【絶句】胸文字批判が「右翼、暴力団の嫌がらせ」?渡辺オーナー怒りの警察駆け込みだそうで

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477渡辺恒雄は

あの中曽根康弘氏と昵懇の仲になった頃から讀賣のなかで頭角を現しました

政界入門−現代アメリカの政治技術  渡辺恒雄との共訳 弘文堂 昭和37年(1962
478名無しさん@3周年:02/06/15 13:01 ID:Vh09pV+0
結局のところ、ユニフォーム変更は決まっているんだ?
決める前にそれとなく情報を流して、ファンの反応見てからにすればいいのに。
人気商売なのにね〜。
この球団って、ほんとにファンが何考えているかわかってないんだな。
少なくともナベツネ。自分の孫にでも一言意見聞けばわかることじゃないか。
479名無しさん@3周年:02/06/15 13:02 ID:LfxIDJqI
ナベツネ、はっきりいって経営者としては終わってるよ。
老害そのもの。長島を永久監督とかいって担いでるくせに、
全国区での巨人のブランド価値を意識しできないでやんの。

発想が新聞屋の域を出てないから、日本のプロ野球はダメ
になるんだろうな。こんな奴がいまだ発言力持ってるから
日本経済がだめになるんだよ。

巨人も終わるな(藁


480名無しさん@3周年:02/06/15 13:04 ID:+jd9ILqk
正力松太郎が讀賣新聞を買い取る(1924)
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明治18年(1885)4月11日、富山県の旧家に生まれ、東京帝大に入りますが、
柔道に夢中になり卒業後の進路に困ります。かろうじて官庁として一番下の
クラスになる警視庁に入りここで主として保安関係で活動。特高(特別高等
警察)などにも関わっているようです。
警務部長として関東大震災後の混乱や、共産主義者の活動の弾圧、また米騒動の鎮圧などに関わりま
した。

しかし大正12年(1923)12月27日の虎ノ門事件(難波大助による摂政裕仁親王
−後の昭和天皇−の狙撃事件)を防げなかった責任を取り警察を辞職(事実上
解任)。その直後の大正13年2月25日、東京市長・後藤新平の仲介で、当時
経営危機に陥っていた讀賣新聞を買い取って、社長に就任しました。

このときパニックになったのは記者たち。直前まで警察の幹部をしていた人
が社長になるということで、それに反発して大量の記者が辞職しています。
481名無しさん@3周年:02/06/15 13:08 ID:+jd9ILqk
第3次鳩山一郎内閣
  在任期間:1955年11月22日〜1956年12月23日
北海道開発庁長官 正力松太郎

この頃から渡辺恒雄記者は正力に眼をかけられ、政権に接近頭角を現す。
482名無しさん@3周年:02/06/15 13:12 ID:+jd9ILqk
検察が本気になれば2ちゃんねらーの    は簡単にわかる。
だから、讀賣批判を書き込むのやめておけ

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