【鹿児島】部落解放研究集会が閉幕

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742 ◆GQgggggggg
>>720
一般には低学歴者が多いね。のみならず、暴力団員の親類がやたらに多い。

たとえば部落解放同盟中央本部執行委員長の組坂繁之は身内が暴力団員で、当人も「解同に来なければ暴力団に入っていただろう」と平然と言ってのけている。

元部落解放同盟委員長の故上杉佐一郎も実弟が暴力団員。上杉当人にも暴力癖があり、1968年5月には、亀井福岡県知事との団体交渉中に知事を殴打、一週間の怪我を負わせてもいる。

そのほか、部落解放同盟大阪府連飛鳥支部長の小西邦彦は山口組系金田組幹部。
同じく大阪府連元執行委員の笠原忠は元土井(熊)組系津田組組員。
同じく大阪府連西成支部長の岡田繁次は酒梅組元準構成員。
同じく大阪府連寝屋川支部長の小柳愛之助は伊藤組若衆頭。
同じく大阪府連蛇草支部副支部長の松島節夫は旧菅谷組系石田組元組員。
同じく大阪府連飛鳥支部員の今井健二は山口組系金田組組員。
同じく大阪府連荒本支部員の長沢一明は山口組系川崎組内笹原組員。
同じく大阪府連荒本支部員の島田修身は山口組系川崎組内笹原組準構成員。
同じく大阪府連高槻富田支部員の吉岡勇は義友会系門脇組副組長。
同じく大阪府連高槻富田支部員の池田義一は義友会系門脇組若衆頭。
743 ◆GQgggggggg :02/10/25 04:58 ID:34zlbGp8
中でも上述の小西邦彦は一部で悪名高い人物であり、次のような事件にも関係している。

1985(昭和60)年

1月26日、大阪府吹田市江坂町2丁目で、山口組系竹中組の竹中正久組長(当時51歳)ら3人を、一和会系組員が射殺。現場は、竹中組長の愛人N(当時31歳)が住むマンション
「GSハイム第2江坂」の前であった。Nの部屋の508号室は、解同飛鳥支部の小西邦彦支部長が借り主で、竹中組長も「小西邦彦」を名乗って同マンションに出入りしていた。
解同の支部長が山口組の企業舎弟だったのである。

1997(平成9)年

 9月15日、大阪市東淀川区の解同大阪府連飛鳥支部事務所に銃弾が撃ち込まれるという事件が発生。
 関係者によると、解同飛鳥支部の小西邦彦支部長は、日ごろから山口組系暴力団生島組の生島久次・元組長(本名・高佑炳)の親族の面倒を見たり、射殺事件で病院に運ばれた
同元組長のもとに駆けつけるなど、因縁浅からぬ関係にあったという。事実、小西支部長は、日本不動産地所があった同じ大阪駅前第3ビルの地下2階に事務所を構え、大阪・
ミナミで生島元組長が経営していた不動産金融業「生島企業」(のちにエスユー企業)所有のモータープールを担保に、「京セラファイナンス」(東京都中央区)から限度額の23億円、
「三和ビジネスクレジット」(東京都新宿区)から同じく30億円のカネを借りるなど、ただならぬ関係にあった。
 小西支部長は、おもてむきは「社会福祉法人ともしび福祉会」「財団法人あすか会」の代表理事の肩書きを持ち、東淀川区で現在も保育園などを経営しているが、裏の顔は、
元山口組系金田組(解散、金田三俊組長=死亡)の企業舎弟をしていた暴力団関係者だった。
 たとえば、かつて金田組組長と同居していた女性と組んで、「飛鳥解放会館」の用地をめぐる土地ころがし疑惑を大阪市議会で追及されたり、ペーパーカンパニー「野間工務店」
のオーナーとして、大阪市発注事業を21億円も請け負い、山口組の資金調達係にもなってきた。
 こうしたことから、解同飛鳥支部への発砲は、中野会と親しかった生島元組長と金銭的に深い関わりがあった小西支部長への、宅見組による報復戦とみられた。