メトロスオンラインおもすれー

このエントリーをはてなブックマークに追加
1私事ですが名無しです
無料だしやろうぜおまえら!

http://www.meteosonline.jp/index.php
2私事ですが名無しです:2006/11/23(木) 19:51:42 ID:???
糞スレ一番乗り
3私事ですが名無しです:2006/11/23(木) 19:58:48 ID:???
>メトロス


>>1
やっぱvipperって低学歴なんだな
4私事ですが名無しです:2006/11/26(日) 02:43:38 ID:???

貧困者が目立たない理由は他にもある。多くの人たちが拘禁されているのである。合衆国は、自由への
強い愛着を絶えず公言する一方で、攻撃的なまでに拘禁が多いという奇妙なパラドックスを示す社会で
ある。世界のどの国よりも、刑務所に収監されている人間の率が高い。そして、そのうちの圧倒的多数
が貧困者、黒人であることはよく知られている。
 重犯罪は公民権を剥奪されるので、合衆国には犯罪歴のために投票資格を失った者が一七五万人いる。
一四〇万人の黒人男性が選挙権を喪失しているが、これは黒人男性人口の約一五パーセントにあたる。
 一九八〇年から一九九六年の間に、合衆国の刑務所収容者は一三三万人から一六三万九四〇人へと増
加した。その後も増加を続け、現在では二〇〇万人以上になっている。この間に、刑務所関連の支出は
四〇億ドルから四〇〇億ドルへと上昇した。司法当局の門を一度でもくぐったことのある者を含めると、
およそ四〇〇万人が司法制度に関与している。
 刑務所制度の民営化とともに、刑罰は経済成長の大きな源泉となってきている。貧困者を尊敬すべき
市民の目から隠すのに、これよりも効果的な方法があるだろうか。もちろん、これは目新しいことでは
ない。イギリスの救貧法を学んだことのある人間ならすぐ気づくだろうが、一九世紀の救貧院への拘禁
は、頑固で強情な貧民に、所有者階級の打ち出した価値に従うことを強制しようとしたものだった。
5私事ですが名無しです:2006/11/26(日) 02:47:07 ID:???

 一九八二年以後の一五年間に、ニューヨーク州だけでも五〇の刑務所が新たに建設され、これに五〇
億ドルが費やされた。黒人が刑務所に入る確率は白人の八倍も高い。一九九七年の物価で、監房一つ作
るのに一五万ドル近くかかる。囚人一人の維持費は年五万ドルである。それでもなお、ニューヨークで
は、釈放された囚人の四七パーセントが一年以内に再び犯罪を起こしている。
 イギリスは、ここまで収監者は多くない。ただ、二〇〇三年二月に、収監された人口の比率が、EU
の中でポルトガルを追い越したという点で人目を引いた。
 統計の中に埋もれている貧困には、もう一つの秘密がある。犯罪は、別の社会的役割を担っている。
それは、社会的公正の民営化を代表しているのである。事態の改善のために集団で行動するやり方は、
社会主義の死の公式な宣言にともなって力を失い、それに代わって個人での活動が活発化してきた。犯
罪は、社会的に生み出された不正に対する個人の対応である。それは主流となっている価値の戯画化
(犯罪者もまた、自分たちの活動に大きな冒険心と創意とを示す)であると同時に、グローバルになっ
た資本主義の中心で、英雄的個人主義を賛美することを意味する。
6私事ですが名無しです

貧困は、どんな場合でも、社会的公正と容易に切り離すことはできない。才能をもった人間が報いられ
る「実力主義」の社会について語るのはいいが、それが取り残された人々、サッカー選手なみの賃金や
多大な報酬を期待できるだけの才能がない人たちにもたらす結果は悲惨である。実力で成功した人たち
が取り残された人たちに示す「同情」は、彼らを満足させることはないだろう。
 アメリカの社会学者リチャード・セネットは、機会と同情との結びつきは不幸な結婚だと語っている。
フランクリン・デラノ・ルーズベルトのニューディール政策以来、アメリカ政府は有能な貧困者に教育
と仕事を与えようと努めてきた。実力に報いようという情熱は、ドライなレーガン大統領時代にさえ維
持されてきた。この戦略はおおむね成功してきた。才能ある若者でいい仕事や奨学金をもらえない人間
はほとんどいない。福祉国家は黒人のプチ・ブルを生み出す手助けをしてきた。
「だが、この『エリート優遇戦略』により、持てる者と持たざる者との間のギャップは広がるばかりだ
った。 社会学者〔クリストファー・ジェンクス〕が『普通の恵まれない人々』と呼ぶ人々は、過去四〇年の間
に生活水準を下げてきた。社会的流動性を重視したことが、これら取り残された人たちへの温情ある配
慮を弱めてきた」。
 合衆国とイギリスの生活から貧困者が(象徴的な数字上は別として)「消失」したのは、おそらく、
こうした動きのためだった。