1 :
私事ですが名無しです:
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{ (__..:: / ノ′ | まさにオイラさ〜
. ', ==一 ノ | |
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ヽ/ ̄ __|
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| |/ ,,,,_ ,,,,,,_ヾ| __| 呼んださ〜!?
| |=(三)=(三)=| ,| |
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| 1play [三] ∧_∧ @ | |
| \5000 (; )つ).. | |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
し‐-J ドキドキ・・・
3 :
◆ZTaKEDoANY :2006/08/24(木) 01:14:02 ID:LQAEbjo8
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i:::/'" ̄ ̄ヾ:::i
|/ ,,,,_ ,,,,,,_ヾ| Z武ボンバイエ!
|=(炎)=(炎)=|| ,..、
{ :::(__..:: ||′ _,,r,'-ュヽ
', ー=ー ', ! ,イ彡く,-‐' ゙i, 闘うのさ〜
__,,, :-―,ァ''"ヽ___ / ゙ア´ ̄`ゝニ'ィ,〉
,:f^三ヲ,r一''^ニ´、、__ l ! ィ彡,ャァ'" ,,..,,、 /lトィヘ
ノ ニ、゙リ ,..,, ``''ヽ,,, ''"´ ゙''ヾミ,r/:.l:.:し′ Z武ボンバイエ!!
,ィテ'J´,,..::;;゙i, ,;,, ;;; ,,;; ,frア:.l:.:ヾ
リ:.:.:.{'" ,ィト. ';;;;;;;;;;;' ,!;V:.:.ノ:.:.:.:
:.:l:.:.:.ヾ='":.:.:l ':;;;;;:' ,;;/;;:.:/:ノ:.j:.:.:.
:.:l:.ミ:.:.∨:.:.:.:ヽ、 人__,,,;;;;;ノ/N/:/:.ィ:.:.:.
:.:ト:.トミ:.:ヽ:.:.:.:.:ト-―テ" ⌒ `ヾj ::;;;;}/:.:.:.:/:/ ヽ:.:
:.:ト、:.:.:.:.:ヽ:.:.:.l ' -:十:‐' ゙l, 〃:.:.:/:.リ ゙i:.:
:.:l:.:ヽ:.:.:.:.:ヽ:.:.l t,,__,災_,ノl f:.リ:.:./:.j ,イ ヾ
:.:l、:.:ヾ:.:.:.:.:〉:.:l l, ,;, ,ィレ j:.:.:./:./ V
.. ヽ(´ー`)ノ アゲッ!!!
(___)
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●●● ブチュッ
●● ●● ● ●● ブリュブリュッ
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|,,,,_ ,,,,,,_ |::::::::|
(一);(一)==r─、|
{ (__..:: / ノ′ 手足なんて飾りです。 偉い人にはそれがわからんのです。
', ==一 ノ
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`Zア' /
,! 〈
/ ヽ、_
l `ヽ、
ヽ ヾツ
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ヽ rーヽ ノ
__||、 __||、
7 :
ニュース速報:2006/08/24(木) 11:17:07 ID:???
【速報】
傷害事件:百貨店販売員の目を突いた無職の女を逮捕!
東京都新宿区西新宿の京王百貨店新宿店で今月13日、女性販売員が女の客に傘で
目を突かれ、重傷を負った事件で、警視庁新宿署は23日、
杉並区に住む無職の女(31)でキチガイを傷害容疑で緊急逮捕した。
警察の発表によると、警視庁は都内にいる女キチガイを片っ端から調べ上げ、
その中でもキチ度の高いこの女を見つけ出したとの事だ。女は常日頃から意味不明の事を
2チャンネルに頻繁に書き込みをしていたとのことで、情報によるとZ武と言う人物の
交際相手らしい・・・?
この事件で世間の人々は、キチガイに対する恐怖心、警戒心を一層強くしたものと思われる。
厚生労働省及び警察庁は、近々に全国でキチガイ狩りを実施するとの事だ。
マン厨うぜえ
>>8 おめえもいい女とつきあってんな〜・・・・!
ノ # メ ヽ、 │ ノノノ\ / ┃| .|┃ | <プアァァァァァァァァン!
, ' ヽζζζ ,. ヽ |Z関連NGワード / ┃ ̄ ̄┃ 口 |
{ _.ト、 Yl| |iY # ,イ .} | / _二二二_ /
'、 >.ト. ' U. ' イノ .ノ | 手、足、Z、乙.、 / | ̄ ̄ ̄ | [=.=] |  ̄ ̄ ̄|
.,,_ ___ ノ-^-`、 ___.... - ' | だるま、カタワ,/ └───ヽ(´Д`;)ノ ああああああ〜ッ!!
、‖ ∧∧∧∧ころこ/ / (___) バッテリー切れだよ〜!!!
●●● ブチュッ <. Z > / / | | \
● ● ●● ブリュ < 予 武 > / ◎ ̄ ̄◎ \
――――――――――─< 感 ス >―――――――――――――――
Z武 「ポテト」(他のお客さ<. ! ! レ >す〜る〜め〜よ〜は〜 i/'" ̄ ̄ヾ:::::::::::i
店長 「あ、すみません。あ<. の >イ〜ニ〜ミ〜に〜 ぎゃ〜く〜た〜い〜 |,,,,_ ,,,,,,_ |::::::::|
Z武 「ちょっと待ってよ。オイ∨∨∨∨ .\〜れ〜て〜 つ〜ら〜い〜 (●);(●)==r─、|
バイト 「あのぉ、お客様、/ \ん〜ぜ〜い〜 か〜えせ〜 { (__..:: / ノ
他の客 「あはは」 (素/ ヽ(´ー`)ノ \〜じゃ〜 す〜る〜め〜ぇ よ〜ぉぉぉ〜 ', r=‐ヽ ノ
Z武 「.え、オイラ、ド / (___) \ `ニニ´/_>、,,..- 、
Z武「じゃぁ、ドライ / | |〜〜 \ rー―_―.' .-'' 々i
/ ◎ ̄ ̄◎ ころころ〜 \
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,,;f::::::::::::::::::::::ヽ
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|r-==(三);(三) うわー今日も更に一段と熱く激しく情熱的に盛り上がってるなぁ 〜
( ヽ ::..__) }
ヽ.. ー== ;
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_c―、_ __,l l、__ _,r―っ_
三 ー )  ̄` ̄´⌒´ヽー ヽ / -ー^ヽ⌒ヽ´ ̄`´ ̄ ( ヽー 三
 ̄  ̄`――、__ ヽ , ヽ ,/__,r---― ' ̄ ̄ ̄
`i^ ー '` ーイ
ト-= ニ ニ -|
ト- = ⌒ -|
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\ ヽ ミシミッ ノ /
\ ヽ、 ヽ( ∪i )ノ ,ノ /
\ l`ー-―' `- ´`ー-―' /
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●●●● ブリブリ ボッタンボッタン
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1章 あるカメラマンの死
「あんまり、こうマッチョにしないでねっていうか、こう、わかるだろ? マッチョっぽくさ
れちゃうと、どうもさあ……」
最初のインタビューを終えた夕暮れどき、南アフリカの写真家、ジョアオ・シルバは少し遠
慮がちにそう言った。あまり、おどろおどろしく書いてほしくない、ということらしい。戦場
を駆け回るカメラマンが、米国のピュリッツァー章を受賞直後、自殺する。その背景をまとめ
た米国の雑誌『タイム』や『ニューズウィーク』を彼は指している。
確かにどれも、自殺したカメラマンの繊細さ、戦場報道でこわれていく心の軌跡を、あまり
に「できすぎた物語」として描いている。
自殺した写真家の名はケビン・カーターという。ジョアオはその友人で、やはり南アフリカ
をベースに主に戦場の写真を撮るカメラマンだ。私がケビンの自殺の背景を調べ始めたのは、
彼が撮影した「ハゲワシと少女」という写真がきっかけだった。スーダン南部で撮られ、一九
九四年に米国のピュリッツァー賞を受けた写真だった。
私が初めてその写真を目にしたのは日本でだった。多分、新聞で目にしたのだと思う。その
ときの微かな驚きと、少し眉を寄せいぶかるような気持ちになったのをよく覚えている。
砂漠からサバンナへと変わるブッシュ帯。手前に、やせ細った黒人の子がまるでイスラム教
徒がモスクで祈るような姿勢で地面に突っ伏している。その奥、数メートルのところにハゲワ
シが羽をおさめ、何かを待っている。ハゲワシはよく見るとのんびりしているようにも見える
し、獲物に目を光らせているようにも思える。いや、特に目的もなくただ、そこにいるだけな
のかもしれない。実際に何が起きていたのかはわからない。でも、写真を見た多くの人々はは
っきりとしたメッセージをそこに感じとる。
「アフリカの戦場では子供たちがハゲワシの餌食になっている。世界にはこんなにも悲惨な生
がある」
私の中にそんな言葉が浮かび、この写真を撮った人物は、そのとき、どんな様子だったのか、
なぜ、こんな場面に出くわすことになったのかと、そのことに関心が向いた。
アフリカの原野に住んでいれば悲劇はあるだろう。だが、この写真にはそんな不慮の事態を
とらえた「決定的瞬間」以上のものがあるように思えた。同じころ、ニュースで四国で少女が
土佐犬に噛み殺されるという事件があった。それは、とても不幸な不慮の事故と言えるが、そ
れ以上のはっきりとしたメッセージはない。なぜなら、現場が日本だからだ。だが、このハゲ
ワシの前に突っ伏した少女は、アフリカでも特に肌の色が濃いスーダンの女の子だ。それだけ
で世界に配信される写真には、アフリカ、戦場というキーワードがついてまわり、すぐさま政
治的な意味が加わる。
私がアフリカに暮らしてからもなおこの写真にこだわっていたのは、「アフリカのリアリズ
ム」というものについて考え続けていたからだ。悲惨さの脇に普通の人々の日常がある。悲惨
な風景の中にさえ、目を凝らせば、人の幸福を考えさせる瞬間がある。だから、アフリカを日
本に伝える者として、悲劇のイメージばかりを送り出すことに、次第に抵抗を感じるようにも
なっていた。でも、ケビン・カーターのあの写真にはそんな生半可な思いを打ち砕く衝撃力が
あった。
あの写真はどうやって生まれたのか。取材を始めたのはアフリカに来て二年が過ぎた九七年
のことだった。
撮影の前になぜ少女を救おうとしなかったのか。写真をめぐる議論は主に米国の週刊誌メデ
ィアでふくらみ、ケビンはそんな批判にたえかねて自殺した、という風聞が南アフリカでも広
がっていた。だが、人はそんな風にきれいに死ぬだろうかという疑問が私にはあった。そんな
ことをたずね歩き、たどりついたのが、ケビンをスーダンに連れていったもう一人の写真家、
ジョアオ・シルバだった。
歯切れのいいジョアオの言葉は痛快だった。彼が多用する「クール(いかす)」という、や
や気安い、子供っぽい英語表現も心地良かった。戦場が好きな写真家でありながら、男らしさ
などかけらもなく、趣味の自動車レースやプラモデルづくり、テレビゲームに熱中するタイプ
だった。
一九九三年三月十一日、スーダン南部コンゴール州のアヨド村。ケビンが、目の前にいる少
女とハゲワシのどちらにピントを合わせようか迷っていたとき、ジョアオはそこから数百メー
トルのところにいた。
「時間は三十分しかない。だから、俺たちは走り回ってた。村々に食糧を届ける国連機、オペ
レーション・ライフライン・スーダンっていうやつ、聞いたことあるだろ? それに乗れるっ
ていうんで、俺はケビンを誘っていったんだ。あのころ、あいつ、もう生活が完全に破綻して
て。アルバイトでやってた深夜のディスクジョッキーの仕事も、トークラジオの仕事も契約が
取れなくて、離婚もしてて、まともに食えなくて、変な女につかまって、麻薬づけになってて。
だから、『おい、ケビン、行くぞ、アフリカの真ん中、スーダンに行くぞ』って、引っ張って
いったんだ。あいつ、質に入れてたから、手元にカメラもなかったんだ」
「国連機に乗って、平原みたいな、一応滑走路みたいなところに降りたんだ。職員が『三十分
後に離陸する』っていうから、俺たちはもう必死に走り回った。絵はないか、絵はないかって
ね。お前はあっち、俺はこっち行くからって。俺? 俺はあのとき、ゲリラいるだろ? ゲリ
ラ。連中が二つに割れたって聞いてたんで、でもはっきりとした証拠もないから、ゲリラ兵に
会えないかなって思って、村っていうか、小屋だけの集落を見て回ってたんだ」
「俺たちが降りて、ミーリーズ(食糧のトウモロコシ粉)を下ろし始めたら近くにあった避難
民の小屋から女たちがわーっと一斉に飛行機に近づいてきた。まあ、普通の光景だから、適当
に何枚か撮って、俺は、『兵隊、兵隊』って、ゲリラばかり探してた。ケビンはそのとき飛行
機の近く、数十メートルのところにずっといたみたいだ」
ジョアオは初対面の相手にはいつもこうなんだろうか。時に立ち上がり、両手を広げてやや
オーバーな演技をしながらひとり語り続ける。それは、もしかしたら、照れくささや気恥ずか
しさを隠す一つの防御反応かもしれない。
狭い仕事部屋の破れたソファの上を猫が時折、関心なさそうに行き来する。壁には友人の写
真家が撮った南アフリカの内戦時の写真や、ポスターが無造作に張られ、書棚にはネガの入っ
た小型の段ボール箱が山積みされている。本などない本棚にはつくりかけのホンダの大型バイ
クの模型が大事そうに飾られていた。
「あいつ、南アフリカ、ソウェト(ヨハネスブルク南西の黒人居住区)のドンパチは知ってる
けど、飢餓の取材は初めてだから、ショックだったみたいで、しきりに飢餓の子を撮ってた。
ショックっていうか、まあ、あいつは、何ていうかエキセントリックなとこ、あるから、ああ
いう光景に参りやすいんじゃないかな、結構。俺とか、大丈夫だろ。見るものは見ると、さて、
じゃあ、次どうしようかって。いちいち立ち止まって感傷にふけったりしないだろ。そんなの
後ですりゃいいって。俺? 俺はもう飢餓は何回も見ているから、あ、またかって感じ? は
いはいってね。だけど、そりゃ撮るよ、一応は。ゲリラ撮れなかったときんための予備ってい
うのか。そうそう。えーと、この写真。あんた来るっていうから用意しといたんだ」
ジョアオが差し出したプリントにもやせ細った少女が写っていた。同じ少女か? 一瞬そう
思うほど、よく似ていた。この少女もやはり両手で目をふさぎ、それもまた、見ようによって
は祈るような格好をしている。「三匹の子豚」の物語で最初にオオカミに吹き飛ばされてしま
うような小屋が干し草の平原をバックに写っている。
「これは?」
私の興味深げな様子に満足したのか、ジョアオは嬉しそうに言葉を続ける。
「この子、ケビンの写真と同じ子って思うだろ。実は、違うんだ。ほら、見てみ、こっちの子
は白いビーズの首飾りつけてるだろ。でも、俺の方の写真の子はつけてないだろ。これ違う子
なんだよ。俺もやっぱり一応はケビンと同じような写真を撮ってたんだ。で、俺の写真? 結
局どこにも載らなかったな。いや、南アフリカの新聞に載ったかなあ。そのとき? だから、
ゲリラ兵がいないから、まったくしようがねえなあって思って、そしたら一応、飢餓の子も撮
っておこうと思って、構えて、待って、動きが欲しいなっていろいろ、角度決めて、そしたら、
目をふさいで泣くような格好したから、カシャカシャカシャって何枚か撮って。
さあてと、兵隊いないかなってまた歩き出したんだ。そんなもんだろ。親? 親はすぐそば
で食糧もらうのにもう必死だよ。だから手がふさがってるから、子供をほんのちょっと、ポン、
ポンとそこに置いて」
「ケビンが撮った子も同じ。母親がそばにいて、ポンと地面にちょっと子供を置いたんだ。そ
のとき、たまたま、神様がケビンに微笑んだんだ。撮ってたら、その子の後ろにハゲワシがす
ーっと降りてきたんだ、あいつの目の前に。あいつ? あの時、カメラ、借りてきたやつだか
ら、180ミリレンズしか持ってなかったんだ。だから、そーっと、ハゲワシが逃げないよう
に両方うまくピントが合うように移動して、一〇メートルくらい? それくらいの距離から撮
ったらしい。で、何枚か撮ったところで、ハゲワシは、またすーっと消えてったって」
「見てみろよ。おんなじような写真撮ってて、あいつの前にたまたまハゲワシが降りてきて。
そんでもってポーンとピュリッツァー賞。俺の前には何も降りてこなくて、はい、普通のボツ
写真。ま、そんなもんよ。戦場で撮ってるとそうだろ。一瞬だよ、一瞬。ドンパチが始まって、
たまたま道路一本隔てた死角にいたら、何も撮れなくて、たまたま、銃撃戦のちょうど真ん中
の戦車の陰かなんかにいたら、すべて見渡せて、いい絵が何枚でも撮れる。そんで、ハイ、ど
んぴしゃっとピュリッツァー賞」
そばに母親がいて、子供をちょっと置いただけ。そんなたわいない真相が私には意外だった。
なぜなら、あの少女は、あの原野の中に一人でたたずんでいたと勝手に思い込んでいたからだ。
「時間がないんでケビンのところに戻ったら、あいつ仰向けになって、煙草スパスパ吸って、
空に向かってうわごとを言ってんだよ。俺はその時点では、そんなすごい写真撮ったって知ら
ないから、また、ケビンがおかしくなっているって思っただけだけど、あいつ、『アイヴ、ガ
ッタイトゥ(撮った)、やったんだ、撮ったんだ、すごいの撮った、俺、撮ったんだ』なんて
涙流さんばかりに興奮してて、また、こいつがって思って『行くぞ、行くぞ』って言ったら、
『家に帰って、娘(当時九歳)を抱きしめたい』なんて言うから、これはまともじゃないって
思ったけど、こっちは写真をまだ見てないから、彼が本当のところどんな気持ちだったのか、
そのときはわからなかった」
ナイロビに戻り写真を焼いてみて驚いた。
「こりゃ、すごい写真だって思って、すぐに『ニューヨーク・タイムズ』の知り合いに売り込
んだんだ。そしたら、なかなか載らなかったけど、何日かたって一面にでかく載ったんだ」
写真「ハゲワシと少女」は三月下旬の『ニューヨーク・タイムズ』紙の一面にカラーで掲載
された。撮影から十日あまりが過ぎていた。
絶賛と共に、「撮影など振り捨て、なぜ、真っ先に少女を助けなかったんだ」という批判が
米『タイム』誌などを中心に沸き起こり、報道のモラルを問う論争に発展した。『ニューヨー
ク・タイムズ』はその後、異例のおことわりを掲載する結果になった。
「撮影者の報告では、ハゲワシが追い払われてから、少女は再び歩き始めるまで回復した」と。
ケビンはこうした批判に反論しなかったが、地元紙にこう答えている。
「ああいう現場に行ったこともない人間に個人的な体験を話してもしようがない」
「状況や暴力について陳腐な意見を聞くと、俺の脳はシャッターを下ろしてしまうんだ」
でもジョアオに言わせれば、本人はかなり気にしていたそうだ。
「『お前は良いことをしたんだ。あのすごい写真を撮って、それがロンドンのヒースロー空港
の看板にでかでかと載って。義援金が集まって、スーダンに送られて。とにかくお前は正しい
ことをしたんだ』。そう言っても、あいつはまたしばらくたつと、話を蒸し返して、ひとり気
にしていた。もともと繊細なんだ、あれは。だけど、俺に言わせりゃ、少し馬鹿げてるよ、少
女を救えだなんて。救えったって、すぐそばに母親がいるんだぜ。アフリカの女は怖いんだよ。
下手に勝手に子供を抱き上げたりなんかしたら、何すんのって母親が大慌てで飛んできて、ど
やされるよ。手出しなんかできるかよ」
ケビンは女づき合いにだらしなく、自堕落を気取っているところもあった。その半面、自信
がなく過敏で、他人の視線を常に気にしている弱さもあった。アンゴラ内戦の徴兵を逃れた二
十代のころは躁うつ病で通院し、二度も自殺未遂を起こしている。
アパルトヘイト(人種隔離政策)下の南アで、黒人居住区の戦闘写真で名をあげ始めた八九
年八月、地元紙の写真コラムにこんな一文を残している。
「写真報道とは奇妙な商売だ。私は仕事の大半を劇的な場面探しに費やしている。そんな中、
手っ取り早く売れるのは、紛争中の人間たち、ヒューマン・ドキュメント、そして暴力だ。そ
の手の写真を見て大喜びする読者が多いからだ。じゃあ、なぜ撮るのかと聞かれればこう答え
るしかない。私はただ、自分の写真が載るのを見たいだけだと」
彼はこのころから、センセーショナルな写真を撮ることに疑問を抱き始めている。興味深い
のは最後の一文、彼の開き直ったような口ぶりだ。
「俺はただ、自分の写真が紙面に載ればいい、それだけだ」
あえてそう言い切ってしまうところに、彼のやや過剰な自意識がある。
九四年七月二十七日未明。ピュリッツァー賞受賞決定から三ヵ月、授賞式から一ヵ月もたた
ないその日、ケビンはヨハネスブルク郊外サントンにある自宅近くの緑地公園に車を止め、愛
用の薬物、マンドラクスを吸いながら、車内に排ガスを引き込み自殺した。遺書の冒頭には
「パパとママ」と書かれ、その下に電話番号。その下に「親友たち」とあり、すでに死んだカ
メラマンの友人の名と、カッコでくくられた別れた妻の名と電話番号、そして「ジョアオ・シ
ルバ」と彼の番号がある。その脇には小さな字で「言葉にできないほど彼(ジョアオ)が好き
だ」と記されていた。
「朝、警察から電話があったから、『また、ケビンだ』と思ったんだ。あいつ、よくドラッグ
で捕まって、そのたびに俺が迎えに行ってたから、またかって。だから、自殺って聞いて、え
ーって思った。そりゃ何回か昔、未遂をしてたのは知ってたけど、死ぬ四日前に俺のところに
来て、授賞式でもらったキヤノンのEOSを見せて、『ほら、二台もある。もう大丈夫だ』っ
て自慢してたんだ。だから、死ぬなんて、とても思えなかった」
「だけど、確かに病気ってほどじゃないけど、波が激しかった。週末はいつもいなくなる。報
道写真をやってる癖に土日はまったく連絡がつかない。それで、月曜日、部屋を訪ねると、放
心したような状態で寝てる。そんな生活だった」
ケビンは週末、タウンシップ(黒人居住区)にあるゲットーと呼ばれる麻薬中毒者が集まる
トタン葺きの小屋で死ぬほどマンドラクスを吸い込んでいた。
マンドラクスは白い錠剤の痛み止めで、麻酔として使われる。これは南アフリカでしか広ま
っていない。「インドから密輸されている」という噂があったが、この薬物は八〇年代に白人
政権が秘密裏に開発したものだった。
アパルトヘイト下で独自計画を企て、マッド・サイエンティストと呼ばれていたバッソン博
士とその助手たちは九〇年代の終わり、南アの過去を探る「真実和解委員会」で次々と新情報
を吐露した。もっぱら注目されたのは生物・化学兵器の開発だったが、彼らがマンドラクスを
製造し、それを無料で黒人のタウンシップに流していたことも明らかになった。反政府勢力や
暴徒たちから戦意、やる気を奪うのが狙いだったという。
ただ、そんなことが判明する数年前、誰もが「インド人が横流ししている」と信じきってい
たころから、ケビンはマンドラクスに依存していた。つまり、それが体内にあるときとないと
きの二つの世界を行き来していた。薬効が薄らいでいく抜け殻のような日常を送る日々。薬を
入れているときの濃密な時間。内面へと潜り込み、無意識の寸前を漂うときの「本当の自分」
と、仕方なしに表層をつくろい、世間に合わせて生きている「仮の自分」。その二つの世界の
揺れは依存すればするほど、大きくなる。
自殺のときも彼はこのマンドラクスを吸いながら遺書を書いている。冒頭の字は整っている
が、末尾になると乱れ、最後は消え入るように終わる。
遺書はこう始まる。
「まず最初に、本当に、本当に申し訳ないと言わねばならない。
私は、人生の痛みが喜びを乗り越える、もう喜びなどない地点にまで達してしまった……、
そう、自分は生々しい記憶にとりつかれている。殺人、遺体、怒り、痛み……、飢え、傷だら
けの子供たち。嬉々として引き金を引く頭のおかしな連中。そのほとんどは警官や殺し屋、処
刑者。こうしたひどい記憶が私をさいなんでいる」
そして、仕事中に死んだ友人に触れ、薬物の話に入る。
「ドラッグ。神の助けだと思ったけど、中毒になるつもりなどなかった。薬物は痛みからの逃
避。人を弱くする。しかし自分には救いが必要だった。話は昔に遡る。アパルトヘイト下、人
道の“倒錯”を体験した子供時代。軍、南アフリカ政府軍でのトラブル。逃亡。精神病棟。麻
薬中毒。
そして、突然の“目的”
報道写真
反政府キャンペーン
マンデラ解放
ホステル(筆者註:鉱山宿舎)戦争
選挙前の狂い咲き
でも、一貫して……
写真は良かったけれど、
自分はろくでもない人間だった。
女、金、法律、麻薬、
全部、だめにしてしまった」
遺書の末尾は弱々しい字でこう結ばれている。
「すべて手に入れたのに、
結局、自分自身であり続けることがすべてを台無しにしてしまった」
ケビンはマンドラクスを常用していることをジョアオに明かしていなかった。南アフリカで
マンドラクスは多くの人間にとって罪と見られていた。傍目に中毒は明らかなのに、中毒者は
それを懸命に隠そうとする。
「お前、俺のこと疑っているだろ。まだ続けてるって」
「いや」
「じゃあ、なんでさっきあんな顔して見た? お前、まだそう思ってるんだろ」
と滑稽なほど周囲の視線にこだわり、世間との距離を広げていく。
週明けのケビンはジョアオにこう漏らしている。
「また同じ夢を見た。遺体となった俺が地面に転がっている。するとカメラのシャッター音が
して、しつこく俺を撮り続ける」
同じ悪夢は九一年から死ぬまでの丸三年続いた。普通なら悪夢から覚めしばらくすれば落ち
つくものだが、ケビンはそうならなかった。
「『早朝、薄明かりの中、うっすらと現実を、いまいる自分の世界を思い出す瞬間が最悪だ』。
ケビンはそうこぼしていた。自分が撮った遺体、死に行く人間、飢餓の子、そんなイメージが
いつも頭から離れない。だから、ケビンは一時、そんな悪夢から逃れようと、仕事を替えよう
と、もがいていた。そんな九〇年ごろ、南アフリカではトコザやあちこちのタウンシップで暴
力が吹き荒れた。白人政権後をにらんだ、ANC(アフリカ民族会議)とIFP(インカタ自
由党)の主導権争いだ。毎日、毎日、沢山の人間が死んだ。撮影のたび、ケビンの名声は高ま
った。仲間だったケン・ウィンストブルック(南ア写真家のピュリッツァー賞受賞者)も我々
の目の前で撮影中、撃ち殺された。あいつは落ち込み、いつも怒っていた。そして仕事が増え
るたびに、逆に名声を恐れていた。そこへ、ポンとピュリッツァー賞。だけど、受賞直後、モ
ザンビークに行って、あまりいい仕事ができなかった。プレッシャーも大きかった。だから前
にも増してマンドラクスが必要になっていった」
マンドラクスは中毒者にどのような変化をもたらすのか、外から見ただけではわからない。
私は知人、友人を介してマンドラクス依存者を探したが、親しい者の中から見つけ出すことは
できなかった。ただ、一度だけ、タウンシップで依存者が吸引する場面に立ち会うことができ
た。
白い錠剤のマンドラクスを細かく砕き煙草と混ぜてパイプで吸い込む。彼は吸う直前、おど
おどした目で手を震わせ丹念に錠剤を潰し、別の男にマッチをあてがってもらい一気に三服、
四服と肺に吸い込んでいた。吸い込んだ煙を彼は惜しむようにじわじわと鼻と口から外に吐き
出していく。煙が出終わるころには、体全体が弛緩し、ダラーっとした、筋力がなくなったよ
うな状態になり、静かに床に崩れ落ちていく。
ケビンが遺書で触れている「人生の痛みが喜びを乗り越える瞬間」が彼の中で起きているの
かもしれない。しかし、外から彼の内面はわからない。
南アフリカ政府軍の特殊部隊員としてアンゴラ内戦に行ったアブーという三十五歳の男が、
戦場でマンドラクスが広まっていたと教えてくれた。
「自分は狙撃兵の恐怖から逃れるためと言われ、薬物に手を出した。夜が恋しかったのはその
ためだ。最初は敵、アンゴラのアフリカ人の戦意を失わせるため、ばら撒いたマンドラクスが、
いつの間にか、我々南ア政府軍の前線で蔓延するようになった」
それは、阿片戦争で英国艦隊の兵士たちが阿片に染まるようなものだ。この辺の規律のなさ
が南アフリカらしい。
「吸った途端に、時間、空間の感覚がなくなったような、宙に浮いているような気分になる。
その浮いている宙はどこなのか。きっと自分の中なんだろう。だから、その中を泳いでいく、
自分の中へと、奥へ奥へとすーっと潜っていく」
そのときの感覚をアブーはそう振り返る。
アンゴラで脚を撃たれケープタウンに戻ったアブーは、帰還兵ばかり、無職で何もしていな
い者たちの集まりに毎日通っていた。親分格のキドという名の男の家に仲間が集まり、マンド
ラクスを吸う。ある日、しばらくうつむいていたキドが妻を呼んだ。何度目かにようやく現れ
た妻にキドはこう言った。
「お前は本当に醜い」
何かの冗談だと思い、アブーの仲間が空笑いをしたところ、キドは小型のナイフで妻の心臓
を刺していた。
アブーら経験者の話からは、マンドラクスは脱力感とともに他殺、自殺などへの抵抗をなく
してしまう恐れがある。でも、それがケビンの自殺の主因とは言い切れない。
生け垣にあるスプリンクラーから霧が噴き出している。十月。初夏のヨハネスブルクの日射
しは強い。霧に当たる光が粒子のように踊り、芝の中に落ち消えていく。
そのとき、私は何気なくケビンの容貌についてジョアオにたずねた。
「アフリカ生まれの欧州人というのは……」
アフリカに暮らす白人は日焼けから三十代の前半でかなりしわが目立つよういなる。それを
言うつもりだった。だが珍しくジョアオが少しかちんときた表情をした。
「俺はそんな風に考えないな。一緒だよ。欧州人、アフリカ生まれの欧州人。ポルトガル人、
アフリカ生まれのポルトガル人、何も違わない。みな一緒だ」
でも、私はそうは思わない。ジンバブエで白人農民が黒人に囲まれ撲殺される事件があった
とき、その場に集まった欧州の記者たちと、現場周辺の英国系白人の違いを私ははっきりと感
じていた。明らかに違うのだ。一方は北半球で自らの民族、部族だけの世界にずっとこもり、
もう一方は何代にもわたし周囲がアフリカ人ばかりの土地に住み着いてきた。日本で言えば江
戸時代のころから代々、アフリカに暮らした人々だ。日本人が早々にアイデンティティを失う
民族だとしても、百年前に南米に渡った末裔と、いまの日本人の違いを考えれば、ジョアオや
ケビンらが「欧州生まれの欧州人」と違うのは明らかだ。なのに、ジョアオはそれを認めたが
らない。
ケビンの自殺、薬物中毒と、アフリカ生まれの欧州人にそなわった彼らだけの孤独さ、それ
を絡めて考えようとする私に、ジョアオはこう言った。
「違うんだよ。違いってのは、やっぱりあるんだよ。お前、日本人だろ、武士道なんて、他の
国にないもんな。米国に占領されて、上手に英語しゃべって、西洋人みたいになっても、やっ
ぱり違う。違うだろ。だから、違うと、俺は何者なんだ、なんて思うだろ。俺だってそうだよ。
爺さんはポルトガルで生まれたかもしれないけど、もうあの国は俺の国じゃない。だけど、じ
ゃあ、俺はモザンビーク人か、南ア人か、アフリカ人か? アフリカ人でもない、欧州人でも
ない。じゃあ、俺はいったい何なんだ?」
「お前はアフリカ人だよ」
そう言おうと思ったが、私はようやく言葉を飲み込んだ。他人に、まして、アフリカの何た
るかをわかってもいないよそ者にそんなことを言われたくはないはずだ。
そのころ、私と親しかった英国系の小学校教師は他の土地へと引っ越していくとき、私と別
れる間際、迷いもないという口調でこう宣言した。
「もうあなたも南アフリカに住んで、この国の人間に近くなったからわかったでしょう、私の
こと。私はアフリカ人なのよ。私はそうなの。他の何者でもないのよ」
ジョアオ・シルバ。モザンビーク生まれの彼は八歳のとき、両親とともに内戦が広がるモザ
ンビークから、南ア北部の町に逃れてきた。ポルトガル語が母語の彼は英語もアフリカーンス
語も話せなかった。その朝、田舎町の白人学校に入れられた小柄な彼は、初めて教室に足を踏
み入れた。そして、わけのわからない言葉を話す大柄なクラスメートの視線を一斉に浴びる。
少し変わった子供だった。虫の生態観察に夢中になったり、級友になど目もくれず校庭の隅で
一人泥団子づくりに熱中する、日本で言えばそんなタイプの子供だった。彼の奇行がクラスで
一時流行ったりもするが、大方の子供はすぐに飽きてサッカーなど普段の遊びへと戻っていく。
それでも彼は相変わらず土を掘り返したり、虫の巣を追い続けている。そして、通信簿に毎回
こう書かれる。
「協調性がない」
スプリンクラーから噴き出す光の粉を見ながら、ジョアオは言った。
「こんな奇妙な国、こんなところに育つとなあ……」
私が黙っていると、彼は小さなため息をついた。そして、光の粉を見ながら、「奇妙な国
(ストレンジ・カントリー)」という部分をもう一度、繰り返した。
.. ヽ(´ー`)ノ アゲッ!!!
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●●● ブチュッ
●● ●● ● ●● ブリュブリュッ
ヽ(´ー`)ノ ドゥクドゥーン!!!
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彡※※※※ミ 旦
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\ ひ〜ん! / \ ひ〜ん!! /
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30 :
私事ですが名無しです:2006/09/01(金) 00:57:20 ID:SAKDl6ZT
∬
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~━⊂(´ー`)つ-、<はいはいカタワカタワ
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/ ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|
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ィ'''フ''''=、r'"~ |/ ,,,,_ ,,,,,,_ヾ|`ヽr''"`ヽ、ヽ、 じろじろ見るなよ
,r'"´ ノ" )=|=(三)=(三)=|i ヽ、 こんなカッコでもイイじゃん
( .ノ { :::(__..:: | i 人を手足の有無で判断するな
) __,,;.. ', ー=ー ', _,,,,、 j、、 この菜食主義者め
, ' ヽィ'''i" ヽ___ / ィ'"~ `'ヲ'''ー-、ノ、ヽ
.{ _.ト、 Y人 ,,l、 ノt' イノ.ノ
'、 >.ト '/ `ゝ、 人 ,,イ jt、 __...-'
' .,,_ _ ノ、 `ー--;::-ニ"_,ゝ=---‐''" ノ
ヽ、 r 、 f" `i´ ̄` Y `ヽ /
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