= フセインと私が歩んだ2003年 =
4月頃かな。フセインがブッシュにゆわれた
イラク退去の猶予期限切れでイラク戦争に突入した日。
私も暮れか屋さんの最終猶予期限喪失したw
2003年は私とフセインにとって激しい年だった。
私は裁判突入手続き完了までに現金作ろうと必死になった。
フセインは地位を守ろうと必死になっていたのだと思う。
私は特定調停も頭に置きつつ、お金作りに奔走したw
その頃、フセインはミサイルが飛び交う中、
必死に各地を転々としていたのだと思うw
裁判になるまでにお金を作ることが先決だった。
生活費なんて後回しだった。電気もガスも携帯も止められた。
皿菌の返済も後回し。取り立てが怖くて家にも帰れなかったw
お店でシャワー浴びて、安いネットカフェやカラオケボックスに泊まった。
時々、銭湯にも行ったりした。
けっこう、若い女の子も来ているのを知って凄く新鮮だった。
少しでもお金作ろうとコンビニのおにぎり食べて凌いだりしたw
ネットカフェに泊まっても、精神的に疲れていて、
2chを見る気力すらなかった日々。
ただ、ぐっすり寝ることだけが心休まる時間だった。
私が苦しい生活を始めてまもなく、バグダットが陥落した。
朝から晩までほとんどフルで働いた。
途中、給料を入れたお財布をお客さんに盗まれたこともあった。
あの頃は本当に心底、全ての運がどこかに行っていたのだと思う。
本当についてない毎日だった。
気持ちが沈むと幸せも運も逃げていくものらしい。
必死で奔走した甲斐あってようやくお金ができた。
それほど大きい債権ではなかったから助かったのだと思う。
朝、御堂筋沿いの銀行へ行って振り込んだ。
凄く晴れた春の日だった。
ナンバ周辺には手相屋さんいっぱいいるのだけれど、
あの頃の私は手相屋さんの前を通り過ぎる度に声をかけられた。
たぶん手相じゃなくて、顔を見られていたんだと思う。
自分で鏡を見ても気力のない顔してたからw
顔売る仕事なのにこれじゃーダメだとか思って、
無理に笑ってみても全然、嬉しそうじゃなくって、ぎこちなかったw
全額払って裁判回避できて開放されて。
放置していた皿菌の延滞金も払って、
滞納していた電気やガス、携帯代とかも払って。
N○Tの電話代なんて間一髪のところだった。
契約解除の手続きに移行中だったみたいでw
慌てて契約解除の手続きをストップしてもらった。かなり焦ったw
ほんと間一髪のところで電話の債権と電話番号を失わずにすんだ。
全ての延滞金を払って元の生活に戻ったら、
手相屋さんに声を掛けられることもなくなったw
春なんだなぁって、ぽかぽか陽気を感じる余裕も生まれてきた。
2003年、今年の春頃は本当にキツイ毎日だったw
今は普通に生活費払えるし、皿菌の元金も払える。
雑誌も服も化粧品もCDなんかも買える。
自宅にも帰れるし、取り立てもこない。
ぐっすり昼間寝られるし、自宅のお風呂にも入れる。
大好きなテレビもビデオも見れる。
こうやって2chだって心置きなく楽しめるw
2003年も終わりに近づいた頃、ニュース速報が流れた。
フセイン拘束。作戦名、レッドドーン。赤い夜明け。
農場の穴ぐらから引き出されたフセインの顔はとてもやつれていた。
自信がなく弱った顔。貧弱の顔。春先の私と同じ顔と目をしていた。
とっても惨めな気持ちがした。
彼に同情なんてしないし、可哀相とも思わないけれど。
そして2003年のイブ。
私にも赤い夜明けがやってきた。
暮れ屋二社からの返済案の再提示。
私の夜明けはフセインとは違って、素敵な夜明けだった。
春頃の私を思い出せば、凄く幸せな時間を取り戻せたと思う。
私の赤い夜明けはたぶん、
私の2004年を明るく照らしてくれるに違いない。
2003年、ほんと私、ガンガッタよヽ(*´∀`)ノ