【社会】"侵略&挺身隊"日本に謝罪と賠償求めた韓国人ら、敗訴確定
493 :
名無しさん@3周年:
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<=( ´∀`)<俺は生粋の日本人だけど
( ) \ この話を聞いてなかないやつは
| | | \ 人間じゃないな ニダ
〈_フ__フ \________________
金中尉
第5次満州空戦で、撃墜3機のところで、機体の不良で不時着し
日帝の捕虜となる。、そこで数々の拷問を受けた金中尉は、親友金頓嫡率いる
義兵団によって救出された時には、両足は切断され、左手はつぶされ
右目はくりぬかれるという、まさに瀕死の状態であり、
日帝の残虐さをあらためて確認させられるものであった。
その後は、朝鮮史史上最高の名医と呼ばれた、李医師のもと奇跡的に一命を取りとめ
約一年のリハビリの後、第8次満州空戦より、再び大空の人となったのである。
第八次満州空戦では、撃墜3機、第9次満州空線では、6機と戦果を上げ、
日本軍より「大空の隻眼半だるま」と呼ばれ、畏怖されていたのである。
第十次満州空戦のとき、日帝の卑劣な陰謀により、親友金頓嫡が日本機
20機に囲まれた時、自らその中に入り、金頓嫡を助けるのに成功するも
日帝の神風戦法により、その命を絶たれる。
最終撃墜数74機。享年28歳の若さであった。
その後北朝鮮を建国した金頓嫡は、親友の命日である4/31を
国民の休日としたのである。
撃墜数こそ、他のエ−スに譲るけど
両足、左手、右目を失っても、、祖国回復の希望を失わず、大空に散っていった
金中尉には、敵国の人間とはいえ、尊敬に値するよ。
タイトル:『金中尉物語』
出版社:朝鮮民主主義人民書房
494 :
名無しさん@3周年:03/03/27 20:16 ID:1DMFYD0e
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<=( ´∀`)<俺は生粋の日本人だけど
( ) \ この話を聞いてなかないやつは
| | | \ 人間じゃないニダ
〈_フ__フ \________________
李大尉
生まれながらに、手足がないという奇病に見舞われながらも
祖国回復のために18歳で、朝鮮臨時政府の航空部隊に入る。
同僚からは、手足がないのにどうやって機を操縦するのかといわれるも
不屈の闘志で、機体を操縦し、初陣となった第一次満州空戦では、
日本機15機を撃墜、その後も着実に撃墜数を増やし
日本軍からは「大空のサウラビ」と恐れられる。
しかし第5次満州空戦のとき、機体の整備不良から不時着し
日帝の捕虜となる。そこで数々の拷問を受けた李大尉は、金頓嫡率いる
義兵団によって救出された時には、全身傷だらけで、両目はくりぬかれており
瀕死の重症であったという。
これは日帝の残虐さをあらためて確認させられるものであり、許しがたい行為である。
その後は、朝鮮史史上最高の名医と呼ばれた、李医師のもと奇跡的に一命を取りとめ
約一年のリハビリの後、第7次満州空戦より、再び大空の人となったのである。
第八次満州空戦では、撃墜5機、第9次満州空線では、13機と戦果を上げ、
日本軍より、「盲目のだるま戦士」、「盲目のサウラビ」と呼ばれ畏怖されていたのである。
が 第十次満州空戦のとき、日帝の神風戦法により、その命を絶たれる。
尚この空戦では、日帝の神風戦法に、金中尉をはじめとした
歴戦のエ−スが大空へと消えていったのである。
最終撃墜数234機。享年38歳の若さであり、韓国のエ−スの中でも
3番目にはいる撃墜数であった。
韓国ではこの功績から、彼の命日である4/31日を 、国民の休日としたのである。
両足、両足を失っても、、祖国回復の希望を失わず、大空に散っていった
李大尉には、敵国の人間とはいえ、尊敬に値するよ。