【文化財】和佐野喜久生教授「邪馬台国は筑紫・佐賀平野」と退官講演=佐賀大[030306]

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128名無しさん@3周年:03/03/09 03:03 ID:Hpee6QeG
>>114
卑弥呼はちゃんと日本書紀に書いてあるだろ。神功皇后だったかなんかで。
日本での認識は邪馬台国=大和王権だったんだよ。
>>126

 哲也?
130名無しさん@3周年:03/03/09 03:06 ID:d/2VUOR2
>>127
>>125の間違い?
131名無しさん@3周年:03/03/09 03:09 ID:iTGf6LaH
こいつ朝鮮人? 中国に朝貢していた邪馬台国を取り上げて、日本に何の
利益があるんだよ。そんな古代の話を蒸し返して日本を辱めて何がうれしいんだろ。
日本の公式の史観では邪馬台国なんて存在しないんだから、それに従えって。
132名無しさん@3周年:03/03/09 03:10 ID:Hpee6QeG
>>131
釣りとしては落第点しかあげられない。
133名無しさん@3周年:03/03/09 03:13 ID:SOZG7YuL
やっぱ邪馬台国は大和朝廷と何らかの関わりがあるんだろうな。
大和の祖だとしても、別の国だったとしても、同じ列島にあったわけだし。
134 :03/03/09 03:20 ID:NpqoJiBF
このスレ古代史詳しい人多いね。
135名無しさん@3周年:03/03/09 03:22 ID:t7E8Sqxx
やまたいこく => やまとちょうてい。

よって邪馬台国は大和朝廷の子孫なので奈良に決定。
136名無しさん@3周年:03/03/09 03:25 ID:Hpee6QeG
>>135
大和朝廷は邪馬台国の子孫だという人はいるが
邪馬台国は大和朝廷の子孫だといった人ははじめて見ました。
137名無しさん@3周年:03/03/09 03:31 ID:7YK2goGy
>>136
なかったはずの拉致日本人が存在していて帰国する世の中だもん。
一人ぐらいそんな説となえるのがいてもいいのではないかい。
138名無しさん@3周年:03/03/09 03:44 ID:Fqn37+8N
奈良にあったとするなら、クナ国は北部九州にあったと証明済みだから、
おかしくない?
俺は筑後平野あたりと思うんだが?
139名無しさん@3周年:03/03/09 03:46 ID:t7E8Sqxx
>>136
逆だな、失礼。
140名無しさん@3周年:03/03/09 03:56 ID:sMLFRi0j
>>128
卑弥子は独身だったから、神功皇后ということはないだろ。
シャーマンだったから、有り得ることではあるのだが。
エピソードから考えると、天照大神のほうが説得力がある。
二人の話が混ざってしまったかもしれんが。
141名無しさん@3周年:03/03/09 03:57 ID:QgntKPIJ
ロマ佐賀は2が傑作だね
142名無しさん@3周年:03/03/09 03:59 ID:j46911DZ
どうでもいいから
やらせろ!
卑弥呼!
143 :03/03/09 04:22 ID:qNNJ45ye
仕事で起きてきました。まとめてレスしちゃお。まだ仕事までに時間あるし。

>116 :名無しさん@3周年 :03/03/09 02:39 ID:O9v/LCOF
>三国時代はフィクションだもんな

三国志演技はフィクションが大きく取り入れられてますが、魏を継いだ晋が書いた
三国志(正史)はフィクションではありません。多少魏に肩入れはしてますが。

>122 :名無しさん@3周年 :03/03/09 02:56 ID:Hpee6QeG
>壹が先で臺が後だと思うのは早合点だ。

うーん、そうでしょうか。そもそも「臺」という文字は尊い文字なんですよね。
なんたら臺とかいう名前の建物もありますが、高貴な人物が居る場所を言います。
翻ってその主人の「卑弥呼」の「卑」は卑字ですよね?
矛盾を感じませんか?
後先の問題は、既に古田武彦氏が証明していますので、ソチラをお読みください。

>125 :名無しさん@3周年 :03/03/09 03:01 ID:Hpee6QeG
>>>123
>大和盆地始め全国各地の古墳を片っ端から発掘調査でもしないことには
>結論が出ないわけでさ。
>だから最後の決め手は主観さ。

そうですね、全国の古墳を発掘してみたいですね。宮内庁が強行に反対してて
なかなかできないのが現状です。
ただ、主観で想像するのは楽しいですが、結局は考古学という科学的手法によって
解決されるべき問題だと思います。
144↑続き:03/03/09 04:26 ID:qNNJ45ye
>127 :名無しさん@3周年 :03/03/09 03:02 ID:NVGmcPt3
>>>123
>でも京大教授はみんな京都奈良説なんでしょ。

東大閥は九州説、京大閥は畿内説ってのが相場ですね。
これはけっこう根深い対立があるようです。

>128 :名無しさん@3周年 :03/03/09 03:03 ID:Hpee6QeG
>>>114
>卑弥呼はちゃんと日本書紀に書いてあるだろ。神功皇后だったかなんかで。
>日本での認識は邪馬台国=大和王権だったんだよ。

中国に朝貢したり中国に応援を頼んだりする人間が、大和朝廷に居たはずは無い!
ってな理由で否定されてました。

>131 :名無しさん@3周年 :03/03/09 03:09 ID:iTGf6LaH
>こいつ朝鮮人? 中国に朝貢していた邪馬台国を取り上げて、日本に何の
>利益があるんだよ。そんな古代の話を蒸し返して日本を辱めて何がうれしいんだろ。
>日本の公式の史観では邪馬台国なんて存在しないんだから、それに従えって。

上から2行は理解できないのですが、3行目は明らかに違いますよ。
公式の史観てのもおかしな言い方ですが、意味は判ります。
でも、邪馬台国は存在しました。
中国の史書にデタラメは書いてありません。
145↑続き 終わり:03/03/09 04:27 ID:qNNJ45ye
>133 :名無しさん@3周年 :03/03/09 03:13 ID:SOZG7YuL
>やっぱ邪馬台国は大和朝廷と何らかの関わりがあるんだろうな。
>大和の祖だとしても、別の国だったとしても、同じ列島にあったわけだし。

有ったでしょうね。直接か間接かは判らないけど。
九州を追われた邪馬台国が畿内に逃げてきたとか、逆にクナ国が・・
いやいや、統一された九州勢力が畿内に攻め込んだ・・・
いろいろとロマン溢れる想像が出来て楽しいです。

>138 :名無しさん@3周年 :03/03/09 03:44 ID:Fqn37+8N
>奈良にあったとするなら、クナ国は北部九州にあったと証明済みだから、
>おかしくない?
>俺は筑後平野あたりと思うんだが?

同感ですね。多少場所のズレは私とありますが、倭人伝に出てくる方位の
「南」を強引に「東」と読み替えること自体が不自然ですからね。
邪馬台国を大和に持って来たいがための、「南は東の誤りである」などと
昔の学者が言ったのを検証もなく、未だに引きずってるだけですからね。

お、さて仕度して出かけなければ。
146名無しさん@3周年:03/03/09 05:44 ID:Hpee6QeG
>>140
日本書紀書いたヤシに言え。要は日本史の登場人物をいかに史書に
取り込むか、という問題なのだ。
べつに「卑弥呼」は「日巫女」であり「天照大神」の別名が日本書紀曰く
オオヒルメムチであるから卑弥呼そのものである、ということでも
俺は一向に構わんが。
日本の史書に登場していないということは無いぞ、と言っただけだからね。
147名無しさん@3周年:03/03/09 05:45 ID:cnDaS+8O
卑弥呼さまハァハァ
148名無しさん@3周年:03/03/09 05:52 ID:qgeS9FH5
手塚治虫の火の鳥に出てくる卑弥呼はヒステリー婆だた
149名無しさん@3周年:03/03/09 06:05 ID:RyvaVFtB
>>144
中国の史書はデタラメを書いてます。
本国のことは知らないが、日本のことなんかデタラメを書いてます。
明の正史では、山城守の信長が関白などと適当なことばかり書いてあります。

邪馬台国のことについては、倭人が朝貢していたということが書きたかっただけで、
こまかいことなをか、どうでもよかったんだろうと思います。

多分、ヤマトと発音していたのを邪馬台と書きあらわして、
日本人が天照大神などの話をしていたのを、
そのころのヤマトの状況と勘違いしたのでしょう。
150名無しさん@3周年:03/03/09 16:56 ID:XWmQUjtC
ここはイヨに萌えるべき。
151名無しさん@3周年:03/03/09 17:08 ID:EoYGKBRw
金印の「漢委奴国王」は「漢の委奴(いと)の国王」と読む説があるね
152名無しさん@3周年:03/03/09 17:15 ID:EoYGKBRw
邪馬台国が九州にあったとすると、邪馬台国=後のクマソ
ってことでよろしいのか
153名無しさん@3周年:03/03/09 17:19 ID:drqzL4k9
熊襲は南九州でないの
154名無しさん@3周年:03/03/09 17:50 ID:e+rhjHw9
いい加減 sage で議論してね。
155名無しさん@3周年:03/03/09 18:03 ID:y9wzCR5u
【福岡県甘木市周辺地名】

笠置山→春日→御笠山→住吉神社→草ヶ江→野方→那の津→ 

→平群→池田→三井→小田→三輪→雲提→高田→ 

→(夜須川)→長谷山→加美→朝倉→久留米→三瀦→鷹取山→星野→

→天瀬→玖珠→香山→浮羽→鳥屋山→山田→田原 

【奈良県大和郷周辺地名】

笠置山→春日→三笠山→住吉神社→日下→額田→難波津→ 

→平群→池田→三井→織田→三輪→雲梯→高田→

→長谷山→賀美→朝倉→久米→水間→高取山→吉野→

→天ヶ瀬→国ズ→天香山→音羽山→鳥見山→山田→田原

▼地名と位置が酷似している。
 これを「偶然の一致」といえるのだろうか?
 「後世の作為」というなら、武光誠はそれを証明する史料を出せ!
 邪馬台国=大和朝廷が、北九州→近畿と移った可能性を示す、
 重要な証拠として、もっと検討されていいのでは。
156名無しさん@3周年:03/03/09 18:38 ID:BIiVHHDo
志賀島での金印発見は奇跡
卑弥呼の印はいずこに
157名無しさん@3周年:03/03/09 18:47 ID:JJKZSJ0w
>>156
普通正式な印章(印綬)には紐を通せるはずなのに、
あれには出来ない構造になってるね。
偽者か、複製ではないかと。
158名無しさん@3周年:03/03/09 19:06 ID:ApYisjr0
>>154 佐賀人にマナーを求めてもダメ。佐賀は日本一マナーが悪い県だからさ。

>>157 江戸時代は「古代の物」を捏造するのが流行した罠。
159名無しさん@3周年:03/03/09 19:08 ID:JuxcnFua
「南を東へ読み替える問題」
当時の中国の地理観的には九州が北でその南に本州があるとされていた。ー
160名無しさん@3周年:03/03/09 20:41 ID:Ejn2GT5R
実は日本からの使節がやってきたときに、そいつらにどういう国なんだねと風俗や
政治体制を通訳を挟んで聞き取り調査を行った記録をそのまんま現地に
取材に行かずに再録した中国の文献だから、頓珍漢なことや、多分
ステレオタイプでゆがめられているところがあるんだよ。たとえば王が
女だというだけで、なんというおかしな国やなぁという具合だろ。

九州に耶麻渓という地名があるが、何か関係ないのかね?
161投馬国王子孫:03/03/09 23:23 ID:pDV6JYMH
倭の地では 海に潜り漁こうを獲る。←奈良県には 海が無い。 よって奈良畿内説は無理がある。
162弥弥:03/03/09 23:29 ID:LpMCVOn4
女王国の東に海あり 裸の国 歯が黒い国がある。←奈良に海 あったっけ?
163名無しさん@3周年:03/03/10 00:15 ID:J1mtEJK0
卑弥呼って女だったのか?マジで?
なんでわかるの?
男の可能性はゼロか?
遺骨でも出てきてDNA鑑定したのか?
164名無しさん@3周年:03/03/10 00:25 ID:KDRWtGZy
>>35

佐賀の家庭教師?これは、家庭教師のトライのライバルと言われている・・・w
165名無しさん@3周年:03/03/10 00:36 ID:04xK6wFU
>>159
http://www.real-unet.ocn.ne.jp/tasan/yamatai/yamab.html
ここに南or東のことがまとめられています。
>>160
魏からの使者は来ています。その使者の報告がいい加減だったと思われ。
もっとキチっと仕事せねば・・・
>>151
>金印の「漢委奴国王」は「漢の委奴(いと)の国王」と読む説があるね
ですね。他国がもらった印綬では漢の何たら国になってますね、普通。
AのB国ということで漢の委奴(いと)の国王の方がスッキリしますね。
AのBのC国ってのは他には無いみたいです(漢の委(わ)の奴(な)の国王)
166名無しさん@3周年:03/03/10 20:34 ID:F0cgMITj
( ゚∀゚)ノ<ナ国!
167陳寿(本物):03/03/10 20:59 ID:i37TenGY
あのときテキトーにでっちあげた作文が、後世かくも真剣に分析されるとは…。
168名無しさん@3周年:03/03/10 21:31 ID:xiUk0TYg
徳島説も有力
169名無しさん@3周年:03/03/10 23:42 ID:r5o30qa2
結論を言えばタイは壱の写し間違いでありサバイ国、すなわち福井県鯖江市になります。
卑弥呼はシャーマンで鉄器を使った古代トルコ系の儀式を執り行っており、古トルコ語である倶梨伽羅などの
地名が残っていてたたら鉄を生産していた鯖江市が邪馬台国ということになります。
以上論争  糸冬 了
170名無しさん@3周年:03/03/11 00:02 ID:GwpCnfxs
>>164

マジすか?w
171名無しさん@3周年:03/03/11 06:04 ID:3vj/S5Ne
『後漢書』の記述は『魏志』を元にしたものと言う者がいるが、それは違う。
双方の記述の相違点を比較すればそれは明白である。
魏志には無い記述が後漢書にはいくつもある。
魏志をソースに後漢書を書き上げるのはまず不可能である。
魏志のソースともなった別の文献があり、それを元に後漢書も書かれたと
言うのが最も有り得る可能性である。
後漢書の記述は「臺」である。「壹」ではない。
172名無しさん@3周年:03/03/11 06:50 ID:EJIoKQFa
邪馬台=大和
卑弥呼=天照大神
173名無しさん@3周年:03/03/11 07:13 ID:638+vIM/
邪馬台国では何語が話されてたの?
174名無しさん@3周年:03/03/11 07:42 ID:j/GBhsIV
ところで、邪馬台国って

「やまたいこく」

「やまとこく」

のどっちだよ?
175名無しさん@3周年:03/03/11 08:37 ID:MmUQoiNf
>>173
原日本語

卑奴母離=pieg-nag-muog-liar,pie-no-mou-lie(夷守)
弥馬獲支=mier-mag-huak-kieg,mie-ma-?-?(御体傍)
弥弥=mier-mier,mie-mie(耳)
多模=tar-mag,ta-mo(玉)
弥弥那利=mier-mier-nar-lied,mie-mie-na-li(耳垂)
台与=dog-yiag,doi-yio(豊)
卑狗=pieg-kug,pie-kou(彦)

>>174
邪馬台=yia-mag-dog,zia-ma-doi(大和)

176名無しさん@3周年:03/03/11 08:54 ID:Exl6QTe8
南を東と読みかえるのって、記述通りにしたら海の中に突っ込むからじゃなかったっけ?
177名無しさん@3周年
こいつらはちゃんと明史の記述どおりに
「秀吉は信長が拾った木の上のサル」と教えるんだろうな!?