■タイムライン最新版 (年号には逆算による推計も含まれる)
1928年頃 少女の祖父生まれる
1945-1965年頃 少女の父親、福岡県遠賀郡に生まれる
1965-1985年頃 少女の父親、高校卒業後家を飛び出す(祖父談)
1985年頃 少女、生まれる
1990年頃 父親と一緒に祖父母の所に遊びに行っている。母親は知らない(祖父談)
1990-1995年頃 母親が離婚の為、不在となる(ていうか ◆16H8/cmo はソース未確認)
小倉北区を中心とした北九州市内を転々としながら生活→この間少女は4つの小中学校に通う
1992年8月 東篠崎1のマンション新築される/所有者は岡山市在住/福岡市の不動産管理会社が管理
1993年頃 保護された9歳と見られる少年が生まれる→北九州市への住民登録なし
1995年7月頃 片野1のマンション3階の2LDK(5階建て)に「中年の男女」と少女が入居
少女が未明に約500m離れた東篠崎1のマンションにタクシーで向かう姿がたびたび目撃される
1996年 東篠崎1のマンションが「桜井」名義で賃貸契約される。
1996年頃 保護された双子の少年たちが生まれる
1996-1997年頃 片野1のマンションに中年男女現る→父娘とあわせ4人での同居生活開始(?)
1997年頃 保護された5歳と見られる少年が生まれる→北九州市への住民登録なし
1997-1998年頃 少女の父親が失踪(?)
1997-1998年頃 少女の中学1年の欠席日数は約40日
1998-1999年頃 少女の中学2年の欠席日数は約60日
1998-2000年頃 中学の担任が家庭訪問→中年女は「おば」と主張→教師に連絡用のポケットベルの番号を教える
1998-1999年頃 片野1のマンションに住民が訪ねる→3、4歳くらいの男の子2人発見→中年女は「託児所をしている」と主張
1999年頃 保護された9歳と見られる少年は小学校に通わず、「教育テレビ」を見て知識を得る
1999-2000年頃 少女の中学3年の欠席日数は約90日
2000-2001年頃 少女が私立高校3-4校を受験・入学手続き終える
2000年頃 中年女、近隣住民に「子供を預かって世話する仕事をしている」と話す
2000年頃 保護された児童たちが暮らしていたと思われる片野1のマンションで異臭などが確認される
2000年-2001年夏 東篠崎1のマンションに小学校の低学年の女児が部屋に出入りしているのが4・5回目撃される
2002年1月頃 中年男女と少女が東篠崎1のマンション9階(片野1のマンションから南西へ約600m)へ転居
2002年2月初め 近くの新聞販売店と株式会社(企画会社)名義で半年間の宅配契約を結ぶ
2002年2月初旬 少女は少なくとも一度祖父の家に脱走。12年ぶりに会う。
2002年2月19日 少女への暴力・つめ剥ぎ強要事件
2002年3月6日早朝 少女が門司区の祖父の家に逃亡→小倉北署に通報
2002年3月6日6時 少女と祖父、小倉北署へ→少女は病院へ
2002年3月7日21時 張り込み中の捜査員が祖父宅で中年男女を発見→任意同行拒否→逮捕
2002年3月7日23時 小倉北署が泉台のアパート(東篠崎1のマンションから西へ約2km)の1DKで男児4人を発見→北九州市児童相談所に一時保護
2002年3月7日 保護された9歳と見られる少年は「夕食は自分でカルビ丼を作って食べた」と話す
2002年3月8日 福岡県警が東篠崎1のマンションを家宅捜索→メモ類を押収
2002年3月9日 中年男女2人を氏名不詳のまま福岡地検小倉支部に送検
2002年3月9日夜 室内の押収物から保護された6歳の双子の身元判明・双子と分かる→県警が実父に連絡
2002年3月10日午前 実父が双子を確認→妻が逮捕された男女に子どもを預けたとみられる→この「妻」は現在行方不明
2002年3月10日 小倉北署が児童保護の事実を発表(発見は木曜日・発表は日曜日)
2002年3月11日 北九州市児童相談所所長が、少女にPTSDの症状がみられることを発表
2002年3月11日夕方 依然、中年男女の黙秘続く→小倉北署は「少女特異監禁等事件」捜査本部を設置
■疑惑の人たち
現在の行方不明者(3人):少女の両親・保護された6歳の双子の母
現在の身元不明者(4人):中年男女・中年男女の子供と見られる9歳と5歳の児童