花粉症がつらいぞゴラァ!

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4848 ◆ONNNNNNNNY
俺は痴呆公務員勤務歴17年だけど、もう勤労意欲は無いな。

役所辞めて1年後にビル管理会社に就職したけど、

1か月で辞めた。

働かなくても食える環境ってのも、案外、楽では無いけどね?

父親が10人兄弟なんで、親戚がたくさんいるのよ。

親と親戚の援助で食ってる。

まあ、公的機関が大借金して民間人に資産を与えているわけだから、

財源には こと欠かないよ。
4948 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 08:51:23.00 ID:???0
俺が痴呆公務員になったのは昭和58年の4月だった。

当時は、中曽根内閣が国鉄民営化、行政改革をしていた。

当時は、公的機関の赤字経営を是正するのが命題だった。

「収入の範囲内で、公的支出をする」

この秩序を守ることが、幸福の最低条件だと思いこんでいた。

若い俺は、

収入を越えた支出が、全ての不幸の始まりだと確信していた。

試験の作文にもそのような趣旨のことを書いた。

「赤字経営解消のために、縁の下の力持ちになって働きたい」・・・と。
5048 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 08:51:58.95 ID:???0
福祉事務所、病院、電算管理、等の職場を経て、

平成8年に、土木の職場に異動した。

商業高校卒の俺には、ちんぷんかんぷんの仕事内容だった。

加えて、年次改革要望書の影響で公共土木工事が乱発して

津波のような仕事量が現場を襲った。

まあ、将来、子孫がやればいい社会資本整備を

親の世代が前倒しして乱発しているようなものだ。

国の借金を増やして、無駄な仕事をせざるを得ない状況が続いた。
5148 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 08:53:45.00 ID:???0
まあ、大学いってケインズ経済学でも学んでいれば

アホな悩み方をしなくて済んだだけじゃないか・・・

と、今は冷静に思っているが、

当時は、無駄な公共事業の連発と、

公的機関の赤字増大の勢いの凄さに、

精神的、身体的についていけなくなった。

寒さに弱い俺は、冬の日曜日の午後に、家出をした。

病気でも無いのに、明日、仕事に行きたくなくて仕方なかった。
5248 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 08:57:56.20 ID:???0
家出して、一人でゆっくりと

「死ぬべきか、退職だけにしておくか」考えたかったのだ。

・・・10代後半のころ、エスキモーの生態についての本を読んだことがあった。

エスキモーが年老いて、自分で自分の食料を獲得できなくなると、

家を出て凍死するらしい。

そして、アザラシの餌になって、ゆくゆくは、子孫の食料になることを

望むらしいのだ。

若い頃の俺は、こういう死に方もいいな・・・と、心に刻んだ。
5348 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 08:58:58.05 ID:???0
実は、俺には、退職金で家を買いたいという夢があった。

しかし、土木課勤務2年目に父親が、

「モデルハウス見に行こう」と、俺を連れ回した。

花粉症や激務で体力的に消耗していたので、

気晴らしのつもりで、親父についていった。

当時、親父は、民間企業を退職して3年経過していた。

俺と同様、「退職したら家を新築したい」様子だった。
5448 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 09:02:54.75 ID:???0
土木課の直前の職場も忙しかったので、残業が多く、

遊ぶ時間も無かったので、金は相当貯まっていた。

土木課の直前の職場でも、土木課でも、

上司は、俺に家を買うことを勧めた。

正直、俺は仕事と婚活で 手一杯だったが、

父親が頭金を払ってしまったので、

家を新築することにした。
5548 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 09:04:26.51 ID:???0
俺の本音は、借金が嫌いだったので

将来、退職金でキャッシュで新築の建売住宅を買う予定だった。

しかし、「隠居したら新しい家に住みたい」という

父親の気持ちもよくわかったので、

公務員としての信用がある俺が借金をして

家を建て替えることにした。
5648 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 09:15:04.55 ID:???0
土木課では、過去に道路建設用に買収した土地の

境界問題で、「ある粘着質な地権者B」ともめていた。

助役にまで案件が報告されており、

「裁判で対応するから、訴えられるまでは、現場で処理しなくてもよい」

という方針が打ち出されていた。

しかし、俺の前任者は、そのことを俺に引き継ぎしてくれなかった。

なぜかと言うと、大きい問題だったので、主任クラスが対応するべき案件だからだ。

だが、狡猾な「地権者B」は、異動で赴任したばかりの俺に粘着してきた。

引継を受けていない俺は、安易に「検討します」と返事してしまった。

これが、全ての悲劇の始まりだった。
5748 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 09:24:20.95 ID:???0
「地権者B」は、真面目な人間を狙って粘着してきた。

本来は、係長が対応すべき案件なのだが、

係長は「仕事全般、やる気が無い」宣言をしていた。

係長は、仕事量が少なく、負担は俺と課長に集中した。

課長も、他に大量の懸案事項を抱えていたので、細かい作業は俺に集中した。

土木課の3年で、俺は人生のエネルギーを全部使い果たした感じがする。
5848 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 09:25:02.72 ID:???0
仕事が忙しい上に、自分の方針を変えて

短期間に注文住宅を設計したので、

できあがった住宅に住んでみると、「しまった・・」の連続だった。

仕事では、土木課の激務3年の後、比較的楽な課に異動できたが、

心身が衰えた俺は、事務処理能力が半減していた。

普通なら、8時間で処理できる仕事に16時間を費やした

ような気がする。

しかし、超過勤務手当を、申告しなければならない。

俺が少なめに申告すると、上司は「そのまんま書け」と言った。

これが更なるストレスを生んだ。
5948 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 09:27:34.28 ID:???0
最後の職場では、ほとんど毎日16時間勤務していた感じだった。

新築の家での生活は、風呂と寝ると朝飯だけだった。

土曜も日曜も仕事に行った。

仕事が遅い自分に嫌悪感を感じた。

しかも、働けば働くほど、公的債務は増大し、

仕事が遅い自分の給料は増える。

俺は、仕事に行く体力が無くなった。

家出して1年間遊んで死ぬつもりで、300万円下ろして

家出した。
6048 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 09:34:12.81 ID:???0
最後の職場は、天下り外郭団体への出向だった。

土木課のような、土地がらみの嫌らしい案件が無いように見えた。

しかし、赴任して3か月経った時に、

本庁から、土地からみの嫌らしい業務が

移管してきて、俺が担当することになった。

土木課で、土地がらみの仕事にアレルギーになった俺は、

その仕事がつらくて仕方が無かった。

衰弱した俺にとどめを刺したのが、その仕事だった。

また、外郭団体で、「あまり仕事ができない年上女性職員」の

面倒を見なければならなかったことも、追い打ちをかけた。
6148 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 09:37:35.82 ID:???0
当時の小渕総理は、

「俺は世界一の借金王だ」と自嘲していた。

俺は、「冗談じゃねえよ」と思った。

1日1万円使いながら、日本各地の大都市で遊んだ。

重い荷物を持って、1日、1万歩以上、歩いた。

うまいもんを食べた。

自然と、元気が出てきた。

家出して40日目、俺は、池袋駅の地下道を歩いていた。
6248 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 10:36:53.63 ID:???0
それまでの40日間は、

地下鉄のホームに立つと、「電車に飛び込む死に方は最悪だな」

と考えるのが日課だった。

名古屋、大阪、博多、東京の大都市の百貨店巡りをして、

屋上に上って、「飛び降りたら痛いだろうな」

と考えるのも日課だった。

家出して40日目、俺は、池袋駅の地下道を歩いていた。

池袋駅の人の群れを見ているうちに、

「みんな、母親の産道を通ってきたんだなあ・・・」

と思うと、不思議な感覚に襲われた。

俺は、西武百貨店の屋上に上がった。
6348 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 10:38:31.87 ID:???0
西武百貨店の屋上には、小さな遊園地があった。

幼少時に、田舎の百貨店の屋上遊園地に

親に連れられて遊んだらしき曖昧な記憶が蘇った。

遊園地の入り口に、公衆電話があった。

自宅に電話した。

母親が出てきて、苗字が聞こえた。

俺は、ゆっくりと受話器を下ろした。

家に帰ろう。

なんとかなるさ!!
6448 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 10:39:49.00 ID:???0
帰宅を決意してから、1週間は東京で遊んだ。

23時に帰宅すると、家の鍵が、かかっていなかった。

俺は、こっそり自宅に忍び込んで自室に入って寝た。

翌朝、俺は父親に土下座して謝ると、

父親は、中腰で俺を軽く抱いて言った。

「よく、帰ってきてくれたな」

父親は、うれしそうだった。
6548 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 10:40:42.29 ID:???0
父親は、一言だけ言って、朝の日課である

散歩に出かけた。

当時の俺は、あっけにとられた。

今、思い返すと、親父らしい行動だなあ・・・・と思えるが
6648 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 10:41:48.30 ID:???0
金曜の夜に帰宅したので、月曜の朝、

出向先と本庁に出向き、謝罪と、今後についての話をした。

1 辞めるか、死ぬか決めるために家出した。
2 今の自分は給料に見合った働きができない。
3 今後も、給料に見合った働きができそうにないから辞職したい。

という趣旨を伝えて、自己都合退職することにした。

俺の趣旨を一通り聞いた 出向先の天下りのNo2が、

痛切な表情で天井を見上げてつぶやいた。

「純粋すぎる・・・・・」

俺は、自分を理解してくれた気がして嬉しかった。
6748 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 10:43:45.01 ID:???0
家出の期間中は、役所の上司が

俺の家に頻繁に来たらしい。

「なにが原因で家出したのだろう?」

という話になると、

役所は、「父親が強引に家を新築したからでは無いか?」

と父親を責めていたらしい。
6848 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 10:46:55.88 ID:???0
実は、母親の兄弟に子供がいない夫婦がいてね。

子供代わりに、俺をかわいがってくれるんだ。

家を建てた1年後に、「俺名義の総額1000万円の預金証書」

をくれたんだよ。(結婚資金として)

父親は、「借りたことにすればいい」と言ったが、

新築に失敗した俺は、結婚後は別居したかったので、

住居費用として使いたかった。

が、贈与税を払わないといけない。
6948 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 10:47:49.49 ID:???0
母親は2人姉妹だから、正しくは

母親の姉夫婦だね。

姉夫婦は、俺に2回ほど見合いを設定してくれた。

しかし、土木課3年目の俺は体力的に消耗しており、

自分では 「女性と交際ができない程度」という感じだった。

見合い相手と対面しても、

「この人と幸せになる」という自信が湧いてこなかった。

見合いはいずれも、1回対面して俺から断った。

俺は、1000万円は、一旦、返そうと思った。
7048 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 10:49:07.88 ID:???0
母の姉夫婦の家へ行って、

預金証書を返したいと言ったら、

「結婚したら障がい児が生まれることもあるから、

とっておきなさい」と言われた。

しかし、今の体調では、結婚する覇気が無い。

「結婚できそうもありません」とも言えず、

引き下がった。

贈与税の相談もできなかった。
7148 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 10:54:58.03 ID:???0
14年前の話だから、時効なんで、安心して書いています。

ところで、贈与税は、誰が払うべきか?

「贈る、与える」という行為に課税するわけですから、

母の姉が支払うべきものです。

俺が悩むべき性質のものでは無かったのです。

年を取ると、世の中のことがわかってくるから、

人生は面白いのであります。
7248 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 11:05:35.32 ID:???0
>>68
× 新築に失敗した俺は、結婚後は別居したかったので、住居費用として使いたかった。

○ もし、結婚したら、新築した家で親と同居するつもりは無かったので、

   賃貸マンション経費として使いたかった。
7348 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 15:06:57.98 ID:???0
要するに、仕事がつらいから、役所に行きたくない病だった。

加えて、結婚するあても無いので、もらった1000万を使うあても無い。

なのに、贈与税を納めるのはアホらしく感じていた。

「公務員、失格ではないか」

そのうち、若い頃の不摂生で体調を壊しているのだから、

「人間失格ではないか?」

と、自分を追いつめるようになった。
7448 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 15:08:09.56 ID:???0
公務員を辞めることは、自分の頭の中で、ほぼ確定していた。

人間を辞めた方がいいかは、もう少し、ゆっくり考えたいと思った。

なぜなら、貯金が500万円ほどあって、使わずに死ぬのは

惜しいと思ったからだ。

とりあえず、1年、考えよう。

俺は、300万円を下ろして、家を出た。
7548 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 15:09:28.63 ID:???0
俺が家出から帰ったのは平成12年3月17日だった。

4月2日に小渕さんが脳梗塞で倒れた。

俺は非情にも、「これで、国の借金増は抑制される」と思った。

1年後には小泉内閣が誕生し、新規国債30兆以下を約束していた。

その公約は、見事に裏切られた。

小泉内閣は、小渕内閣以上のスピードで、国債を発行した。

俺が公務員になった昭和58年当時は国債残高100兆円程度で、

国中が大騒ぎしていたのに。

「俺の信条は、いったい、何だったんだろう?」

俺は、図書館やネットで財政収支について研究することに没頭した。
7648 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 15:11:01.62 ID:???0
40兆の収入で80兆の支出ということは、

400円払って800円のラーメンを食べて帰る客ということなんだな。

400円しか払わないなら、400円のラーメンを出せばいいわけだ。

800人公務員がいたら、400人が仕事して、

残りの400人は好きなことをやってれば良い。

ってことに強引に持っていきたいわけよ?

まあ、好きなことやってる400人は

当然、無給だけど。

無給で、政治家の決定にとらわれず、

心のおもむくままに行動すればいいと思ってる。

自然と、公務員的な行動しかできない体質なんだよな?
7748 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 15:13:40.67 ID:???0
俺の父親の家系は、バクチ好きで、バクチは何でもやるのだが

競馬をやる人が多い。

20歳代に毎年、300〜400万円競馬で儲かっていたと

豪語するイトコもいる。

俺は、平成13年の5月から8月まで株をやって50万円、損をした。

儲かってないことを察知した父親が、俺を無理矢理

競艇へ連れていった。

母親も大反対したが、「父親が、盆と正月の2日だけ」

と言うので、仕方なく競艇へ行った。
7848 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 15:14:44.29 ID:???0
競艇に行ったら、親父が2万円儲かった。

親父は、儲かった2万円を車代として俺にくれた。

よくわからんのだが、

その月は、3回程度、親父と競艇に行った。

翌月からは、自分だけで競艇に行くようになった。

その時、9,11テロが起こった。

放置していた株が、暴落した。

別に、株の負け分を取り返すという意識も無かったが、

俺は、競艇にのめりこんでいった。
7948 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 15:24:12.65 ID:???0
競艇にのめりこみながらも、ヒマな時は、書店や図書館で
「日本が巨額財政赤字になった理由」を丹念に調べました。

そこで、斎藤一人さん(高額納税番付常連者)の著書に出会いました。

その人は、「税金をたくさん納めるゲーム」をしながら商売する
考え方を紹介していました。

僕は、これだ!!っと、深い感銘を受けました。

この考え方を若い人たちに2ちゃんねるで広めよう・・・と。

という訳で、2年くらい前から、斎藤一人さんの著書を
人生相談板で紹介しています。

自分が、人に本を勧めることで、自分も本のとおり
実践できるのではないか?という期待もありました。
8048 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 15:25:16.36 ID:???0
で、本を他人に奨めていながら、自分は実践していないのですが、
最近、理由がわかりました。

僕は、商人ではなく、公務をしたい人間だったのです。
産業構造が変化し、商人が過半数を占める時代の民主主義は、
どうしても、商人の意見が通り易くなります。

そのため、公務員は、商人の性質を研究する必要があるのです。
8148 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 18:51:23.26 ID:???0
俺は、高校生のころから酷い花粉症だった。

まあ、高校時代は花粉症と知らず、

風邪を引きやすい虚弱体質だと思っていた。

25歳くらいで花粉症と診断され、薬を飲みつづけた。

家を新築した頃は、爪が水虫になって、

薬を飲んでいた。
8248 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 18:54:03.46 ID:???0
まあ、職場の年長者からは「お前は鍛え方が足らん」と

よく言われた。

再就職に失敗して1か月で辞めた時は、

父親と精神科へ行った。

「感情障害」と診断された。

医者は、役所の仕事による影響だと言ってた。
8348 ◆ONNNNNNNNY :2012/10/04(木) 18:54:54.52 ID:???0
家を建てたのが33歳

役所辞めたのが35歳

今年で48歳

役所を辞めずに家を買わずに65歳まで働いて、

家を買って平均寿命79歳まで生きると仮定すれば

新居で14年遊んで暮らすことになります。

俺は35歳から遊んで暮らしてるから、

49歳まで生きれば、あとはオマケの人生です。