【東京】「結婚したくない」「子供欲しくない」女子 男子の3倍 ★6

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411名無しさん@3周年
うちの母のように、5人も子供をボカスカ産んでおいて、
子供は親戚中に預けたり育児放棄したりするよりは、
産まないほうがいいと思う。
末っ子の私一人だけ母の家に置いてもらったけれど、
私は、親戚に預けられた兄や姉を猛烈に羨むような生活をして育った。

小学校へ上がってから、食事は一日一食、給食だけだった。
家にある物を食べると母から<泥棒だ>とこっぴどく叱られるので、
土日祭日はお水を飲んで過ごした。
長期の休みの時は、家の冷蔵をにあるものを食べることは出来るけれど、
食べている現場を母に見られると殴られるのが怖くて、
理由をつけて隣の県の親戚に家まで2日かかって歩いてゆき、
しばらく泊めてもらった。
怒られずにごはんを食べることが出来て、とてもとても幸せだった。

小学校卒業と同時に、自分で食べる分は自分で稼ぎなと言われ、
その他に『居候代』として毎月5万円母に差し出さないと
家に入れてももらえず、勿論入浴も寝ることも許されなかった。
12歳では働くところも無いので、同級生もいる近所であちらこちらの雑用の
バイトをやった。でも、必死にバイトして母にお金をあげても事あるごとに、
『あんたなんか産む予定じゃなかったのに産んでやった。
生んでやっただけでも感謝しろ』などと言われながら育つのは、
肉体的にも精神的にもかなりキツかった。
小学校2年まではいつも着ている古着の長袖のTシャツとジーンズの半ズボンだけで
他の着替えがなかったため、同級生からは汚いと言われたり、事情を知らない
先生から『おい、風呂入って新しい服くらい買え』と皆の前で叱られた。
寒くて恥ずかしくて、小学校2年の冬に街に粗大ゴミに出ていた生地を拾ってきて
自分で服(らしい物を)を縫って着ていた。
それ以来、ずっと古布を拾っては自分で服を縫って着ていた。
水着や絵の具や習字の道具やそろばんなど、学校で必要な物があっても買えず、
いつも『持ってくるのを忘れました』で通した。
412遙皇φ ★:03/05/18 01:32 ID:???
>>410
仕事が忙しすぎたおれもよくないのよ。
だから強気には出られないな。
413名無しさん@3周年:03/05/18 01:33 ID:tRurQ+Zt
中学では制服を買うお金も母から貰えず、近所でバイトを探してお金を作って
生地を買って来て、生地も色も薄い制服とブラウスと鞄を縫って3年間
夏も冬もそれを着て通した。
栄養が足りなくて、常におなかが空いていて、それでも学校が終ると
自分を雇ってくれる近所のおばさんを探して仕事。
裁縫、家事、買い物、大掃除、老人のおしめ換えや体の清拭や汚物洗濯、
引越しの手伝い、話し相手、時にはそこの家の子供の家庭科や美術の
宿題や夏休み最後の日の夕方にその子の夏休みの宿題をしてあげたりして
母へ払う居候代5万円と自分が食べるためのお金を稼いだ。
一度、頭のおかしな近所のおばさんに<内緒でパンツを脱いで>と言われた
ことがあったが、それだけは断った。
15になって新聞配達として働けるようになった時、家々を廻って
仕事を恵んでもらうあの恥ずかしさから逃れられると思うと、
本当に本当に嬉しかった。

二年前、母が精神病で入院して初めて『私、生まれてよかった』
と感じる生活が出来るようになった。
30にして初めての恋人が出来て、結婚しようと言われた時は本当に嬉しかった。
でも、私が子供を産むつもりは無いことでもめている最中。
自分の中にあの母の血が流れていると思うと、自分も同じ事をしてしまうのではと
戦慄する。