箕輪城の門跡発見
戦国時代では関東最大規模
箕郷町教育委員会は五日、戦国時代の城「箕輪城」跡の発掘調査で、大規模な門跡が
発見されたと発表した。見つかった柱の土台の大きさや配置などから、やぐらのある
二階建ての門があったと推測され、戦国時代の城門としては現時点で関東最大規模という。
門が造られた年代は不明だが、箕輪城が廃城となるころ(一五九八年)まで使われていたと
みられている。同教委は「大規模な門跡の発見で、徳川が北方の上杉、真田などの
大名を抑えるため、箕輪城が極めて重要視されていたことがわかる」としている。
門跡は幅五・七メートル、奥行きが三・六メートルで、城から兵が出撃する際に一時待機する
「郭馬出」と呼ばれる場所で見つかった。柱の土台となる礎石が八つあり、最大で横九十センチ、
縦七十センチ。箕輪城跡から門跡が出てきたのは、今回が初めて。門跡から「郭馬出」に入る道は、
さらに二の丸、本丸へと続くため、同教委は「今までは、別のルートが正面側と考えられてきたが、
こちらが正面である可能性が出てきた」としている。
また、二の丸の石垣が大規模に壊された跡があり、同教委の秋本太郎学芸員は
「廃城時に石垣を壊す『破城』か、農作業によるものかなど、今後の課題となる」と話している。
戦国時代の城跡に詳しい福井県立若狭歴史民俗資料館の吉岡泰英副館長(建築史)は
「城門は江戸時代初頭に、二階建ての門に石垣が連なる型が完成する。
今回の門は二階建ての可能性が強いが、石垣は見つかっておらず、門の型が決まっていく
歴史の過渡期のものだ。門跡が城下町の方角にあること、門の大きさなどから、
この門が箕輪城の『大手門』である可能性もある」と話している。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news004.htm