1 :
私事ですが名無しです:
コロッケを買いに行きましょう。
カニコロッケを買いにでかけましょう 2
3 :
私事ですが名無しです:2006/08/08(火) 15:12:51 ID:aonFyASV
外は嵐で、中では牛肉コロッケですよ。
4 :
私事ですが名無しです:2006/08/08(火) 19:21:36 ID:a1fk67r4
今回の台風7号のお名前は…
【マリア】
真面目な話だからなw
ZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZz
●Zスレ建設用地にて、Z民以外の者(愚者)の立ち入りを禁ず●
ZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZzZz
ヽ(´ー`)ノ
(___)
|占領|〜〜
◎ ̄ ̄◎ ころころ〜
突然 すべてはっきりビディーしてきた
何を心から望んでいたか
やりたかったか…
ぶっ裂こう…
邪悪で残酷なこの世界から飛び出そう
苦痛は多分 一瞬だ
その後は長い長い永遠の眠りに就ける
一 「交ぜ書き語」の由来
P10-
「交ぜ書き語」とは
漢字二字以上が連接してできた、普通「熟語」と称される漢語のその一部を、仮名書きにし
たものを、「交ぜ書き語」と称します。元来、「玩具」「処方箋」「虚心坦懐」などと、すべて漢
字で書かれていたものを、「がん具」「処方せん」「虚心たん壊」などと書き改めた表記法です。
近年、しばしば新聞紙上に躍った例を挙げれば、
・銀行の破たん
・ら致事件には、き然たる態度で
・工事の進ちょく状況
といった類です。いうまでもなく、それらは、「破綻」「拉致」「毅然」「進捗」と書かれていた
熟語の一字を、平仮名に書き換えたものです。
しかし、その表気が示す字面の感触は、いかにも異様なグロテスクなものです。多くの現代
の日本人は、その字面において、感覚的にも言い知れぬ違和感や嫌悪感を持たずにはいられな
いのではないでしょうか。
P11-
「交ぜ書き」の生みの親は
この「交ぜ書き」という珍現象を発生せしめた元凶は、昭和二十一年(一九四六)年、敗戦直
後、内閣訓令・告示として公布された「当用漢字表」です。日本語の平易化のためと称し、当
時の内閣が新たに定めた一八五〇字の当用漢字なるもの以外は使用すべきではない、と告示し
たために、日本の教育界・出版界を始め一般の人々まで、これに従わざるを得ませんでした。
例に挙げた「玩」「箋」「坦」「綻」「毅」「捗」などの漢字は、すべて「当用漢字表」に
収められない漢字です。しかも、これらは難しい漢字はやさしい「別のことばにかえる」とい
う文部省の指示に従うことのできない文字として、あえて仮名書きにしてまでも日本人が使用
したい漢語だったと言えましょう。換言すれば「交ぜ書き語」とは、現代の日本人にとって、
どうしても使い続けたい言葉だったということができます。
・けい古不足
・神社に参けいする
・水泳中にでき死する
・めい福を祈る
・途中で落ごした
などといった極めて日常的な用語の一部が、どうして右のように仮名書きされねばならなかっ
たのでしょうか。稽古・参詣・溺死・冥福・落伍などの熟語の中の一字を仮名書きにするだけ
で、どれだけ日本語の表記が平易化されたというのでしょうか。
P12-
言い換えのできない漢語
確かに徒らに難解・煩雑な漢字・漢語の乱用には問題があり、時に一定の規則や自粛が必要
なこともありましょう。しかしこの「当用漢字表」の犯した最大の罪過は、日常一般に使用す
る漢字の字種・字数を、一八五〇字以内に限定したことにあります。以来、「当用漢字表」以
外の漢字は、すべて「表外漢字」「制限漢字」と称せられて、使用禁止となりました。小・
中・高校の諸学校の教科書を始め、官公庁の公文書、民間の新聞・雑誌などの刊行物に至るま
で、その制約に従わざるを得ませんでした。
そのために、本来各人の自由なるべき日本語の表現・表記は、その中枢を担うべき漢字の使
用において、極度に制約を受けることになったのです。確かに「当用漢字表」にない漢字・漢
語については、それと同じか、できるだけ近い意味の語に言い換え・書き換えるよう指示され
てもいます。しかし、古い来歴を持ち、それぞれ独自のニュアンスをたたえる漢語において、
同義・類義の語が容易に見つけ出せるものではありません。
・交渉の秘けつ
・賄ろを贈る
・黙とうを捧げる
などを、仮に「秘訣」を「奥の手」、「賄賂」を「まいない」と言い換えたとしても、果たして
その意味は正確に伝えられるでしょうか。「黙祷」に至っては、言い換えるべき適切な言葉は
ついに浮かんではきませんでした。
「交ぜ書き語」は、「当用漢字表」による「書き換え要求」への抵抗の一手段として発生し、
まことにグロテスクな形ながら、漢字・漢語の生命力を保つ役割を担ってきたとも言えるでし
ょう。
P13-
「制限」から「目安」へ
その締め付けが緩められるまでには、実に三十数年の歳月を要しました。「当用漢字表」(一
九四六年)が改訂されて「常用漢字表」として公示されたのは、昭和五十六(一九八一)年の
ことでした。その字数は、一八五〇字から一九四五字というわずか九十五字の追加に過ぎませ
んでしたが、その根本精神が、漢字使用の「制限」から「使用の目安」を示すにとどまるとい
う大転換だったのです。国家が漢字の使用に一定の枠を設けて、それ以外は使用を禁止すると
いうのではなく、漢字の使用枠を例示して、この程度までとし、その目安を示すにとどまると
いうことでした。
それは、まちがいなく国策の大転換でありました。皮肉な言い方をすれば、「交ぜ書き語」
という奇形の語まで生んで、表現の自由の回復を迫った庶民の、輝ける成果だったということ
もできるでしょう。
P14-
自主規制の自縛
このようにして、今から二十数年前に、漢字の使用制限は緩和されて、その使用は格人格機
関の自由裁量に任されたはずでした。ところが、今もなお、新聞や雑誌に、そして官公庁の公
文書などに「がん具」「処方せん」などの「交ぜ書き語」を見るのは、何故なのでしょうか。
折角、「当用」から「常用」へ、「制限」から「目安」への国策の転換があったというのに、表
現の現場では、それへの対応ができずに、「交ぜ書き」の呪縛から、いまだに脱し得ていない
のです。
確かに近年、新聞協会などが中心になって、「常用漢字表」にない漢字でも、必要とするも
のを選定しようとしたり、読み仮名付きでも用いたい熟語を提案しようとしたりする動きがあ
りました。前者の例としては、「牙・玩・瓦・拳・詣・虹・斑・妖」などが挙げられており、
後者としては、「旺盛・迂回・凱旋・葛藤・杞憂・真摯」などが挙がっていると聞きます。い
ずれの漢字・漢語を見ても、こんなものまでが今まで制限され、「交ぜ書き」の憂き目を見て
いたのかとの思いが致します。
この方向に沿って良識ある新聞・雑誌などでは、漢字使用の自由化は近年とみに進んでいる
かに見えます。しかし、現状ではまだまだ自己規制・自縄自縛の意識からは脱し得ていないの
です。
P15-
「交ぜ書き語」以前
「交ぜ書き語」誕生の原因は、「当用漢字表」にありと、すでに突きとめ得たはずですが、そ
のことにのみ、その責めを帰してしまうのは早計に過ぎるでしょう。幕末以後、明治・大正・
昭和の百数十年間は、実に漢字・漢語は受難の歴史を刻んだ時期でした。圧倒的な欧米文化の
流入期に、漢字の煩雑さを標的とした、当時の知識人やいわゆる先覚者と称された人々の漢字
へのバッシングは、ほとんど絶えることなく続けられてきました。
慶応二(一八六六)年、近代郵便事業の創始者前島密は、「漢字御廃止之儀」を徳川十五代
将軍に奉って、西洋文明流入に刺激された漢字全廃・かな表記論を展開しました。また、明治
六(一八七三)年、後に文相をも務めた森有礼は、漢字を全廃するだけではなく、日本の国語
を英語にしてしまえと主張しました。さらに物理学者田中館愛橘の如きは、「ローマ字国字論」
を多年にわたって国会に建議し続けています。
これらの主張は、さすがにそのままには当時の良識とはなり得ませんでしたが、その後、福
沢諭吉・森鴎外などが中心になって提唱した「漢字節減論」は、漢字の使用を二千字から三千
字程度にとどむべしという穏健なものでした。戦後の「当用」「常用」の両漢字表は、それら
の議論の延長線上にまとめられたものです。
従って、戦後の六十年間にこの両漢字表が果たした役割については、それなりの評価が与え
られてしかるべきでありましょう。しかし、文明開化期以来、百年以上にわたって議論され醸
成されてきた漢字文化軽視の風潮は、今に引き継がれているということができます。その風潮
の及ぶところ、敗戦直後に誕生し、今でも日本語の表記を呪縛し続けているのが「交ぜ書き
語」という醜怪な表記なのです。その姿を「羽織袴にハイヒール」「チャイナドレスに丁髷」
という異様な風体にたとえたとしたら、言い過ぎになりましょうか。
二 「交ぜ書き」の問題点
P17-
漢字は表意文字である
漢字は、その一字一字が意味を持つ、いわゆる表意文字です。現在、世界で用いられている
多くの言語では、単に音のみを表わす表音文字が用いられているのに対して、際立った特質で
す。
先に挙げた「交ぜ書き語」を例としましょう。
「がん具」の「玩」は、「もてあそぶ」。
「処方せん」の「箋」は、「ふだ」。
「虚心たん懐」の「坦」は、「たいらか」。
「破たん」の「綻」は、「ほころびる」。
「ら致」の「拉」は、「引っぱる」。
「き然」の「毅」は、「強く、たけだけしい」。
「進ちょく」の「捗」は、「はかどる」。
といった意味を表しています。
「交ぜ書き語」は、その漢字の熟語の一部を、音だけを表す仮名に書き換えてしまったので
す。意味が不明瞭になるのは当然です。そういえば、ここで使った「不明瞭」「瞭」もま
た、「りょう」と交ぜ書きせねばならない表外字でした。「瞭」は、漢和辞典によれば、「明」
に似て「あきらか」の意とされています。その字形に「目」を含むところから、視覚に関連す
る文字であることは、すぐわかるでしょう。この「瞭」を、「りょう」と書いたのでは、その
意味はかえってわかりにくいものになってしまいます。
五 後代に伝えたい言葉
P38-
言い換え・書き換えを拒否される言葉
新聞などによく現れるこの種の漢字熟語に、「改竄」「捏造」「晩餐」「容喙」などがありま
す。ゴシックにした漢字は表外漢字ですから、「団らん」と同じく、当然の如く仮名書きされ
ます。「竄」は「隠す」、「捏」は「こねあわせる」、「餐」は「御馳走」、「喙」は「くちばし」
といった意味合いの表意文字です。これらは「欒」と同じく、当世には、これ以外の意味合い
の用法を、他にあまり示さない漢字です。
しかしそれをそのままには、平易な同義後に置き換え・書き換えるすべのない漢語であるこ
とも確かなことです。
ここにはもう一つ、「団欒」と同じく、言い換えることの難しい格調の高い言葉として、「静
謐」という漢語を取り上げてみましょう。「謐」は、「静」とほぼ同義の漢字ですから、二字熟
して「静かで落ちついている」ことを意味しています。それならば、これはそんな難しい文字
を用いずとも、「静寂」「閑静」などの類義の語で、いくらでも代用できるはずです。しかし、
この語を敢えて用いたがるほどの人には、他のどんな言葉にも代えがたい、深い思い入れがあ
って、言い換えを拒否されているのです。
「交ぜ書き」や「言い換え」ではなく、漢字表現の平易化のために、当用漢字公布後には、
「刺戟」を「刺激」、「蒐集」を「収集」、「抛物線」を「放物線」、「下剋上」を「下克上」とす
るような漢字の「書き換え」が行われました。「叡智」も、その時「英知」と「書き換え」ら
れていたはずです。しかし、平成十七年(二〇〇五)年九月現在、名古屋で行われている万国
博覧会のテーマは、「自然の叡智」であって「英知」ではありませんでした。「叡智」は、「英
知」ではいけなかったのです。現代の日本では、「比叡山」の「叡」としかほとんど使われて
いないこの漢字の感触を、万博の当事者たちは、捨てきれなかったのでしょう。
六 「交ぜ書き語」を解消するには
P46-
「読み仮名」の活用
日本人の祖先たちは、外国産の表意文字を輸入して、その使用に熟達しました。その上に、
カタカナ・ひらがなという表音文字を発明して漢字と併用し、独自の文章表現を獲得しまし
た。ここに取り上げた「交ぜ書き」という手法は、その利便性の上に咲いた徒花とでも称すべ
きものだったのかもしれません。いずれにしてもその表記の醜怪さ、その意味の不明確さにつ
いては、すでにくり返し述べて参りました。
それならば、そのグロテスクな表記を改めるとして、どんな手立てが講じられるというので
しょうか。その答えは、まことに単純明快です。かつて、明治・大正期の新聞はすべての漢字
に読み仮名をつけていました。少年向きの講談本「立川文庫」という当時のベストセラーも
「総ルビ付き」でした。この知恵を今に借用すれば「交ぜ書き語」は立ちどころに解消いたし
ます。
P47-
漢字・漢語に対する正当な評価・認識を
それがなかなか現実には実行に移されないのは、漢字にルビを付ける煩わしさ、特に印刷上
の制約もあってのことと一応の理解はできます。しかし、そのために不明瞭となる熟語の語意
や、字面の醜さなどを思えば、どうしても克服せねばならない現代人への課題であると考えら
れます。要するにそれは、現代の筆者・表現者の良識、文字言語に対する感性や見識にかかわ
る問題ということになります。自身の表現したいその表現内容は、この一語以外に拠ることは
できないとする不退転の意志が働かない限り、たちまちに妥協されて、表外漢字を含む漢語
は、他の言葉に置き換えられてしまうでしょう。
それを拒否してその語の使用に執着した結果、窮余の一策として誕生せしめられたのが、
「交ぜ書き語」だったとしたら、その語は日本人にとって不可欠の重要な漢語であったという
ことになります。換言すれば「交ぜ書き」という醜状をさらしてでも残さるべき日本語とし
ての漢語ということにもなります。
戦後六十年の間に制定公布された「当用漢字表」「常用漢字表」は、いずれも国語表現とし
ての漢字の使用を、国家の名において規制したものです。そのことの当否はともかく、「交ぜ
書き語」は、その規制をくぐり抜けるために生まれた「落とし子」であり、苦肉の策の所産で
す。それほどまでにして生き残ったこれらの漢語は、実はわれわれ日本人にとって最も必要度
の高い言葉であり、仮名書きされた漢字は、その構成要素だったということになります。
「交ぜ書き語」で仮名書きされたこれらの漢字は、かくして「常用漢字(一九四五字)」に、
「人名用漢字(九八三字)」とともに、是非とも加えるべきものとなったと申せましょう。それ
によって、「交ぜ書き」される漢字も、仮名ばかりで表記される二字熟語も激減することは、
まちがいありません。
test.
台風で会社壊滅してくれないかなぁ
今日の日本のように贅沢になってしまった社会を、反対の方向に後戻りさせることは、
並大抵のことでは出来ない。私たち人間は一度手にした豊かさや便利さを、余ほどの外圧
でもない限り自発的には手放さないものだからである。
殊に日本や欧米諸国のように、国民の一人ひとりが強い権利意識を持ち、自己を主張す
ることが美徳と考えられてきた、いわゆる民主的な社会では、一握りの権力者が独裁的に、
国民の進む道を勝手に決めて強制することが出来ない。それだけに国民の一人ひとりが、
もうこれまでのような贅沢な暮し、物資やエネルギーを浪費する生活態度は続けられない
という、切実な自覚を持たなければ変革を起すことは至難の業である。
更に問題の解決を難しくしている点は、実は地球規模で起っている各種の問題は、一般
の人々にとっては見たこともない遥か遠い国の話か、自分が生きている間に起るのかどう
かも分らない、真に実感の薄い危機や破滅のことが多いことである。
たとえばテレビのニュースで、中央アジアのアラル海が、近い将来に人為的な水の使い
過ぎで完全に消滅することが確実視されているといったことを見聞きしても、だからとい
って周章狼狽する日本人は殆どいないだろう。
そして更に、このような大問題を知らされたからといって、自分の日常生活での具体的
なあれこれを改めようとする人など、先ず一人もいないと思う。
しかしこの同じ日本人が、仮にもしアラル海の僅か百分の一の大きさしかない琵琶湖が、
近い内に干上ってしまう虞れがあるなどということを聞けば、それは一大事だということ
になって、原因究明に大勢の学者が立上り、政府は対策に奔走し、民間からも助力援助を
申し出る人が沢山現われるに違いない。
しかしこのような反応の違いは日本人のエゴイズムでも何でもなく、むしろ人間として
自然で当然なことなのである。自分たちに馴染のない、しかも何千キロも遠い所で起って
いることに対して、身近で起っていることと同じ反応を期待する方が無理なのだ。
人間とて生物の一種であり、そしていかなる生物も広大な地球全体を一望の下に見わた
し、世界中の出来事に直接反応し適切に対応するようには、体も心も出来ていないのであ
る。
最近のように地球の全地域がオンラインで結ばれ、人工衛星を介して世界中の動きを瞬
時に知ることができ、同じ日の内に世界の主要都市の殆どをジェット機で訪れることが可
能であるといった情況は、体はまだしも普通の人間の心の対応処理能力を超えた、不自然
で無理なことなのである。
だからビアフラで内戦のために何百万という人が死に、パレスチナやユーゴスラビアで
は悲惨なテロや殺戮が、いつ終るとも知れずに続いていることを、私たちは知識として知
ってはいても、一般の人がそのことと自分たちの恵まれた安全で快適な生活との関連など、
深く考えもしないのは、別に冷酷でも何でもない。そうでなければ「身がもたない」のだ。
要するに我々人間は身近な者の幸不幸に一喜一憂し、目前の危機におののき、直接の利
害をむきになって争うという、生物一般に共通する原理で動いていることを改めて認識す
る必要がある。
ところが困ったことは、極く身近な見渡しのきく、狭い範囲の生活圏の中で起る問題に
だけ対応するように出来ている私たちが、生産活動や日常の消費活動の面では、国際化ど
ころか地球化してしまったのである。
食料の大半をはじめとして身の廻りの雑貨類や電気製品のかなりの部分すら、殆ど全世
界的なひろがりを持つ国々からの輸入品で占められている。第一、戦後日本の未曾有の経
済成長を築き現在の繁栄を支えている石油が、年により多少の変動はあるものの、その殆
ど全部を遥か彼方の湾岸諸国、メキシコそしてインドネシアといった産油国に依存してい
るのだ。よく日本は石油の海に浮んだ小島だと言われる所以である。
しかしこのような物資や資源の流通、エネルギーの輸出入が地球規模で行われるように
なったのは、何も日本ばかりではなく、程度の差こそあれ全地球的な現象なのだ。多国籍
企業の激増、経済のボーダーレス化、そしてECの誕生といったことは、すべて地球の上
を膨大なエネルギーを使う飛行機や船舶、列車やトラックの大群が、昼夜を分たず、それ
こそ気の遠くなるような夥しい数で飛び廻り動き廻ることを前提にしているのである。
だが日本の消費者に限らずどこでも、スーパーの棚の前で、あれこれと必要品を選ぶと
き、一つ一つの品物の由来する遠い国の社会情勢に思いをはせ、それを作りはるばると運
んでくるために使われた莫大なエネルギーや物資、そしてそこに不可避に付随する環境の
汚染や破壊などを考える人はいない。もしそんな人が日本に少数でもいれば、近年フラン
スなどから美味しいからといって、ビンやペットボトルに詰めただけの水を、飛行機で運
んでくるといった非常識な商売が繁盛する筈がない。統計によれば、日本でのミネラルウ
ォーターの輸入は、不況風をよそに年々増加の一途を辿っている。
日本で産出しない資源や、日本で作れないものを輸入するというならまだ分る。それを
大したこともないただの水を、外国から空輸する必要がどこにあるのだろうか。おいしい
水を飲みたければ、この世界でも有数の雨の多い日本で、何故おいしい水が飲めなくなっ
たのかを考え、その問題を解決することに金を使うべきではないだろうか。
私は金がある人が買うのだから別にかまわない、儲かるものは何でも商売になるという
マーケットメカニズムなどというものに世界の経済をまかせておけない段階に地球は来て
いると思う。そこまでしなければ果して人間は幸福になれないのかという、欲望の限界、
行為の善悪についての価値判断を下す時が来ている。経済人や技術者ではなく、思想家の
立場から生活を見直さなくてはならない。
P110-
二、「人並み」を目指すな
私がゴミ拾いをしたり、壊れた電気器具を一生懸命に直したりしているのを見て、「や
っぱり大学の先生はヒマなんですね」と言う人もいる。また学生の中には「よくそんなこ
とをする時間がありますね」と、質問とも驚きともとれることを言う者が多い。
そんな時、私は「神様は(ワタシミタイニ)頭の良い人を作る一方、(キミミタイナ)頭
の悪い人も作ったりしてずいぶんと不公平なことをなさるけど、時間についてだけは万人
に等しく公平に、一日二十四時間を与えて下さった。決して私だけが他の人より時間を多
く持っているわけではないよ」と返事をすることにしている。
他の人を見て、よくあんなことをする時間があると言う人は、他の人が自分のやってい
ることを全部した上で、更にそのことを余計にしていると考えるから、よく時間があるも
のだと思ってしまうらしい。私がいろいろと、あまり他の人のやらないことをやっている
ように見えるのは、さきに述べた嫌なことをしないことに加えて、世間の多くの人が、極
く当り前にやっていることの殆どすべてをしないからに他ならない。だから一般の人とは
違ったことを沢山やる時間があるのである。
私がほかの多くの人の普通にすることを殆どしない原因の一つは、私の育ち方にあると
思う。生まれた時から病弱だった私は、四人兄弟の末っ子ということもあって、非常に甘
やかされて育った。夏になると、よく当時自家中毒と呼ばれた悪性の胃腸病になり、一時
は入院して危篤状態になったことさえある。
そんなこともあって、母は私が興奮して疲れるような学校行事、たとえば遠足、運動会、
修学旅行、スポーツ大会のようなものは、いつも前もって学校に欠席届を出してしまう。
私も大勢でガヤガヤするよりは、自然の中で一人で遊ぶ方が楽しかったから、それで済ん
でしまった。小学六年生の時、志望した中学への入試に失敗した私は、体を鍛えておかな
いと一生他人に後れを取るから、第二志望の学校に入るより一年間ブラブラしたいと考え
て、丸一年というもの自転車に乗って郊外に行ったり、小鳥を捕ったりして遊んだ。
そして次の年に入学した学校が昔の東京府立第四中学校(現在の戸山高校)で、当時こ
の学校はスパルタ教育と猛烈な受験勉強で有名で、毎年第一高等学校(現在の東大駒場)
への進学者数を、ライバル校の府立一中(現在の日比谷高校)と競い合う、典型的な受験
校であった。
この学校は生徒の勉強と規律、そして躾に関しては徹底して厳しかった反面、勉強の邪
魔になると思われるものは一切を無視するか禁止した。遠足、運動会、修学旅行が学校行
事としては全くなく、放課後に野球をしたり映画を見に行くことも厳禁で、その上、学科
試験が不意に突然行われ、しかも問題はすべて習った範囲以外の応用問題が殆どで、生徒
たちに瞬時の怠けや、気のゆるみを許さない厳格な教育だった。
卒業生の中には在学中この学校の教育方針や雰囲気になじめなかったため、四中時代を
悪夢としてのみ記憶している人も結構いるようだが、私はむしろこの学校のドライで、腕
時計や万年筆なども、中学生には不要な贅沢品として禁止するといった質実剛健で禁欲的
なところが妙に性に合い、慶応に入ってからも依然として碌に映画館にも行かず、早慶戦
も全く興味なし、人混みは大嫌い、喫茶店など不良の入るところだといった調子の、変っ
た学生で押し通してしまった。
さて私は慶応の医学部に入っておきながら、途中で文学部に移るなどという騒ぎを起し
たりしながらも、卒業後は母校の助手として研究生活を続けることになった。そのうち私
は自分が大学の同僚たちとも、また一般社会の人々とも、ひどく違った変り者だというこ
とに気付き出した。
そこで私は次のように考えた。それぞれ多彩な人生経験があり、立派な特技を既にもっ
ている世間の人々と同じになるためには、余ほどの努力をしなければならない。そのため
の時間も金もエネルギーも大変なものだ。
更に具合の悪いことは、他の人の趣味や特技の大部分が、どう見ても私の性に合わない
ものだという点である。自分の好きでないものを無理してやっても、成功はおぼつかない
し、たとえもしうまくいったとしても結果は自分が人並みになるだけのことである。
それよりは、自分の好み、したい事に徹して、普通の人なら誰でもやっていることを、
むしろ意識的に拒否して、何かが出来ない、何かをしないという欠如性をもって自分を際
立たせる方がずっと楽だし、第一、金も時間もかからない、と腹を決めたのである。
それからというものは多少意地になって、わざとあれは出来ない、これもしないと、社
会一般に同化しようとせず、むしろ進んで異化する方向へ自分を向けていった。この心的
態度は私の日常生活を楽にすることに役立っただけでなく、私の学問、研究の上でも思わ
ぬ効果を発揮することになるのだが、この本は私の本業である言語学がテーマではないの
だから、この点には深入りしないでおく。
このように普通の人なら自分が人並みでないことをマイナスと考えるだろうが、私はむ
しろそれをプラスと見る「逆転の発想」で人生を乗り切っていく覚悟を決めたのは、三十
際前後の頃であった。
その結果として私はマージャン、トランプ、パチンコといった娯楽は殆どした覚えがな
いし、碁も将棋も経験なし、ゴルフや野球を始めとするスポーツは、自分でするのも他人
の競技を見るのも全く興味がない。自分から進んでバーに行ったことはなく、赤提灯や縄
暖簾もくぐったことなし、カラオケ未経験、喉自慢や紅白歌合戦など見るのも嫌、温泉旅
行団体旅行は真平御免、ダンスもディスコも無関係、競輪、競馬、宝くじといった賭事一
切興味なしと、この調子でまだまだいくらでも続けられる。人混みが大嫌いだから博覧会、
お祭り、イベント(何と嫌な言葉だろう!)の類は絶対に行かない。
いつだったか学生たちにこの話をして、「僕は『何もしない会』の会長になれるぞ」と
自慢したら、「でも会員は一人もいませんね」と返されて大笑いをした。
そんなわけだから私には自分の好きなことをやる時間がたっぷりあるので、決して大学
の教師だからではないことが分って頂けると思う。現在日本には大学教師と名のつく人が
十二、三万人いるそうだが、私のような現代版六無斎のような変人は決して多くないこと
を、一般の大学の先生の名誉のために言っておきたい。