【国際】北の核放棄の見返りに日韓に50億ドル拠出を求める−米議員

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285名無しさん@4周年
無茶な言いがかりの歴史

〜日本の有名な昔話〜
1603年、徳川家康は征夷大将軍に任じられ、名実ともに家康は
日本の支配者となりました。1605年、家康は将軍職を自分の息子
の秀忠に譲るという行為に出ました。今後の将軍職は徳川家が代
々継いで行くのだということを全国に宣言した訳です。
その後、家康は、豊臣が将来歯向かうことを恐れ、今のうちに滅ぼ
しておきたいと思いました。そこで、豊臣の建てた寺の鐘にある
国家安康・君臣豊楽の文字が気にくわないという理由で、豊臣に
謀反の心ありと言いがかりをつけ、豊臣に戦争をしかけ、大阪夏
の陣で遂に豊臣を滅ぼしてしまいました。
286名無しさん@4周年:03/07/01 17:26 ID:j1+Tz7uO
中国や米国に泣きついても犬にさえなれない国がたくさんある。
これから日本が高齢化社会で没落すると米国との経済金融・
工業技術相互依存関係が断たれ犬としての地位を追われる可能性の方が高い。
米国民主党系列の一部のシンクタンクは在日米軍をグアムへ移すよう
主張をしている。客観的に見て高齢化社会での日本の置かれた状況は
将棋の「詰み」の一歩手前となっている。北条氏の所有する
難攻不落の小田原城を秀吉連合軍の大軍が包囲したのと同じ状態だ。

●小田原城攻略その1 by 上杉謙信(人心掌握と軍事の天才)
1561年(永禄4)4月
 上杉連合軍(11万)が関東にある北条氏の難攻不落の小田原城を包囲
 1ヶ月後、食糧不足で上杉連合軍が撤退

●小田原城攻略その2 by 豊臣秀吉(グローバル経済の天才)
1590年(天正18)2月
 秀吉連合軍(22万)が20万石(22万人10ヶ月分の食料)を確保し進軍開始
1590年(天正18)4月6日
 秀吉連合軍(10万)が関東にある北条氏の小田原城(5万7千人兵力12ヶ月分の食料保管)を包囲
 小田原城攻略には篭城兵力の3倍の15万人以上が必要であり、秀吉の行う城攻撃には足りない。
 北条氏側は兵力だけではなく来年の4月まで戦える食料を確保しているので有利。
1590年(天正18)6月25日
 秀吉は極秘裏に建設した超巨大ハイテク城(550m×300m)を完成させる。
 目隠しとなっていた笠懸山の樹木を伐採して北条氏側にお披露目する。
 一夜にして出現した魔城に北条氏側は戦意喪失する。
1590年(天正18)7月5日 小田原城の無血入城となる。

2025年 米国に捨てられ軍事費も捻出できない貧乏日本は、、、
環境破壊で悩む中国の経済力と核ミサイルに圧倒され戦意を喪失する。
そこで日本政府は主権国家の統治権を虐殺政治の中国共産党政権へ禅譲し
中国エリートの住居を日本列島に提供する。日本人は優秀である半面、
集団になると予測不可能な敵対行動をするので、日常の衣食住の使役、供給は
入植させた下層の中国人民に任せ、日本原住民は人口調整で海洋投棄される。
287名無しさん@4周年:03/07/01 17:26 ID:j1+Tz7uO
日本国家が破産すると
うどん粉とパスタと農薬と化学肥料と
石油が輸入できなくなり飢餓が始まる。
そして米軍が去り人民解放軍が上陸する。

鳥取城
秀吉の兵糧攻めで飢餓地獄に陥った城

 秀吉の鳥取城における兵糧攻めは実に周到なものであった。
各地の商人に高値で米を買い占めさせ、さらに吉川元春(毛利元就の次男)が
海路で送ってきた兵糧米も待ち受けていた秀吉軍によりことごとく阻止され、
鳥取城は完全に孤立無援の状態となった。
 餓死者が出始めた鳥取城内は悲惨を極める。粟、稗から木の実、草の根、馬、犬など
ありとあらゆる物を食い尽くした末に、死者の肉さえも奪い合う飢餓地獄と化した。
 鳥取城主の吉川経家はついに開城、自刃して果てた。秀吉が提示した開城の
条件には経家の切腹はなかったが、経家は敗戦の全責任を負って自ら死を選んだ。
その死は毛利方はもちろん、信長・秀吉側からも称されたいう。
http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/sanin/totori/tottori.htm