独立を訴えてきた。我々チベット人は
非暴力による抵抗運動を行ってきているが、チベットでは10歳にも
満たない子供達が「チベットは独立国家だ」とか「ダライ・ラマ法王にご健勝あれ」
とささやいただけでも、中国は『母国』を『分裂』をたくらんでいると告発し、
投獄を宣告されることが多々ある。チベット国旗に似たものを所持するだけで、
7年間投獄される。
530過去のダライラマスレより:03/12/09 21:35 ID:0ShxWeg5
「テールズ・オブ・テラー チベットでの拷問」  - 巧妙な手口 -
巧妙な手口として、体内に傷害を与え拷問の痕跡を見えなくさせるというのがある。一般的に、
腎臓の傷害が死因となるケースが多い。このことは、腎臓にあたる部分に、体外の損傷をできる
だけ少なくし反対に体内の損傷を最大限に高めるよう、拷問者たちが意図的に集中して暴行を
与えることを示唆している。
■ リンジンは1989年3月8日のデモに参加し逮捕されたが、1週間も経たないうちに釈放された。
ところが、彼女がシュックセップ尼僧院に戻ってきた時は危篤状態だった。腎臓は拷問で損傷を
受けていた。1990年、25歳の若さで死亡した。
■ 拷問で障害を受けた後でも、囚人たちは十分に治療を与えられず、たとえ与えられても遅す
ぎることが多い。生き延びたものにとっても多くの場合、拷問の傷は消えない。
尼僧クンチョク・ツォモは1993年5月のデモで逮捕され、銃の床尾で暴行を受け腕を骨折したが、
治療もされずにそのまま3年間刑務所で過ごした。刑務所にいる間、羊毛を分別し洗うノルマを
課せられていたが、そのせいで腕の状態はさらに悪化した。 釈放後、医者の診断によると、骨折
した腕の骨の周囲や中に肉がくいこんで発達してしまっているとのことだった。1998年の段階で
彼女は、いまだに腕の治療を続けているが、状態は相変わらず芳しくない。
■ シガツェで卓越した存在だったタシ・ツェリンは、ヤンモ、シガツェで独立を促がす小冊子を配って
いたため、1989年11月28日に逮捕された。「反革命的なプロパガンダで民衆を扇動した」とい
う罪状で7年間、刑に服すよう宣告を受けた。報告によれば、彼は心臓の具合が悪くなったため、
1991年4月、刑務所病院に収容されたとのことだ。服役中に受けた拷問のため健康が悪化し、
同年9月釈放されたが治療のかいなく死亡した。
531過去のダライラマスレより:03/12/09 21:39 ID:0ShxWeg5
太平洋戦争の開戦前、経済封鎖された日本国に対し、チベット政府から大量の羊毛が送られて 来ました。
その理由はただ、「同じ仏教国が苦しい思いをしているから」でした。
戦争突入後、チベットは一貫して中立を守り、日本との国交は変わらず続けられていました。
当時の日中戦線において、中国はアメリカから武器弾薬等をビルマ経由で輸入していましたが、
このルートが日本軍によって絶たれた後、連合軍側はヒマラヤ越えのチベット・ルートを開こうとしました。
しかし、先代のダライ・ラマ13世はあくまでも中立を貫き、アメリカ大統領特使の強硬な要求にも断じて応じませんでした。
このあまりにも理想主義的な外交が、やがてチベット国に悲劇をもたらす結果となりました。

そして1959年の3月、首都のラサで、人類史上空前の大規模な「民族浄化」が開始されました。
殺戮に次ぐ殺戮。破壊に次ぐ破壊。強奪に次ぐ強奪。レイプに次ぐ レイプ・・・。
チベットにはそれまで15万人の僧侶と尼僧がいましたが、虐殺と強制改宗によって1400人に減らされてしまいた。
すべて残虐行為は、「改革解放」の名で強行されました。
ある僧侶は、大きな仏像をくくりつけたロープを滑車に通して首にかけられ、仏像の重みを使って絞首刑になりました。
この処刑は公開でおこなわれました。ある尼僧は、警棒の形をした5万ボルトのスタンガンを性器に入れられ、感電死させられました。
彼女の死体は裸のまま路上に捨てられました。
一般民衆は強制労働へと駆り出され、過労死するか自殺するまで、徹底的に働かされました。
「強制断種」(チベット男性の生殖機能を手術によって奪うこと)。
「強制交種」(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つこと)。
そして、子供たちは親元を引き離され、散り散りになりました。
532過去のダライラマスレより:03/12/09 21:42 ID:0ShxWeg5
デュッカ尼僧院の尼僧ペマ・ドルジェ(29歳)は、故郷デカでの強制的な不妊治療や避妊について語っている。
デカでは、産児制限政策が1993年に導入され、すべての夫婦に対して子供は2人までと制限された。
デカには約45世帯の農牧民の家族がいた。当局は命令に従わなかった場合の処置を明確にしていた。
発令後、3人目を産んだときは2000元(300ドル)の罰金が、そしてさらに産んだときはより高い罰金が課せられたとドルジェは回想している。
3人目の子供にはその子が13歳になるまで毎年500元の罰金が課せられたという。
罰金を払うお金の無い者には、保健所によって農産物や家畜が徴収された。
ドルジェは、「中国の保健所は私たちの村を訪れ、すべての家族を計画的にチェックしていました。
強制的な不妊手術(卵管切除手術)は、主に年2回、4月と8月に行われていました。
当時およそ16人の不妊手術に「適格」で、私は当時お腹にいた3人目を堕胎するように言われ、妊娠したことにより、2000元が罰金として課されました。
お金が無かったので、当局は家畜を徴収していきました。
ttp://www.tibethouse.jp/human_rights/TCHRD_2000_Sep.html

一九八九年二月二十六日付の「ワシントンポスト」紙は、次のような目撃者の証言を
掲載している(訳は『チベット・ニューズ・ダイジェスト』による)。
〈人口抑制隊は、僧院の隣にテントを設営した。
村人たちは、「すべてのチベット人女性は中絶と避妊手術をうけるためにテントに出頭するように。
出頭しなければ重大な結果を招くことになるであろう」との連絡を受けた。
拒絶した女性たちは強制的に連行され、手術されたうえ、術後の処置も受けられなかった。
妊娠数ヶ月になる女性たちは胎児を摘出された。たくさんの女の子たちが泣き叫んでいた。
テントの横には胎児が積み重ねられ、異臭を放っていた。〉
こうした残虐行為を行ってきた中国に対し、これまでも様々な非難がなされてきた。
しかし、中国政府は、人権の基準は各主権国家内の問題であって、
外部から非難されることは中傷であり内政干渉であるという立場を変えてはいない。
 
 (改訂新版 チベット入門 ペマ・ギャルポ著 日中出版)
533過去のダライラマスレより:03/12/09 21:44 ID:0ShxWeg5
現在、チベットでは以下のような事が公然と行われている。
* 中国共産主義イデオロギーに反するような意見はどんな表現であっても、逮捕の対象となる。
* 中国政府は、ダライ・ラマ法王に対する忠誠心、チベット民族主義、およびあらゆる反対意見を組織的に覆い隠している。
* チベット人は、恣意的な逮捕・拘禁をされている。
* 現在収監されているチベット人達は法的代理権は与えられず、また中国の訴訟手続きは国際基準を満たさないものである。
* 国際の拷問等禁止条約に矛盾しているにもかかわらず、中国の刑務所や拘置所では、今でも拷問がはびこっている。
* チベット人女性は、不妊手術・避妊・中絶手続きを強要する対象にされている。
* 生計困難、不十分な設備や差別的な方策のため、多くのチベット人の子供達は、適切な健康管理や就学の権利を与えられていない。
* 政治的理由による投獄率が、その他の中国支配下の他の地域に比べ、はるかに高い。
* 子供でさえ、言論の自由に対する中国の抑圧から免除されることはない。18歳未満のチベット人の政治犯がおり、
子供の僧尼たちは自分達の宗教施設からことごとく放逐されている。中国は近年、チベットは非仏教地区になりつつあると宣言した。
* 強制収容され、詳細な拘留理由も明らかにされることなく、失踪を余儀なくされるケースが続出している。
* パンチェン・ラマ11世は、1995年の報告以来、行方不明のままである。
* 70パーセント以上のチベット人は 「チベット自治区」に住んでおり、現在、貧困線(最低限の所得水準)以下の生活をしている。

「テールズ・オブ・テラー チベットでの拷問」
1999 TCHRD発行
チベットで今でも続く拷問の数々
・ルンデュップ・ガンデンの場合
・「釈放されてすぐに死亡」という謎
・巧妙な手口
・年少者に対する拷問
・空中吊り / 手錠
・電気ショック
・冷気・熱気への身体のさらし
・獰猛な犬 / 性的暴行
・鋭い痛みを与える拷問
・独房監禁
・拷問のビデオ
・犠牲者の口への放尿
ttp://www.tibethouse.jp/human_rights/index.html
534過去のダライラマスレより:03/12/09 21:47 ID:0ShxWeg5
【中国共産党によるチベットでの恐るべき人権蹂躙】
ttp://www.tibethouse.jp/human_rights/index.html
80年代前半には、中国当局は電気警棒あるいは牛追い棒(写真上)として知られる新しい拷問の方法を導入した。
さまざまな大きさと電力の電気棒が使われた。
ある種のものは警官の装備となり、ほとんどは独立運動支持者に対して使われた。
他には尋問の房に保管され、囚人たちの身体や顔を殴るのに使われたり、女性囚に対する性的暴行に使われた。

膣や肛門に「電気棒」を挿入されたとの報告も数多くある。
この道具は返答が間違っているとして、しばしば囚人の口に罰として入れられ、深刻な舌肥大を引き起こした。
ある事例では、囚人はそれによって歯を失っている。
その他、手首や親指や他の身体の1部に電気線をまかれて直に感電させられることもある。
ショックを増大させるために、囚人たちに水がかけられることもある。
こうした電気ショックによる打撃は一般に非常に深刻で、体内の傷害や精神傷害につながることも多い。
ガンデン・タシィとしても知られる ルンドゥップ・ガデン は、88年から政治囚として3年間収容された。
彼は電気警棒をもっとも過酷な拷問としている。
「彼らは私を裸にして電気警棒で身体の至るところに暴行を加えた。
そのあと、私は仰向けになって寝ることが出来ず、皮膚は膨れ上り、 青くなり、切り傷だらけだった」

ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/9947/travels/tibet/abouttibet.html
1959年の「ラサ決起」の後、中国側は叛徒の徹底的な弾圧に乗り出した。
「財産を公開しない」という理由である者は溺死させられ、ある者は生き埋めにされた。
子供に自分の親を射殺させるなどの行為も行われた。
縄で首をしめる道具として仏像が使われたという。
腹を切り裂く、撲殺する、糞尿を食わせる、生きたまま焼き殺したり生体解剖を行ったりと、
残虐を極めた行為で次々と僧侶たちを処刑していく。経典はマットレスやトイレットペーパーに使われた。
中国によって殺されたチベット人は1950年から84年までの間で120万人以上。
535名無しさん@4周年:03/12/09 21:50 ID:U8q+5fId
536過去のダライラマスレより:03/12/09 21:51 ID:0ShxWeg5
私はここ二カ月ほど常に紹介しようと思って機会を逸してきた本について書きたいのだ。
『囚われのチベットの少女』(フィリップ・ブルサ−ル/ダニエル・ラン著今枝由郎訳・
トランスビュ−刊)http://www.transview.co.jp。『週刊文春』の書評で先を越されて
悔しかったがそれだけ注目に値する書である。チベットのラサに住む尼僧ガワン・サンドルは
11歳の時にかつてのダライ・ラマの離宮であるノルプリンカで「自由チベット万歳」と
叫んだ罪で投獄される。獄中でも信念を曲げない彼女は23歳になる今日も家畜以下の待遇の中で
もっとも早くてもあと12年の刑期に耐えている。いくら独裁帝国中共でも11歳の少女の叫びだけで
こんな過酷な刑は課さない。刑期が伸びたのは彼女が獄中で一切の転向と妥協を拒みなお
かつ非暴力を貫きながらも自由世界にむけてメッセ−ジを発信し続けたからだ。個人について
コメントすることの稀なダライラマが「彼女はチベット問題の象徴であり格別なチベットの女だ」
と語っておられるのはそういうことなのだ。いかに残酷な暴力と凌辱を年端もいかぬ少女に獄中で
加える国家か。世界中の投資家は中共という国の本質をこの本を読み知ってから考えた方がいい。

http://www.tibethouse.jp/atomic/index.html
↑ チベットの『核』。中国政府によるチベット高原の強引な核武装化、ずさんな核廃棄の実態。
http://www2000.dyndns.org/php/upload/download.php?file=5026
↑ ディスカバリーチャンネル(スカパー)の中国の宇宙ロケット開発についての疑問
http://www.milarepa.org/japan/actionright.html
↑ パンチェン・ラマ(ダライ・ラマに次ぐ重要人物、当時6歳)の中国政府による連行、現在も安否・所在は不明
http://www1.gateway.ne.jp/~tsugu/TFC.html
↑ チベット救済コンサートについて、今年は日本で行われました。
http://www.milarepa.org/japan/milareparight.html
↑ ビースティーボーイズのアダム・ヤウチが設立した「ミラレバ基金」
http://www.milarepa.org/japan/goodsright.html
↑ チベット支援グッズ、Tシャツやストラップなどを通販で販売
http://www.tibethouse.jp/about/index.html
↑ ダライ・ラマ法王日本代表部事務所