米ジョージ・ワシントン大学の国家安全保障公文書館は23日、1968年
1月に米軍の情報収集艦「プエブロ号」が北朝鮮に拿捕(だほ)された事件に
関する米軍・政府の公文書を公開した。文書により、事件を受けて緊張が高まる中
米太平洋軍が北朝鮮への核攻撃を含む有事軍事計画をまとめていたことが判明した。
公開文書のうち、統合参謀本部議長向けの68年5月14日付の覚書は
「北朝鮮への核兵器を用いた緊急対応計画の概要を伝える」と明記。最大70キロ
トンの威力の核兵器により、一握りの軍事目標を狙う計画から、重要な攻撃部隊や
後方支援部隊・施設の全てを標的にするものまで、三つの北朝鮮攻撃の選択肢が
あると述べた。
作戦名は「フリーダム・ドロップ」で、航空機や地対地ロケット、短距離弾道
ミサイルを使用。覚書は同時に、「フレッシュ・ストーム」の作戦名で通常兵器に
よる有事計画も提示し、北朝鮮空軍をせん滅するため、爆撃機B52などで
24時間空爆を加えるなどと説明した。
一方、国務省の別の覚書によれば、ラスク国務長官(当時)は同年5月17日
北朝鮮の後ろ盾とみられていたソ連の駐米大使らと会談し、事件解決に協力する
よう要請した。長官はこの際、北朝鮮が韓国を攻撃すれば「最大限の暴力的手段」
で反撃すると警告し、核兵器の使用を示唆している。
一連の文書からは、ジョンソン政権(当時)が北朝鮮への報復として、港湾の
閉鎖や大規模空爆、大隊規模の強襲計画などを検討したこともうかがえる。
ただ、ジョンソン大統領は結局、軍事力の行使を退け、日本海への空母展開と
いった示威行動を命じるにとどまった。
source:時事ドットコム
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2014012400748