>>560 さらにインド、中国から朝鮮にかけて猛威を振るっていたハンセ
> ン病退治のための救ライ事業として、世界的規模と質を誇る小鹿島
> 更正園を作って、6千人以上もの患者を収容している。[1,p85-86]
その朝鮮のハンセン病患者が戦後大量に日本に密航してきた(コピペ)
国会会議録検索システム / 昭和23年6月4日衆議院本会議での榊原亨の質問 から
(榊原亨議員は日本医師会副会長であった)
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さらに問題となりますのは朝鮮人患者のことであります。現在朝鮮人癩患者は、一療養所に
約四、五百名くらい收容せられておるのでございまするが、戰前朝鮮の小鹿島にありました
約六千名の癩病患者は、終戰と同時に日本人職員が引揚げたのを機会に、全部これが脱出を
はかりまして、この脱出いたしました六千名の癩患者の大部分は、あらゆる手段を講じて、
日本に向け多数密航してきたのであります。
その一例を申しますると、兵庫縣の尼崎市におけるがごときものでありまして、これら朝鮮
人患者は、日本において一團を組織いたしまして、不良なる日本人または朝鮮人と共謀いたし
まして、いろいろ凶惡なる犯罪を犯しつあるのであります。
そして、彼らの一部が万一警察に捕われましても、前に申し上げた通り、何ら処罰を受ける
ことなく、そのまま癩療養所に再び收容され、彼らはますます増長いたしまして、療養所内の
秩序を乱し、勝手氣ままな生活をした後、折を見て再び三たび脱出するという順序を繰返して
おるのでございまして、療養所は、この種犯罪者の安全なる温床となつておるのであります。
これらの点につきましても何らか緊急の処置を講じなければ、單に一般社会への癩病の傳染
の危險があるばかりでなしに、社会の安寧秩序の上から申しましても、実に重大なる事態に至
ることを憂うるものであります。(後略)
(小鹿島とは朝鮮のハンセン病患者を隔離治療するため1916年半島南東部の小島に設けら
れた小鹿島慈恵病院(のちに小鹿島更生園)のこと)