【イタリア】ローマで三島由紀夫のシンポを開催−−来年[11/26]

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11七つの海の名無しさん
ほかに、《パリ憂国忌》出席者についていちいち詳述するいとまをもたない。ただ、全体に、右の
ガブリエル・マズネフ、ミシェル・ランドム(作家、映画監督)、バマット(ユネスコ文化局長)の三氏がその
代表例であるように、集まった碧眼の知識人たちはきわめて精神的傾向が強く、一様に「日本のミシマ」の
果断の行為に心を奪われ、現代において――つまり日本においてのみならず――それがいかなる意味をもちうるか
ということを真剣に問う人々であった事実を記せば足りるであろう。(中略)
黛敏郎氏は次のように回顧している。
〈…映写が終り、客席が明るくなってからも、暫くのあいだ誰も声を発する者はいなかった。隣席のローテン氏は、
ポロポロと涙を流しながら、私の手を強く握りしめたままだった……〉
そうだ、エマニュエル・ローテンの、この変化こそは、観客全体の感銘を代表して余りあるものだったのである。
黛氏はつづいて書いている。
〈ややあって、立ち上ったローテン氏は、声涙ともに下る短い演説をした。「いま皆さんが、スクリーンで
観られた三島氏は、この映画さながらの古式に則った武士道の作法通りに切腹して果てた。このような天才的な
芸術家が、何故、このような行為に出たのだろうか?」〉
あとはもう言葉ならなかった。
私は、胸を打たれて、いかつい顔のこの人物が頬鬚を涙でぐしょぐしょに濡らしながら嗚咽を抑えるさまを、
ただまじまじと視つめるのみだった。「私はあらゆる暴力に反対だ!」と、最初、事件を知って叫んだローテンの
意見をかくも急旋回せしめた力は、いったいなんであったか?
ここでわれわれは、事件の本質に関する甚だ重要な一点に立つのである。
観客のすべてが別室に引きあげてからも、ローテンだけは、場内にただひとり佇んでいた。そして私の姿を
見かけると、なおも涕泣しつつこういうのだった――「《愛と死の儀式》――私がここに見たものは、まさしく
神ということなのです……」

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
12七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 19:28:22 ID:K7Om7APD
エマニュエル・ローテンといっしょに私が映写室を出ると、小さなサロンに一同は頬を紅潮させて集まっていた。
一言でいえば、それは、打ちのめされた光景だった。(中略)黛敏郎氏はこう書いている。
〈当然、私は質問攻めにあうことになった。私は、私に考えられる限りの、三島氏の自刃に対する見解を述べた。
要するに三島氏は、大東亜戦争敗戦後の虚脱状態から一転して今日の経済的繁栄を手にした現代の日本人たちが、
芸術的にも、精神的にも、日本古来の伝統を軽視し、それが天皇ご自身をも含めた日本人一般の風潮となって、
日本がその文化のすべてのよりどころとしてきた天皇制の危機を、誰よりも強く感じ始めたこと。(中略)あの
事件が世の中に与えるショックの性質と限界とは、氏にとっては計算済みのことであって、氏の目指したのは、
「精神的クーデター」の火をつけることであり、それは見事に成功して、あのショック以来、日本の知識人の多くは、
深刻に自己を見つめ始めたこと。以上のような説明が、私の口からなされると、讃同の意を表わしてくれる
フランス人たちが多かった。(中略)〉
「《ユウコク(憂国)》とはどういう意味ですか?」と真先に私に尋ねてきたフランス人があった。批評家
クリスチャン・シャバニ氏である。(中略)
「それは、国の運命を憂うる、ということです」と私は答えた。
そう聞くと相手は、「ああ、なんという美しいイデー(思い)だろう!」と叫んだ。
「つまり、単なる《愛国(パトリオチズム)》とは異なるんですね。…(略)そこには、深く民族の帰趨を案じ、
精神的にこれを指導する予言者の役を果たし、時いたらば人柱となって死するをも辞さじという、苦悩と殉教の
精神が、より脈々とあふれでている……ヒーローよりも、予言者の心情というべきではなかろうか。バビロンの流れ、
ケバル河のほとりで、幽囚の民族の運命を嘆いた旧約の《レ・グラン・プロフェット(大予言者たち)》のように」
どんなにか私は彼の手を握りしめたかったことであろう! この打てば響くような素早い理解、深い共感性……。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
13七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 19:33:04 ID:K7Om7APD
地球の反対側で、ほかならぬ同胞のあいだで、犯罪者・精神錯乱者・エグジビショニスト、等々、ありとあらゆる
罵声が浴びせられつつあるあいだに、ここではその「元凶」は、「予言者」の名をもって語られつつあったのだ。
「ぼくは、はっきりとローマ派の人間だが……」と、ここでガブリエル・マズネフが口ゆ切った。…「つまり、
高徳のストイシャンだった古代ローマ人の生きざまを全幅に肯定する人間だが、しかし、このぼくにしてからが、
このフィルムを観て、まったく『シャッポー(脱帽)!』と叫ばざるをえなかったよ」(中略)
「…ローマの偉人たちはストア派の哲学に勇気の糧をもとめたのだ。もっとも、なかには、その勇猛をもって
鳴る武将、小カトーのように、プラトンの『パイドン』を読んだあとで自殺したという変わり種もあるけれどもね。
…(略)ところで、この小カトーの自殺が割腹によるものだったことは、ごぞんじでしょう?」マズネフの
問いは私に向けられていた。
「ええ『ブルタルコ英雄伝』の、ぼくは熟読者ですからね」
「ぼくも同様……要するに、剣は、ローマ共和国の武人たる以上、もっとも尋常の自殺の具だったんですよ。(略)」
「ちょっと待ちたまえ……」と、ここで初めてアフガニスタン人の剣豪バマットが口を開いた。…さながら
「面!」の掛け声を掛けるかのごとく繰りかえしていう――「待ちたまえ! しかし、それら顕然たるローマの
歴史的武将たちは、自決するときに、なんらかの儀式(リット)にもとづいてそうしたかね? …(略)
日本のサムライの死は、勇気のあらわれというだけのものではないよ。プラスなにかが、そこにはある。
それゆえの切腹の儀というべきではなかろうか?」
「そうだとも!」
と、バマットのうしろから、そのソファの背にもたれて話に聞きいっていたエマニュエル・ローテンが叫んだ。
「それこそはミシマの言いたかったことのはずだよ」と。

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
14七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 19:34:51 ID:K7Om7APD
同時に、「セ・ジェスト(そのとおり)!」「ヴォアラ(しかり)!」「アプソリューマン(まったくそうだ)!」
という声々が、あちこちから興った。(中略)
しかし、間髪を置かず、一座の声々に呼応して、マズネフもこう言っいた。
「だから…だから…ぼくも、さっき、こう言いかけていたんだよ。『シャッポー』とね!」(中略)
バマットがまたも切りこみをかける「つまり、ローマ的自殺には、なんというか、《フォルム》がない。
フォルム――カタ(型)ですね……」と私のほうを向いて刀の柄を両手で握りしめるそぶりを見せる。
「つまり、文明全体のありかたにかかわるかどうかということだと思うな……」とミシェル・ランドムが静かに
言葉を挟んだ。「いいかね、すこし告白をしていいかね……」細い銀縁眼鏡の奥で、不適な彼の顔の表情と
不釣合な優しい目が、一、二度、しばたたいた。この人物もまた、疑いもなく、私がヨーロッパで知った第一級
知識人の一人である。
「日本で武士道といわれるものが、もし単に勇気と武技の結合したものであるだけなら、ローマと日本のあいだに
なんの差異もないことになるだろう……
こういうことをぼくに教えてくれたのは、弓道のハンザワ(半沢)先生だ
15七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 19:39:23 ID:K7Om7APD
(中略)会話は、こうして、いつのまにやら日本とローマの自決比較論のようになってしまった。
「問題は、しかし、二千年まえのそうした超越的死が、その後も脈々とわれわれの文明の頂点の一形式として
伝えられてきたかどうかということだよ……」声の主は、ふたたびミシェル・ランドムだった。
「日本にはそれがある。それがル・ブシドー(武士道)というものだ……」ぴしりと決まった一言だった。
日本人自身がその持てる最上の伝統を擲ってかえりみないときに、西洋人の側からこうした信念の吐露が
なされるということも、考えてみれば奇妙なことではあった。(中略)
たった一つ、その夕べ、会合者のあいだから洩れた「政治的」発言はミシェル・ランドムが発したつぎの質問だった。
「さきほどのムッシュウ・マユズミの言葉によると、ミシマは、天皇ご自身までが日本の伝統的精神の否定者で
あったと見ておられたとのことだが、それはどういうことなのですか?」と。
(中略)日本的神聖の持続の問題は彼にとって重大関心事だったのだ。「日本はまさにカミ(神)の国だよ…」
ぽつりと彼の口を洩れたこの言葉の意味を、その後しばしば私は想いだしたものである……
「天皇は飽くまで神であらせられるべきだった、というのが三島の考えだったのです」と、そこで私は
『英霊の声』を想起しながらランドムの問いに答えた。「しかし、それにもかかわらず、自衛隊バルコニーで、
『天皇陛下萬歳!』を三唱して三島は死んでいったわけですが……」
「それはじつに重要なことだ! それはじつに重要なことだ!」ランドムは、驚いたようにこちらをじっと見て、
そう繰りかえし叫んだ。頃あいやよしと見て、エマニュエル・ローテンが、立ちあがって声をかける。
「メッシュー(みなさん)、今宵は、われわれの精神の通夜です。談論風発のつづきは、このあと、ぜひ拙宅で
やってください。亡き日本の天才をしのんで、心ゆくまで語りあおうではありませんか!」

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
16七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 19:40:31 ID:K7Om7APD
(中略)ここでまた何人かの新規の参加者があり、そのなかに美術批評家ミシェル・タピエ氏の姿もあった。(中略)
「私は、ここに、なによりもシントー(神道)を感ずるよ……」
これが、サロンに足を入れるや、ミシェル・タピエがわれわれに放った第一声であった。「ここに」とは、
問題の自刃の行為をさして言ったものであることは、いうまでもない。
「ヨーロッパでは、《混沌(カオス)》といえば、それまでだ。しかし日本のそれは、コントロール(制御)
された混沌なのだよ……」警句めいた一言である。(中略)
ふたたび黛敏郎氏の記録にゆずろう。
〈…最後に、みんなの希望で、たまたまローテン氏が愛蔵していた拙作で、三島氏も生前好きだといってくれた
『涅槃交響曲』のレコードをかけながら、思い思いの瞑想にふけり、三島氏の魂を慰めようということになった。
『涅槃交響曲』のコーラスの響きが長く尾を引いて静まったとき、ローテン氏は静かに立ち上り、目に涙を
一杯たたえながら即興の詩を朗誦した……〉

竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
17七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 19:41:28 ID:K7Om7APD
世にも気高い《愛の物語》…… 
愛、おお かくばかりの愛! 
かくばかりの高貴な生! 
絶大の荘厳、《意志》の頌歌…… 
服喪の空は その暑いしずくを哭き 
ゆるやかな血流は落日を崇高ならしめる。

九腸よりほとばしる斑点の飛沫! 
一体となった双生の命 
一心となった二つの手の古代壺(アンス) 
そして求める《彼岸》への絶対の供物。

入念に死を決意して三島は 
意志の典礼を一点にむすぶ――
すなわち森厳の盛儀、切腹の行為を 
超越的《放棄》の聖なる戦慄へと。

千古脈々たる誇らかな儀式(リット)、
この久遠の神話(ミット)よ、
愛まったくして 死かくも辛く潔し。
剣はこのししむらを刺し、鞭打した。
恐るべき死の創傷を深めよと…… 
だが深められるのは夜ではなく《生の彼岸》なのだ。
介錯がこの供献を成就する。
だが成就されるのは自殺ではなく 
この讃歌なのだ。

融化した存在、密かなる聖体拝受(コミュニオン)よ! 
淋漓たる鮮血にこそ美の高潔があり、
淋漓たる《至誠》の書にこそ 
精神の解脱の場がある。

かくてこそ絶対の恩沢へと 
いま 精神は飛翔する、
大死一番の狂える寛容もて 
かの無限へと――
《Kami(神)》の一語もて 
名づけられた無限へと……

エマニュエル・ローテン「愛と死の儀式(憂国)――三島にささげる詩」