【ケニア】 アフリカに明の「永楽通宝」 米研究者が発見[13/03/18]

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1納豆サイコーφ ★
【ニューヨーク共同】
米シカゴのフィールド博物館は18日までに、アフリカ・ケニアのマンダ島で
中国の約600年前の硬貨が発見されたと明らかにした。
AP通信によると、博物館側は、硬貨は明の永楽帝が発行し、その名が刻まれているとしており、
「永楽通宝」とみられる。米国の研究者らが調査した。

発見されたのは1枚。APは研究者らの話として、この発見により、「大航海時代」より前に
中国と東アフリカの間で交易関係があったことが分かるとしている。

調査はフィールド博物館、イリノイ大シカゴ校などの研究者が中心となり、
ケニアの研究者らとも合同で実施した。
http://www.47news.jp/CN/201303/CN2013031801001679.html
2七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 20:53:42.76 ID:YE+cGqiH
中国人が最近埋め込んだんだろ
3七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 20:53:49.56 ID:jZSOUJYJ
中国の領土アル
4納豆サイコーφ ★:2013/03/18(月) 20:54:26.62 ID:???
鄭和 - Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E5%92%8C

鄭 和(てい わ、Zheng He, 1371年 - 1434年)は、中国明代の武将。
永楽帝に宦官として仕えるも軍功をあげて重用され、南海への七度の大航海の指揮を委ねられた。
本姓は馬、初名は三保で、宦官の最高位である太監だったことから、
中国では三保太監あるいは三宝太監の通称で知られる。

鄭和の船団は東南アジア、インドからアラビア半島、アフリカにまで航海し、
最も遠い地点ではアフリカ東海岸のマリンディ(現ケニアのマリンディ)まで到達した。
彼の指揮した船団の中で、最大の船は宝船(ほうせん)と呼ばれその全長は
120メートルを超えるような大型船だったといわれる。


ということでこれが裏づけされたってことで良いのかな?
5七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 20:59:07.09 ID:LFuePfQQ
交易はオーバーな表現な気が・・・
6七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:00:46.22 ID:stnEJ/Ai
鄭和は在日ニダ
7七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:02:08.49 ID:qr/rOfTC
中国と貿易してたヨーロッパの商人が
「これいらねーな」って捨てたんだろ。
8七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:06:06.26 ID:/yrEoA4H
これは尖閣周辺で似た事例が見つかる前触れにすぎない
9七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:07:21.20 ID:n5er4qmv
テイトウワ
10七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:07:51.19 ID:A+iaE2tF
永楽通宝の起源は・・・・・・
11七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:09:05.00 ID:BooEYDGE
中国の領・・・・・・・・・・クソ
12七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:14:40.93 ID:fi4qiUTA
中国との交易があった証拠にはなっても中国人が来た証拠にはならないだろう。
もっと強力な証拠が見付かるまでは巡り巡って辿り着いたと考える方が自然。
13七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:17:11.66 ID:qNgd2sJT
>>7が正解だな
14七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:22:21.31 ID:kp4dZHPB
尖閣に宋銭をバラまく工作中アルよ
15七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:23:16.98 ID:iVy7mk9D
インド洋沖の明の難破船がケニアに流れ着いただけだろ
ケニアと交易あったら古くからアフリカに中国人が住み着いてるはず
16七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:25:15.41 ID:HguPVFuM
「科学と学習」の付録に古銭作るのがあったなあw
17七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:29:28.74 ID:vn2eWTGT
ケニアのマンダ島というのがポイントかな。
ちなみに鄭和の本姓「馬」はアラブ・ペルシャ系ムスリムの回族といわれる。
18七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:31:34.63 ID:vn2eWTGT
モンゴル帝国時代のムスリムの色目人官僚サイイド・アジャッル(賽典赤)は
雲南省を統治したため、雲南省にはイスラム教が普及し、言語的・形質的に
漢民族と同化した回族が現在も数多く住んでおり、彼らの多くは
サイイド・アジャッルの後裔を称する。
明代の大航海者鄭和(馬三保)、およびその父馬哈只もその後裔と称した。
19納豆サイコーφ ★:2013/03/18(月) 21:33:23.64 ID:???
一応、象とかキリン持ち帰ってる記録なかったっけ?
交易があったかはともかく鄭和が置いてったって考えて良いんじゃないかな
20七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:41:54.19 ID:vn2eWTGT
鄭和(馬三保)、およびその父馬哈只
姓の「馬」は預言者ムハンマドの子孫であることを示し、
名の「哈只(ハッジ)」はイスラム教の聖地メッカへの巡礼者に与えられる尊称ハッジに由来する。
21七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:43:41.52 ID:vn2eWTGT
5回目は1417年の冬に出発し、本隊は前回と同じくアデンまで到達したが、
途中で分かれた分隊はアフリカ大陸東岸のマリンディにまで到達したという。
1419年8月に帰国、ライオン・ヒョウ・ダチョウ・シマウマ・サイなどの
珍しい動物を連れ帰っている。
特に永楽帝を喜ばせたのはキリンであり、これは王が仁のある政治を行うときに
現れる神聖な生き物「麒麟」として紹介されたからである。
現地のソマリ語で「首の長い草食動物」を意味する「ゲリ」が、伝説上の動物「麒麟」
の音に似ていたことから、これが本物の麒麟だとして珍重された。
現在の日本語でキリンをこの名で呼ぶのは、この故事によるものである。
22七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:44:12.95 ID:OSt7XCar
鄭和が持ち込んだものだろうそれ
東南アジアーインド洋諸国に対して明に朝貢すれば宝物を与える
拒否すれば攻撃するという元祖砲艦外交をやってた宦官
23七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:46:39.88 ID:vn2eWTGT
鄭和がイスラム教徒の出身だったことは、のちに永楽帝をして鄭和を航海の長として
使おうと考えた理由の一つだと考えられる。
朱元璋が明を建てると、元の影響下にあったこの地は討伐を受け、
まだ少年だった鄭和は捕らえられて去勢され、宦官として当時燕王だった
朱棣(のちの永楽帝)に献上された。
朱元璋の死後、永楽帝が帝位を奪取する靖難の変において馬三保は功績を挙げ、
永楽帝より鄭の姓を下賜され、宦官の最高職である太監に任じられた。
24七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:47:35.17 ID:3fYBIPG1
鄭和か・・・と書こうとしたら>>4で出てたか。

>>2
今のお馬鹿な中国はともかく、鄭和の時代の中国はスゴイ。
大航海時代から100年前に木造で100m超える船なんて、オーパーツレベル。
コロンブスの船でも諸説あるが20m前後。

ただ、中国のお馬鹿はこのあとの時代の政府が全部そういった書物を
焚書しちゃったところ。そのへんから中国のバカさは始まってるんだよなwww

だから、鄭和に関しては伝聞や伝承としては残ってるんだが、公式記録は全然なかったりして、
「存在したといわれる」としてしか扱われないところが残念なところww
25七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:48:08.70 ID:3K2YKddz
まあ、本当にあったのか
捏造したのか
我々は検証できないんだから
どっちでもいい
26七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:57:07.92 ID:vn2eWTGT
この大航海の記録は第4次航海と第7次航海に同行した馬歓の『瀛涯勝覧(えいがいしょうらん)』や費信『星槎勝覧』
・鞏珍『西洋番国志』などによって現在に残され、この時代の東南アジアの非常に貴重な資料となっている。
これらは民選の物で、鄭和の航海の公式記録は「鄭和出使水程」という記録に編纂され、宮中の資料庫に保管された。
これは船団の編成、名簿、航海日誌、会計などの記録を網羅した膨大なものだったといわれる。
しかし数十年後に成化帝が調査させたところそっくり紛失しており、理由は現在も謎となっている。
一説には航海の巨額の費用が民を苦しめ国家を衰退させることを憂慮した劉大夏という役人が、
同様の大航海の準備資料とされないようひそかに持ち出して焼却したともいう。
27七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:57:33.85 ID:OSt7XCar
>>24
鄭和の時代は宋から続く中国の最盛期の末期だからな
明王朝がガチガチの独裁恐怖政治を敷いたせいで政治も文化も経済も衰退した
南宋では毎年の献上金以外に巨大な兵力を養っても財政が悪化しないほどの
経済力があったのに、明王朝の中期以降では完全に衰えた
28七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:57:57.37 ID:va0lK1Gx
ローマ期にはとっくにライオンとかが輸入されてたはずじゃなかったっけ
つかエジプトの時点で交流があったはず
29七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:59:46.73 ID:m6FsTM3G
お前らはなんでも知ってるんだな
30七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 21:59:56.42 ID:vn2eWTGT
海外で鄭和と命名された場所は遠洋航海で立ち寄った国の至るところにあり、
三宝廟、三宝洞、三宝井のほかに、インドネシアの首都ジャカルタ公園内からは
鄭和砲4門が出土しており、その町の名は三宝壟と命名されている。
ジャワには三宝墩、バリ島には三宝厨師廟が建造されている。
ソマリアのモガジシオには鄭和村という小村があり、ブラワ市には鄭和屯がある。
スリランカには鄭和布施碑があり、インドには三宝記念碑などがある。
31七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 22:02:30.14 ID:vZMEEkcT
>>24
>今のお馬鹿な中国はともかく、鄭和の時代の中国はスゴイ。
>大航海時代から100年前に木造で100m超える船なんて、オーパーツレベル。
>鄭和に関しては伝聞や伝承としては残ってるんだが、公式記録は全然なかったりして、

中国の歴史書に誇張はよくあること。ましてや伝説なら誇張は当然。
32七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 22:09:20.95 ID:G69iUFC/
>>30
>海外で鄭和と命名された場所は遠洋航海で立ち寄った国の至るところにあり、

徐福の東南アジア版だな。日本も徐福の自称墓みたいなのはあるけど伝説の範疇だね。
33七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 22:12:55.00 ID:OSt7XCar
>>31
明王朝の公式記録はないけど、同行者の記録や航海日誌は残ってる
あと、>>30の通りに各地に痕跡を残してるから航海日誌などとの照合で当時の東南アジア
がある程度わかる
基本的にばら撒きながら航海してたから、寄港先では評判がいいらしい
34七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 22:16:35.71 ID:mxLqhJuQ
ゴットハンド再び現るw
35七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 22:26:04.35 ID:ywbuWVCV
はいケニアは中国固有の領土という根拠キマシタワー
36七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 22:36:06.58 ID:OpoQwV+s
近頃は 明の船隊は結局世界一周した て研究もあるよ
イギリス人が言うとる イギリス人てわりとシナ史が好きらしい
>>26 膨大な資料を焼いてしまったのは、朝廷内で開国派の宦官(鄭和もそう)と
鎖国派の儒者官僚の争いで儒者側が放火したとも言う。 結局は儒者官僚が勝って
その後明は閉鎖してしまった
37七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 22:38:42.79 ID:QrK+e2iS
昔の中国は本当に偉大だな それなのに今は・・・・
38七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 22:42:18.21 ID:9ep3dS6D
>>1
日本人にとってはどうでもいい話。
なぜこんなことをわざわざ取り上げる?

ちなみに俺が最近よく聞いている曲は
渡辺典子の少年ケニヤの主題歌w

火の鳥とカムイの剣の主題歌も良い。
39七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 22:44:09.19 ID:9ep3dS6D
あぁ、ここは国際ニュースを語る板だったのね・・・
失礼しました。
40七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 22:45:47.60 ID:rqvI/Cdg
>>24
船のサイズは中国のことだから、オーバーなんじゃないかと疑っている。
アラビア海ーインド、インド−マラッカは、平らな船で航海してたし、
南シナ海、東シナ海は、倭寇も出て行ったとこだから、
中国からアフリカまでいけなくなくもないわいな
41七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 22:49:37.35 ID:OSt7XCar
>>36
鎖国派のせいで明王朝が引きこもったじゃなく、国力が低下して財政難だから
大規模事業ができなくなった
宋王朝のときと違って海上貿易で大稼ぎしてるわけじゃなく、朝貢貿易の負担
が大きく定期的に大船団を派遣する財政の余裕もなく自然に終わった

欧州の大航海時代ももしアメリカ大陸を発見せず大きな収穫がなかったら
一過性の航海ブームに終わったんだろう
42七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 22:50:01.07 ID:t3VMbmKY
>>1
ゴッドハンドの仕業
43七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 22:59:36.77 ID:Py7kpyf4
鄭和艦隊がアフリカに達したって話はNHKでもやってたな。
44七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 23:07:01.52 ID:J4f1lr/7
>>24
そんなんでも負けちゃうんだな……
45七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 23:10:50.09 ID:kSKNGyrE
領土を奪う時、そこから中国のものが見つかる事があるな
46七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 23:11:06.86 ID:rpzMGHnT
玉を切られて、いテイワと覚えておけば、鄭成功とごっちゃにならずに済む
んやで〜
47七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 23:33:11.52 ID:9ep3dS6D
ヤフーのニュース画像のオーロラが
何気に火の鳥っぽい。
http://dailynews.yahoo.co.jp/photograph/pickup/?1363611496
48七つの海の名無しさん:2013/03/18(月) 23:39:02.73 ID:qho0f6z6
 寛 
通○寶
 永 

銭形警部の落し物だ。
49七つの海の名無しさん:2013/03/19(火) 08:15:59.63 ID:Rnx7+jYe
形が残り過ぎてない? あまり古く見えなくない?
tp://img.47news.jp/PN/201303/PN2013031801001711.-.-.CI0003.jpg
50七つの海の名無しさん:2013/03/19(火) 09:43:21.18 ID:Lg45cOak
西欧が喜望峰以西に現れる以前から
支那、東南アジア、インド、イラン、アラビア、東アフリカ間で
航路が開かれていたのは各地の文献・情況証拠から
確実なわけで見つからないほうが不自然ではある
51七つの海の名無しさん:2013/03/19(火) 09:46:56.54 ID:Lg45cOak
喜望峰以西じゃなくて以東だ

>>50
日本には明銭が大量に見つかっていて
更に古い宋銭もあるがこれより形が残ってるのも沢山あるだろ
52七つの海の名無しさん:2013/03/19(火) 10:05:30.68 ID:3QRBdk1m
前もって埋めておき20〜30年後に掘り返す。
中共の得意技です。
53七つの海の名無しさん:2013/03/19(火) 10:22:54.89 ID:XPI2Alvh
もうこう言う手は通用しないよ
54七つの海の名無しさん:2013/03/19(火) 10:23:58.81 ID:kdC9gRqc
>>19
象はアジア象がいるからなあ
55七つの海の名無しさん:2013/03/19(火) 10:45:47.14 ID:i0oH9hvn
56七つの海の名無しさん:2013/03/19(火) 12:58:13.72 ID:frgs/1vr
捏造か
通宝しますた
57七つの海の名無しさん:2013/03/20(水) 20:10:49.50 ID:cL9A4jAs
ID:vn2eWTGTは狂ったように、あちこちからコピペしとるな
URL貼れっての。
58七つの海の名無しさん
秀吉なんて信長の遺訓を嗣いで、明を征服するんだって
朝鮮を挟んでやり合ってたんだろ。無謀だな〜

鄭和の巨艦とコロンブスの帆船の模型
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Zheng_He%27s_ship_compared_to_Columbus%27s.jpg