1 :
半人前記者@テケテケ ◆GPqscAaRts :
2 :
半人前記者@テケテケ:2006/12/10(日) 11:18:07 ID:3tOgoXNn
群馬(笑)
4 :
私事ですが名無しです:2006/12/12(火) 17:45:30 ID:selVhwKW
age
“塀の中でも一人がいい”受刑者「懲罰」が倍増
受刑者の増加で刑務所などの矯正施設の収容能力が追いつかない過剰収容問題が深刻化する中、
雑居房の受刑者がトラブルを起こし独居房に入れられる「懲罰」の対象者数が、
平成六−十六年の十年間で約二倍に膨れ上がっていることが十八日、わかった。
ストレスがたまる雑居房に嫌気がさし、「罰を受けてでも独居房へ」と願う受刑者の増加が主因といい、各刑務所は対応に苦慮している。
高度経済成長期以降の核家族化で、自分の部屋がある暮らしに慣れた受刑者が多くなったことが背景にあるとみられ、
“塀の中”の現代人気質を如実に反映している。
法務省矯正局によると、全国の刑務所の平均収容率は十二年に初めて100%を突破し、その後も増加傾向にある。
これに比例して懲罰事例も増加し、十六年の受罰者数は全受刑者の約73%にあたる四万七千六百四十七人で、
六年の受罰人員(二万二千百二人)の約二・二倍となっている。
中でも、プライバシーが希薄な雑居房から逃れるための「故意の規則違反」とみられる懲罰事例が年々増加。
大阪矯正管区管内(刑務所、拘置所など十二施設)の十六年の懲罰事例件数は約一万千五百件で、十二年の二倍近くに達している。
このうち大阪刑務所(大阪府堺市)では、雑居房逃れの手法として「就業拒否」の事例が急増。
十五年の九百六十四件に対し、翌十六年は一・六倍の千五百五十五件と過去最高に達した。
今年も前年を上回るペースで増えており、なかには「独居房に移してくれないなら作業場へ出ない」と泣きつく受刑者も。
このほか、雑居房から看守を大声で呼びとめ、扉を激しくたたくなどしてわざと「規律違反」を犯すケースもあるという。
大阪刑務所では、受刑者から「寝てるときに足を踏まれた」「静かに本が読めない」
「プライバシーが守られない」といった“苦情”が多く寄せられているといい、
こうした不満が雑居房逃れを増幅させる要因となっているようだ。
一方、刑務所内での暴力事件なども増加しており、大阪刑務所の幹部職員は「収容者の増加に職員の数が追いつかず、
緊張感が高まっている」と不安をにじませる。
土本武司・白鴎大法科大学院教授(刑事法)の話
「懲罰は違反行為に一定の歯止めをかけるためのもので、それさえも利用されるとなれば、
懲役刑のあり方を根本から覆すもので由々しき問題だ。ここまできたかという感がある。
人権意識の高まりなど受刑者の気質の変化がそうした態度を取らせているのかもしれない。
こうしたわがままを許してはならず、刑務所当局としては大きな課題を背負ったといえる」
≪過剰収容 年々深刻に≫
刑務所の過剰収容問題は、近年の起訴人数の増加や刑期の長期化傾向などとあいまって、年々深刻化している。
法務省矯正局などによると、全国で六十七カ所ある刑務所(少年刑務所を含む)の平均収容率は、
平成七年の79%に対して十六年は118%に達し、理想的といわれる「80%程度」にはほど遠い。
各刑務所は定員六人の雑居房を八人部屋にしたり、独居房に二段ベッドを入れ二人部屋にするなどして対応している。
十六年版の犯罪白書は「刑務所の収容状態は過去三十−四十年間で最も厳しい状況」と指摘し、体制整備の必要性を強調している。
受刑者は、病気など特別な事情があるケースを除いて原則的には雑居房に入るが、
トラブルや規律違反を犯すなど共同生活に不適格とみなされた場合は独居房に移される。
本来的には懲罰的な意味合いが込められるが、増加する「雑居房逃れ」は、あえて孤独を望む傾向が強まっていることを示している。
[産経新聞(8月18日)より引用]
もし、この中の誰かに、うかつに声をかけでもしようものなら、
ぼくと周囲の関係は、たちまち濡れた障子紙のように、ぼそりと毟り取られてしまうにちがいない。
ぼくは、人垣の中心に引き据えられ、なんの斟酌も加えず、覆面の異形を問いつめられることになるだろう。
駅前通りを端から端まで、六回以上も往復し、その間ぼくは、終始警告されつづけだったのである。
いや、思いすごしなどではない。あれほどの混雑だったにもかかわらず、ぼくの行く先だけは、
いつもぽっかり疫病地帯のように隙間を空け、肩が触れ合うことさえ、一度もなかった始末なのだから。
まるで監獄の中だと思ったりした。
監獄の中では、重苦しくせまってくる壁も、鉄格子も、
すべて研ぎすまされた鏡になって、自分自身をうつしだすにちがいない。
いかなる瞬間にも、自分から逃げ出せないというのが、幽閉の苦しみなのである。
ぼくも、自分自身という袋の中に、厳重に閉じ込められて、さんざんもがきまわっていたものだ。
焦りが苛立ちに変り、苛立ちがさらに暗い怒りに変り、
それからふと、デパートの大食堂に行ってみたらと思いついていた。
そろそろ時間だったし、空腹のせいもあったかもしれない。
だが、この思いつきには、はるかに挑戦的な意味がこめられていたのである。
追いつめられた者の直観で、閉じ込められていた袋のほころびを、ぼくはまんまと探り当てていたのだった。
雨は降っていなかったが、粒子の荒い霧にさえぎられて、道路をへだてた商店街の裏は、黒々とした森のように見えた。
空は微かに色づき、やはり霧のせいだろう、いくぶん赤味をおび、いつもよりは紫がかって感じられた。
窓を開けはなって、潮風のようにねばつく空気を胸いっぱいに吸い込むと、
他人の眼のことなど少しも気にする必要のない、この隠者のための時は、
まるで自分だけのために用意された、素晴らしい特別席のように思われたものである。
……そう、この霧のなかにこそ、おそらく人間存在のありのままの姿が示されているのではあるまいか。
素顔も、仮面も、蛭の巣も、そうしたあらゆる仮の装いは、すべて放射線を当てられたように透きとおってしまい……
実体と本質だけが、なんの虚飾も残さずに洗い出されて……
人の魂は皮をむいた桃のように、直接舌で味わうことの出来るものになる。
むろんそのためには、孤独という代価を支払わねばなるまい。だが、それだって構いはしないではないか。
顔を持った連中が、ぼくより孤独でないなどという保証は何処にもないのだ。
面の皮にどんな看板を下げていようとその中身は、いずれ難破船の漂流者と選ぶところはないはずである。
それに、孤独というやつは、逃れようとするから、地獄なのであり、すすんで求める者には、むしろ隠者の倖せであるらしい。
よろしい、それではぼくも、めそめそ悲劇の主人公面するのはよしにして、一つ隠者志願でもしてやるとしようか。
せっかく顔におされた孤独の刻印なのだから、これを有利に使わないという法はあるまい。
さいわいぼくには、高分子化学という神があり、レオロジーという祈りの言葉があり、研究所という僧院があり、
孤独によって日々の作業をさまたげられたりする気遣いはまるでない。
それどころか、これまで以上に、単純で、正確で、平和で、しかも充実した毎日が保証されるのではあるまいか。
エボラでゴリラが大量死 コンゴの自然保護区で (共同通信)
エボラウイルスの流行が繰り返し起こっているアフリカ中部コンゴ共和国の自然保護区で、
2002年から05年の間にゴリラ約5500頭がエボラ感染で大量死したとの推計を、
隣国ガボンと欧州の研究グループが8日付の米科学誌サイエンスに発表した。
グループによると、ガボンやコンゴでは、人間のエボラ感染が頻繁に発生、
流行地付近の森で、ゴリラやチンパンジーの死体が多く確認される。
グループは、ガボン国境に近いロッシ自然保護区で、群れやねぐらの数などを調査。
人の感染が確認された直後の02年から05年にかけてゴリラが大量死する地域が急速に拡大し、
保護区西側の約2700平方キロの調査区では、ねぐらの発見率が、影響の少ない東側より96%も低いことを突き止めた。
これらの結果からグループは、調査区内に生息していた6000頭のうち少なくとも5500頭が死んだと推定。
チンパンジーの減少率も約83%に達していた。
グループは「密猟とともに、エボラがゴリラの生存にとって大きな脅威だ」と指摘している。
ゴリラやチンパンジーなどの大型類人猿は、密猟、内戦の影響などで個体数が急減。
国連環境計画(UNEP)などが各国に保護対策強化を求めている。
[2006年12月8日6時31分]
一九九六年、モブツ政権時代のザイール(現コンゴ民主共和国)にある内陸の小さな町キクウィトに入り、
エボラ出血熱の取材をしたとき、私はそれを痛感した。
ウイルスに感染後、高熱の末、体中から血を噴き出し、当時流行った小説『アウトブレイク』
(ロビン・クック著、邦訳は早川書房刊)の表現を借りれば「まるで爆発するように」死んでいく患者たち。
血液に触れただけでうつる感染力、七割という致死率の高さから、エボラ・ウイルスの恐怖は九五年の発生当時、世界中に広がった。
もちろん、世界中と言っても欧米を中心とする先進世界での話にすぎない。
米国では発生直後にエボラ・ウイルスをあつかった小説『アウトブレイク』が飛ぶように売れ、
ダスティン・ホフマン主演で映画にもなった。
私もそんな俗っぽさに突き動かされ、現地に行った。
これなら否が応でも新聞に載せてくれるという思いもあった。
「エボラ出血熱から一年、村はどうなったか」という企画記事が狙いだった。
発生以来、外国人が訪れるのもまれになった町キクウィトに行くと、
地元の医師や高校の校長が頼みもしないのに私のもとに次々と集まってきた。
町には電気がないため、血液を保存できない。
にもかかわらず、首都キンシャサから来ている医師たちは定期的に元感染者の血を採取していた。
援助してくれそうな外国の研究所に対する一種のデモンストレーションなのだ。
そして、この国に何千もある町の中で再びここでエボラが発生し、
一時的だが、外国人が詰めかけることを、彼らはどこか心待ちにしているようにも見えた。
村人の間の発生経路を細かく調べ上げた校長、キバリ・ヌサンガさん(当時四十一歳)は、
私に数百枚の原稿を持ち込み、「エボラの実態」という本にできないかと持ちかけてきた。
確かに村の誰々が誰々と接触し、と発生当初の事実関係は貴重な資料と思えた。
しかし、校長は彼の調査の一部始終を世界保健機関(WHO)の職員に手渡しており重要な部分の大半がすでに表に出てしまっている。
「このオリジナル原稿をあなたに託すから、キンシャサかヨハネスブルクに行って本にしてくれないか。
手付金を置いていってくれればいいから」
当時は援助金の大半を懐に入れる独裁者、モブツ大統領の時代である。
まさに貧困の極みといった都市キンシャサで本を刷ることなどできるのか、と思ったが、校長は切羽詰まった感じで私に食い下がる。
「エボラのことはまだ誰も本にしていない。絶対に売れる。売り上げはあなたと私で折半にしてもいいから……。
これが世界初の本になるんだ。意義のあることなんだ。頼むよ」
本当のことを言わない方がいいのかもしれない。
過去一年、学校のことなどそこそこに、エボラについて一人で調べてきた彼の熱意に水をさすことになる。
それでも、相手の反応を見ながら私は切り出した。
「でも、エボラの話については、ローリー・ギャレットという医療専門のジャーナリストが『カミング・プレイグ』
(邦訳は河出書房新社刊)という本で、詳しく書いている。その関連本もかなり出ているし……」
「それは、いつ出たんだ」
「最近、そう、去年じゃないかな。それに『アウトブレイク』もあるし」
「え?『アウトブレイク』?」
彼はこのベストセラー本のことを何一つ知らなかった。
「米国の小説で、世界中で何百万部も売れたんだ。映画にもなったし」
「そんな馬鹿な。そんなことが……」
「本当に知らなかったのか」
「まったく、知らなかった」
「エボラ発生」の大号令と共に、感染症を専門とする米アトランタやジュネーブの研究者、
世界中のジャーナリストがこの町、キクウィトに集まった。
独自情報、インターネットによる伝聞などで、何万、何十万というエボラ情報が世界を駆けめぐった。
宇宙服のような防疫服に身をかためた研究者の心理、恐怖、現場で取材するジャーナリストの苦労話といった些末なことまでが、
先進世界のお茶の間に届けられながら、発生源のこの町に暮らす「エボラのエキスパート」の耳に、情報はまったく還元されない。
それがアフリカなのだ。
爺さんはあれで、自分の心から出た生活をやっている……そして自分だけの目でものを見ている。
ある時おれが――爺さん! 人間はなんのために生きてるんだね?ってきいてみたら……
(努めてルカの声で語ろうとして、その身振りをまねながら。)
そりゃお前さん――人間はよりよき者のために生きてるのさ!
まあ早い話がさ、ここに指物師がいるとして、
それがみんな――ちりあくたのような人間だ……ところが、その中から一人の指物師が生まれる……
それまでにだれも見たこともないような、すばらしい指物師が生まれる。
それはもう、どんな指物師にも立ちまさって、ほかに肩を並べるものはないくらいだ。
それが指物仕事に独特の新しい型を教える……と、指物仕事が一度に二十年くらいの進歩をする……
ほかのことだってみんなこれとおんなじさ……錠前屋だって……
靴屋だって、そのほかの職人だって……百姓だって……
また、だんな衆にしてからが――みんなよりよきもののために生きているのだ!
人間はだれでも、自分のために生きているように考えているが、
実は、よりよきもののために生きていることになるのだよ!
まあ百年か……ひょっとするとそれ以上も、人間はみんな、よりよき人間のために生きてるんだよ!
生きている者はお前さん、みんな、よりよきもののために生きてるんだよ!
だからこそ、どんな人間でも、尊敬しなけりゃならんのさ……
だって、それがどういう人間で、なんのために生まれて来て、何をしでかすことができるか、
それは、わしらにはわかってないんだからね……
ひょっとするとその人は、わしらを幸福にするために生まれて来たのかも知れないし……
また、わしらに大変な利益を与えるために生まれて来たのかも、知れないからね!……
とりわけ、子供というものは、尊敬しなくちゃならん……
小さい子供はな!
小さい子供たちには――ひろびろとした自由というものが必要だ!
お互いに、子供の生きる邪魔をしてはならん……子供は尊敬しなくちゃならん!
うん、なるほど……よりよきもののためか?
この話あおれに……おいらの一家のことを思い出させるよ……
古い家柄でね……エカテリーナ時代からの……貴族だ……武士だよ!……もとはフランスから来たもので……
ロシヤの朝廷に仕えて、しだいに出世したのだがね……
ニコライ一世の時代に、おれの祖父のグスタフ・デビーリが……ずっと高い地位にのぼった……
金はあるし、何百という農奴はいるし……馬もいりゃ……料理人もいたし……
大企業の社員は日本社会のなかでは羨望の的です
高給やボーナスをもらい、退職手当も充分に出ます
問題はこのようなしくみを支えなければならないのが中小企業であるということです
大企業の景気がいいときには中小企業は契約の増加といった形でその恩恵を受けます
けれども、景気が悪化すれば契約はなくなってしまう
下請会社の生死を握るのは大企業で、大企業の善意に頼らざるをえません
けれども、善意だけで取引ができるというものではありません
下請会社がこんな状況であれば、ヤマの人間の状況はなおさら悪い
社会保障制度が必要です
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私事ですが名無しです: