【社会】警視庁 毎日新聞社 五味宏基記者(38)の事情聴取を検討中★2

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270名無しさん@4周年
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毎日新聞 2003年6月27日朝刊 より引用

12面 【調査班総括】
副見出し縦〈「疑い」「恐れ」己に向けぬ甘さ

調査班は、事件発生9日後の5月10日付紙面で、アンマン空港爆発事件について検証、同僚記者や
専門家からの話をもとに、@戦場取材による特殊な精神状況A長期取材の疲労Bアラブ地域をよく
知っていること(ホームグラウンド意識)による油断C武器に対する知識不足---が背景にあったのでは
ないかと推測したが、当事者である五味宏基・元写真部記者の話を聞くことが出来なかった。

今回、帰国した五味元記者から、疑問点のすべてを直接ただすことができた。Cは、五味元記者が明確に
認めた。カンボジア内戦後の取材けいけんがあった、とはいえ、元記者には最先端の軍事・武器情報に対す
る関心は薄く、必要な軍事知識も欠如しているように感じた。

@、Aについて、五味元記者は首をかしげ「そんなことはないと思います」と述べた。今回の事件はあくまで
自分の未熟さが原因で、戦場の特殊事情や疲れで説明すべきではない、との思いが感じられた。

Bに対しては言下に否定した。青年海外協力隊員として2年間アンマンに滞在、アラビア語で簡単な会話
ができ、ヨルダン人の友人も多数いることが、空港でのチェックに対する脇の甘さとなったのではないか、
というのが調査班の見立てだった。

271名無しさん@4周年:03/06/28 19:51 ID:iiThD113

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毎日新聞 2003年6月27日朝刊 より引用 12面 【調査班総括】

聴取で、事件の本質として、別の要因も浮かんだ。

ひとつは、垣本さんが指摘する「思い込みの罠」である。これは、我々の日常の記者生活の中でもよく起きる。
人の名前、肩書きを間違えて掲載、訂正する。うっかりミスもその一つだろうし、政治、経済、国際情勢の記事
でも、思い込みが見通しを誤らせたケースはある。

特に、自分なりの合理的根拠に基づいた思い込みは、なかなか手ごわい。五味元記者の場合は「空洞」と「舗装
道路の穴」という二つの事実が、元記者の直感、思考の中で結びつき、「爆発済みの爆弾のキャップ=安全」という
思い込みを形成した。背景には、カンボジア取材での「空薬きょう=安全」体験があったかもしれない。

「安全」認識は、その後ホテルで金属体を何度もいじり、苦楽をともにした助手に一つを分け与えるうちに、次第に
強化され、修正不可能なまでに五味元記者の中に定着した。

272名無しさん@4周年:03/06/28 19:51 ID:iiThD113
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毎日新聞 2003年6月27日朝刊 より引用 12面 【調査班総括】

もう一つは、五味元記者がこの金属体を、自分の記者としてのライフワークの証し、として積極的な意味を込めて
保持し続けたことである。彼は写真が写すもののリアリティーに疑問を抱き続け、中東問題の取材にこれからも
かかわり続けたい、と願ってきた。単なる石ころではなく、米軍の落としたもので、戦争の本質を体現するもの。
もし、それが安全であるなら、それほど不自然な行為とはおもえない。

しかし、思い込みの代償はあまりにも大きかった。調査班としては、どうしても最初の「安全」判断に立ち戻らざるを
得ない。確かに形状は空洞になっている。空港でサルハン曹長と一緒に手荷物検査をしていた軍曹が法廷で、「
検査をしていた3人とも何なのかわからなかった」と証言した。

しかし、そこは、直前まで戦闘行為が行われてきた特殊なエリアだった。戦場取材にあたっては、そこで見るもの、
聞くもの、触るものに対して、もっと「疑い」「恐れ」の感覚を持つべきだったのではないか。その後バグダッドの病院
で、遺棄された武器や不発弾でけがをして運び込まれてきた子どもたちを取材して、「何だ、まだ戦争は終わってい
ない」と直感したのも、写真取材に対して、その客観性に疑問を抱き続けてきたのも五味元記者である。

273名無しさん@4周年:03/06/28 19:53 ID:iiThD113
毎日新聞 2003年6月27日朝刊 より引用 12面 【調査班総括】

その五味元記者が、なぜ今一度、ここは戦場であり、戦争はまだ終わっていない、危険が満ち満ちている、という、
合理的で健全な「疑い」と「恐れ」の感覚を、自分の足元に向けられなかったのか。「戦場では何も拾わない」。この
簡単明瞭な戦争取材の原則がなぜ守られなかったのか。戦場取材のリスク感覚という点で、五味元記者は甘かった、
と言わざるを得ない。

五味元記者が聴取に対し、「私の一番の罪は、(戦場取材の)危険意識が全くなかったことです」と何度も繰り返した
のは、45日間独房内で自問自答し抜いた、反省の結論だと感じた。

一つ宿題が残っている。五味元記者が3週間も持ち歩き、いじり続けていながら何も起きなかったものが、なぜ空港で
爆発したのか、という疑問の解明である。ヨルダン国家治安裁判所に提出された鑑定書と鑑定人(爆発物専門家の中佐)
の法廷草原によると、爆弾は、安全装置、起爆装置という二つの機能から構成され、スライド式の安全装置をいじっても
起爆するとは限らない、としている。五味元記者が移動中カチャカチャいじっていたのは明らかにこのスライド式の安全装置
と考えられる。元記者はアンマン空港でも、全く同じいじり方しかしていない、と強調する。ではなぜ爆発したのか。そこは
未解明のままである。

アンマン事件は、戦場取材では、取材者もまた、加害者になりうる、ということを示した。戦場という取材空間で、バランスの
取れた危機意識を持ち続けることがいかに重要か。我々もまた、重い課題を背負わされたと考える。

【アンマン事件調査班 倉重篤郎、友田道郎、吉田慎一、元村由紀子】

↑いずれも毎日新聞社東京本社社員