蝶々夫人:喜波貞子の遺品、長崎へ 幻のプリマ・ドンナ
戦前、あでやかな着物姿と透きとおった美声の「蝶々夫人」としてヨーロッパで
名声を博しながらも、日本ではほとんど知られぬまま世を去った幻のプリマ・ドンナ、
喜波(きわ)貞子。彼女の舞台衣裳などの遺品54点が、保管していたフランス人の
愛弟子から、「蝶々夫人」の舞台である長崎市のグラバー園に寄贈された。
(中略)
喜波貞子は1902年、横浜生まれ。母方の祖母が日本人、祖父はオランダ人で、
父親もオランダ人の商人だった。17歳で単身ミラノに渡り、声楽のレッスンを積んだ
後、20歳の時にリスボンのサン・カルロス劇場で「蝶々夫人」の役でデビュー。以後、
ヨーロッパの一流劇場で「蝶々夫人」を中心に「イリス」、「トゥーランドット」など
東洋ものの公演を次々に行い、三浦環をしのぐ人気を集めた。イタリア語を優雅に
歌ったといい、「日本の夜のうぐいす」などと呼ばれた。
(中略)
グラバー園には「蝶々夫人」を作曲したプッチーニと三浦環の銅像はあるが、
オペラ「蝶々夫人」と直接関係する展示物はない。喜波の人生そのものがドラマチック
である上、贈られた遺品は世界の一流オペラ劇場で実際に使われた衣裳や小道具類。
しかも喜波の母方の祖母が長崎出身で、外国人の祖父と出会ったのも長崎市だった
ことなど、喜波自身のルーツも蝶々夫人と重なる。そのため、来秋から園の目玉として
常設展示する方向で準備を進めている。
(後略)
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※引用元配信記事:
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20031208k0000e040070000c.html ※毎日新聞社のMainichi INTERACTIVE(
http://www.mainichi.co.jp/ )2003/12/08配信