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たとえ、掲示板のあなたの書き込みが削除できたとしても、
「あなたがそれを書き込んだという事実」は未来永劫消えることはない。
「あなたの書き込みを見て苦しむ人間がいたという事実」も ,
決して消えることはない。
あなたのすべての行為は、雲散霧消することなどなく、
この世にとどまり、漂い続けて、何らかの形であなた自身に
必ず返ってくるのです。
人の尊厳を平気で踏みにじる、あなたの心ない書き込み。
「ネタだから。」というのは言い訳にならないのです。
「あなたが書き込んだことは、そのままの意味を持ち、
一生あなたに付いて回る。」ということを肝に銘じなさい。
抱き枕=開きメクラ=抱きダルマで石川梨華がいい感じ
宝島社文庫刊 「実録!刑務所のなか」
刑務所・精神病院・スラムは、
「清潔な市民社会」から身を守るための
シェルターでもある!
遠山高史(精神科医)インタビュー/構成=古橋健二(フリーライター)
――遠山先生は、精神科医として数多くの精神鑑定をなさっているわけですが、そうしたな
かで犯罪者と接する機会も多いとお聞きします。今日は、精神科医の目から見た犯罪者と刑
務所ということで、お話をうかがえればと思います。まず、どのようなことで精神鑑定が行
われるのか、そして、どのようにして犯罪者と出会うのかといったことからお尋ねしたいの
ですが。
遠山 大ざっぱにいうと、鑑定には禁治産宣言のための民事鑑定と精神保健鑑定と刑事司法
鑑定の三通りがあります。民事鑑定は家族などの依頼で行い、行政が行うのが精神保健鑑定、
裁判所や検察が行うのが刑事司法鑑定です。精神保健鑑定の場合、鑑定を行うべきかどうか
の判断は保健所(知事)がします。多くの場合、警察が保護し、保健所が「鑑定が必要だ」
と判断すれば、精神保健指定医二人で鑑定をすることになります。で、その二人の医師が一
致して、自傷あるいは他害の恐れがあると判断した時に、精神病院に強制的に収容されるわ
けです。
エリツィンの声が聞える
――どんな場合に精神保健鑑定が行われるのか、少し具体的なケースでお話しいただけます
か?
遠山 たとえば、ある男性が夜中にコンビニエンス・ストアにやってくる。そして、商品を
つかむと、そのままお金を払わずに店から出ようとする。店員と押し問答になったけれども、
普通のもの盗りにしては態度が大きすぎるし、制止しようとすればボカンとやる。駆けつけ
た警官にも著しく抵抗する。そのうえ、「コンビニの中からアリサミラの声で、高野山に行
けと指令された」などと、なにやらわけの分からないことをブツブツ呟いている。アパート
に一人住まいで、身内の連絡先も分からない。あるいは、ベランダの上からいまにも飛び降
りそうな男が通報で駆けつけた警官に保護されたが、留置場の壁に頭を何度も打ち付けたり
して、奇声を発している。そういう場合にも、精神保健鑑定が行われます。
――一方の刑事司法鑑定のほうは、どういうケースがあるんでしょうか。
遠山 司法鑑定は、はっきりと事件を起こした人に対する精神鑑定です。逮捕された後、取
調べの段階で精神病の疑いが出て鑑定に出される。で、その結果が病気と出れば、不起訴に
なって病院に送られることが多いのです。それから、取調べも終わって起訴された後、裁判
の過程で弁護士や検事からの依頼を受けて、裁判長の判断で鑑定に回されるケース。この二
通りがあるんです。
起訴前鑑定のケースでは、たとえばこういうのがありました。畑の真ん中で女性の腐乱死
体が見つかった事件ですけど、殺害した犯人の犯行後の行動がおかしかったんです。殺した
後、遠くに逃げるわけでもなく、隣町かなんかのホテルでうろうろしてた。不審に思ったホ
テルの人が警察を呼んだら、屋上に逃げて「死ぬ」とか騒いだので保護されたんです。で、
自分から犯行を自供した。検事は、殺人者にしてはヘンだということで鑑定を依頼してきた
んですが、なんのことはない。金がらみで女を殺したんだけれど、気が動転しちゃって、そ
のうえ持ち金もなくなってうまく逃げられなかっただけなんです。当然、そんなのは精神病
ではないですから、責任を問われて罪になります。
起訴前の鑑定では、詐病というケースも多いんですよ。捕まった時に病気を装って、わざ
とハチャメチャなことを言う。詐欺師に多いんですよね。検察も人手不足で忙しいし、起訴
状書くのもたいへんですから、病気なら不起訴にできるし、あとは病院にまかせられると、
わりと簡単に鑑定に出すんです。で、精神化の医者というのは、症状があれば飛びつくとい
う悪い癖がありますからね。いい加減な医者は、「エリツィンの声が聞こえる」などと言わ
れると、幻聴があるということで、すぐ「病気」と判定しちゃう。それで、詐欺師は刑務所
には行かずにすむし、犯罪もチャラになります。
――でも、そうすると、精神病院に入院させられちゃうわけですよね。
遠山 精神病院はガードが甘いから、逃げだそうと思えば簡単なんです。薬なんかは飲むふ
りしてサッと吐き出しちゃえばいいし、「みんなで外で体操しましょう」なんて時に、スッ
と逃げだせばいい。おとなしくしていれば開放病棟に移されますから、すぐ逃げられます。
警察にはいちおう届けますけど、どうせ住所不定でしょう。警察だって、殺人犯ともなれば
別ですけど、寸借詐欺ぐらいでは探しません。で、犯人は、別の土地でまた詐欺をやって、
被害届が出ないかぎり、警察も処遇を精神病院にすぐ求めてきがちですし、そうやって全国
を渡り歩いている詐欺師もいました。
――そうなると、完全な知能犯ですね。
ハンパな人たち
遠山 ただ、現実には、そういう意識的な詐病よりも、「限りなく病気に近いけど、病気で
はない」という人のほうがやっかいなんです。病気もハンパ、犯罪もハンパ。異常性格とか
精神病質とかいろいろ言い方がありますが、性格が悪い、人騒がせ、はた迷惑で、ろくな仕
事もしないでときどきハチャメチャな行為をやって、その都度、刑務所に行くか精神病院に
行くかのどちらかを繰り返す。両方とも行く人と片方しか行かない人がいますが、要するに
ハンパな人たちとしか言いようがない。私などが、臨床の精神科医としてお目にかかるのは、
現実には、そういう人たちがいちばん多いんです。
――具体的にはどんなケースがあるんですか?
遠山 たとえば、八丈島から逃げてきた男性がいましたね。最初は婦女暴行で刑務所に入っ
たんです。それで、一年くらいで仮出所するんですが、また婦女暴行をして、今度は、「悪
いことをしました」と自分から警察に出向いて逮捕される。それでも、悪質なものではなか
ったということで、やはり一年くらいで出てきました。しかし、その後も、定職にはつかな
い、言動もおかしいということで、今度は精神病院に連れてこられる。で、退院して職につ
いても、行きづまると自分のほうから病院へ駆け込んでくる。生活保護とかもらいながら、
病院で二、三ヶ月栄養をつけてもらって、エネルギーをため込むわけです。彼自身は、ほん
との病気じゃないから、周りの弱い患者さんからタバコを巻き上げたり、病室で牢名手みた
いになって暴力的な支配をやったりする。そのうえ看護婦さんのスカートなんかめくったり
して、結局、嫌がられて病院を追い出される。
こういうタイプはいっぱいいます。だいたい、みんな食いっぱぐれです。働くのは嫌だ、
家族には見放されてる、ほとんどそんなパターンです。それで、ブラブラするか乞食になる。
乞食で生きていける人はまだ立派です。それなりの生きる戦略を自分で立ててるんですから。
私の言うハンパな人というのは、そういうこともやらない横着な人たちなんです。お金がな
くなったら、ひと騒動起こす。他人の車に入り込んで寝てて、持ち主が来ても出ていかない
とか、なんでもいいんです。で、保護されるか逮捕されるかして、刑務所か精神病院に入れ
てもらう。そんなことで、二十回も三十回も出入りを繰り返す。前科百犯なんて人もなかに
はいるわけですよ。
――なんか駆込み寺といったイメージですね。
遠山 ええ。そういうハンパな人たちにとっては、刑務所と精神病院はシェルターですね。
非常にレベルの低いシェルターですけど、それを使うのも、ひとつの人生、生き方なんです。
彼らは、それ以外の生き方ができないし、彼らを受け入れてくれる場所もない。それを、
「育て方が悪かった」「教育が悪かった」といくら言っても意味がない。そういう人間は、多
い少ないはあっても必ず出現いたします。社会という構造をつくった時、それに会わない人
間が必ず出現するということでもあります。
精神病院というのは、実質的には社会の三つの要請に応えてるんです。ひとつは病気の治
療。もうひとつは、一人では生活できなくなった人を収容して食べさせるという福祉的な要
素。三つ目が、ほっとくと大騒ぎになるようなことを抑えるための保安的というか、社会防
衛的な要素です。
刑務所のほうはどうかというと、三つ目の社会防衛的な要素が主で、結果として福祉的な
要素も担っている。比喩的に言えば、ハンパな人たちは、社会という不安定な塀の上をフラ
フラと歩いていて、左に落ちれば精神病院、右に落ちれば刑務所ということなんです。
ただ、最近は、精神科医たちが、あまり強い社会救済妄想を抱かなくなってきました。ひ
と昔前の精神科医は、自分たちも社会防衛的な役割を率先して果たさなければならない、ハ
ンパな人たちでも引き受けて社会の秩序を守らなければならないという妄想を抱いていたん
です。マスコミでも問題になった宇都宮病院の院長さんなんかは、その典型でしょう。だけ
ど、よく考えてみたら、医者ごときに世の中を救うなんて能力はあまりないんです。できも
しないことをできると思う、やや誇大的な考えだと気がつきだしたのです。だから、精神科
医は、精神を病んだ弱い患者さんを治すことだけに専念すればいい。それが、最近の精神科
医の考え方なんです。
そうすると、いままでなら精神病院で受け入れていたような人でも、「この人は病気じゃ
ない。何かをやったのなら刑務所で面倒見ろ」ということになります。刑務所は刑務所で手
一杯ですから、「精神病院でやってくれ」と言う。そういうかたちで、刑務所と精神病院の
間でハンパな人たちを押しつけ合うということが稀ならず起こっています。
覚醒剤精神病
――刑務緘や元受刑者たちの話を聞いてみると、覚醒剤の後遺症で幻聴が聞こえたり、急に
暴れだしたりするような人も刑務所に入っているようですけど、そういう人たちの場合は、
精神鑑定はされないんですか?
遠山 それは、しますよ。僕も覚醒剤精神病の人を鑑定したことがあります。その人は、少
年時代からシンナーを吸ったりしてたわけですが、中学時代にはすでに素行が悪くて、違う
学校の生徒を脅かして金を巻き上げてた。それで少年院に入って、少年院の中で中学卒業の
免状をもらう。その後は、兄弟の仕事を手伝ってたんですが、働くといっても、酒は飲むし、
シンナーはやるしで、十九歳の頃にヤクザ組織の組員になったんです。
組員になれば、使いっぱしりをさせられたり、出入りがあれば鉄砲玉をやらされます。彼
は本質的には気が小さいから、覚醒剤を打ったんです。覚醒剤を打てば、気が大きくなりま
すから。でも、結局、ヤクザも嫌になっちゃった。だけど、ヤクザから逃げるのも楽じゃな
い。で、無銭飲食したうえに暴れたかなんかして、手っとり早いところで刑務所に入ったん
です。ハンパなチンピラなら、やはり組織は面倒を見ません。それで、いったん関係が切れ
るから、逃げられる。本人が意識してたかどうかは分かりませんが、それで刑務所に飛び込
んだみたいです。
出所しても、覚醒剤のネットワークからは抜けられません。ネットワークで売りに来ます
から。また打って、薬で怒りっぽくなって、また軽犯罪をしでかす。それでまた刑務所に二、
三回入った。そのうち、今度は、幻聴みたいなのが聞こえてくるようになって精神病院に入
るようになった。で、幻聴が聞こえなくなると退院する。退院して三日もすると、また覚醒
剤を打って公園でアベックを脅かしたりして、また精神病院に戻る。彼は出るたびに覚醒剤
を打ってたんです。仲間のところでタダで打たせてもらう。仲間も面倒くさいから、覚醒剤
打たせて、追い返してたんでしょう。幻聴はますますひどくなるいっぽうです。
結局、大きな事件を起こしたのは、二十回目に精神病院を退院した時でした。食いっぱぐ
れて、飯場にいたんですが、飯場の労働も嫌なんですね。で、嫌だなぁと思うと、また幻聴
が聞こえてくる。覚醒剤というのはそういうところがあるんです。「殺せ」という声が聞こ
えてきたのかもしれないし、あるいはイライラしてただけなのかもしれない。とにかく、彼
は、道を歩いていた市民に重傷を負わせて逮捕されました。で、彼は「殺せという声が聞こ
えたのでやりました。私は病気でございます」と言ったわけです。それで僕のところに鑑定
が回ってきた。その時、彼はもう四十歳でした。
検事さんは、「これは病気ですね」と言いました。なにしろ、精神病院に二十回も入退院
を繰り返してるんですから。でも、彼の場合、いわゆる分裂病の言動とは違うし、理性も働
いている。僕は、「これは有責である」という鑑定書を書いたんです。
「いままでの人生でいちばん楽しかったのはいつ?」と聞いたら、彼はいみじくもこう言い
ました。「十四、五の時だった」と。それはいつかといえば、少年院にいた時なんです。た
しかに少年院は拘束されるけど、先生なんかもいて、わりとヒューマンな感じでしょう。冷
淡な家族よりは、少年院のほうが、彼にとってずっとホットな関係だったんでしょうね。少
年院が、彼の唯一の居場所だったのかもしれない。それ以後、彼はヤクザの構成員にもなれ
なかった。ヤクザの組織は厳しいですからね。それで、ただ覚醒剤を打って、寂しさをまぎ
らわせていたんです。
じつは、彼は僕にこうも言ったんです。「二十回も精神病院に出入りして、俺はついに治
らなかった。だから、今度は俺を刑務所に入れてくれ」と。その言葉もあって有責の判定を
したんです。ただ、やはり我慢強くない人間だから、刑務所に入ることが決まったとたんに、
「タバコが吸えなくなる」とジタバタしましたけどね(笑)。
――覚醒剤中毒というか、シャブ中というのは、刑務所に入れても大丈夫なんですか?
遠山 覚醒剤の中毒は、いまのところ刑務所のほうがよく治ったりします。覚醒剤精神病と
いうのは、普通の精神病と違って、状況によって変わるんです。非常に厳しい環境におくと、
いくら覚醒剤を打ってもなんの反応もしないというところがあります。で、まったくフレー
ムのない状況で覚醒剤を打つとハチャメチャなことをやる。つまり、当人がどこかで分かっ
ているというか、状況依存症があるんです。だから、刑務所というものすごく固い構造の中
にいると、わりとキチッと身を律することがあるんです。そもそも日本では、覚醒剤精神病
をきちんと治せる病院はまだほとんどないということにもよりますが。
刑務所に入れば、一定期間、覚醒剤からは完全に遮断されます。精神病院は、さっきも言
ったように穴だらけですから、中で覚醒剤を打てる可能性があります。実際、いま話した四
十歳の男性なんかは、酒も飲むし覚醒剤も打ってました。そのうえ、精神病院は覚醒剤の患
者は嫌いますから、他の患者の邪魔になるようだったら三日で退院させちゃう病院もありま
す。だから、覚醒剤中毒を治したいと思ったら、刑務所に行くのがいちばんです。覚醒剤は、
やめてしばらく苦しいだけで、一ヶ月もすれば欲しいという気持ちはなくなりますから。
一部の精神の病気には、刑務所のような構造のしっかりしたところにいると症状が目立た
なくなるものがあります。ただ、この場合、あくまで刑務所であって、精神病院の中ではあ
りません。簡単に説明するのは難しいのですが、刑務所のほうが構造がしっかりしているこ
とと、期間が定められていることが、病気の人にもプラスに作用することがあるということ
です。
シャバに戻りたくない男
――刑務所の中でしかまっとうに暮らせない人もいるわけですね。
遠山 そうですよ。外枠で支えると安定するというのは、なにもシャブ中の受刑者に限った
ことではないんです。「シャバに帰りたくない」と騒いで、僕のところに連れてこられた人
もいました。四十代後半の人でしたが、もともとはまじめな男だったようです。ただ、とき
どき気分が滅入ってくるような人で、奥さんに支えられてきたんでしょう。その奥さんに死
なれたんですね。もともとあまり甲斐性のない男だから、子どももどこかへ預けたりして、
子どもとも疎遠だったようです。弱い、甘ったれの男と言えばそれまでですが、奥さんの支
えを失って、経済的にも逼迫してきた。
そんなある日、彼は、お金を下ろそうと思って銀行に行ったんです。でも、キャッシュカ
ードの取扱い時間に、ほんの数分の差で間に合わなくてお金を下ろせなかった。わずか数万
円のお金だったようですが、彼は大騒ぎして、機械を壊しちゃったんです。で、銀行から通
報されて、刑務所に入った。刑務所の中では模範囚でした。
たいした事件ではないし、なにしろ模範囚ですから、すぐ仮釈放になりました。身元引受
人がいないので、帰性会という社会復帰のための施設に入ったんですが、いっこうに仕事を
する気配がない。それで、保護司さんが、「そろそろ仕事を見つけて働かないといけないよ」
という話をしたら、今度は宿舎の中で大騒ぎをする。他の仮釈中の人たちも、「あいつ殺し
ちまえ」などと怒っている。それで、保護司が困って、真夜中に僕のところに連れてきたん
です。
相手の言うことを聞きながら、表情とか態度とかを見て総合的に判断すれば、病気かどう
かは、わりと簡単に判断できるんです。精神分析が流行った時期は、病気と正常人の境界は
あまりないという意見が多かったんですが、実際はそうではないんです。標準化された訓練
を受けた精神科の医者が三人いれば、まず三人の判断は一致します。
で、その男性の場合でも、保護司の人は「ちょっと病気でしょうか」と聞きますが、われ
われが見れば、やはり精神病ではないんです。強いて言うなら、鬱状態、鬱傾向になってい
て、人生が嫌になっているというだけなんです。強い恐怖に圧倒され、混乱に陥っている者
とはぜんぜん違います。結局、ひと晩だけ預かって、次の朝には刑務所に連れ戻されて行き
ました。仮釈放の要件を逸脱したわけですから、刑務所に戻されたわけです。その人は、結
局、シャバに出るのが嫌で暴れたんです。そういう人たちもいます。
刑務所のいいところは、そういうハンパな人たちや世の中で自立できない人を、外枠で支
えていることなんです。刑務所は自由を代償にさせますが、支えを与えます。がっちりとし
たルールと規則でがんじがらめにして、行動の規範を与えるんです。人間が誰でも自由な状
況で生きられるとは思わないほうがいいんですよ。軍隊とかもそうですけど、刑務所のよう
にガッチリした外枠を必要とする人もいるんです。自分の衝動をコントロールするのがヘタ
な人っているでしょう。犯罪者はたいていみんなそうですけど、だから、刑務所の壁は、そ
の衝動を抑えられるほどに厚いわけです。
時間が構造化される場所、されない場所
――そうなると、ガッチリした外枠を必要とする人たちは、つねに塀の中にいないとダメだ
ということにはなりませんか?外枠がなくなったとたんにまた元に戻ってしまう。
遠山 元に戻ってしまう場合もあるし、そうでない場合もあるでしょう。これは非常に右翼
的な発想ですけど、ある程度、脳にたたき込めば、脳の中にその痕跡が残って、いい線いく
んじゃないかということもあるわけです。戸塚ヨットスクールなんかは、この発想で徹底的
にやったわけですね。厳しい枠の中で鍛えれば、情緒不安定な、コントロールの悪い人間も
ルールに従えるようになるだろうと。実際、成功したケースもなくはない。それをぜんぶダ
メとも言えないんですよ。
普通の人間にもギリギリでもってる部分があるでしょう。浪人生も、一人で勉強するより
枠の中に入ったほうがいいからって予備校に行く。フレームに入ったほうが楽だからなんで
すよ。枠があると落ち着くタイプと、枠があると窮屈なタイプといますけどね。たとえば、
中小企業の社長さんなんかは、丈夫な人たちですから、自分でプランして、自分で判断して
というエネルギーというか、力がある。ボス猿になれる人間と、サラリーマンじゃなきゃダ
メだという人間と両方いるんです。
ただ、この世の中自体がそもそもひとつの枠ですから、その枠にうまくなじめない人は、
刑務所というもっと厳しい枠の中で鍛えてから、世の中の少しゆるい枠の中に戻す。それが、
刑務所の本来の目的なんです。その目的はある程度、達成されているでしょう。そういう意
味では、刑務所というのは、社会に必要なシステムなんです。それなくしては、近代国家は
保てない。刑務所と精神病院と学校というのは、みんな近代の産物なんです。
しかし、同じ近代の産物でも、刑務所と精神病院ではかなり違います。刑務所では時間が
構造化されている。死刑囚以外は刑期が決まっていますから、刑期が終われば必ず外へ出さ
れます。ところが、日本の精神病院は入ったら最期、なかなか出られない。
しばしば、漫然と精神病院に閉じこめておいたりするので、ただでさえ治りにくい病気を
よけいに治らなくしています。いつ出られるとの説明もなく、退院することを家族も望まな
いなどといったこともあり、ずっと病院に留めおかれたりします。精神病院の中は時間が構
造化されていないのです。
文明というものは、そもそも時間を構造化したものですから、時間が構造化していなけれ
ば文明ではありません。分かりやすい例が学校です。それまで時間なんか関係なしに生活し
てきた子どもたちが、八時三十分に登校しろと言われて、四十五分ずつの時間で決められた
授業を受ける。四十五分という授業の時間、六年間という小学校の年数、それにはべつに何
の必然的な理由もない。社会が勝手に、「これがいちばん大多数に合うだろう」と決めただ
けなんです。現実には、一年で六年分のことを理解してしまう人もいれば、十年かかっても
分からない人もいる。そういう個人差を無視して一定の枠にはめるのが文明なんです。その
意味で、刑務所はきわめて文明的な場所ですけど、精神病院は終了がやってこないため、文
明社会とはいえません。ハンパな人たちはそういった世界でも逃げだしたり、自分から入っ
たりと、うまく使い分けられますが、本当の病気の人にとっては文明から外される恐ろしい
世界であります。まあ、これは余談ですけど。
犯罪マニア
――刑務所や精神病院を行ったり来たりする。いわゆるハンパな人たちがいるという話は分
かったんですが、そうしたハンパな人ではないのに、何度も刑務所を出たり入ったりしてい
る人たちもいますよね。窃盗の累犯なんかはその典型だと思うんですが、そういう人たちは、
どういう精神構造になっているんでしょうか?
遠山 窃盗の累犯は、マニアが多いでしょうね。いわゆる盗癖です。あれは、いくら捕まっ
てもやめられないようです。盗癖というのは、精神病理的に云々と説明はついてますけど、
なかなか治らない。僕が診たなかにも、東京都で十番以内に入るIQをもった女性がいまし
た。もちろん、一流大学を出ました。それで一流の企業に就職した。仕事のうえでも、なか
なかのやり手なんです。でも、盗癖があった。
計画的に盗むんじゃないんです。スキがあると盗むんです。そういう人は、けっこういる
ようです。僕は、そういう人たちを悪人だとはあまり思いません。むしろ盗まれるほうが悪
いと……。それはともかく、人間の集団のなかには、必ず盗癖のある人がいます。十万円の
入った財布が置いてあると、ぜんぶ盗らないで、中から三万円ぐらい持っていく。その女の人
も、そういうことをずっとやっていたようです。ただ、頭もいいということもあって、非常
に巧妙に盗んでいたから、二十年近く、誰にも分からなかった。だけど、なんとなく、あの
人がいるといつもお金がなくなるというのが分かってきたんですね。それで、ある日、現場
を見つかって会社をクビになりました。でも、過去の分は証拠がないから、逮捕されるまで
にはいたりませんでした。そして、会社を変わって、新しい職場でまた同じことを繰り返す。
彼女には、ぜんぜん罪の意識はないんです。脳の中に行動パターンがインプットされてる
としか言いようがない。単純に教育の問題とばかりは言えません。ネズミなんかもスキを窺
って、食べものをサッと盗ってくる習性がないと生き残れないでしょう。あれは、泥棒の技
術そのものです。タヌキだって、親鳥がいないところを狙って、卵をサッと食べていなくな
る。カモメにいたっては、巣が隣接していると、隣の親がいない時に卵をペロッと食べちゃ
う(笑)。
結局、盗むというのは、人間社会のルールの枠からは逸脱してますけど、もともと生物の
本性でもあります。戦争があれば、みんな盗ってくるじゃないですか。それがいいか悪いか
はともかく、とにかく窃盗マニアはいます。そういう人たちは、いくら刑務所に入るのが嫌
でも、ついつい盗みを働いてしまう。もちろん、盗みだけではありません。いろんな犯罪の
マニアがいます。苦労のあげくやっと癖が治る人もいますが、懲りない面々のたぐいは尽き
ることはないようです。
豊かで清潔な日本はスラムの夢を見るか?
遠山 それからもうひとつは、刑務所の中も世の中も同じという人たちがいます。むしろ、
刑務所の中のほうが、多少労働はきつくても、ご飯もちゃんと出てくるし、規則正しい生活
が送れていいと。いわゆるハンパな人たちとは違って、はっきり刑務所を利用して生きてい
る人たちです。そうなると、われわれが会社に入って上司に働かされているのと、たいして
変わりません。よく考えてみれば、刑務所や精神病院といった社会施設を利用するのも、ひ
とつの巧みな生き方ですから。
いまは、日本の社会がかなりハイレベルになってしまいましたけど、ちょっと前までは日
本も貧しくて厳しい社会でしたからね。相対的にみれば、刑務所のほうがずっと居心地のい
い場所だったわけです。最近では、ヤクザ屋さんでさえ、刑務所に入りたがらない。ひと昔
前なら、ヤクザという厳しい稼業のなかで、刑務所に入るのもひとつの逃げだった可能性が
あるんです。でも、いまはヤクザだってぬくぬくとベンツに乗っていたい。社会全体が豊か
になったから、刑務所に入りたがる人も減ったんです。
ただ、世の中がいくら豊かになっても、人間、みんながみんな、そんなにスマートに生き
られるとは限りません。いまどこの住宅街もきれいでしょう。非常にこぢんまりと生きてま
すね。他からの干渉もあまりない。快適でしょう。瀟洒な社会です。でも、そういう中から
ハンパな人が生まれるようです。家庭内暴力なんか、そういった小ぎれいな住宅街からよく
発生しますが、やはりハンパな人びとと言えるでしょう。幼女誘拐殺人の宮崎勤だって、そ
ういうハンパな人間の一人でしょう。彼らは、基本的には不器用な人で、スマートで行儀よ
くふるまうことを親や学校から求められてもできないのです。スマートで行儀のいい人間し
か相手にされないような、瀟洒できれいな社会では生きられないんです。行き場がないから、
家庭の中で暴れたり、誰が考えてもおかしなことをして、周囲の秩序にドロを塗り、自分を
排除し疎外する社会にしっぺ返しをするのです。
じゃあ、そういうハンパな人たちは、どこへ行けばいいのか?
文明はそういった人びとのために を用意してきました。東京の地価が急激に上がっ
て、いまや らしきところは東京のどこにもなくなってしまいましたけど、僕は、社会
には、 が必要なのではないかと思ってます。精神科医の立場からすれば、人間にも社
会にも、そこそこにほころびがあっていいんです。そのほころびが、社会で言えば な
んです。社会は動的平衡を保ちながら、ダイナミックに動いているものですが、その動きか
らはじき出される人間がいつの時代にも必ずいます。その受け皿として、刑務所や精神病院
がありますが、それだけで文明から外れそうな人びとのすべてを受け入れることはできっこ
ありません。
しかし、いまの豊かな日本からは、ハンパな人たちの受け皿がどんどんなくなってます。
小ぎれいになった分、多様性が失われつつあるとも言えます。このままきれい好きの日本人
が、街をどんどんきれいにしてごらんなさい。ハンパな人たちは、行き場を失って追いつめ
られますね。そうすると、社会はもっと大きなリスクを背負うことになります。ハンパな人
たちを一網打尽にして、刑務所や精神病院に入れてしまえという思想も出てくるでしょう。
あるいは、受け皿がまったくなくなれば、ハンパな人たちがホームレスとなって巷にあふれ
るかもしれません。 ならそういった人びとを吸収できるのではないでしょうか。「水
清ければ魚棲まず」のたとえもあります。 といってもいろいろあり、なかなか住み心
地のいいところもあるようです。 を人為的につくれとは言いませんけど、日本人のき
れい好きもいい加減にしておいたほうがいいと僕は思いますよ。
P30-
山谷を見てきた人のなかには、ドヤ街における家族の不在と比較的少ない暴力について指
摘する者もいる。しかし静寂な雰囲気イコール健全さのしるし、というわけではまったくな
い。主流社会の、ほとんど熱狂的なせわしない活気とは鮮やかな対照をなす山谷の日中の気
怠い静寂(路上に寝転がっている暇そうな男くらいしか見るものはない)は事実、主流社会
の日本人がひどくいやがる生き方、ある種の道徳的衰退を連想させる。東京のこの地区を頻
繁に訪れていると知人に話したところ、明らかに迷惑そうな顔をした。「俺だったらそんな
ところで無駄な時間は過ごさないよ。泥沼にははまりたくないからね」。彼の目に山谷は単
に不愉快なだけではなく東京のイメージを傷つけ、浅はかな通行人が接触でもしようものな
ら伝染する膿を持つ傷として映るようだ。
それ故に山谷は心のなかに作られたスラム街であるとさえ考えられる。より正確には、こ
こは住民(同じ住民でも所属によって異なる)と非住民にとっては明らかに同じではないと
いう意味で、「心象風景」である。この地区に足を踏み入れることなどまずないために想像
するしかない後者にとって、山谷は個人の不節制や過失のせいで人生に失敗した男たちの不
潔な吹き溜まりである。前者(少なくとも日雇い労働者)にとっては避難所である。敗北の
象徴かも知れない。が、同時に人生の再出発を認めようとしない社会において、どんなに小
さかろうが再出発の可能性が掴めるかも知れない場所でもある。交通の便が良く、酒、ギャ
ンブル、お手軽なセックス、匿名性、それに何よりもすぐに手に入る収入の魅力が、解雇さ
れた労働者、地方出身のはぐれ季節労働者、借金取りから逃げ回る男、ばくち狂い、元詐欺
師、元やくざを引きつける。
P215-
「みんな俺たちのことを疫病のように避ける。汚れて、臭くて、危険だという。そうだ、臭
いかも知れない、汚いかも知れない。だが、それにはわけがあるんだ。他の人のようにいつ
も風呂に入る金がない。だが、仕事は一所懸命やる。しかも誰もやりたがらない仕事だ。こ
のように生きてきた人に何らかの見返りがあってもいいのではないか、と突き詰めればこう
なる。寒いときに外で寝るのはおもしろくも何ともない。だが、屋根の下で眠れる金が稼げ
るだけの仕事が見つけられる人は多くない。歳を取るととくにそうだ。いいか。若くて一所
懸命働けば、問題はない。俺はこういう奴をA世代と呼ぶ。稼ぎはいいし、暮らしは楽で、
ビジネスホテルに泊まれる。しかしB世代になると体にはかなりガタがきている。中年で若
いときのようにつるはしは扱えない。体にむち打って週に何日か働き、働かないときには失
業手当で過ごせるように、白手帳に充分な日雇労働者用保険印紙がたまることを願う。言い
換えれば、かろうじて採算が合うということだ。それから高齢世代、C世代が続く。この世
代は過去の人だ。病気か身体障害者、そうでなければ他に行くところがない。仕事はできな
い。ゆっくりと骨が休められ、次の仕事のために英気が養える、きちんとしたところに泊ま
る金もない。この世代の人は、山谷には長居をしすぎた。ここまでくれば、社会には会費を
収めたんだし、何かしら返礼を受けて当然だと俺は思う」
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山谷の真のホームレスが、完全に労働市場から排除された老人たちであるのは、
いかな山谷の住人とはいえ、この最後の転落に直面すれば必死の抵抗を示すから
であろう。労働市場に残り得る人々は、おそらく、この最後の転落の危機に際し
ては労働市場に残るため全ての力を傾注することを厭わないだろう。山谷の真の
ホームレスが、この最後のあがきが功を奏さなかった老齢者に限られているのは
このためだろう。
さらに老齢になれば(六十五歳ぐらいで)福祉の手が伸びてくるらしいのだが、
労働市場から排除されてから福祉の手の中に飛びこむまで、端境期とでもいうべ
き時期があり、この時期の人々が山谷の真のホームレス階層を構成しているので
はないかと思われる。
食べ物を漁るという、山谷における真の階級差の境界を越え出た人々の群れは、
キリスト教団体などが催す、雑炊やすいとんなどの炊き出しの行列において見出
される。彼らの群れは遠くから眺めると、暗くて黒い人々という印象をつくり出
していた。季節を問わず一様に服装が黒っぽく、顔も戸外生活のためつねに黒く
日焼けしているのだ。彼らとてそれぞれに異なる性格の持ち主であるはずなのだ
が、一見する限りでは冗談や軽口など言い出しそうにない、むっつりと押し黙っ
た暗鬱な表情で統一されているという印象を受ける。つまり、どこまでも彼らは
黒々としており、そして暗いのであった。
仔細に見れば、行列の中には三十代と思われる若い人もおり、屈強な身体つき
の壮年も交じっているのだが、遠くから一見しただけではそのような人々の存在
には気づかないのだ。
この人たちの上を、とても苛烈なものが通り過ぎていったことは明らかであり、
この人たちはこの苛烈なるものの襲来からついに身をかわすことができなかった
という印象を受ける。彼らの表情と姿態の上にのしかかっているものの重圧は、
音が聞こえそうなほど明白に感じられた。明らかに、彼らはこの重圧に押しつぶ
されてしまっているように見える。
27 :
◆ZZZSMyXmwA :2006/05/14(日) 15:21:40 ID:py5+JgBs
【グロ野球速報】 Z武ライオンズ・エースZ坂が亀有セブナーズを零封!
埼玉コロコロスタジアム(深夜2時43分試合開始・観客108人)
亀有セブナーズ とZ武ライオンズの因縁の開幕戦は投打に圧倒的に地力が勝るZ武ライオンズが
728対0で大勝、
投げてはエースZ坂が持ち前の手羽先投法で、セブナーズの(文字通り)手も足も出ない
開きメクラ・ダルマ打線を9回3安打無失点に抑える好投を見せ、
腰抜けセブナー打線はZ坂の快投の前に終始オシのように沈黙したw。
なお初回セブナーズの亀無投手がライオンズ主砲Z原選手(DH)に向かって放った危険球に対して
(堪り兼ねた)ライオンズの西田監督が障害者団体を伴ってマウンドに詰め寄り、「障害者差別さ〜」と
猛抗議する一幕もあったが、幸いボールはZ原選手のコンパクトな肩口を掠めただけで大事には至らなかった。
(スポーツ放置/マカベ)
このスレもキチガイ支配か
29 :
私事ですが名無しです: