【国際】始皇帝の「阿房宮」は炎上せず、発掘調査で判明

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220名無しさん@4周年:03/12/08 13:15 ID:aznx5en5
>219
ともに武運長久を祈りましょう。
221名無しさん@4周年:03/12/08 13:17 ID:bcBZaKXQ
羊飼いが迷った羊探して迷い込んで松明落として炎上し
数日燃え続けたってのも嘘かよ。
222名無しさん@4周年:03/12/08 13:19 ID:fWQjqPdz
安部公房
223名無しさん@4周年:03/12/08 13:23 ID:LSAjjgEP
董卓のヘソにさした芯が延々と燃え続けたというのも嘘だろ
まもなく董卓の遺体が発見されて証明される
224221:03/12/08 13:27 ID:bcBZaKXQ
ごめん、始皇帝陵と勘違いしてた・・・。
225名無しさん@4周年:03/12/08 13:32 ID:H6WA/88t
>>224
その始皇帝陵あとがわかり、水銀の川・海跡があったそうな。
226山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/12/08 17:39 ID:HunMeLaG
>>212
真っ先にこれを思い出しました。いい絵です。
227(^^):03/12/08 20:57 ID:3QWChB5L
>>217 土が焼け焦げた跡が残るはずだそうな。
ところで日本の安土城跡も焦げ跡がみつからなかったニュースは去年だったけ。
高価な建材は解体されて再利用されるのが当たり前だね。
228名無しさん@4周年:03/12/08 20:59 ID:1u0+hJnb




           王照君











http://mick.pos.to/china/human/l501.html

まあ、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」は面白いな
230名無しさん@4周年:03/12/08 22:29 ID:4KeFggLV
みんな中国史のことになると萌え萌えだな♡
231名無しさん@4周年:03/12/08 22:35 ID:8pgBXhbX
第一阿房列車
232名無しさん@4周年:03/12/08 22:36 ID:gMyqmdCh
あぼーん宮
233名無しさん@4周年:03/12/08 23:13 ID:38gh9H4T
こりゃ興味深いニュースだな。

所詮中国の史書は権力者に媚び諂った物でしかないと言う事か。
234名無しさん@4周年:03/12/08 23:44 ID:i2sSo+7b
>>206
項羽引兵咸陽西屠咸陽、殺秦降王子嬰、焼秦宮室

史記では項羽は秦の宮室を焼いたというだけで、司馬遷は阿房宮とか〜宮とは限定してないんだよね
(秦の宮室は阿房宮の他にも咸陽宮等がある)
司馬遷はなかなかの食わせ物だな
235名無しさん@4周年:03/12/08 23:48 ID:4KeFggLV
>>233
それを言ったら日本の古事記・日本書紀なんて……
236名無しさん@4周年:03/12/09 00:12 ID:9qKiTOxx
>>229
「項羽と劉邦」は『史記』+司馬遼太郎ウンチクだけだよ、つまんない。
あの時代の資料といえば、『史記』位のものだから仕方がないけど。
237名無しさん@4周年:03/12/09 01:01 ID:DpWjGFGW
司馬遷は漢王朝創始者・劉邦の黒歴史をカナーリ書いてるよな。
彭城で大敗して逃げる途中に子を馬車から突き落としたとか、広武山の和議を
一方的に破ったとか、冒頓単于の匈奴軍に包囲されて命からがら脱出したとか、
一時的にだが蕭何を疑って投獄したとか。
私的な史書とはいえ、上におもねるような奴ならそこまで書かんと思われ。
項羽の件もわざと濡れ衣着せたんじゃなくて、後世の者が勝手に誤解した
だけなんじゃねーの?
238名無しさん@4周年:03/12/09 09:25 ID:TS8soiTH
>>237
まあそれ以前に劉邦自身が情報操作してるかも知らんしな。
239名無しさん@4周年:03/12/09 13:31 ID:bQ/ajhxA
>>237
司馬遷は李陵弁護しただけで宮刑にされたので、漢帝室の無謬性を無条件で鵜呑み
にできない心境だったんだろうね。

董狐之筆って言葉あるとおり、一部の史官は骨のあるのがおったようだ。司馬遷もそっち
系+私怨がらみだな。


>>238

>>234
240名無しさん@4周年:03/12/09 14:53 ID:IdM1u4dR
勝てば漢軍 負ければ阿房ーん
241名無しさん@4周年:03/12/09 15:04 ID:u2DV08mQ
>>235
歴史書も神話も価値は一緒です

唯物史観の連中はそれがわからんだけ
242名無しさん@4周年:03/12/09 15:08 ID:ztd5XtK5
司馬遷は史記書いてる最中の武帝はマンセーで
その前の景帝は能力も人情もない糞扱いだ罠。
やっぱこういうのは仕方ないと思うし。
243名無しさん@4周年:03/12/09 20:15 ID:D3liqin/
中国の学者は比較的理性的なのが多いと思う。
「チベット奥地のピラミッド群」だってロシア人学者は大騒ぎしてたけど、
中国の学者は「山だ」と一蹴してたし。
歴史学はかなりしっかりしてるから、今回の発見もかなり信頼度が高いんじゃないかな
244名無しさん@4周年:03/12/09 20:28 ID:bjGjvFKr
>>243
司馬遷以来、韓国の歴史学者と違って、歴史に妙なナショナリズムを持ち込むことは少ないな。
その分、よほどしっかりした歴史研究がなされている。
245名無しさん@4周年:03/12/09 20:28 ID:SwQIuAxj
>243
ロシア人は小説書いてりゃ良いんだよw
246名無しさん@4周年:03/12/09 20:31 ID:bjGjvFKr
>>236
史記は、あの時代の歴史書とは思えないくらい
極めて冷静にそして公正な歴史書ですよ
作者の司馬遷がいかに優れた人物であったか明確に現している。
まあ。それでも発掘調査まではやってないし。
間違いや誤りがあっても仕方がないでしょう。
247名無しさん@4周年:03/12/09 22:33 ID:NRQ5Z72k
始皇帝=政王は商人と遊女の間の子であり、秦の王族の血を引いていない。
だから彼はDQNで、浪費をしまくった挙句、馬鹿息子を後継者にさせてしまい、
昭王までせっせと築いてきた強大国の秦を破滅させる原因になった。
248名無しさん@4周年:03/12/09 22:37 ID:D8Qd3bYv
奇貨置くべし
249名無しさん@4周年:03/12/09 22:48 ID:l0DhQsdL
     可
    レ
     置
    ニ
     奇

     貨
    一
250名無しさん@4周年:03/12/09 22:50 ID:FScVBzry
3ヶ月に渡り炎上したというのは何だったんだ?
251名無しさん@4周年:03/12/09 22:59 ID:D3liqin/
大朝鮮帝国史
* 我が民族が住む全世界を朝鮮(チュシン)という。

* 我が民族はパミール高原に源を発して、バイカル湖を経て不咸山に移動、定着した。
不咸山に到着した我々の先祖はそこを中心に集団定着、文化を発達させ、紀元前6000年頃には紅山文明を、続いて黄河文明を起こした。

* 我々の先祖は既に紀元前3898年に倍達国を建て、農耕民族である中華族を制圧し、大帝国を建設していた。


ttp://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/jushin.htm
252名無しさん@4周年:03/12/09 23:08 ID:D3liqin/
[社説]高句麗が消えた

世界の有名インターネットサイトが、韓国の歴史の起源を、新羅が三国を統一した時点にあたる、西暦668年として紹介しているというニュースだ。
民族的な憤りとともに恥ずかしさを覚えずにはいられない。
檀君王倹(タングンワンゴム)から始まった5000年の歴史が、僅かに1300年あまりに縮小され、歴史上、我が民族の最も誇らしい国家だった高句麗が、一瞬にして「消え去った王国」となったわけだ。
あきれたことは、このようにとんでもない歴史の歪曲を、とある民間団体が発見し、是正のために尽力しているという事実である。
いったい、わが国の政府と関連省庁は、この間何をしていたというのだろうか。
中国は最近、高句麗史を中国史の一部に編入するため「東北工程」というプロジェクトを進めている。
5年間莫大な予算をかけて、高句麗が中国辺境の少数民族が建てた地方政権であり、中原の政府に代ってその地域を委譲、統治した割拠政権であったということを立証するというのだ。
中国は、昨年ユネスコが北朝鮮の高句麗古墳を世界文化遺産に指定するのを妨害し、
高句麗が満州一円を掌握したことを立証する決め手となる「物証」の、広開土王(好太王)碑と、集安一円の高句麗古墳に対する大掛かりな整備に乗り出したのも、この事と無関係ではないだろう。
歴史学者らは、中国のこのような動きを、自国内における少数民族の独立および自決権の要求を未然に防ぐ一方で、
朝鮮半島の統一以降、吉林省、黒龍江省、遼寧省など東北3省に住む朝鮮人たちの動揺を防ぐための長期的な布石であると分析している。
嘆いてばかり入られない。教育人的資源部、外交通商部、文化観光部、情報通信部、国政広報庁など、政府の関連省庁は、一日も早く政府レベルの対策と長期的な支援策を設けるべきだ。
学界もまた、この20年間1000本を超える論文を通じて高麗と渤海史を中国史と主張してきた中国に対応して、十分な史料の発掘と対応論理の開発を急がなければならない。
705年間実存した我が民族のプライド「大高句麗」を、我々の代で、単なる中国の辺境と転落させるわけにはいかないのだ。

ttp://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2003112892068
253名無しさん@4周年:03/12/09 23:56 ID:OIt0Onb9
半島ネタは半島関連スレでやってくれ。
掃いて捨てるほどあるだろ。
254名無しさん@4周年:03/12/10 00:02 ID:3qYbvVbW
>>239
筆禍事件とか文字の獄とかあるくらい、
字に対して並々ならぬ信仰じみたものがあるみたいだな。
他にも筆誅を下すとか。
255名無しさん@4周年:03/12/10 00:09 ID:LInyCbo+
馬鹿の語源って

趙高(2世皇帝のときの実質的支配者、宦官)が
自分の意に添う人物かどうかを試すために
鹿を連れてきて、”これは馬である”とか言って、
”鹿だ”と言ったやつらを皆殺しにした

というやつじゃないのかい?
本来の意味は”愚か者”ではなかったはずだけど。

しかし、この説だと莫迦の字は出てこないな。
もともと、莫迦と馬鹿は意味が違ったが、読みが同じ
なので同じ意味になった、と思うがどうよ?
256名無しさん@4周年:03/12/10 01:14 ID:6Uh3YVB/
>>255
馬鹿は莫迦の当て字で、2世皇帝の話とは関係ないらしい。

大体鹿の音読みは「ろく」だから
もし本当にその話が由来ならば「ばろく」になるはずでしょ。
257名無しさん@4周年:03/12/10 01:24 ID:HOQM6DaQ
>>247
そのような話が残されているね。始皇帝の生母は、今で言うとこの色キチガイで王母になってからも、愛人を作り関係を続けたそうだ。
後に愛人の子供まで産み、さすがに問題となって子供と愛人は処刑され、彼女は生涯幽閉された。
そんな女性だから生まれた伝説ではないかと思う。
だってさ、幾ら何でもそんな産まれの子供を王とするのは、どう考えてもおかしいからね
258名無しさん@4周年:03/12/10 01:35 ID:QArH58Wl
荘襄王も娶る時には『検査』くらいしただろう、昔の人もバカじゃないんだから。
259名無しさん@4周年:03/12/10 01:38 ID:2MBHtN1k
>>256
バカの語源は「莫迦」の方だろうけど、「馬鹿」という当て字は
趙高と二世皇帝のエピソードからじゃないかい。
260名無しさん@4周年:03/12/10 09:43 ID:OjRdBztd
>>256
そんな読みの違いなんか、アテになるものかな?
261名無しさん@4周年:03/12/10 10:22 ID:ypfwPeUH
>>258

でも、趙で人質生活だったし、即位後の遊興、後室での女遊びで命縮めたような香具師だからな>荘襄王
262名無しさん@4周年:03/12/10 19:35 ID:+yR765Tu
263名無しさん@4周年:03/12/11 02:48 ID:DpwR172C
覇王項羽カコイイ!!
264名無しさん@4周年:03/12/11 07:16 ID:qrMEzeJ/
日本人は三国志と楚漢、春秋戦国だけが中国の歴史だと思い込んでいます
265名無しさん@4周年:03/12/11 07:28 ID:3P2J2yj2
覇王別姫

これ聞くと真っ先にインチキ作曲家タンドゥン思い出すの俺だけ?
266名無しさん@4周年:03/12/11 08:55 ID:4Jj/lDR7
>>264

清は西太后と溥儀だけで、あとは水滸伝と玄奘三蔵法師を加えれば
日本人の中国の歴史知識90%超えるかも名。
267名無しさん@4周年:03/12/11 10:53 ID:iQGlrpP9
劉邦が助命してやった秦の三代目を項羽が殺したというのも嘘で
本当は劉邦が処刑していたのかもしれないな
でもって天下を取った後に項羽に罪をなすりつけて
自分は寛大だが項羽は残虐だという宣伝に
268名無しさん@4周年:03/12/11 10:58 ID:cDcii4BH
史記が正しくなかったわけか
269名無しさん@4周年
>>268

234 名前:名無しさん@4周年[sage] 投稿日:03/12/08 23:44 ID:i2sSo+7b
>>206
項羽引兵咸陽西屠咸陽、殺秦降王子嬰、焼秦宮室

史記では項羽は秦の宮室を焼いたというだけで、司馬遷は阿房宮とか〜宮とは限定してないんだよね
(秦の宮室は阿房宮の他にも咸陽宮等がある)
司馬遷はなかなかの食わせ物だな