>>47 辞書での定義はそうかもしれないけど実際には普通の人々はこの語には強い公共性や奉仕のニュアンスを感じるはずだから高樹さんはちょっと迂闊だったかもよ。
募集主である自分を公けと同等に任じているように受け取られ、奉仕されて当然と考えているように思える。
「賛同者」とか「協力者」とかの対等なニュアンスや遜ったくらいがちょうど良かったのかも。
また、例えば有名人でもなんでもない私人が同じような募集を掛けたとしてもここまでの苛烈な反応は起こらなかったかもしれない。高樹さんの真意は知らないが“思い上がった芸能人”のように読めてしまったわけだ。
高樹さんがこの事業に或る種の公共性を感じて(信じて)いたとしても、自分が主体のように振る舞うのではなく媒介者のように振る舞えば良かったのかもしれない。主体はそのエコとかロハスとかの理念という立場で。
もうひとつ加えるなら、エコとかロハスとかの事は世間一般に発信しつつ、しかしこういう募集は或る意味で“言葉の通じ合う”仲間ないしそれに準ずる人たちだけに発信するべき内容だったようにも思わないでもない…。