村での植民地統治への態度は相対的である。
李朝の両班の残酷性と戦後独裁政権に比べてましであると思われていた事も結構あった。
戦後の勧告の民族主義的学者達は国家主義のイデオロギーの極大化により、
ナショナリズムが高まり侵略主義に対する独立運動に焦点を置き、
その研究内容の大部分は、否定的な面だけであって客観性の乏しいものが多い。
それは民衆から離れていったものである。
つまり、村レベルでは植民地を肯定的にみる見方さえある。
それは本研究の進行中、当時の体験者達へのインタビューから分かった事である。
崔吉城 中部大学教授 『日本植民地と文化変容』(お茶の水書房)より
良識ある中国人の「歴史認識」
清国はアロー戦争でフランスに敗れ、ロシアは満州を征服して日一日と南下政策
を続けた。もし日本が北進に努力しなければ、ロシアは必ずや朝鮮を侵略したであろう。
腐敗せる朝鮮王室と両斑ががどうして露国を一掃し得たであろうか。故に日本の北進は
やむを得なかったのである。日清・日露の両大戦は、日本にとって民族の興亡、国家の
存亡を賭した戦いであった。中国とロシアはともに世界の大国である。小をもって大を
抗す、しかも十倍の大に抗するのである。日本人が気狂いでない限り、一歩退いて考え
ざるを得なかっただろう。<前進は生路であり、後退は絶路である>ということを彼ら
はよく承知していたのである。
1928年 「日本論」 戴天仇(中国人)
「正しい歴史認識」をもっていた戦前派の韓国人!
例えば、今日は八月二十九日である。この日がどんな日か、日本の皆さん
に解るであろうか。韓国人にとってこの日は「国恥記念日」なのである。
今から八十年前の1910年(明治四十三年)八月二十二日、日韓併合条約
を調印し、二十九日公布された。それ以来大韓帝国(日清戦争の日本の勝利
で韓国は有史以来、初めて日本に独立させてもらい帝国の地位を得た)は日本に
併合され、消滅した。韓国人にとって悲しむべき屈辱の日なのである。
だから韓国人は、日本への怨念を燃やしてやまない。私はそれを残念に思う。
日本人はお詫びしたのでは日韓ともに実りはない。
愚者は感情でものを考え、賢者は歴史の事実を教訓化する。日本はなぜ韓国
を併合し、中国にまで進出し、あの大戦争を起こすようになったのか。韓国は
なぜ日本に併合されるような屈辱を味わわねばならなかったのか。責任をすべて
日本に転嫁したのでは、何の教訓も得られない。韓国の反省、責任もあわせて
考えるのが「国恥記念日」の意味である。
「韓日文化研究所文化部長」 金鍾学 教授
安重根の伊藤博文公の暗殺に驚愕し、謝罪・追悼の意を表した官民多くの韓国人!
(安重根の収監されている監獄に面会する者一人もなし!)
衝撃が走ったのは、韓国の王室ばかりではありません。十一月四日の国葬(日比谷)
には、韓国の勅使はじめ政府代表者らが多数参列しました。同じ日にソウルの奨忠壇
では、李完用首相の主催で、官民一万人が参列して追悼会がも催され、追悼会は全国
各地に及びました。
一ヵ月後の十一月二十六日には漢城府民会、その翌日は大韓商務局総会、十二月十三日
には永道寺がそれぞれ主催して、追悼式が持たれました。当時、旅順監獄に繋がれていた
安重根の所に面会に行く者はなく、伊藤博文に対しては「東洋の英雄」「朝鮮の大活仏」等
の賛辞が続きました。
そればかりではありません。朝鮮民族の罪科を謝罪するために、全国十三道に呼びかけ、
「渡日謝罪十三道人民代表臨時会議所」を設ける団体も現れました。また一方では、伊藤公
を閔帝廟のように、神として祀る運動やら銅像や頌徳碑を建立する運動も起こりました。
「日韓2000年の真実」名越二荒之助 著
韓国農民の父・岩田平之助
(原始貧農・赤貧だった韓国の農業・農家を近代化したのはだれだったのか!)
日露戦争が終わって間もなくの明治三十九年春、岩田平之助は朝鮮に渡り
開墾事業に取り組んだ。(慶尚北道金泉)二三年後、彼は郷里和歌山からこの
地方の水田の条件に適合した品種の「早生神力」という種籾を持ってきて、自分
の農場に植えたばかりでなく、採種田を作り、その地方一帯の農場や農家に対して
まで広く普及させ、米の品種改良と増産に尽くした。農機具の改良や正条植(等間隔
に整然と苗を植えること)を教え、二毛作による増収もはかった。農民の生活の安定
と向上のために率先乗範すること、実に三十数年に及んだ。やがて「岩田公(アム
ジュンクォン)」と呼ばれ、「農民の父」敬慕されるようになった。
今でも金泉地方には「アムジュンノンメンダー(岩田さんが水田の草を取る)」と
いう言葉が残っている。木片を投げて競う子どもの遊びの中で、最高点になったとき
に喜びを表す時に使われる言葉で、岩田公が田の草を取る時の姿が蒲鉾の背中に似て
いるところから来たものだそうである。昭和五十年頃、長男の岩田健吾氏が彼地を
訪ねたところ、「岩田公の御曹司来る」として大歓迎を受けたという。
「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
(日本図書館協会選定図書)