ソースは
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130418/erp13041808030000-n1.htm http://sankei.jp.msn.com/world/news/130418/erp13041808030000-n2.htm [1/2]
旧ソ連の独裁者、スターリンによる1930年代後半の「大粛清」で、当時のソ連に
滞在していた日本人4人が銃殺刑に処せられていたことが、ロシアの人権擁護団体
「メモリアル」のとりまとめた資料から新たに判明した。
専門家によると、大粛清での犠牲が確認された日本人はこれで26人となった。
共産主義に共感してソ連入りした日本人がスパイ容疑をでっち上げられ、虐殺の嵐に
巻き込まれた構図が資料から改めて浮かび上がった。
メモリアルはこのほど、スターリンが直接、粛清を裁可した約4万3500人の名簿を
各種の公文書や地方の記録を基に作成。
この中から日本人10人に関する情報を抽出し、産経新聞に提供した。
大粛清の日本人犠牲者について調査している加藤哲郎・一橋大名誉教授によると、
これにより日本人4人が銃殺され、1人が収容所内で死亡していたことが新たに
確認された。
犠牲者5人が居住していたのは、モスクワに加えて西シベリアのノボシビルスクや
極東のアムール州、ハバロフスク、ウラジオストク。
加藤氏は「地方に居住し、地方で処刑された人の情報が出てきたことは貴重だ」と話す。
共産体制の分派を苛烈に弾圧したスターリンの粛清は37〜38年に頂点を迎える。
37年7月、各地の内務人民委員部(NKVD)にはあらゆる「反ソ分子」を粛清する
ノルマが課され、対象は一気に拡大した。
メモリアルでは、37〜38年に銃殺された約70万人のうち9割が「欠席裁判」で
判決を下されたと指摘している。
今回、銃殺が判明した日本人4人のうち3人は「判決」と同日に刑が執行されていた
ことが資料で確認された。
加藤氏によれば、当時のソ連には、大使館の把握していた新聞記者や商社員を別にして
約100人の日本人がいたとみられている。
(1)野坂参三氏ら日本共産党指導者(2)亡命した国崎定洞・元東大助教授ら知識人
(3)北海道や樺太からの政治亡命者(4)極東ウラジオストクなどに入港して
住み着いた漁民・船員といった人々だった。
知識人や政治亡命者は共産主義を奉じていたほか、漁民・船員や労働者も多かれ少なかれ
ソ連を「労働者の天国」と考えていた可能性が高い。
「日本人は『仮想敵国のスパイ』として格好の標的とされた。
ソ連当局は1人を『人民の敵』として捕まえると、拷問によってその友人の名を
割り出し、次々と『スパイ』に仕立てていった」
加藤氏はこう語り、「約100人の日本人のうち、全く“無傷”で生還できたのは
野坂参三氏くらいであり、残りは銃殺や強制収容所送り、獄中死、国外追放といった道を
たどったと考えられる」と指摘する。
日本人の粛清をめぐっては、女優の岡田嘉子さんと樺太から越境し、銃殺された演出家、
杉本良吉氏のケースなどがよく知られる。ただ、戦後のシベリア抑留と違って国の調査は
行われておらず、現在でも推定50人以上の消息が不明だ。
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-続きます-