【戦争】1945年8月6日 8時15分 原爆の日【平和】
終戦記念日記念特別論考『リュックスなる欲望――我、真の求道者なり(「エピクロスの軟骨(ペニス)」改稿)――』
――当方、己に内在する本能や欲求、己の内より発せられる欲望や日々刻々と勃興する肉棒のみに即し、打算・妥協の類を排し、常に一糸まとわぬ自然体で所かまわず発情、潔く、清らかに生きると言う天真爛漫にして奔放不羈なる
生き方が災いしてか、不本意ながら、他人からは天性の快楽主義者・享楽主義者と目されておるようで、良く「ああ、エピキュリアンだね、エピキュリアンだ、まったく野獣だね、早く捕まればいいのに」と指差されることがある。
しかしながら真のエピキュリアンとはいかなるものだろうか。
俗世にある愚民・衆盲どもの言うそれは取り返しのつかない謬見にまみれておるのではなかろうか。
先ずエピキュロス派哲学の根底には『アタラクシア(ataraxia)』の追求がある。
アタラクシアとは物質的な充足を離れたところにある“魂(心)の平穏”のことを指す。
実際エピクロスは身体の健康と魂の平静のみを求め、「その日その日を送れるパンと毛布さえあれば良い」と言明した清貧の人である。
【結論】 当方は自堕落な快楽主義者にあらず、真の意味での脱物質世界を構築、実践・体現せんと志すストイシズムの極北、禁欲の権化、言うなれば魂の求道者である。
もっと尊敬されても良い(と思う)。