>>2のつづき
つまり、石原氏は国歌を歌わないばかりか、仕方なく歌う場合には歌詞を
「君が代は(天皇の世は)」ではなく「わがひのもとは(私の日本は)」と
歌詞を変えてしまうというのだ。代表的な右派論客が堂々と天皇をないがしろ
にするような発言をしていることに驚かれる読者もいるかもしれないが、
石原氏がもともと反天皇制的なスタンスを取っていることは一部では知られていた。
今から約50年前、天皇一家の処刑シーンを描いた深沢七郎の小説『風流夢譚』
をめぐって、右翼団体構成員が版元の中央公論社の社長夫人と家政婦を死傷
させる事件が起きているが、事件の直前に石原氏はこの小説について、
こんなコメントを寄せている。
「とても面白かった。皇室は無責任極まるものだし、日本になんの役にも
立たなかった。そういう皇室に対するフラストレーションを我々庶民は持っている」
(「週刊文春」<文藝春秋/1960年12月12日号>)
●国歌斉唱時の起立義務付けをしながら、自分は斉唱拒否
先に紹介した「文學界」インタビューでも、石原氏は戦時中、父親から
「天皇陛下がいるから皇居に向かって頭を下げろ」と言われた際、
「姿も見えないのに遠くからみんなお辞儀する。バカじゃないか、と思ったね」
と語っている。もちろん思想信条は自由だし、最近は反韓反中がメインで
天皇に対しては否定的という右派論客も少なくない。だが、石原氏は都知事時代、
都立高教員に国歌斉唱時の起立を強制し、不起立の教師を次々に処分していた
のではなかったか。また、日本維新の会の共同代表で石原氏のパートナー・
橋下徹氏も大阪府知事だった11年、国歌斉唱時に教職員の起立を義務付けた、
いわゆる「君が代条例」を大阪府で成立させている。一方で国民に愛国心を
強制しながら、自分は平気で「国歌が嫌い」と斉唱を拒否するというのは、
いくらなんでもご都合主義がすぎるのではないか。