【考古】「売田券」木簡が初出土・8〜9世紀の土地売買記録=島根県青木遺跡[031118]
「売田券」の木簡が出土 8−9世紀の土地売買記録
島根県出雲市の青木遺跡で、奈良時代から平安時代初め(8世紀後半−9世紀
初め)の水田売買の証明書「売田券」の木簡1枚が見つかり、同県埋蔵文化財調査
センターが18日、発表した。
同センターなどによると、売田券木簡の出土は全国で初めて。律令(りつりょう)制で
禁止された水田の私有、売買が743年の墾田永年私財法で"解禁"され、荘園が
形成された当時の記録とみられ、同センターは「地方の土地売買実態がうかがえ、
荘園の発達過程を考える重要な資料」としている。
当時の水田売買については、荘園領主だった東大寺(奈良市)などに紙に書いた
記録が数多く残っている。木簡はこうした書類の作成時につくった控えか、整理用に
要点を書き写したらしい。下部に穴があり、ひもで束ねて使ったと考えられるという。
木簡は長さ35・2センチ、幅4・2センチ、厚さ0・4センチ。表裏に「賣(売)田券
舩岡里戸吉備部忍手佐位宮税六束不堪進上 仍 舩越田一段進上」と記していた。
(後略)
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※引用元配信記事:
http://www.sankei.co.jp/news/031118/1118sha058.htm ※産経新聞社のSankei Web(
http://www.sankei.co.jp/ )2003/11/18配信
※画像あり
2 :
名無しさん@4周年:03/11/18 13:34 ID:BBNqh3yh
俺が2とったら
>>3が日頃のお礼としてひろゆきに1000万円を寄付しろ。
3 :
名無しさん@4周年:03/11/18 13:35 ID:XU9+QzCr
4 :
名無しさん@4周年:03/11/18 13:40 ID:0N1NFGj2
>木簡はこうした書類の作成時につくった控えか、整理用に
>要点を書き写したらしい。
売買記録のバックアップファイルが発見されたのか。
↓「売春券」と勘違いしたヤシ
6 :
名無しさん@4周年:03/11/18 13:48 ID:aeZMQncz
税金を払えなくて物納って昔からあったのね。
7 :
名無しさん@4周年:03/11/18 13:50 ID:/IyQfAze
売国券
売女券?
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青木遺跡:
田の売買示す木簡、初の出土 島根
(中略)
木簡は、長さ35.2センチ、幅4.2センチ。表と裏に字が書いてあり、
ひもなどで束ねられるよう下部には穴が開いている。
表面には「売田券 船岡里戸吉備部忍手佐位宮税六束不堪進上」と記載。
裏面は「田一段進上」などの字が読み取れる。「船岡里」の「吉備部忍手」なる
人物が、「佐位宮」へ稲「六束」を納められず、代わりに田を「進上」したと
解釈できるという。
同センターによると、田の売買は奈良時代中期の墾田永年私財法の施行後に
始まり、同時期の東大寺文書などには後の荘園につながる田の売買を証明した
古文書が残っている。国立歴史民俗博物館の平川南教授(日本古代史)は
「土地の売買は文書で行われたと従来考えられていたが、土地の移動の頻度が
増して、巻物になった文書よりも整理しやすい木のカードを介在させるようになった
のだろう。古代の土地の管理体制が分かる重要な資料だ」と話している。
(後略)
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※引用元配信記事:
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20031118k0000e040028000c.html ※毎日新聞社のMainichi INTERACTIVE(
http://www.mainichi.co.jp/ )2003/11/18配信
10 :
名無しさん@4周年:03/11/18 14:39 ID:0rz43q5N
>出雲市の青木遺跡
(´ー`)y─~ わだすの地元だわね
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島根・出雲で8―9世紀の木簡「売田券」出土
(中略)
「売田券」は当時の水田売買の証明書に当たり、木簡に書かれたものの出土は
初めて。借りた種もみを収穫後に返す「出挙(すいこ)」が果たせなかったため
水田を差し出したと記されており、地方の土地売買の実態を知る上で貴重な発見。
(中略)
土地売買に関する紙の公文書は、東大寺(奈良市)や東寺(京都市)などに残って
いるが、木簡では初めてで、紙の公文書に残すため下書きとして記されたか、
公文書の内容を写したと考えられる。
当時は、墾田永年私財法の施行により、開墾が奨励されたが、これで水田も
売買の対象となり、厳しい取り立てで、いったん所有した土地を手放さざるを
得なかった持ち主がいたことが伺える。
(後略)
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※引用元配信記事:
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20031118i404.htm ※読売新聞社のYomiuri On-Line(
http://www.yomiuri.co.jp/ )2003/11/18配信
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律令時代も税金払えず水田物納、売田券木簡初出土 出雲
(中略)
表側には冒頭に「賣田券」と書かれ、以下、「舩岡里(ふなおかり)」の「吉備部
忍手(きびべのおして)」という人物が「佐位宮(さいのみや)」の「税六束
(ぜいろくそく)」を納められなかったという内容。そのために「舩越田一段
(ふなこしだいったん)」を「進上(しんじょう)」したとの記載が裏にある。進上は
さしあげたという意味で、段は現在の1反(約10アール)と同じぐらいの広さ
とみられる。
土地売買の正式文書には、売買の当事者の名前や役人の署名、公印がある。
この木簡には公印が見当たらず、正式文書の内容を抜き書きしたか、正式文書を
つくる過程で用いたらしい。下の方に小さい穴があり、木簡を何枚か束ねて
保管した可能性もある。
(後略)
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※引用元配信記事:
http://www.asahi.com/culture/update/1118/003.html ※朝日新聞社のasahi.com(
http://www.asahi.com/ )2003/11/18配信
※画像あり
>墾田永年私財法の施行により、開墾が奨励されたが、これで水田も
>売買の対象となり、厳しい取り立てで
やっぱ取り立ては渡来人の仕事なんでしょうか?
14 :
名無しさん@4周年:
>>13 その当時の渡来人は、大陸、半島から亡命していた人達だと思う