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私事ですが名無しです:
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( 二二つ / と)
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オーイ オーイ ガンバレ〜
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ヽ(´ー`)ノ < ぜっとたけぜっとたけ!
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ぜっとたけ〜〜! >ヽ(´ー`)ノ (___) \______________
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{ :::(__..:: | うわー面白いなぁ
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9 :
私事ですが名無しです:2006/11/20(月) 05:30:04 ID:LGW01xaW BE:239670353-2BP(143)
カタワにしてやるのさ〜
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(っ ≡つ=つ
/ ) ババババ
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|=(へ)=(へ)=| うわ〜今日も盛り上がってるなぁ〜
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. |=(へ)=(へ)=| うひょぉお〜!
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. ( )シュボボボッ
. V
さて、日本の直面していた三つめの問題にもどりましょう。第三の問題は、辛亥革命後
の中国(正式名称は中華民国)に対する日本政府の関係のとり方であり、北京の袁世凱を支持
するのか、一九一三年七月の第二革命で袁打倒を図った孫文など、南方の革命勢力を支持
するのか、という問題でした。中国の南北分立状況に対しては、日本が満洲権益を守るた
めに中国の分裂を策しているとの、列強からの批判を避けるためにも、政府はおおむね中
立の立場をとることで合意していました。第二革命失敗後の南北分裂状態の中国に対して
は、英仏独米露日六ヵ国が圧力をかけ、上海で南北講和会議を開かせ、列国は同年十月中
華民国を承認することになりました(アメリカは五月)。
しかしこのような政府の態度に対して、元老山県などは不満でした。一四年八月の意見
書「対支政策意見書」では、日本政府の、この両論併記的な中立の態度が「袁世凱否な中
華民国に対して信を破る」ものであると批判し、袁世凱に財政援助を通じた支持を与える
べきであるといっています。山県がここで批判していたのは、第二次西園寺内閣から第二
次大隈内閣までの対中国政策でした。さらに、このような南北両論併記の態度は政府の内
部はもちろん、民間団体からも激しい批判を浴びることになります。
第一次世界大戦の第一報を聞くまでの日本においては、以上のように、予算をめぐる各
政治集団間の競合、満洲の特殊権益の守り方、中国への対応という三つの懸案がありまし
た。このように、社会には深い亀裂をかかえ、国家の前には三つの重要な問題があるとい
う状況が、大戦前の日本の様相であったといえるでしょう。ですから、第一次世界大戦へ
の参戦は、これらの諸懸案と結びつけて論じられることになります。
一九〇五(明治三十八)年九月五日、小村寿太郎とウィッテとのあいだに調印された日露講
和条約の内容は、次の五点でした。@韓国における日本の政治的、軍事的、経済的優越の
承認、A日露両軍の満洲からの撤兵、B旅順口・大連と、その付近の領土および領水の租
借権、長春―旅順口間の東清鉄道支線の日本への譲渡、C北緯五〇度以南の樺太の日本へ
の譲渡、D日本海・オホーツク海・ベーリング海など、ロシア沿岸漁業権の日本への許与。
講和会議の開催される前から、当時の新聞などは、賠償金三〇億円を要求すべきだと書
きたててきましたので、当時の社会が、賠償金を含まない条約案に大きな失望を感じたの
は、確かなことでした。
しかし、日露戦争を参謀総長の地位で戦った山県有朋は、開戦七ヵ月後、バイカル湖周
辺の工事を完成させて全線完通したあとのシベリア鉄道による、ロシア軍の着々たる兵員
輸送能力と、それに比した場合の日本側の兵員不足を、最もよく知る位置にいました。で
すから山県は講和の内容、とくに、韓国に対して国防・財政の実権を日本側が握り、外交
を日本の監督下に置けるようになったことを、「近来の一大成功にして当局者の苦心は想
察するに余りあり」と「戦後経営意見書」で述べて、満足の意を表していました。ここに
は、ロシア全土に致命傷を与えられなかった戦争の講和としては、今回の講和は「外交の
成功」というべきものだとの判断がみられます。この項の見出しに書いた山県の憂鬱と
は、講和に対する不満からくる憂鬱ではなく、今後の日本の状況についての山県の予想
が、憂慮に満ちたものであったという意味です。
日露戦争は、一八七一年にプロイセンがフランスに勝利した普仏戦争のときのような甚
大なる打撃をロシアに与えるでもなく、はたまた六六年に、プロイセンがオーストリアに
勝利したときのような、戦後の友好関係を確信させる良好な関係で終わったわけでもあり
ませんでした。このような場合、相手方は早晩、復讐戦争に打って出ると山県はみており、
ロシアの復讐戦にどうやって備えたらよいのかという問題に、頭を悩ませていました。
さらに山県は、それでも日露戦争の時点では、たしかに存在した「国家の元気」という
ものが、今後は続かなくなるであろうと悲観しています。――今回の戦争で、日本側は現
役兵だけでは到底足りずに、その欠員を、軍隊生活から遠ざかって市井の職業にもどって
いた予後備の兵士たちを動員して埋めた。しかし、正直なところ、当初は期待していなか
ったこの予後備兵のなかには、現役兵に勝るとも劣らない活躍をしたものが少なくなかっ
た。これは日露戦争までの日本には未だ「維新中興の偉業によりて養成せられたる国家の
元気」があったからである――。山県はこう総括していました。山県の憂慮の核心には、
ロシアの復讐戦に備えなければならない大変な時代を、「国家の元気」をもはや期待する
ことができない状況で迎えなければならないという見通しがありました。
軍の最高権力者として戦争を指導した山県は、辛勝だったとはいえ日露戦争に勝利をも
たらしてくれたものを「国家の元気」と表現しましたが、同じく戦争を戦い、戦争に耐え
た国民は、何を考えていたのでしょうか。バルチック艦隊に勝利した連合艦隊をこしら
え、約九四万人の将兵を出征させ、日本海や南満洲を戦場として戦うことのできる軍事力
を日本がもてたのは、納税と兵役の義務を積極的に担った国民の奮闘のたまものであった
と、国民が感じていたのはいうまでもありませんでした。戦争の期間を通じて、「国民の元
気」が十分に発揮されることによって戦争に勝っているのだという感覚は、満洲の戦場で
はなく、そこから遠く離れた日本国内で、しだいに国民のあいだに蓄積されていくように
なります。国民の主体的な感覚が醸成されたと考えられる場所の一つとして、戦争中、頻
繁に開かれていた祝捷会に注目してみましょう。
たとえば、東京市においては、個々の戦勝のたびごとに市内各地で祝捷会が開かれ、提
灯行列・旗行列・花火・剣術試合などが催されました。各地の商業組合・学校・会社・地
域団体などが参加し、さまざまな開催団体の寄付による、ふんだんな食べ物も準備されて
いました。人々は行列に参加したり、見物に加わったりすることで、戦争中の数少ない娯
楽とし、一方ではお祭り気分のなかとはいえ、戦争にかかわっているという、みずからの
主体性を確認していたと思われます。
さらに、祭りのような興奮をもたらしてくれる祝捷会のほかに、非常特別税の重加、恤
兵救護費の徴収、地域で目標額が競われた義捐金の募集、国庫債券への応募など、日々の
生活のなかで、国民が戦費負担をしていることを実感する材料には事欠きませんでした。
講和条約において賠償金が獲得できなかったことがわかると、九月五日、日比谷焼打事件
が起こります。これは、戦争で疲弊した都市下層民の不満が、賠償なしの講和の報によっ
て爆発したものと、これまで解釈されてきました。
しかし、別の見方もできます。日露戦争の前年に開園されていた日比谷公園という場所
は、たとえば東京近郊の人々にとって、日常的な祝捷会の場所としてすでに馴染み深いも
のであったと思われます。そうであれば、自分たちがこれまで主体的に戦争にかかわって
得た成果を、政府と全権委員が台無しにしたことに対して、国民が呆然とした感覚を味わ
い、「国民の元気」で勝てた戦争はいったいどこへ行ってしまったのか、と失望感に襲われ
たために起こしたとみることもできるでしょう。
千葉県平郡平郡村(現安房郡富山村)出身で、自由党系の代議士であった加藤淳造が記した
「日露講和反対建言書」は、このような失望感をよく表すものです。戦争に勝てたのは
「大元帥陛下の御威稜」と「皇軍の精鋭」と「国民後援の功」の三つのおかげなのに、「閣
臣と全権委員」が「深く之を顧みず遂に屈辱不当」の講和を結んでしまった、と慷慨して
います。政府や講和委員は、「戦死者に対し、又遺族者に対し、而て又五千万臣民に対し、
何等の顔を以て接せんとする乎」とつめより、彼らの無分別によって戦功が外交交渉の場
で「滅却」されてしまい、五〇〇〇万同胞は巨億の戦費に苦しむことになってしまったの
だと憤慨していたのです。
日露戦後の社会は大きく変容したといわれてきましたが、そうした変化の根本には、端
的にいわば、維新以来の「国家の元気」がもう日本には期待できなくなったという政府の
側の喪失感と、「国民の元気」による戦勝を政府が踏みにじったという国民の側の失望感
が、広く深く社会に根ざしたことがありました。
これまで、日露戦後の社会の亀裂について述べてきましたが、日露戦争から辛亥革命(一
九一一年に勃発し、清朝を倒した中国の革命。翌年一月、孫文が臨時大総統に就任し、中華民国が成立。し
かし革命勢力の基盤は弱く、まもなく清朝の開明的軍人政治家であった袁世凱が初代大総統となった)を
経て第一世界大戦にいたる時期において、日本の直面していた問題が何であったのかを次
にみてゆきましょう。それは三点にまとめられます。
第一には、膨大な戦費負担のために、急速に苦しくなった国家予算をめぐって、各政治
集団間の競争が激しくなったことです。官僚閥・政党・軍閥などが、それぞれの思い描
く、あるべき帝国日本のイメージをめぐって対立するようになります。陸軍と海軍のあい
だでは、次の戦争のイメージを想定して自己に有利な予算を獲得しようとしての競争が生
じました。
こうした競合状態のなかで、原敬に率いられた政友会のほかに、もう一つの政党が生ま
れてきます。桂太郎が準備し、一九一三(大正ニ)年十二月、桂の死後まもなく発足した立
憲同志会です。辛亥革命という緊張した事態に直面した桂は、これまでの部分的な政治勢
力の利害を代表するような従来の政党ではだめで、帝国の有力者を網羅することによっ
て、国民諸勢力を結集して、主に対外関係の抜本的解決をめざそうと考えていました。こ
の同志会には、日比谷焼打事件などに関係した、都市民衆運動のリーダーたちも参加し
ていました。
第二には、戦争の結果獲得された、大陸進出への足場となる特殊権益を、どのような方
策で守っていったらよいかという問題が浮上しました。日露講和条約で日本が獲得した関
東州租借地は、一八九八年にロシアが清国から二十五年の期限で獲得した租借権を譲渡さ
れたものでした。そのため予定では、一九ニ三(大正十二)年に中国に対して返還されなけ
ればならず、満洲における日本の権益をどう維持するかという問題が出てきたのです。南
満州鉄道の使用期限については、一九四〇年が予定されていました。
旅順口・大連を含む関東州の租借によって、日本は黄海への制海権を保持し、大陸国家
としての布石を打つことができたのですから、将来的に関東州を返還するのは非常に困難
だと理解されていました。事実、第二次桂内閣は一九〇八(明治四十一)年九月二十五日の閣
議で対外政策方針を議し、満洲の現状を永遠に持続させるとの方針を決定しています。
これに応ずるように山県は、翌年の意見書「第二対清政策」で、租借期限が満了したら
清国は返還を要求するだろうが、「二十億の資財と二十余万の死傷を以て獲得したる所の
戦利品」を返還することはできないので、日露の協力で清国の利権回収熱を抑えつつ満洲
経営の実績をあげておき、返還要求が生じた場合には、巨額の賠償金を要求しうるような
根拠をつくっておくべきだと述べていました。同時に、租借期限延長のための交渉もせ
ず、問答無用で満洲を併合するなどは、理にそむくともいっています。山県に代表され
る、このような考え方は、満洲の門戸を開放した上で南満洲鉄道株式会社を設立し、日露
協約を継続的に締結することによって、満洲権益を擁護するという路線につながっていき
ます。
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|=(三)=(三)=|
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', ー=ー ',
ヽ___ /
この場所で日々起こっていること
なんとか巨大化して四足の怪獣と闘いたい、
五本足は社会の悪の根源的破滅招来体だ、
倒せ倒せ倒せ、倒せ!
君がまだ卵の殻に入らぬうちに、
なにものにも染まらぬ心持て・・・やっ!
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|=(○)=(○)=|
{ :::(__..:: |
', ー=ー ',
ヽ___ /
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{ 、/( ,_、)ヽ | ケッ
', .,ィェエヲ ',
ヽ___ /
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西田ぁ〜
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_,.-':::::;;;;;;;;;;::`ー、
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《; l:::::: ;;;;;;;;;;;; :::::::l 〃
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. ;l;;i; ト、:::: ;;;;; :::::ノ. ;|;;l;
;l;;;l; `ヽ_,.-‐'" ;l;;|;
;!;;l i''´´⌒`^i i;;i
;l;;i; |\ /| ;l;;i;
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l;;l ノ,,;ー=ー,,.l :l l
| ト、_,.-''´l;;;;l;;;l;;;∧;;ll;;;ヽー-、,,._/ }
ヾ_,,.-''´///|;;l;;;l l;;||;;;;;;l`ー-、,./
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// il |;l l;l `iヽ;;ヽ
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ll_-' ll i! ヾ ヾヽキ
ノll | l l l`ヽll
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|/ ,,,,_ ,,,,,,_ヾ| 貴様と俺とは 同期のカタワ
|=(三)=(三)=| 同じ養護学校の 庭に咲く
{ :::(__..:: | 咲いた花なら 散るのは覚悟
', ー=ー ', 見事切りましょ 印税のため
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差別さ〜
差別さ〜
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|=(〆)=(〆)=| ひ〜ん
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| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| トン
_(,,)ひれ伏せ愚民ども (,,)_
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', ー=ー ', 手ポドゥーン!!
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. ,.イ彡ニ三三ミミミヾ\
/7>ァァゞ''"´´````゙ヾミミ、
. ,'///f ',ミ 謹賀新年
jj/,イイ }j
fく彡´ ,,.-―=j ,.‐==‐!{
l {ミ{ -=ェテ' !-ェテ' {{ Z武板で迎える新年は
', ゞ! ` ̄ ,. '、 ̄´ } また格別だねぇ・・・
ゝ,゙ ,ノ゙ー-‐' ヽ イ!
,', ', ゙ァ―…ーヘ' ,′
__/:Λ ヽ、 〃 今年もZ武をよろしく
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::\::/:ヽ ,.< ̄,>、 /::::\:〉:::::::::
:::/::::::::::::∨ /⌒ヽ У:::::::::::ヽ::::::::: 西田某
┌────┐
| 訴えて. | 旧住人(セブナー)は
|.やるw | Z武スレに対するセクハラ行為を
└────┘ 直ちにやめろ!!!
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ヽ(´ー`)ノ|| ただじゃするめよ!
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