【イタリア】ローマで三島由紀夫のシンポを開催−−来年[11/26]
1 :
月曜の朝φ ★:
【ローマ藤原章生】ジャンニ・アレマンノ・ローマ市長(51)は、三島由紀夫の没後40年に当たる
25日に会見を開き、来年6月の三島をめぐるシンポジウム開催を発表した。年来の読者である
市長は「三島が極端な形で示したのは、伝統と消費文化など近代化の矢面に立たされた(者の)
悲劇」だと語り、それは今の日本、イタリアのみならず世界共通のテーマとの見方を示した。
6月の催しは「三島由紀夫−−東洋と西洋の間に横たわるアイデンティティーの役割」と題し、
作家関連の映画上映、討論会が開かれる。市とローマの日本大使館、日本文化協会が主催する。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20101126dde041040080000c.html
個別の11人のモデル
3 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 18:16:00 ID:1fXOy/JP
本物の右翼だ。ネトウヨなんか足下にも及ばない。
4 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 18:32:24 ID:iPFzrpoC
ドイツにはゲーテがいるが
日本には三島がいるっ!!
5 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 18:34:00 ID:C5L/becO
完全に市長の趣味のような希ガス
6 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 18:35:49 ID:mOQhK2wP
ローマ市長はネトウヨ
7 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 18:39:19 ID:iPFzrpoC
バカチョンには偉大な思想家も芸術家もいないからアイデンティティーの原点に戻るのは不可能。
せいぜい古代のシナ文化から学ぶしかないねwww
8 :
三宅雪嶺:2010/11/26(金) 18:40:47 ID:PdyB9JJi
>>3 いやーそうじゃないよ 三島さんを乗り越えるような生き方をすればよい。
そうすることにより 三島さんは 草葉の陰から 君を見守る
現今の状況は三島さんが予期したような憂国の状況になってきた
ネトウ諸君 パソコンでもよろし 雄叫びをあげよう!
自己主張をしよう!
ゲイの大会?
10 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 18:47:06 ID:5aITGVp6
20代のゆとりだが三島の「若きサムライのために」は俺のバイブル
11 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 19:26:42 ID:K7Om7APD
ほかに、《パリ憂国忌》出席者についていちいち詳述するいとまをもたない。ただ、全体に、右の
ガブリエル・マズネフ、ミシェル・ランドム(作家、映画監督)、バマット(ユネスコ文化局長)の三氏がその
代表例であるように、集まった碧眼の知識人たちはきわめて精神的傾向が強く、一様に「日本のミシマ」の
果断の行為に心を奪われ、現代において――つまり日本においてのみならず――それがいかなる意味をもちうるか
ということを真剣に問う人々であった事実を記せば足りるであろう。(中略)
黛敏郎氏は次のように回顧している。
〈…映写が終り、客席が明るくなってからも、暫くのあいだ誰も声を発する者はいなかった。隣席のローテン氏は、
ポロポロと涙を流しながら、私の手を強く握りしめたままだった……〉
そうだ、エマニュエル・ローテンの、この変化こそは、観客全体の感銘を代表して余りあるものだったのである。
黛氏はつづいて書いている。
〈ややあって、立ち上ったローテン氏は、声涙ともに下る短い演説をした。「いま皆さんが、スクリーンで
観られた三島氏は、この映画さながらの古式に則った武士道の作法通りに切腹して果てた。このような天才的な
芸術家が、何故、このような行為に出たのだろうか?」〉
あとはもう言葉ならなかった。
私は、胸を打たれて、いかつい顔のこの人物が頬鬚を涙でぐしょぐしょに濡らしながら嗚咽を抑えるさまを、
ただまじまじと視つめるのみだった。「私はあらゆる暴力に反対だ!」と、最初、事件を知って叫んだローテンの
意見をかくも急旋回せしめた力は、いったいなんであったか?
ここでわれわれは、事件の本質に関する甚だ重要な一点に立つのである。
観客のすべてが別室に引きあげてからも、ローテンだけは、場内にただひとり佇んでいた。そして私の姿を
見かけると、なおも涕泣しつつこういうのだった――「《愛と死の儀式》――私がここに見たものは、まさしく
神ということなのです……」
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
12 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 19:28:22 ID:K7Om7APD
エマニュエル・ローテンといっしょに私が映写室を出ると、小さなサロンに一同は頬を紅潮させて集まっていた。
一言でいえば、それは、打ちのめされた光景だった。(中略)黛敏郎氏はこう書いている。
〈当然、私は質問攻めにあうことになった。私は、私に考えられる限りの、三島氏の自刃に対する見解を述べた。
要するに三島氏は、大東亜戦争敗戦後の虚脱状態から一転して今日の経済的繁栄を手にした現代の日本人たちが、
芸術的にも、精神的にも、日本古来の伝統を軽視し、それが天皇ご自身をも含めた日本人一般の風潮となって、
日本がその文化のすべてのよりどころとしてきた天皇制の危機を、誰よりも強く感じ始めたこと。(中略)あの
事件が世の中に与えるショックの性質と限界とは、氏にとっては計算済みのことであって、氏の目指したのは、
「精神的クーデター」の火をつけることであり、それは見事に成功して、あのショック以来、日本の知識人の多くは、
深刻に自己を見つめ始めたこと。以上のような説明が、私の口からなされると、讃同の意を表わしてくれる
フランス人たちが多かった。(中略)〉
「《ユウコク(憂国)》とはどういう意味ですか?」と真先に私に尋ねてきたフランス人があった。批評家
クリスチャン・シャバニ氏である。(中略)
「それは、国の運命を憂うる、ということです」と私は答えた。
そう聞くと相手は、「ああ、なんという美しいイデー(思い)だろう!」と叫んだ。
「つまり、単なる《愛国(パトリオチズム)》とは異なるんですね。…(略)そこには、深く民族の帰趨を案じ、
精神的にこれを指導する予言者の役を果たし、時いたらば人柱となって死するをも辞さじという、苦悩と殉教の
精神が、より脈々とあふれでている……ヒーローよりも、予言者の心情というべきではなかろうか。バビロンの流れ、
ケバル河のほとりで、幽囚の民族の運命を嘆いた旧約の《レ・グラン・プロフェット(大予言者たち)》のように」
どんなにか私は彼の手を握りしめたかったことであろう! この打てば響くような素早い理解、深い共感性……。
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
13 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 19:33:04 ID:K7Om7APD
地球の反対側で、ほかならぬ同胞のあいだで、犯罪者・精神錯乱者・エグジビショニスト、等々、ありとあらゆる
罵声が浴びせられつつあるあいだに、ここではその「元凶」は、「予言者」の名をもって語られつつあったのだ。
「ぼくは、はっきりとローマ派の人間だが……」と、ここでガブリエル・マズネフが口ゆ切った。…「つまり、
高徳のストイシャンだった古代ローマ人の生きざまを全幅に肯定する人間だが、しかし、このぼくにしてからが、
このフィルムを観て、まったく『シャッポー(脱帽)!』と叫ばざるをえなかったよ」(中略)
「…ローマの偉人たちはストア派の哲学に勇気の糧をもとめたのだ。もっとも、なかには、その勇猛をもって
鳴る武将、小カトーのように、プラトンの『パイドン』を読んだあとで自殺したという変わり種もあるけれどもね。
…(略)ところで、この小カトーの自殺が割腹によるものだったことは、ごぞんじでしょう?」マズネフの
問いは私に向けられていた。
「ええ『ブルタルコ英雄伝』の、ぼくは熟読者ですからね」
「ぼくも同様……要するに、剣は、ローマ共和国の武人たる以上、もっとも尋常の自殺の具だったんですよ。(略)」
「ちょっと待ちたまえ……」と、ここで初めてアフガニスタン人の剣豪バマットが口を開いた。…さながら
「面!」の掛け声を掛けるかのごとく繰りかえしていう――「待ちたまえ! しかし、それら顕然たるローマの
歴史的武将たちは、自決するときに、なんらかの儀式(リット)にもとづいてそうしたかね? …(略)
日本のサムライの死は、勇気のあらわれというだけのものではないよ。プラスなにかが、そこにはある。
それゆえの切腹の儀というべきではなかろうか?」
「そうだとも!」
と、バマットのうしろから、そのソファの背にもたれて話に聞きいっていたエマニュエル・ローテンが叫んだ。
「それこそはミシマの言いたかったことのはずだよ」と。
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
14 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 19:34:51 ID:K7Om7APD
同時に、「セ・ジェスト(そのとおり)!」「ヴォアラ(しかり)!」「アプソリューマン(まったくそうだ)!」
という声々が、あちこちから興った。(中略)
しかし、間髪を置かず、一座の声々に呼応して、マズネフもこう言っいた。
「だから…だから…ぼくも、さっき、こう言いかけていたんだよ。『シャッポー』とね!」(中略)
バマットがまたも切りこみをかける「つまり、ローマ的自殺には、なんというか、《フォルム》がない。
フォルム――カタ(型)ですね……」と私のほうを向いて刀の柄を両手で握りしめるそぶりを見せる。
「つまり、文明全体のありかたにかかわるかどうかということだと思うな……」とミシェル・ランドムが静かに
言葉を挟んだ。「いいかね、すこし告白をしていいかね……」細い銀縁眼鏡の奥で、不適な彼の顔の表情と
不釣合な優しい目が、一、二度、しばたたいた。この人物もまた、疑いもなく、私がヨーロッパで知った第一級
知識人の一人である。
「日本で武士道といわれるものが、もし単に勇気と武技の結合したものであるだけなら、ローマと日本のあいだに
なんの差異もないことになるだろう……
こういうことをぼくに教えてくれたのは、弓道のハンザワ(半沢)先生だ
15 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 19:39:23 ID:K7Om7APD
(中略)会話は、こうして、いつのまにやら日本とローマの自決比較論のようになってしまった。
「問題は、しかし、二千年まえのそうした超越的死が、その後も脈々とわれわれの文明の頂点の一形式として
伝えられてきたかどうかということだよ……」声の主は、ふたたびミシェル・ランドムだった。
「日本にはそれがある。それがル・ブシドー(武士道)というものだ……」ぴしりと決まった一言だった。
日本人自身がその持てる最上の伝統を擲ってかえりみないときに、西洋人の側からこうした信念の吐露が
なされるということも、考えてみれば奇妙なことではあった。(中略)
たった一つ、その夕べ、会合者のあいだから洩れた「政治的」発言はミシェル・ランドムが発したつぎの質問だった。
「さきほどのムッシュウ・マユズミの言葉によると、ミシマは、天皇ご自身までが日本の伝統的精神の否定者で
あったと見ておられたとのことだが、それはどういうことなのですか?」と。
(中略)日本的神聖の持続の問題は彼にとって重大関心事だったのだ。「日本はまさにカミ(神)の国だよ…」
ぽつりと彼の口を洩れたこの言葉の意味を、その後しばしば私は想いだしたものである……
「天皇は飽くまで神であらせられるべきだった、というのが三島の考えだったのです」と、そこで私は
『英霊の声』を想起しながらランドムの問いに答えた。「しかし、それにもかかわらず、自衛隊バルコニーで、
『天皇陛下萬歳!』を三唱して三島は死んでいったわけですが……」
「それはじつに重要なことだ! それはじつに重要なことだ!」ランドムは、驚いたようにこちらをじっと見て、
そう繰りかえし叫んだ。頃あいやよしと見て、エマニュエル・ローテンが、立ちあがって声をかける。
「メッシュー(みなさん)、今宵は、われわれの精神の通夜です。談論風発のつづきは、このあと、ぜひ拙宅で
やってください。亡き日本の天才をしのんで、心ゆくまで語りあおうではありませんか!」
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
16 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 19:40:31 ID:K7Om7APD
(中略)ここでまた何人かの新規の参加者があり、そのなかに美術批評家ミシェル・タピエ氏の姿もあった。(中略)
「私は、ここに、なによりもシントー(神道)を感ずるよ……」
これが、サロンに足を入れるや、ミシェル・タピエがわれわれに放った第一声であった。「ここに」とは、
問題の自刃の行為をさして言ったものであることは、いうまでもない。
「ヨーロッパでは、《混沌(カオス)》といえば、それまでだ。しかし日本のそれは、コントロール(制御)
された混沌なのだよ……」警句めいた一言である。(中略)
ふたたび黛敏郎氏の記録にゆずろう。
〈…最後に、みんなの希望で、たまたまローテン氏が愛蔵していた拙作で、三島氏も生前好きだといってくれた
『涅槃交響曲』のレコードをかけながら、思い思いの瞑想にふけり、三島氏の魂を慰めようということになった。
『涅槃交響曲』のコーラスの響きが長く尾を引いて静まったとき、ローテン氏は静かに立ち上り、目に涙を
一杯たたえながら即興の詩を朗誦した……〉
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
17 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 19:41:28 ID:K7Om7APD
世にも気高い《愛の物語》……
愛、おお かくばかりの愛!
かくばかりの高貴な生!
絶大の荘厳、《意志》の頌歌……
服喪の空は その暑いしずくを哭き
ゆるやかな血流は落日を崇高ならしめる。
九腸よりほとばしる斑点の飛沫!
一体となった双生の命
一心となった二つの手の古代壺(アンス)
そして求める《彼岸》への絶対の供物。
入念に死を決意して三島は
意志の典礼を一点にむすぶ――
すなわち森厳の盛儀、切腹の行為を
超越的《放棄》の聖なる戦慄へと。
千古脈々たる誇らかな儀式(リット)、
この久遠の神話(ミット)よ、
愛まったくして 死かくも辛く潔し。
剣はこのししむらを刺し、鞭打した。
恐るべき死の創傷を深めよと……
だが深められるのは夜ではなく《生の彼岸》なのだ。
介錯がこの供献を成就する。
だが成就されるのは自殺ではなく
この讃歌なのだ。
融化した存在、密かなる聖体拝受(コミュニオン)よ!
淋漓たる鮮血にこそ美の高潔があり、
淋漓たる《至誠》の書にこそ
精神の解脱の場がある。
かくてこそ絶対の恩沢へと
いま 精神は飛翔する、
大死一番の狂える寛容もて
かの無限へと――
《Kami(神)》の一語もて
名づけられた無限へと……
エマニュエル・ローテン「愛と死の儀式(憂国)――三島にささげる詩」
18 :
三宅雪嶺:2010/11/26(金) 19:46:15 ID:PdyB9JJi
このスレに参集するネトヨはほんまもんだw
19 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 19:52:13 ID:iArP8haG
さすがにここまで右翼じゃないわ
20 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 20:16:14 ID:WVAsXc+P
21 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 20:16:36 ID:h6le9Pfw
※元外交官・佐藤優氏の回顧録
ミッキー安川氏「あんたクリスチャンだよな。俺の番組では『君が代』を歌うけれど、問題ないよな」
佐藤優氏「ミッキーさん、僕は日本のキリスト教徒ですよ。『君が代』を歌うのは当たり前
じゃないですか。キリスト教徒だからこそ、目に見えないものに対する畏敬の念をもっています。
天皇様の弥栄をお祈りするのは、当たり前じゃないですか」
ミッキー安川氏「政治家でも『君が代』を歌わない人がいるんだよ」
佐藤優氏「誰ですか」
ミッキー安川氏「例えば、菅直人さんだ。この番組のゲストで来てもらったんだけど、
『君が代』は歌いたくないと言うんだ。俺は、それはわかったから、俺たちが『君が代』を
歌う間は、立っていてくれと頼んだ」 (抜粋)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/400350/
22 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 20:21:23 ID:j3AdY8Qc
潮騒は善かったです、ちなみに山口百恵だよ。
鳩山由紀夫の名付け親...
真性のモーホー
25 :
七つの海の名無しさん:2010/11/26(金) 23:23:02 ID:cfn93U9Z
三島由紀夫、再びヨーロッパで脚光を浴びる
26 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 00:01:00 ID:94OObPbb
右翼つうか保守
27 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 00:12:13 ID:bDbvKw79
三島だけ。三島だけが日本。
28 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 00:18:34 ID:1HX9jr/s
ハラキリは逃げ。長寿は沢山の肉を喰い漁った化け物。
三島はペテン師
死ぬ気なんかなかった
30 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 02:04:52 ID:lEwgp/14
解剖したらケツの穴から精液が流れ出てきた男のことなど持ち上げるなよ、気持ち悪い。
31 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 06:36:01 ID:MyDbdGa6
生きてたら、ゴキブリ退治くらいしてくれたかもしれん。
イタリアやフランスの心底の右翼は好きそうだよな
33 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 07:39:13 ID:TnAD10X5
イタリアフランスだったら左翼だろ?
変な幻想持つなよ
35 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 09:07:55 ID:zwJb94r4
三島は天才。
足穂と澁澤も好き。
>>8 三島を超えるような事はしないでいい。
今とあの時では保守や憂国の役割りは違う。
保守の精神を継ぎたい人はチャンネル桜や
桜の水島社長と共に活動すればよい。
>>30 ブサヨが作ったそんな干からびたガセネタで煽るしかできない涙目、ご愁傷様です。
38 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 10:52:33 ID:ps14owp0
(三島事件のあと)あるポーランド人の団体から招待されたときのことが想いだされてくる。
きっかけをつくったのはソルボンヌにおける私の学友、ポニアトスキー(仮名)だった。(略)長身で赤ら顔の
ポーランド人で、つねに微笑をもって語り、その人柄は善意にあふれていた。いつも詰襟に丸首のカラーをしていた。
カトリック神父だったのである。
(中略)事件後ちょうど一ヶ月、クリスマス・イヴのことだった。その数日前まえに思いがけず、この友から
電話があった。
「きみのテレビ放送を見たよ。われわれの仲間は、みんな、ミシマのことを知りたがっている。ぜひ来て、
話してくれないか……」
「仲間」とは、誰だろう? その夜、パリ某所の指定された建物に出向いてみると、そこはむしろ、ささやかな
宗教的共同体といった感じの場だった。自分は出版社で働いているとかねがねポニアトスキーは言っていたが、
じっさいは、その家は、出版社兼宗教結社だったのである。(中略)
晩餐の部屋に降り立つと、すでに十数人の人々がテーブルについて待ちうけていた。思いがけなく、私が主賓だった。
(略)…うすぼんやりとした光のせいで、地下の窖にも似たその部屋の光景は、どこか抑圧された秘密の影を秘め、
カタコンベの一部といった感じさえした。この印象があながち間違っていなかったことを程なく私は知らされ
ようとしていた。ひととおりの会話のあと――その席上で私は先に国営テレビの文芸討論会で発言したことを
敷衍してしゃべったのであったが――長老格の人物が立って、こう述べたからである。
「国の従属の縄目(いましめ)を断ち切って立たんとした人の死が、いや、日本独自の、あの儀式的意志的死が、
イエスの十字架の思想より見たとき《受肉の完成》としての意義を顕わにするであろう、とのご高説には、
われわれ一同ふかく心を打たれております。(中略)貴国の偉大な作家ミシマの驚嘆すべき行為は、まさしく
この微行性(アノニマ)につうずるものであったと、いまや私どもには信じられるのです。……」
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
39 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 10:53:56 ID:ps14owp0
と、白髯を垂らしたその老神父は、左手で、黒のスータンの胸にかけた金色の十字架にそっと触れながら、
いったん句切りを置いた。
「……イエスにとって《受肉の完成》とは、十字架とともに復活をもって成しとげられるものでした。
ミシマにとっては……なんと言いましょうか……彼の復活の思想はなかったのですか?」
「彼の、ではなく、日本人の、とと申しあげましょうか……」と私は答えた。
「われわれが《七生報国》と呼ぶ思想こそはそれに当たるのです……」
じっとわれわれの会話に耳を傾けていた周囲のポーランド人たちから、「ほほう!」といった嘆声が洩れた。
枝付燭台の向こうで、長老の頬は紅潮していた。(中略)ポニアトスキーは大きな手をさしのべながら私に
こう言った。
「私どもの祖国の政治的状況は、きみも知つてのとおりだ。同胞の読みたがっている本も、そこでは自由に
出版することができない。こうして、パリ経由でわれわれがやっているわけなんだよ……」
いまや私には彼の言葉の意味するところは明瞭だった。私を招きいれた人々は、要するにポーランド独立の
地下抵抗運動の同志たちだったのだ。カトリックという精神領域を武器としての。
そしてこれらポーランド人たちにとって、世界の果ての国日本の一作家の信じがたき決起と死は、あの
第二次大戦末期、(中略)…いまにいたるソ連支配の屈従の運命に抗する勇気をあたえてくれるものだったのだ。
日本で、われわれのヒーローが「右翼」とレッテルを貼られ、「グロテスク」、「時代錯誤」と譏(そし)られ、
「恥さらし」―対外的に……――と罵られている、まさにそのときに。あるいは、現代日本のタイラント、
偏向したマスコミ中心の世論を怖れて、大半の知識人が、いっそ沈黙することを選びつつあるそのときに。
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
バカがバカに騙されてらw
三島は採算が合ってやったこと
思いもよらず失敗して逆上して事に及んだの。
(中略)
他者への殺害ではなく自害によって決着するその行為が、いかに深く西欧のもっとも高貴なる魂を振起し、
その魂の屈折をとおしていかに深く日本の名誉を購わんとしたものであるか、その夜、このうえなくはっきりと、
私はその名証を見たのだった。
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
42 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 11:00:26 ID:ps14owp0
偉大な芸術作品はすべてある意味で作者の遺書である、とマルローが三島をめぐって言った言葉が想いだされてくる。
その意味で、たしかに『憂国』ほどぴったりと「遺書」と呼ばるべき作品も稀であろう。
(中略)かつて――一九五八年――ド・ゴール大統領のもとにフランス第五共和国が成立したとき、フランスは
アンドレ・マルローを特使として日本に派遣し、国交を樹立したことがあった。そのとき、偉大なる使者は、
満堂の聴衆を集めた講演席上において次のように提唱した。「西欧全体にたいして
フランスは日本の精髄の《受託者》たらんとするものであります」と。(中略)
日本の精髄の受託者……この精髄のいかなるかについて、そのときマルローはなんと言ったか?
日本民族によって永遠に記憶され感謝されてしかるべきその言葉を、ここで石碑に文字を刻むがごとく
繰りかえしておくことは無意味ではあるまい。
マルローはこう言ったのだ。
〈この日本の精髄について全世界が甚だしい無知のなかにいるということを、どうか、しっかりと肝に銘じて
いただきたい。全世界にとって日本とは、依然としてエキゾチズムか絵葉書風景の国、目もあやな、あの版画に
描かれたかぎりの国にすぎないのであります。さればフランスは、なによりさきに、こう表明しなければ
なりません――
日本は中国の一遺産ではない、なぜなら日本は、愛の感情、勇気の感情、死の感情において中国とは切りはなされて
いるから。騎士道の民であるわれわれフランス人は、この武士道の民のなかに、多くの似かよった点を認めるように
つとむべきであろう。かつ、真の日本とは、世界最高の列のなかにあるこの国の十二世紀の偉大な画家たちであり、
隆信(藤原)であり、この国の音楽であって、断じてその版画に属する世界ではない、と。〉
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
43 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 11:01:36 ID:ps14owp0
〈そして冀(ねが)わくば、日本とフランスとの接近が、フランスをして、その言葉に耳を傾けようとする人々
すべてにたいし、かく言わしめんことを。すなわち――
諸君が、かくも長いあいだ、目もあやなピトレスクの国民であると思いこんできた人々は、じつは英雄の民だったのだ。
もしこの民族の魂を知らんと欲すれば、彼らの絵画のなかではなく、むしろ音楽のなかにそれを求めよ。
鉄の琴に合わせて歌われたその歌は、死者の歌、英雄の歌、深淵なるアジアのもっとも深淵なる象徴の一つに
ほかならない! と。〉
(中略)マルローの講演を聞いて、時の宰相以下の日本の貴顕の士の全代表は、これに熱烈な感動の拍手を送った。
武士道の礼讃――たしかにこれは言うべくして美しい。つまり、遠来の賓客の讃辞としては。だが、その後、
いったい、誰が、教授なりジャーナリストなり批評家なりの誰が、投げられたこのテーマの発展をはかっただろうか?
とんでもない。大半の人々の耳に、フランス文化大臣のあの言葉は、いわば過去の甲冑に対する礼讃として
響いたにすぎないのだ。「武士道と騎士道の対話」ということをマルローが暗示したとき、本気で彼がそれを
われわれの文明の死活の問題として呈したのだということに気づいた人士は、まずほとんど皆無だったのである。
そして、おそらく天皇ご自身でさえも……(中略)
われわれにとって「武士道」とは、葬りさられたもの、断罪されたものにすぎなかったからだ。(中略)
いっぽう、フランスの側から見れば、そんな日本は軽蔑と無視の種でしかなかった。ド・ゴール大統領と
「対話」した日本の政治家にしても皆無である。…池田勇人首相にしても、むなしく相手から「トランジスター
商人」との寸評を得たにすぎない。彼我の観点の相違は、じつに歴然たるものがあったと言わなければならない。
われわれにとって「平和憲法」の名で正当化されるものは、フランスの目にとって隷属の条件にほかならなかった
からである。
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
44 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 11:06:31 ID:ps14owp0
現代の予言者とは、なによりも、「収容所列島」の現実を知り、これにたいして精神と歴史の両面にわたって
絶対的「ノン」のアクションを取りうる人々である。(中略)
それはまた、「文武両道」と彼が呼んだものの、現代的発露の方向でもあった。自己の身命を擲(なげう)っても
自由を守ろうとする文化の原理と、自由を擲っても生命以上のものを守らんとする武士道との統合は、がんらい
至高の矛盾の統合であって、およそ「文民統制(シヴィリアン・コントロール)」などという考えをもって
量りきれるレベルの問題ではない。(中略)
なぜなら、ここにいう「文武両道」とは、(略)…自衛隊バルコニーから絶叫した次の瞬間には古式に則って
自分の腹を掻きさばいていたという超越的抗議形式によって、ヨーロッパ知識人の目に、「人間の条件」と
「日本の条件」を同時に乗りこえる意志を示した壮絶無比の行為として映ったところのものにほかならないからである。
彼らの目に、この場合、文学的死、政治的死の区別はなかった。
(中略)日本は、他の諸文明が宗教によって「人間の条件」をこえる超越軸を求めてきたときに、ただひとり、
武士道によってそれを求めてきた点において、たしかにユニークだったのである。ここのあたりの実相を
もっとも適格に見据えていた人ありとすれば、それが、日本においては三島由紀夫その人であったと言わなければ
ならない。(中略)
「一つの墓をも寺をも建てえなかったわれわれの文明……」という、マルローの議会演説中の言葉が、さながら
応答のように、静かに、同時にここでわが胸によみがえらずにはいない。「日本人の死の衝動」と言ったとき、
期せずして三島は、日本のみならず、《彼岸》なき現代文明の運命そのものについて語っていたからである。
「ル・カ・ミシマ」をヨーロッパが、政治に始まり人間に終る、ないし日本に始まり西欧に終る文明の問題として
受けとった理由はここにあるといえるであろう。無理もあるまい。文明の没落の意識において、彼らはわれわれに
半世紀余も先んじた地点に立っているのだ。
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
三島氏の良さが理解出来ない
どこいいの?
著書も読んでみたことあるけどムリだった
美意識と自意識の心の葛藤
心の共有を求めて、最後は魂の共有
だからホモになれるのだが
まあ、リベラルとか理想主義者に多いタイプだな
鳩山由紀夫君も立派なリベラルでナルシストの理想主義者に育ちましたとさw
48 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 15:57:02 ID:F6E4a8xl
三島由紀夫って知らないからぐぐったら昔のネトウヨか
49 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 16:26:32 ID:ps14owp0
そのようなヨーロッパ的反応の興味ぶかい一例を示そう。巣鴨教誨師として東条英機以下「A級戦犯」七士の
処刑に立ち会った花山信勝師に、そのかけがえのない体験を記録した『平和の発見』なる名著がある。同書の
見事なフランス語版ならびにイタリア語版の翻訳者であるピエール・パスカル氏なる人物が、われわれにとって
まことに胸打つばかりの反応を示しているのである。パスカル氏は、一九四九年、『平和の発見』が日本で
刊行された年に、いちはやくこれを入手し、かつ翻訳していたという。しかし、その後二十年間というもの、
訳稿を筐底に秘めておかざるをえなかった。〈過去百年にもわたる進歩主義者たちの放埒のただなかにあっては〉
これほどの本を出版したところで、ただ無理解をうけるのみ、と判断したからである。ところが、三島事件を
聞いてパスカル氏は愕然として目覚めた。そして、時こそ至れと、感嘆すべき克明な注解と研究を付して堂々の
訳書刊行にいたったのであった。
およそ日本では考え得ざるほどの、自由かつ雄弁なる訳書の体裁であって、じつに内容は、東京裁判に始まって
三島礼讃に終っているのであった! 本文そのものは「東京裁判」にちがいないが、付録の一つになんと
「ユキオ・ミシマの壮絶無比の選択」なる一文が添えられ、さらに巻末には訳者による手向けの歌まで加えられて
いるのである。「一九七〇年十一月二十六日、日本の宮中のお歌所の伝統にならいて詠める」と詞書きして、
フランス語による「俳句十二句ならびに短歌三首」が披露されているのだ。題して「ミシマ・ユキオの墓」という。
その情熱、炯眼、大胆に、ほとほと私は感ぜずにはいられなかった。なにより驚いたことは、東京裁判から
三島決起にいたる因縁の糸を見事に読みとき、これを手繰りよせたことであった。日本人が行なってしかるべき
ことを、この未知のフランス人がやってのけたのである。
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
50 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 16:28:41 ID:ps14owp0
(中略)これだけの炯眼ぶりを氏が発揮したことの裏には、「東京裁判」そのものにたいするその仮借なき
批評眼があった。いかにしてここから三島礼讃の挙にまで行きついたかを知るために、その主張するところを
瞥見してみよう。
〈…「東京裁判」は、実際には、何人かの被告を見せしめに裁き、全員、愛国心のゆえに有罪なりと宣言したに
すぎない。(中略)民主主義思想の愚鈍ぶりは、東条英機をして「ファッシスト的」独裁者たらしめた。これは
歴史的真実に反するのみならず、当時の君主制日本の神制政治上の概念にも相反するものである。諸政党解党に
つぐ大政翼賛会の唯一党結成は近衛公の意志によるものであって、東条英機将軍は、公に代って帝国政府の
総帥となるに及び、連合国にたいする政府の決断躊躇をすべて引きつぐ結果となったのである。連合国側こそ、
「経済制裁」に名をかりて、宣戦布告もなく日本を窒息死せしめんとしていた事実を忘れてはならない……〉
〈…捕虜収容所の日本人指揮官のなかには、無数の捕虜にたいする扱いが穏当でなかった者も、それは多々
あったであろう。しかし、「捕虜虐待」で絞首刑にされた人々の運命たるや、シベリアへの「死の行進」や
カティンの大虐殺
51 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 16:31:36 ID:ps14owp0
(中略)パスカル氏はいうのだ。
〈正義の審判の名のもとに《不正義》によって刑死せしめられた人々の想い出が、いまや、裁いた者たちの
想い出よりも日一日と荘厳となっていく。裁いた者たちのほうが、早くも使い捨てという忘却の闇へと沈んで
ゆくのだ…(中略)
キリスト再臨を待つまでもなく、正義はすでになされたのだ。…あの日、一九七〇年十一月二十五日、…
《夷狄の君臨》にたいして相変らず不感症のまま日本が、黙々として世界第三位の産業大国となりつつあったとき、
ユキオ・ミシマは、その儀式的死によって、みずからの祖国と世界とにたいして喚起したのである。この世には
まだ精神の一種族が存し、生者と死者のあいだの千古脈々たる契りが、いまなお不朽不敗を誇りうるということを。
おのれの存在を擲ち、祖国に殉ずることによって、もって護国の鬼 le remords de cette patrie と化さんと、
生の易きに就くよりも、かかる魂に帰一することのほうを、ミシマは望んだのであった。…〉
〈個人的絶望によってではなく超越的《愛他主義(アルトルイズム)》によって、かつ、愛のかなたの愛によって
決行されたユキオ・ミシマの聖なる自殺は、《共和国擁護》を叫ぶ古蛙どもの、いつ果てるとも知れぬ金切声の
大合唱を西欧世界に喚起するにいたった……畢竟、それらは、遠い昔にとっくに地に堕ちた名誉なるものに
たいする、一種の畏怖心にすぎない。…まるで、もうちょっとで、あちこちに、《反ファッシズム監視委員会》の
どさ廻り小屋でも造られかねない勢いだった。〉
(中略)一息入れてパスカル氏は、またも筆を取りなおす。〈このユキオ・ミシマが自己犠牲をあえてした場所が、
「愛国心の囚人」にたいして米軍があえて有罪宣告を下した旧日本帝国大本営の跡地、市ヶ谷台上であったのだ。〉と。
(中略)ミシマに触れたヨーロッパならびに海外の無数の記事のなかで、ずばぬけて出色の出来であったとして
同氏は、一九七〇年十二月一日付のローマ紙「イル・テンポ」に掲載された「東京のハラキリ」なる一文を挙げている。
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
52 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 16:33:05 ID:ps14owp0
尊敬すべき洞察力をもって、その執筆者マギナルド・バヴィエラ氏は書いているのだ。しかも、三島自刃の
直接目的――改憲と防衛の問題にまで突っ込んで。…まず、アメリカの対日政策の変化が語られる。
〈…アメリカ人は、自分たちが精を出した毒草除去の作業が完全すぎたという結果を、恐怖心をもって視つめてきた。
(略)…(ドイツ、日本、イタリア)の野心をあまりにも徹底して摘みとりすぎたために、これら蛇蝎のごとき
三国が歴史のつんぼ桟敷に追いやられて商人国家へと変貌していくさまを、「アンクル・トム」はただ呆然と
見守るほかはなかった……われわれヨーロッパ人が、自国侵略の危険をはらんだロシア赤軍用のトラックを
競争さわぎで製造しつつあるあいだに、もはやどこからも侵略の恐れなしと信じきった日本は、アジアの警備役は
アメリカにまかせっぱなしで――日本株式会社は二度と軍事大国になるつもりはないと公言しつづけてきたのである。〉
〈なんとかして日本人にもういちど尚武の気概と世界政治の巨視観を持ってもらいたいと、アメリカ人の側で
躍起になってきたのも、むべなるかなというべきである。(略)…全アジアの骨組がひっくりかえってしまったいま、
太平洋の防人の役は徐々に日本に肩代りしてもらいたいというのが、彼らの本音にほかならないからである。
(略)…(日本の)首相は、にんまりと、憲法第九条があるじゃありませんかと応じたものだった。(略)…
恒久武装放棄を声高に誓わされた、あの屈辱の憲法である。(略)…「残酷な戦争をもって日本を敗北せしめたあと、
その憲法をわれわれに押しつけたのは、あなたがたのほうではありませんか。こんどは、こっちのほうでそれを
大事にする番ですよ…」かくて日本は、豪華けんらんとしてかつ陰鬱なるヴァカンスを享受しつづける安楽へと
兎跳びに跳びあがり、富裕にして怡悦なき一億の日本人は、熱狂の空虚を、国家的目標と集団的希望の欠如を、
時とともにはっきりと認識するにいたった。〉
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
53 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 16:36:27 ID:ps14owp0
〈日本――だが、誰がその真実の姿を知ろう? (中略)
再度日本を訪れたおりに、私自身、ここにはきっと秘密の国が隠れているにちがいないとの直感を持った。
それは、たまたま私が、防衛庁の位置する市ヶ谷の丘を昇っているときのことだった。(中略)訪う人なきこの丘、
いまなお一軍が身を隠しつづける丘から、だが、一つの叫びが、いま、われわれの耳に届いたのだ。沈黙は破られた。
ヴェールは、一瞬、かなぐり捨てられた。ユキオ・ミシマ――この世界的名声の作家が、万人の面前で短刀を
自分の腹に突き立てたのだ。いまはなき特権階級(カスト)、サムライの儀式的自殺である。(中略)
祖国はもはや自分が夢みた国ならずというのでスペインのファランへ党員が自分の心臓に弾丸をぶちこむ。
盟主ロシアが共産党員としての自分の夢を打ち砕いたといってプラハの学生が火だるま自殺する。祖国日本が
非武装に甘んじ、もはや歴史舞台への回帰を放念したという理由で、一人の作家が東京で自刃して果てる。…〉
〈これら自殺者たちは何を信じ、何を得ようと望んだのか? 世界中の良識の徒は、一様にただ、せせら笑いを
浮かべるのみである。
しかし私としては、この問題を考えるとき、あまたの自殺のイメージをとおして古代ローマがわれわれの心に
なお生きつづけているという真実を思わずにはいられないのだ。生を厭うがゆえにではなく愛するがゆえに、
古代ローマ人は自ら生命を断った。これは、この方面の研究の第一人者、ガブリエル・マズネフも書いたとおりである。
たしかに、そこからして彼らは解放者ジュピターを自殺の守護神として選びさえもしたのだった。ジュピターとは、
愛する者のため自己犠牲という至高の自由を選ぶ寸前に彼らが熱祷をささげたところの、最高神だったからに
ほかならない。
その後、ミシマに負けじと、事もあろうにゼンガクレンの、しかしミシマを崇拝してやまない一学生が、
「われはよりよき世界に生きたし」という言葉を遺して自殺している。いったい、なにがどうなっているのであろうか?〉
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
54 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 16:37:22 ID:ps14owp0
〈(中略)ともあれ、私は、ここに告白する。これらの恐るべき秘密をもってわれわれ諸外国の人間のみならず
自分たち自身をもいまなお驚嘆せしめる能力を持った一民族にたいして、そぞろ自分は羨望の念を禁じえない、と。…〉
(中略)三島をめぐる論争は、パリからローマへと飛び火した。「高度経済成長」の奇蹟として世界中の人々を
驚かせてきた日本――は、じつは「政治的には両手を断ち切られた国」(アンドレ・マルロー)であったと、
白刃によって切裂かれたヴェールごしに人々はその実像を初めて直視したのである。(中略)これはわれわれの
問題であるとともに現代史の問題そのものであることを、「イル・テンポ」紙の記事は喚起している。(中略)
現代の日本人がいかに眉をひそめようと、現実に彼らがユキオ・ミシマにおけるこの《日本的流儀》によって
魂を震撼せしめられたという事実だけは、いかんとも覆いがたいのである。
ピエール・パスカル氏も、その無数の紅毛人のなかの一人であった。だれから頼まれるでもなく、この人物は、
前述のごとく『永遠の道』一巻の最後に自作のフランス語「ハイク」と「タンカ」を添えて日本の英雄の霊を
弔っている。(略)…全ヨーロッパに向かって敗者日本の声なき慟哭を伝え、その魂魄いまだ死せずと叫んだ、
花も実もあるこの人物の義挙――どうして義挙でないことがあろうか?――を深く徳とし、その二、三首を
拙訳をもって、ここに日本人の感謝のあらわれとしたい。士道の華――それは見事にヨーロッパで咲いたのだ。
ユキオ・ミシマの墓 ピエール・パスカル
いましわれいのち消ゆとも火箭(ひや)となり神の扉に刺さりてぞあらむ
獣(けだもの)の栄ゆるときは汝(な)が首を斬りてぞ擲げよ友らつづかむ
この血もて龍よ目覚めよその魂魄(たま)は吠えやつづけむわが名朽つとも
竹本忠雄「パリ憂国忌 三島由紀夫VSヨーロッパ」より
55 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 23:26:52 ID:2ErZ7tlN
56 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 23:38:29 ID:pRU0pYsr
三島由紀夫のチンポ?
57 :
七つの海の名無しさん:2010/11/27(土) 23:51:35 ID:xGtrpzBr
ダンヌンツォに夢中だっただけで
ガブリエル・ダンヌンツォの劣化コピーな訳だが。
58 :
七つの海の名無しさん:2010/11/28(日) 10:31:36 ID:UNB8kDuR
それにしても私は、三島について、いつも心にこう思っているんですよ。なぜ彼は、結局のところ消えさらねば
ならなかったのか、と……。あのとき以来、私が自分の胸に問うていることは、こうなのです――あれは、
はたしてなにものかの、つまりほんとうに偉大で価値あるものの始まりだったのか、それともそうしたすべての
終りだったのか、と……。私自身の考えはどうかといえば、それは、なにものかの終りだったのだと思う。
しかし、それがなければ始まりが不可能であるような、そうした終りだったと思うのだよ。さまざまな偉大な
文化の歴史を例にとれば、じつにしばしばその最後はかくのごとしといった例があるものなのだ。
この点について、ロジェ・カイヨウが面白い意見をもっていてね。カイヨウによれば、日本における三島の
ケースは、ヨーロッパにおけるピカソのケースと同じだというんだ。カイヨウはピカソを、ヨーロッパ絵画の
《決算者》le Liquidateur と考えていたからね。
この決算者とは、大文字でLを書く意味のそれだけれども。つまり、カイヨウは、ピカソの作品を一種の
自殺として考えていたということで、そのようにいえば、きみも、同様にしていかに三島を解釈しうるか、
わかるというものだろう。三島は必要ななにものかだった。そのことは、はっきりしている。
では、いまやそれがいかなる色合いをおびるかということになると、つぎのようにいうのがおそらく賢明であろう。
それは、日本そのものがいかなる色合いをおびるかということいかんにかかっている、と。今後、日本が、その
精神力のある種の化身に、しかもまったく思いがけない化身に行きつくということは、大いにありうることなのだ。
しかし、これについて私の考えるところはこうだ――いまから百年後に日本的精神性の与件は、現在われわれが
持っている与件のすべてをひっくるめたものとまったく似ても似つかないものとなるであろう。すなわちそれは、
まったく別の与件となることだろう、と。
アンドレ・マルロー
1975年11月24日、マルロー邸でのインタビューより
59 :
七つの海の名無しさん:2010/11/28(日) 10:33:15 ID:UNB8kDuR
「なんぴとかが別の生のもとに生まれかわったとしても、その人間は、自分の過去世においてどういうことが
起こったかということにもはや気づかないであろう」(『豊饒の海』)
……しかし、にもかかわらず、過去世は存する。《業》によってそれが存するゆえに。いや、業と言ったのでは
日本固有の考えではないから、たとえば《ヒロイズム》と言おう。このヒロイズムこそは、別の生における
あなたがた日本人のありかたというものを一変せしめたものなのだ。諸聖人の《通功(コミユニオン)》のように。
このようなヒロイズムこそは人類をある程度一変せしめたものであって、幾千年もの他の事象とともに
《輪廻転生》les reincarnations と呼ぶにふさわしいものだ。なぜなら、彼らはすべて、こう考えているからだ
――すなわち、いわゆる法燈伝なるものは、〈覚者(ブッダ)〉の群れを外にしてはこれ迷信にすぎない、と。
一個の人物が別の一人物に転生するにあらず、ただ普遍的輪廻転生があるのみ、と……。この点『マスの法典』の
意味は了然 formel といわねばならない。
いいかね、英雄的日本は、いまに、かならずや(不可避的に inevitablement)現われてくるであろう。
一個の国なるものはその魂の上に横たわっているのだから。
ところで、現在の日本は、かつて遭遇したことのない最悪の状況下に置かれている。それというのも、第二次
世界大戦の結果、貴国は、どうみてもアブノーマルとしか見えない諸々の生活条件のなかで世界最強の国の一つと
なってきたからだ……。このような状態のままで、なにもかもがつづいていいというはずがない!
……アメリカ人は、話し相手は中国だと信じこんでいるが、そんな話合いは書割(デコール)にしかすぎない。
太平洋の問題とは日本なのだから。
いつの日か、いまわれわれがここで話しあっている事柄は、きっとドラマチックな形をとって現れることとなろう。
そしてそうなれば日本は、フランスがド・ゴール将軍のもとに再統合されたように、あるべき日本の真の姿の
もとに再統合されることとなるだろう。
アンドレ・マルロー
1975年11月24日、マルロー邸でのインタビューより
60 :
七つの海の名無しさん:2010/11/28(日) 10:35:50 ID:UNB8kDuR
一個の国民は、みずからのもっとも深い魂がはたしてこれでいいのかとなったあかつきには、いやおうもなく
この魂の上に自己を再発見することを迫られていくものだと、私は信じている。しかるに、現在の日本が
置かれた条件が、繰りかえしていうが、根本から非道 deraisonnable なものであるというのに、どうして
この日本がこのままでいいというはずがあろうか、いや、とうていそんなはずはありえないと私は思うのだ!
いや、私ばかりではない、私が会ったアメリカの大統領たちをはじめ国家要人は、すべて、私とおなじ目で
問題を見ていることに変りはない。
日本は、中国が原爆を持っていなかったあいだは、ずっとアメリカと友好関係を保つことができた。しかし、
中国が原爆を持ってからというものは、あなたがたは、いままでの現実を敷き写しにして生きていくわけには
いかなくなっている。そこで、どうしてもつぎのいずれかの解決を必要とする段階に立ちいたるであろう。
すなわち、この原子爆弾をアメリカからもらうか、またはその自力製造権をどこからか獲得するか、あるいはまた
ソ連から原爆を入手するか、そのいずれかを必要とする岐路に立たされるだろう。
日本のような国柄の国家が、人口八億もの人間を擁し、しかも原爆によってあたながたを破壊する能力を有する
中共をまえにして、手をこまねいていることははたして可能か……。
中共が原爆を持った以上、日本もそれを持たずにはいられなくなる。持つべきか否かと自問した結果、持たない
ということが不可能になってくる……。
いずれにせよ、なにがどうなろうとも、日本という国は『このままでけっこう』というような国ではあるまいと
私は見ています。
アンドレ・マルロー
1975年11月24日、マルロー邸でのインタビューより
>>55 三島 「自分のために生きてても、そのうちそういうことに飽きてくる。いずれ何かのために生きるたい・・となってくる」
ウソも甚だしいな。
何かのため、というのも結局は自分のためだろ。
人の役に立つ?
ならさっさと私財を投げ打って、困ってる人を助けろよ。
自分だけは安全圏にいながら、何かのため、とか笑わせんな。w
62 :
七つの海の名無しさん:2010/11/28(日) 14:28:42 ID:2VC8AUYf
読解力0%
63 :
七つの海の名無しさん:2010/11/28(日) 15:54:43 ID:NrrFRnKr
>>55 別に嘘をついてるとは思わないがね
三島が言いたい事は簡単。つまり、人間というのは「贅沢」なもんだ
ということではないの
64 :
七つの海の名無しさん:2010/11/28(日) 15:57:10 ID:NrrFRnKr
65 :
七つの海の名無しさん:2010/11/28(日) 16:28:58 ID:b/cFzoDb
ナルシストだよねこの人
66 :
七つの海の名無しさん:2010/11/28(日) 16:38:42 ID:UNB8kDuR
ナルシストだからこそ捨て身になれるんだよ。
自分を愛せない人間は他人や国のことまで考えたりしないでしょう。
考えるのは結構だけど考えるだけなら鳩山にだってできる
68 :
七つの海の名無しさん:2010/11/28(日) 19:55:58 ID:UNB8kDuR
>>67 じゃあそれ以上のことをあなたがやればいいでしょう、他人をとやかく非難する前に。
>>68 意味不明w
まぁご本尊を悪く言われてカチンときたことは理解できましたがwwwwwww
もう少し批判を受け入れる器を持っておかないと☆ミ
先進国の現代の悲劇を三島は、鋭い感性で自分の首を差し出して警告してたんだな。
先進国の穏健なミシマ化、横暴と強欲な侵略を許さないジハードが始まっている。
71 :
七つの海の名無しさん:2010/11/29(月) 09:47:51 ID:gUs3NQYy
三島と福沢を読み直し
72 :
七つの海の名無しさん:2010/11/29(月) 11:39:30 ID:bbmwzG5s
ハラキリにおいて死は消滅する。死という人間的諸条件を、ある人間の意志が、自由に否定する行為であるからだ。
ハラキリにおいては、より高き倫理価値が自己に対する超越のかたちによって、死に対する克服のかたちによって
肯定されているからである。
切腹をかびくさい前世紀の遺物のように片づけることは、人間における最も「神聖なるもの」への冒涜である。
アンドレ・マルロウ
来日時のインタビューより
三島にとっては死は行動として一つの強烈な現実性を持っていた。日本の偉大な伝統と、儀式とによる死。
それでも異常なことだが、西欧ではローマ人的なこの死とロマンティックな自殺とを、混同するに至っている。
西欧のロマン主義者は、決してこのような方法では自殺しなかった。どのような文明も、死を祭儀的行為として
提議してはいないのである。
ある意味では日本の武士道精神がそれを提議した。
アンドレ・マルロオ
竹本忠雄との対談より
73 :
七つの海の名無しさん:2010/11/30(火) 20:49:33 ID:zOW3ELm8
フジヤマ、ゲイシャ・ガール、カミカゼ、ミシマ、ハラキリ、スシ。
70年安保後の日本で生きるに忍びなくて死んだんだろ。
カワイイ文化の発信国になるぜ!
川端がノーベル賞取ったんで、目標見失ってやったとは良く
言われるが、川端も都知事選で自民党に応援演説に駆り出され
た挙げ句に候補が落選して、間もなくガス管くわえたのな。
やっぱり恥ずかしかった。
かくて「明日のジョー」と「巨人の星」の70年代が幕開ける。
右翼より愛国者ってイメージだな愛国党だっけ?あそこの亡くなったじいさんも
80 :
七つの海の名無しさん:2010/12/01(水) 00:27:32 ID:y/dd0BG2
三島さん、あなたがこの世を去られてから、ちょうど二十年の歳月が流れました。長いようでもあり、
短いようでもあります。
二十年前、あなたのあの壮烈な死の直後、私はこの「題名のない音楽会」であなたへの弔辞を捧げました。
そのなかで私はこう言いました。
「三島さん、あなたが自らの死によって訴えたかったこと、それはあの檄文の最後にある言葉
『我々の愛する歴史と伝統の、国日本を日本の真の姿に戻そう。生命尊重のみで魂が死んでもいいのか。』
この言葉にあなたの思いは集約されていると私は思います。
最後のバルコニーの演説でも冒頭にあなたはこう言っている。
日本は経済的繁栄に現を抜かして精神的には空っぽになってしまった。君たち、それがわかるか、と。
自衛隊の存在も含めて潔癖なあなたは政治的ごまかしを許すことができなかった。
現在の日本が世界に冠たる経済的繁栄を誇りながら、それに反比例して政治の腐敗とごまかし、精神の不在と荒廃、
人間の疎外と断絶、こういった憂うべき事態を深めつつあることは心ある人々の認めるところでしょう。
明治の文明開化以来、西欧流の物質主義が日本文化を支える精神主義を危殆に瀕せしめている。
あなたが自ら畢生の大作と呼んだ最後の作品「豊饒の海」であなたは唯識論と輪廻転生という東洋の思想を踏まえて、
この風潮に文学的というよりはむしろ哲学的な鉄槌を下している。あの作品の最後の部分で主人公が蝉時雨の
降るような尼寺で、意外な結末に茫然と立ち尽くすあたりはまさに無の境地としか言えません。
文学ならば無で済みます。しかし、現実はそれでは済まない。
あなたは自らの命をわざわざ人が犬死にと評するような一見、愚劣な方法で劇的に絶つことにより、
心ある人々に一大衝撃を与えた。まさに皮肉で逆説好きな、いかにもあなたらしい芸術的なやり方でした。
黛敏郎「題名のない音楽会」(平成2年11月25日)より
ワグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死(演奏 東京フェスティバルオーケストラ)
81 :
七つの海の名無しさん:2010/12/01(水) 00:30:05 ID:y/dd0BG2
現在の日本が世界に冠たる経済的繁栄を誇りながら、それに反比例して政治の腐敗とごまかし、精神の不在と荒廃、
人間の疎外と断絶、こういった憂うべき事態を深めつつあることは心ある人々の認めるところでしょう。
明治の文明開化以来、西欧流の物質主義が日本文化を支える精神主義を危殆に瀕せしめている。
あなたが自ら畢生の大作と呼んだ最後の作品「豊饒の海」であなたは唯識論と輪廻転生という東洋の思想を踏まえて、
この風潮に文学的というよりはむしろ哲学的な鉄槌を下している。あの作品の最後の部分で主人公が蝉時雨の
降るような尼寺で、意外な結末に茫然と立ち尽くすあたりはまさに無の境地としか言えません。
文学ならば無で済みます。しかし、現実はそれでは済まない。
あなたは自らの命をわざわざ人が犬死にと評するような一見、愚劣な方法で劇的に絶つことにより、
心ある人々に一大衝撃を与えた。まさに皮肉で逆説好きな、いかにもあなたらしい芸術的なやり方でした。
いまの日本は、二十年前、あなたがいみじくも予言した通り
「私はこれからの日本に希望が持てない。このままいったら日本は無くなってしまう。そのかわりに無機的な、
空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国が極東の一角に残るだろう。
それでもいいと思っている人たちと私は口をきく気にもなれない。」
こういったあなたの言葉通りが現実なのです。本当に残念なことです。
三島さん、あなたがいなくなってからの二十年は、あなたが望んでいたような二十年ではありませんでした。
また、これから先の日本が果たしてどうなるのか、誰にも予断はできません。しかし、今までの二十年と同じく
あまり期待のできない将来であることは、おぼろげながら予測できそうです。ともあれ、いま、幽明境を異にした
あなたに私ができることといえば、あなたの好きだったこの曲を捧げることくらいでしょう。
この曲がうたっている死とはかり合えるほどの重さを持った愛の尊さをあなたと一緒にかみしめましょう。…
黛敏郎「題名のない音楽会」(平成2年11月25日)より
あー、右翼が嫌いだ、、、
安保にアグラかいてる奴は皆、右翼だ。
84 :
七つの海の名無しさん:2010/12/01(水) 08:37:42 ID:2sxV5mXY
>82
そんな思想とか固く考えて生きてるのは極僅かだよ
人々はただ生きてるだけ
左右どちらでも飯が喰えればある程度満足さ
85 :
七つの海の名無しさん:2010/12/01(水) 09:11:48 ID:SVIM4WgU
石原慎太郎のホモだちか
あー、日本人がきらいだ・・・・・・
88 :
七つの海の名無しさん:2010/12/02(木) 10:27:37 ID:+TUZb5aH
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人にウィリアム・フォーサイス(バレエダンサー、
振付家)がいますが、1991年に初演された彼のバレエ『失われた委曲』(ザ・ロスト・オブ・スモール・
ディテール)は、三島の『奔馬』の次の一節をテーマに美をラディカルに呈示し、構築的であり幾何学的な
構造を持っている三島的な神話世界を表しています。
「時の流れは、崇高なものを、なしくずしに、滑稽なものに変えてゆく。何が蝕まれるのだろう。もしそれが
外側から蝕まれてゆくのだとすれば、もともと崇高は外側をおおい、滑稽が内側の核をなしていたのだろうか。
あるいは、崇高がすべてであって、ただ外側に滑稽の塵が降り積ったにすぎぬのだろうか」
フォーサイスは記者の「なぜ三島のテキストを引用したのか」という質問に、
「三島を読んだとき、三島の方が僕のバレエを引用しているのかと思った」と答えたそうです。
89 :
七つの海の名無しさん:2010/12/03(金) 16:19:13 ID:Xu0+102u
90 :
七つの海の名無しさん:2010/12/04(土) 03:58:36 ID:gbMLVX8s
アイデンティティ・・・
日本とヨーロッパが危ない!!
91 :
七つの海の名無しさん:2010/12/04(土) 04:12:12 ID:7sT7hWHT
三波春夫かと思ったわ。
92 :
七つの海の名無しさん:2010/12/04(土) 04:35:41 ID:zDgzfpg7
三島由紀夫が好きになりました。
今まで無関心だったのが恥ずかしいです。
アンチのおかげもあります。
自分の生まれ育ったこの国を大切に思うことは自然。
それを否定する奴は心が歪んでる。
これから色々勉強していこ。
絶対に左翼にはならない。ちょっと右翼くらいでバランスの取れた大人になりたい。
93 :
七つの海の名無しさん:2010/12/04(土) 12:10:30 ID:NcZeJ/ar
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストのなかにフランシス・コッポラと大島渚がいますが、
コッポラが自身の「地獄の黙示録」撮影時に読み、作品の構想のヒントにした三島の『豊饒の海』四部作を、
全て映画化する構想を語っていたことは有名な話です。
「春の雪」をコッポラ自身が監督して、「奔馬」以降を日本人監督に任せ、コッポラはプロデューサーにまわる、
と予定していたようです。その監督候補に大島渚が挙がっていましたが、渚の病気などの理由のため実現は
できませんでした。代わりに監督できるのは、今の日本では北野武くらいでしょうか。
「戦場のメリークリスマス」にも三島へのオマージュが入っていますが、大島渚は「鏡子の家」、「美しい星」も
映画化したかった旨を語っていたようです。
94 :
七つの海の名無しさん:2010/12/04(土) 12:35:28 ID:NcZeJ/ar
フランシス・コッポラは映画「地獄の黙示録」の撮影時、三島の「豊饒の海」から作品の構想を膨らませています。
各所に散りばめられた神話的メタファー、世界観、ラストの東洋的ニヒリズムなど随所に三島の「豊饒の海」から
ヒントを受けたと自ら語っています。また、現代文明に疑問を抱き特殊戦部隊に志願した38才の中年カーツ大佐は
三島の造形であるといわれています。
「戦場は地獄だから怖いのではない。戦場では特に地獄が天国に見えるから怖いのだ。そういう人間が怖いのだ」と
コッポラや黒沢明は言っていますが、これは三島の作中の主題と共通したもので、「仮面の告白」のエピグラフの
「悪行の中の美」、三島の生涯の追求したテーマの一つだった「悪と美、死とエロスを通した人間存在の謎」へと
重なっています。
三島も評論のなかで、人間性という地獄の劫火を悪と美に喩え、美と悪、芸術と犯罪の関係について述べています。
95 :
七つの海の名無しさん:2010/12/04(土) 17:37:33 ID:x4TWwIdT
三島の時代が来た
>>76 カワイイ文化に三島の求める美が隠されてる。てっ当たり前か w
>>88 どの民族の気高く尊いものの核は滑稽である。としたなら、
滑稽の中に尊さを表した日本神話を理解できる日本人は、どの民族にも理解を示せる。
なぜなら、それ以上のエロスな滑稽さは他に類がないから w
と言う事で、三輪神社の隣にある民間の宿に泊まった事があるが、三島先生が外人さん
を連れて泊まったんですよぉ、と話してくれて、ちと感激だったな。
ホモの極右は怖すぎるw
お尻に精神棒を注入されそう
98 :
七つの海の名無しさん:2010/12/05(日) 11:18:19 ID:rsVJVMm9
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に松任谷由実がいますが、彼女は中学時代から
文化人が多くたむろしていたイタリアン・レストラン「キャンティ」に毎日のように出入りしていて、そこには
三島や安部公房などもいました。ユーミンの淡い初恋が三島だったとも言われ、ユーミンの楽曲の詩の諸処に
表れている、三島文学からのインスパイア(生まれ変わってもあなたを見つける)や、三島的なものへの思慕
(いつでも強がるあなたが好き…)、三島へのレクイエム(ひこうき雲、卒業写真)等、一部で指摘されています。
また、価値相対主義の社会にはエロティシズムはないと極限し、反体制運動に見られるような、人間性を
管理社会から解放するところのセックス、とという認識を批判して、絶対者がなければ人間性の救済というのは
あり得ない、と主張した三島と、恋愛対象者を絶対者として、宗教にまで高められた恋愛至上主義を信条とする
ユーミンの恋愛世界には、明らかに共通した思考がみられます。
99 :
七つの海の名無しさん:2010/12/06(月) 17:07:32 ID:S4eqiw5S
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に坂本龍一がいますが、彼の父親は三島の
仮面の告白、金閣寺などを世に送り出した河出書房の三島担当の名編集者として有名です。おそらく父親から
三島の逸話などを聞かされたことでしょう。
坂本龍一が映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)で演じた将校も三島の造形だといわれていますが、
龍一自身が担当した「戦メリ」の音楽に歌詞を付け、デヴィッド・シルヴィアンとコラボしたアルバム
「禁じられた色彩」も、明らかに三島の「禁色」をベースした世界があります。
My love wears
forbidden colours.
My life believes
(in you once again)
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる。
僕の生はもう一度あなたを信じる。
ちなみにD・シルヴィアンも三島の「禁色」を最高の文学と言い、三島おたくぶりをアピールしています。
100 :
七つの海の名無しさん:2010/12/06(月) 17:10:59 ID:S4eqiw5S
Forbidden Colours
The wounds on your hands never seem to heal
I thought all I needed was to believe
Here am I, a life time away from you
The blood of Christ, or the beat of my heart
My love wears forbidden colours
My life believes
Senseless years thunder by
Millions are willing to give their lives for you
Does nothing live on?
Learning to cope with feelings aroused in me
My hands in the soil, buried inside of myself
My love wears forbidden colors
Mylife believes (in you once again)
I'll go walking in circles
While doubting the very around beneath me
Trying to show unquestioning faith in everything
Here am I, a life time away from you
The blood of Christ or, a change of my heart
My love wears forbidden colours
My life believes (in you once again)
101 :
七つの海の名無しさん:2010/12/06(月) 17:12:56 ID:S4eqiw5S
あなたの手の傷はけっして治らないだろう
僕は信じてさえいればいいと思ってた
あなたと一生距てられたぼくがここにいる
キリストの血か、それとも僕の心臓の鼓動?
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生はもう一度あなたを信じる
無意味な歳月が瞬時に過ぎ
無数の人々がよろこんで命をあなたに捧げる
生き残るものは何もないのか?
自分の中にわきおこる感情を処理する術を覚えようと
自分の中に埋められた土くれに手をつっこむ
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生はもう一度あなたを信じる
足もとの土すら信じきれず
それでも全てのことに盲目的な信仰を示そうとしながら
何度も同じ地点にたち戻ってしまう
あなたと一生距てられたぼくがここにいる
キリストの血か、それとも心の変化?
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる
僕の生はもう一度あなたを信じる
デヴィッド・シルビアン&坂本龍一「禁じられた色彩」より
102 :
七つの海の名無しさん:2010/12/06(月) 17:37:37 ID:RudQyZwQ
卒論を三島にした時は、教授に嫌な顔をされたなぁ
103 :
七つの海の名無しさん:2010/12/06(月) 19:54:54 ID:q6FiK4jp
>>66 >ナルシストだからこそ捨て身になれるんだよ。
>自分を愛せない人間は他人や国のことまで考えたりしないでしょう。
二重に間違えてる。
まず三島はナルシストでは無かったと思う。
ただ自分に厳しくあろうとしただけ。
アーティストとして「己に厳しい姿は美しい」という範を示しただけではないかな?「」内、他にも様々な解釈が出来るが表現の一つだったことは確か。
ナルシストなら、まず・・・自決するにしても、あ〜いう惨い姿を遺す方法は選ばない。
ってか生に羞恥するのがナルシストだよ。
あとマキャベリの君主論を読めば解るが、自分を愛せない人間でも国のことは考えられる。
ま、俺も三島を理解出来てないから偉そうなことは言えないけどね。
三島に影響を受けた様々な分野のアーティスト達が、彼の思想を解り易い形で伝えてくれる。
天才の思想なんて天才に近くなければ理解出来るはずなんてないからな。
上澄みの、そのまた上澄みしか理解出来ないのが悔しいが。
104 :
七つの海の名無しさん:2010/12/06(月) 20:47:15 ID:q6FiK4jp
ちと考えてみたんだが、現代は「三島的な思想」と「非三島的な思想、もしくは三島的なものを排する思想」がせめぎあってる時代なんじゃないかな〜と。
幸いかどうか解らないが、ともかく日本において資本主義は完成してしまった(と思う。餓えて死ぬ奴も居るけど)。
で、この先の価値観が今まで通り「物質」であることを求める人間と、今までの価値観を転換して「精神」に求める人間との間で静かに争ってるんだろ?
105 :
七つの海の名無しさん:2010/12/07(火) 10:56:07 ID:E8Myjjy6
三島は18歳のとき、米英の俗な精神(近代合理主義)が全世界を覆ったとき世界は滅亡すると、書いてますね。
いまや中国がその急先鋒で歯止めなしに暴走しそう。
106 :
七つの海の名無しさん:2010/12/07(火) 15:43:34 ID:D2mJnUqS
20世紀も21世紀も
愛国心の時代であることに変わりがない。
107 :
七つの海の名無しさん:2010/12/07(火) 16:05:23 ID:Lr1VUOGP
三島由紀夫はパラノイア
カルト宗教に嵌った狂人だよ
>市長は「三島が極端な形で示したのは、伝統と消費文化など近代化の矢面に立たされた(者の)
悲劇」だと語り、それは今の日本、イタリアのみならず世界共通のテーマとの見方を示した。
本来、日本人のような物に支配された人間達が疑問に持つべき事なのに日本人は相変わらず思考が停止していらっしゃる
109 :
七つの海の名無しさん:2010/12/08(水) 01:34:24 ID:lcFM6A25
日本のマスゴミが未だにマトモに扱えないのが滑稽でしょうがない
NHKなんかも三島が憲法改正を訴える寸前のシーンでカットしてたし
110 :
七つの海の名無しさん:2010/12/08(水) 11:11:00 ID:o8x1SMN7
よくわからんけどホモだったの?
111 :
七つの海の名無しさん:2010/12/08(水) 11:39:31 ID:kAuyR+zn
>>110 同性愛傾向があったことは本人がそう分析してますが、ホモというよりはバイです。
112 :
七つの海の名無しさん:2010/12/08(水) 11:47:54 ID:kAuyR+zn
>>109 憲法改正自主防衛は禁句なんでしょうね。三島も、日本は外国指令で動いていると言ってますが、
戦後60年以上のいまだそうなんでしょう。
NHKでは「大東亜戦争」と言ってはいけない規制があるそうです。
113 :
七つの海の名無しさん:2010/12/08(水) 12:10:21 ID:KRkuW2xw
イタリアのホモが日本のホモを称えるお祭り?
114 :
七つの海の名無しさん:2010/12/08(水) 12:21:50 ID:kAuyR+zn
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に、日本のアニメ「巌窟王」の音楽を担当した
ジャン・ジャック・バーネル(フランス人)がいますが、ジャンは70年代の伝説の英国パンク・ロック・
グループ、ストラングラーズの名ベーシストでした。バンドの3rdアルバム『ブラック&ホワイト』には
「ユキオ」の副題が付けられた「デス&ナイト&ブラッド」(死と夜と血)という曲や、次のアルバム
『レイヴン』の「アイス」という曲にもハガクレという言葉が出てきます。
「死と夜と血」
俺が彼の瞳のなかに
あのスパルタを見た時
夭折はいいこと
だから俺たちは決めたんだ
死ぬこと以上に
すばらしい愛はないと
俺は俺の肉体を
俺の武器にまで
鍛えあげるんだ
ジャンは三島の熱心な愛読者でもあり、極真会館の道場生でした。現在は士道館の空手ロンドン支部長をして
いるそうです。
115 :
七つの海の名無しさん:2010/12/08(水) 12:23:23 ID:kAuyR+zn
78年12月に単独来日した際にジャンは、「なぜ日本はこんなアメリカ・ナイズされているのか、日本の若者は
眠っているのか」と怒りまくったという逸話があり、
「米国資本の市場戦略は安逸な快楽を与え、人々の感性を鈍らせることから始まっている。それはヨーロッパの
伝統的な明晰さにとって第一の敵といえるが、日本人もそれに毒されている自分たちを自覚し民族の知的遺産である
伝統、それは魂(スピリット)といっていいが、それを救出しなければならない。」
と誌面にメッセージを残しています。
116 :
七つの海の名無しさん:2010/12/08(水) 12:43:38 ID:Z9+z52K4
かくゆう私も童貞でね
117 :
七つの海の名無しさん:2010/12/08(水) 16:56:08 ID:xSe0K9ZW
>>115 アメリカも日本化されてる部分もあるし、
日本文化は明晰性とは真逆の曖昧性が武器なので
ヨーロッパと意思を疎通させながら共闘するのは難しそうだね。
ていうかヨーロッパよりアメリカのほうが明晰を好むだろ。
学術論文から映画までヨーロッパのほうがねちっこくて晦渋だぞ。
118 :
七つの海の名無しさん:2010/12/09(木) 11:40:30 ID:ZHjGAPNK
三島事件の直後、新聞記者たちの質問は、三島の行動が日本の軍国主義復活と関係あるか、ということだったが、
私の反応は、ほとんど直感的に「ノー」と答えることだった。
たぶん、いつの日か、国が平和とか、国民総生産とか、そんなものすべてに飽きあきしたとき、彼は新しい
国家意識の守護神と目されるだろう。
いまになってわれわれは、彼が何をしようと志していたかを、きわめて早くからわれわれに告げていて、
それを成し遂げたことを知ることができる。
エドワード・サイデンステッカー「時事評論」より
119 :
七つの海の名無しさん:2010/12/10(金) 23:51:05 ID:gXVwaOKY
三島由紀夫は、古典「ダフニスとクロエ」を下敷きに日本の島を舞台にした純愛物語を構想していましたが、
最終的に三重県鳥羽市沖の神島を『潮騒』の舞台に選んだ理由を三島は、神島が日本で唯一パチンコ店がない島
だったからと、大蔵省同期の長岡寛に語っています。
神島の島民たちは初め三島を、病気療養のために島に来ている人と勘違いし、
「あの青びょうたんみたいな顔の男は誰やろ?体が悪くて養生しに来とるのか」と言ったそうです。
島民たちに島の話を聞きながら、熱心にメモをとっていた痩せた白い肌の三島の姿は、屈強な島の男達を
見慣れている島の女性たちにはかなり珍しかったようです。
120 :
七つの海の名無しさん:2010/12/10(金) 23:52:02 ID:gXVwaOKY
三島は『潮騒』執筆中、泊まっていた漁業組合長の寺田宗一さん夫妻(故人)を
「おやじ、おふくろ」と呼びながら、一家団欒の食事を一緒にとっていたので、三島事件のとき寺田さんに
「あんたのとこの息子さん、えらいことをして亡くなったなあ」と言う島民もいたそうです。
晩年、三島からもらったサイン入りの潮騒初版本の破れかけた表紙を大事そうに撫でながら、宗一さんは
三島との思い出を、訪ねてくる三島ファンに語っていたと、寺田家の嫁のこまつさんが回想しています。
ちなみに、宗一さんの息子の和弥さんが『潮騒』の信治のモデルといわれています。
121 :
七つの海の名無しさん:2010/12/10(金) 23:53:30 ID:gXVwaOKY
『潮騒(しほさゐ)に、伊良虞(いらご)の島辺(しまへ)、漕ぐ舟に、
妹(いも)乗るらむか、荒き島廻(しまみ)を』
(さわさわと波がさわいでいる伊良虞の島のあたりを漕いでゆく舟に、
今ごろあの娘は乗っているのだろうか、潮の荒いあの島の廻りを。)
詠人 柿本人麻呂
三島由紀夫は、万葉集に歌われている伊良湖岬を歌ったこの歌から「潮騒」の題名をとりました。
この歌は、持統天皇が伊勢に旅された時に、都に残った柿本人麻呂が詠んだ歌です。
ちなみに、潮騒を万葉仮名で書くと『潮左為』だそうです。
ローマで三島由紀夫のチンポを開拓
に見えたぞ
123 :
七つの海の名無しさん:2010/12/11(土) 00:26:10 ID:fwJnn8Jt
ナポリを見て死ね
↓
124 :
七つの海の名無しさん:2010/12/11(土) 05:10:57 ID:HWXvnI7R
潮騒って、山口百恵主演の映画にされたから、
イメージダウンしちゃったな
春の雪なんか、セカチューの監督が撮って、ラストを改悪したんだぞ。
126 :
七つの海の名無しさん:2010/12/13(月) 09:56:22 ID:xd0oN/R0
『仮面の告白』を黒い傑作、『金閣寺』を赤い傑作とすれば、その後に書かれた透明な傑作『潮騒』は、一般に
作家がその生涯に一度しか書けないような、あの幸福な書物の一つである。それはまた、その直接の成功が
あまりに華々しいので、気むずかしい読者の目にはかえって胡散くさく見えるような作品の一つである。
その完璧な明澄さそのものが一つの罠なのだ。古典期ギリシアの彫刻家が人体の上に光と影の段落を描き出す、
あまりに際立った凹凸をつくることを避けて、限りなくデリケートな肉づきを目や手により生々しく感知させようと
したように、『潮騒』は批評家に解釈のための手がかりをあたえない書物なのである。(中略)
若者の恋というテーマだけを取ってみれば、「潮騒」はまず、「ダフニスとクロエ」の無数の二番煎じの
一つのように見える。けれどもここで古代と、さらにずっと後代の変則的な古代とを、あらゆる偏見を棄てて
比較してみると、二つのうちでは「潮騒」の旋律の示す音高線のほうがはるかに純粋だ。
マルグリット・ユルスナール「三島由紀夫あるいは空虚のヴィジョン」より
127 :
七つの海の名無しさん:2010/12/13(月) 09:58:27 ID:xd0oN/R0
『奔馬』には、一八七六年に叛乱を起した武士たちの集団自殺が描かれており、彼らの行動は勲を感奮興起させた
ものであった。正規軍に敗北すると、八十名の生存者はあるいは路上で、あるいは神社の祀られている山頂で、
いずれも礼法通りに腹を切った。(中略)
この血と臓腑の信ずべからざる大氾濫は私たちを恐怖させるとともに、あらゆる勇敢なスペクタクルのように
興奮させもする。この男たちが闘うことを決意する前に行った、あの神道の儀式の簡素な純粋性のようなものが、
この目を覆わしむ流血の光景の上にもまだ漂っていて、叛乱の武士たちを追跡する官軍の兵隊たちも、できるだけ
ゆっくりした足どりで山にのぼって、彼らを静かに死なせてやろうと思うほどなのである。
マルグリット・ユルスナール「三島由紀夫あるいは空虚のヴィジョン」より
128 :
七つの海の名無しさん:2010/12/13(月) 10:00:37 ID:xd0oN/R0
勲はといえば、彼はその自殺に幾分か失敗する。(中略)
しかし三島は、それ自体うかがい知りえぬ肉体的苦痛の領域に天才的な直感をはたらかせて、この叛逆の若者に、
彼にとってはあまりに遅く来るであろう昇る日輪の等価物をあたえてやったのだ。腹に突き立てられた小刀の
電撃的な苦痛こそ、火の球の等価物である。それは彼の内部で赤い日輪のような輝きを放射するのである。
マルグリット・ユルスナール「三島由紀夫あるいは空虚のヴィジョン」より
129 :
七つの海の名無しさん:2010/12/15(水) 10:36:04 ID:s4ISTcug
三島は死ぬこと、さらに言えば意志的に死ぬことを欲した。
そのために彼の自己意識は何世紀もの意識を映し出すよう努め、彼の特異性は、もはや存在しないというあの
純粋な決断と一体となることで、より広い時間のなかに解体しようとした。
一つの生が完了をとげ、それと同時に、その生を結実させた一つの歴史を終了させた。
あの落日の短かく血まみれの光輝のなかに、自死の日本的伝統が要約され消滅したのだ。
モーリス・パンゲ「自死の日本史」より
いやバイじゃなくてゲイだ
131 :
七つの海の名無しさん:2010/12/16(木) 11:50:49 ID:FTuRgp50
三島さん、あなたがこの世を去られてから、ちょうど二十年の歳月が流れました。長いようでもあり、
短いようでもあります。
二十年前、あなたのあの壮烈な死の直後、私はこの「題名のない音楽会」であなたへの弔辞を捧げました。
そのなかで私はこう言いました。
「三島さん、あなたが自らの死によって訴えたかったこと、それはあの檄文の最後にある言葉
『我々の愛する歴史と伝統の、国日本を日本の真の姿に戻そう。生命尊重のみで魂が死んでもいいのか。』
この言葉にあなたの思いは集約されていると私は思います。
最後のバルコニーの演説でも冒頭にあなたはこう言っている。
日本は経済的繁栄に現を抜かして精神的には空っぽになってしまった。君たち、それがわかるか、と。
自衛隊の存在も含めて潔癖なあなたは政治的ごまかしを許すことができなかった。
現在の日本が世界に冠たる経済的繁栄を誇りながら、それに反比例して政治の腐敗とごまかし、精神の不在と荒廃、
人間の疎外と断絶、こういった憂うべき事態を深めつつあることは心ある人々の認めるところでしょう。
明治の文明開化以来、西欧流の物質主義が日本文化を支える精神主義を危殆に瀕せしめている。
あなたが自ら畢生の大作と呼んだ最後の作品「豊饒の海」であなたは唯識論と輪廻転生という東洋の思想を踏まえて、
この風潮に文学的というよりはむしろ哲学的な鉄槌を下している。あの作品の最後の部分で主人公が蝉時雨の
降るような尼寺で、意外な結末に茫然と立ち尽くすあたりはまさに無の境地としか言えません。
文学ならば無で済みます。しかし、現実はそれでは済まない。
あなたは自らの命をわざわざ人が犬死にと評するような一見、愚劣な方法で劇的に絶つことにより、
心ある人々に一大衝撃を与えた。まさに皮肉で逆説好きな、いかにもあなたらしい芸術的なやり方でした。
黛敏郎「題名のない音楽会」(平成2年11月25日)より
ワグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死(演奏 東京フェスティバルオーケストラ)
132 :
七つの海の名無しさん:2010/12/16(木) 11:51:41 ID:FTuRgp50
あなたがもし、政治家だったとしたら、こんな方法は絶対にとらなかったでしょう。
あなたが意図したことはだから、自衛隊に決起を促すクーデターではなかった。心ある人々の魂にぐさりと
突き刺さる精神のクーデターだったのです。
(間)♪♪♪♪♪
三島さん、二十年前、あなたがあの壮烈な死を遂げられた直後、私は「題名のない音楽会」でいま言ったような
弔辞を捧げました。そして、あなたが自らの死を以て暗示してくれた精神的クーデターは近い将来、必ず
起こるはずだから、どうか、あなたのこよなく愛したこのワグナーを聴きながら、幽明境を異にした天界で
日本の将来を期待とともに見守っていて下さい、このようにお願いをしました。
それから二十年。日本は変わったでしょうか! 残念なことに、本当に残念なことに少しも変わってはいないのです。
あなたが、死を賭して訴えた自衛隊の問題にしても未だに決着はついていません。三島さん、あなたの名前は
今でも一種のタブーです。あなたの数々の作品は芸術的には高く評価され、あなたの才能を疑う人間はいないけれど、
あなたの思想は依然として危険視されています。
いまの日本は、二十年前、あなたがいみじくも予言した通り
「私はこれからの日本に希望が持てない。このままいったら日本は無くなってしまう。そのかわりに無機的な、
空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国が極東の一角に残るだろう。
それでもいいと思っている人たちと私は口をきく気にもなれない。」
こういったあなたの言葉通りが現実なのです。本当に残念なことです。
三島さん、あなたがいなくなってからの二十年は、あなたが望んでいたような二十年ではありませんでした。
また、これから先の日本が果たしてどうなるのか、誰にも予断はできません。しかし、今までの二十年と同じく
あまり期待のできない将来であることは、おぼろげながら予測できそうです。ともあれ、いま、幽明境を異にした
あなたに私ができることといえば、あなたの好きだったこの曲を捧げることくらいでしょう。
この曲がうたっている死とはかり合えるほどの重さを持った愛の尊さをあなたと一緒にかみしめましょう。…
黛敏郎「題名のない音楽会」(平成2年11月25日)より
ワグナー「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死(演奏 東京フェスティバルオーケストラ)
133 :
七つの海の名無しさん:2010/12/16(木) 23:05:28 ID:o0HK98i4
老眼のせいかスレタイが三島由紀夫のチンポに見えたのは俺だけじゃないはずだ
134 :
七つの海の名無しさん:2010/12/17(金) 21:04:23 ID:lzsN05zJ
まぁ民主主義とか共和制とかの口先だけの欺瞞に気づく奴が増えすぎたら
回帰するんだろうな
135 :
七つの海の名無しさん:2010/12/18(土) 12:35:26 ID:N6Q4VAg3
でも民主主義や共和制の故郷の一つであり
キリスト教の総本山的な古都でもあるローマで
こんなシンポジウムが開かれるのも皮肉だなw
お前バカだろw
137 :
七つの海の名無しさん:2010/12/23(木) 11:57:47 ID:EYMhicpx
あぷ
三島は好き嫌いを別として才能があるなあ。
俗が覆った時代を、三島は絶対生きていけないなあ。
139 :
七つの海の名無しさん:2010/12/25(土) 18:03:10 ID:A2+GbcrM
天文台で働く若い観測員よ、暗い天空に新しい彗星を一つ発見するたび、きみが地上で喪失するものは、一体何か?
すべての書物を書きつくしてしまった、一人の詩人が切腹して果てたあとで、その暗い天空が獲得する星は、一体何か?
寺山修司
憂国忌パンフレットに寄稿された追悼の辞より
三島が予期した通り
日本はあと消滅するだけの
国になりました。
141 :
七つの海の名無しさん:2010/12/26(日) 17:32:31 ID:nzpSJIky
岡潔:三島由紀夫は偉い人だと思います。日本の現状が非常に心配だとみたのも当たっているし、天皇制が
大事だと思ったのも正しいし、それに割腹自殺ということは勇気がなければ出来ないことだし、それをやって
みせているし、本当に偉い人だと思います。
Q(編集部):百年逆戻りした思想だと言う人もありますが、それは全然当たっていないと言われるのですか?
岡潔:間違ってるんですね。西洋かぶれして。戦後、とくに間違っている。個人主義、民主主義、それも
間違った個人主義、民主主義なんかを、不滅の真理かのように思いこんでしまっている。
ジャーナリストなんかにそんな人が多いですね。若い人には、割合、感銘を与えているようです。
かなり影響はあったと思います
岡潔「蘆牙」より
142 :
七つの海の名無しさん:2010/12/27(月) 00:39:35 ID:YQNZFegK
岡潔って数学者だっけ?科学者って平和主義とか好きそうだけど、こういう人もいるんだな。
143 :
七つの海の名無しさん:2010/12/27(月) 03:50:15 ID:Xx8YlL7S
>>133 とりあえず、みんなのレスを確認してからのレスだね?
老眼でなくても見えるし…
144 :
七つの海の名無しさん:2010/12/27(月) 04:27:01 ID:vyQxOKUH
ニンージャ!カミカーゼ!ハラキーリ!ジュジュツー!クワラティ!
145 :
七つの海の名無しさん:2011/01/04(火) 13:30:49 ID:SJaJ+15o
146 :
七つの海の名無しさん:2011/01/05(水) 01:09:59 ID:fZx5k52J
腐女子がアップしたようです
あーん
それでNHKBSがイタリア特集組んでるのかな
148 :
七つの海の名無しさん:2011/01/06(木) 23:35:18 ID:KhP/cUHp
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」などの映画でも知られる歌手のビョークが来日した際に、「ミシマの作品
くらいは読まなくてはね」と述べたと伝えられていた。アイスランド出身のビョークが作品を何語で読んだのか
わからないが、アイスランド語では1974年に「午後の曳航」が出版されている。「午後の曳航」は「金閣寺」
「近代能楽集」「潮騒」などと並んで翻訳数の多い作品であるが、(略)アイスランドの人々が読む「午後の曳航」が
どのようなものか、想像してみるのも楽しい。
(中略)現時点(2003年)で把握しているところでは、小説・戯曲・評論等を含めると、110点以上の
作品が30種類の言語に翻訳され、二回以上訳されているものを含めると、翻訳作品の総数は延べ700点を
超えている。(中略)
三島は近代の日本の作家の中でも芥川龍之介、川端康成、谷崎潤一郎、安部公房などと並んで翻訳作品の数が
多く、海外で知られているとはよく指摘されるところである。ただ海外における日本の作家の受容の状況は、
国によってそれぞれ異なっている。(中略)
久保田裕子「三島由紀夫の海外における翻訳作品」より
149 :
七つの海の名無しさん:2011/01/06(木) 23:35:44 ID:KhP/cUHp
三島の作品の翻訳はアメリカにおいて1950年代から始まったが、英語の翻訳がされた後に、フランス、
ドイツなどのヨーロッパの言語に広がっていくという経過をたどることが多かった。
近年の翻訳状況としては、2000年にオランダやルーマニアで「金閣寺」が、2002年にノルウェイで
「春の雪」が再版されるなど、いくつか挙げただけでも根強い読者層の存在をうかがわせる。また2001年に
ポルトガルで「禁色」が刊行され、長編小説を中心に翻訳される言語にも広がりを見せている。ヘブライ語、
ラトヴィア語やセルビア語の「金閣寺」、バスク語の「午後の曳航」も登場するなど、三島作品が受容される
言語圏は拡大しつつある。(中略)
以上のことはあくまで日本にあって知ることができる出版状況の一端であり、実際にはそれぞれの国で作品が
どのように読まれ、読者に受容されているかを知ることは難しい。
久保田裕子「三島由紀夫の海外における翻訳作品」より
150 :
七つの海の名無しさん:2011/01/06(木) 23:36:03 ID:KhP/cUHp
ただ先に挙げたビョークの話は、「ミシマ」が今なお世界において一種の文化的なイコンであり、日本の文化や
文学を象徴するような存在であることをうかがわせる。
ところで三島自身は1965年4月6日付のドナルド・キーン氏宛の書簡において、〈むりに日本語からの
直接訳をするより、結果として、重訳のはうがいいのではないか〉と述べていて、重訳であっても作品が海外で
広く翻訳されることを望んでいたことがわかる。(中略)
実際のところ三島の翻訳作品の中には未だに英訳からの重訳も多く、日本語という表現を通して世界で認められる
ことの困難を示唆している。そのことに最も自覚的であったのはおそらく三島自身であろう。日本語による
表現を世界的な普遍性へとつなげようとする試みは、彼のライフワークの一つであった。亡くなる前に彼は
〈世界のどこかから、きつと小生といふものをわかつてくれる読者が現はれると信じます〉(1970年11月付)
とキーン氏に書き送っていた。この遺言通り、今でも翻訳を通して三島の言葉は世界のさまざまな場所に波紋を
広げ続けている。
久保田裕子「三島由紀夫の海外における翻訳作品」より
151 :
七つの海の名無しさん:2011/01/07(金) 00:15:42 ID:aTFOfgX1
ダンヌンツィオの影響を考えても
なぜ欧州で受けたのかがわからん。
152 :
七つの海の名無しさん:2011/01/09(日) 09:28:45 ID:3ijfA3yP
三島は不道徳教育講座しか読んだことないからこの期に他の作品も読んでみようかな。
153 :
七つの海の名無しさん:2011/01/09(日) 10:05:34 ID:i+jdHwJy
> ローマで三島由紀夫のシンポを開催
ホモきもい。
154 :
七つの海の名無しさん:2011/01/09(日) 23:38:50 ID:3kJeGwFF
おお、日本では幻の映画mishimaですか。
俳優は緒形拳はじめ豪華な面々で、音楽もミニマル音楽の巨匠フィリップ・グラスとはすばらしいですね。
ここまでチンポなし?
157 :
七つの海の名無しさん:2011/01/10(月) 23:38:39 ID:wP2c3PLP
トピックス
緒方拳が生前、三島の書を求めていた
『週刊朝日』(2010年12月3日号)に「三島由紀夫と古書店主、静かで濃密な日」の見開き特集があります。
これは神田の古書店を偶然通りかかった三島由紀夫が「神風連の本はないか」と山口書店の山口基氏に声をかけたのが始まりで、後楽園ジムに通っていた三島が、その後たびたび山口書店を訪れ、やがて山口基氏は三島年譜をつくることになる。
その経緯を息子さんが語るものだが、なかに紹介されている逸話。
映画「misima」に主演した緒方拳は山口書店に掲げられていた「責務」という三島の書に惹かれ、そして2007年にも、緒方拳はまた山口書店を訪れ、色紙を譲って呉れないかと打診した由。山口氏は「譲れない」と断った。
そういえば緒方拳も雄渾な書をものにして、芸能界に珍しい書の達人だった。
158 :
七つの海の名無しさん:2011/01/11(火) 00:03:04 ID:jfInO5DL
ホモのくせにキモイんだよ
ホモをメディアに出すなよ
本も全部焼き払え
ホモ右翼
160 :
七つの海の名無しさん:2011/01/11(火) 19:51:24 ID:GRZ49eZ/
三島由紀夫、本名平岡公威氏は、府中市多摩霊園十区一種十三側三十二番、平岡家の墓碑の元においでになる。
…私が墓参に行くと、かつては真紅であったろうと思われる薔薇がドライフラワー状態になって手向けられてあった。
…「真紅の薔薇」には忘れ得ぬ記憶がある。
昭和四十五年十一月二十五日。
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹された翌日、検死の済んだ御遺体が、詰めかけた人々で騒然としている御自宅に
戻られた。パテオに屹立していたアポロンの立像の脚元に三十本余りの真紅の薔薇が文字どおり放り投げられて
散乱していた。
鎌倉の御自宅から駆けつけて来られた川端康成氏が線香をあげられたあと、その光景を凝っと視ておられ
「薔薇って怖いね」と私の耳許で呟やかれた掠れ声が今も鮮明である。眼に薔薇の炎。耳に巨匠の声。――
三島さんの交誼を頂く事になったきっかけは、私が未だ慶應義塾大学の塾生だった時である。私は幼年期から
映画に取り憑かれており、塾生でありながら、増田貴光というペンネームで書いていた「映画の友」という
月刊誌の寄稿文を映画好きの三島さんが読んで下さった事にある。その月の私のコラムは「ヴィスコンティの
美は禁色にあり」と題したもので、その時初めて手紙を頂いた。手紙の御礼に御自宅に赴いた私を、三島さんは
楽しげにもてなして下さった。(中略)
数日後三島さんから二通目の手紙が届いた。差し出し名は平岡公威となっており、その内容はざっと次のような
ものだった。
「今後、君と付き合ってゆくにあたり、先生という敬称はやめて欲しい。君との友情に距離感が生じるようで
寂しいではないか――」そして文通するについての差し出し名は平岡公威にする、と書かれてあった。以来私も
三島さんへの手紙は本名の増田元臣とした。
増田元臣「美しい人間の本性」より
161 :
七つの海の名無しさん:2011/01/11(火) 19:52:13 ID:GRZ49eZ/
私が映画評論家として米国に滞在していた時、「憂国」の映画が完成したという連絡を頂き、急遽帰国した。
原作、脚本、監督、主演すべて三島さん自身の作品だった。
三島さんは私独りの為に、三島さんと親交の深かった葛井欣士郎氏の劇場で「憂国」を観せて下さった。
試写が了り私が泣き濡れた顔で廊下に出て行くと、葛井氏となにやら談笑していた三島さんが驚かれた様子で、
「ほとんどが割腹シーンで占められているこの映画で、何故そのように悲しむのか」
と訊かれたので、「この映画は三島さんのダイイング・メッセージと解釈致しましたので」と私はお応えした。
その事があって以来、私は三島さんとの数々の思い出で日々を送った。
特に、三島さんがイタリアに取材に行く時と、私がローマのチネチッタ・スタジオのフェリーニとのコンタクトの
時が一致して、私がお供をする形になった時のことである。
私達がフォロ・ロマーノの遺跡に立った時三島さんは冗談めかして、
「もし私がハドリアヌス帝だとしたら、君はアンティノウスになれるか」
と尋ねられたので、私は、
「勿論です!」
と勢い込んで即答した。
あの時の三島さんの嬉しげなお顔は、忘れる事が出来ない。
「三島由紀夫文学」については周知である。しかし、平岡公威、という美しい人間の本性は、深海の如く神秘で、
容易に理解することは出来ないだろう。
増田元臣「美しい人間の本性」より
三島にベッカムの肉体を与えよ
163 :
七つの海の名無しさん:2011/01/13(木) 11:20:30 ID:plGnXAXi
三島さんの葬儀の日の少し前、実行委員会の打合わせがあった。
(中略)…式の段取り、各委員の仕事の分担、注意事項の検討、弔辞を読む方々の紹介があった。
その時、御父上が突然私を指名された。
思いもかけない発言に私は動転し、そのような大任の資格が私には無いと辞退した。
すると川端先生が例の鋭い目で、「資格のある人間はどこにも居ません。おやりなさい」と宣言された。
当日、私は緊張と悲しみに耐えながら弔辞を読んだ。
「私のこれまでの人生で、最高の喜びは、三島さん、あなたにお会い出来たことであり、最大の悲しみは、
あなたを喪って今ここにこうして立っていることです……」と。
私が三島由紀夫という名を識ったのは、昭和十九年、書店で見つけた「花ざかりの森」で、何故かすがすがしい
感じがした。戦後、雑誌『人間』で「煙草」を読んだ時、私はすぐ「花ざかりの森」を思い出した。
終戦前の昭和二十年一月、私は中島飛行機小泉工場へ勤労動員され、戦闘機を造っていた。私たちの寮の隣りに
東大法学部の学生たちがいた。その中に三島さんがいて、明日をも知れぬ状況の中で、後に発表された小説
「中世」を書き続けていたことを、ずっと後で知って驚いた。二十五歳までに戦争で死ぬものと覚悟していた
私たちが、生きながらえて後に親交を結ぶとは……不思議な運命を感ぜずにいられない。
私が初めて三島さんに対面したのは、昭和三十一年、「永すぎた春」映画化の交渉の時である。
…私は既に大映企画部にいて三島作品の映画化を夢見ていた。
緑ヶ丘の平岡邸で眷恋の人に対面した時、私は自信に満ち溢れた、それでいて折目正しいこの青年作家に圧倒された。
以来、私は三島文学の映画化に挑戦していった。
「金閣寺」(「炎上」)、「お嬢さん」「剣」「獣の戯れ」「憂国」「複雑な彼」「音楽」「鹿鳴館」。
そして、三島さん主演の「からっ風野郎」等。
藤井浩明「私の勲章」より
164 :
七つの海の名無しさん:2011/01/13(木) 11:20:58 ID:plGnXAXi
「炎上」のシナリオ作業が難行している時、三島さんが「創作ノート」を見せて下さった。
絢爛たる文学が構築されてゆくプロセスが明解に読み取れ、目が開ける想いがした。
この映画は三島さんから最大の讃辞を頂き、以来、私は三島さんとの交友を深めていった。
時折、三島邸の書斎で話し込むことがあった。私は天才的文章の錬金術師の仕事場へ忍び込んだような気持で、
よく文学のことを質問した。三島さんは門外漢の私に丁寧に誠実に答えて下さった。
当時のメモを繰ってみると、例えば「憂国」の製作準備をしていた年など、年間七十回も会っていた。
…「からっ風野郎」の後、日仏合作映画のため市川崑監督と私はパリへ飛んだ。
思いもかけず三島さんが空港へ見送りに来られた。
たまたま別便で発つ永田雅一大映社長がいた。社長は私を別室に呼んだ。
「お前のような若造を天下の三島が見送りに来る訳がない。それはお前が大映の社員だからだ。俺に感謝しろ」と。
ワンマン社長は大の三島ファンで、明らかに私に嫉妬しているのだ。三島さんには万人をひきつける魅力があった。
死の四日前、三島さんからいくら晩くても電話が欲しい旨の伝言があった。深夜帰宅した私は電話で話した。
「憂国」がイタリアで上映され大好評だと伝えると、三島さんは大そう喜んで詳しいことを調べて欲しいと言った。
四日後に死を決意していることを知る由もない私は、連休明けに報告しますと約束した。電話を切ってから、
三島さんが「さようなら」と仰言ったことが何故か気に懸った。いつもは快活に話してさっと切る人が……。
〈藤井氏はいついかなる場合にも、この作品に対する完全な愛着と信頼を少しでも失ふことがなかつた。
それがスタッフ全員をどれだけ力づけたかわからない〉
三島さんが「憂国 映画版」に書いて下さった文章は私の勲章である。
三十年祭の遺影の前に佇みながら、三島さんが以前、暇が出来たらポルトガルの鄙びた漁村を舞台に映画を
作ろうと話して下さったことを思い出した。いつの日か私はその海辺で映画を撮影したいと思っている……。
藤井浩明「私の勲章」より
165 :
七つの海の名無しさん:2011/01/15(土) 12:00:54 ID:uUcl7BxU
「黒い大佐」と呼ばれるヴィクトル・アルクスニスという軍人がいた。ソ連邦維持、反共、反欧米を主張する
滅茶苦茶だが高潔な保守派の人物だ。ペレストロイカは世界革命のためだとわかっていた。領土問題については、
日本の北方領土に対する要求は絶対に認めない「愛国」、「憂国」の士だ。父はラトビア人、母はロシア人。
祖父は建国の大立者で、ナチスの陰謀だったといわれる「トハチェフスキー事件」ではトハチェフスキーを
ヒトラーのスパイとして死刑にした一人で後に銃殺された。父はカザフスフタンの炭坑に送られ一家で辛酸を
なめるが第20回党大会で祖父の名誉回復がなされた。
ラトビアに帰国したアルクスニスは航空学校に入るが目が悪く、ミグの整備兵になる。(中略)
アルクスニスはペレストロイカのもと、保守派に押されて国会議員になり、「反共ソ連邦維持連盟」を結成し、
改革派を西欧とつながった売国奴と非難してシュワルナゼ外相を辞任に追い込んだ。
1991年8月19日から21日にかけて保守派によるクーデタが起こったが失敗する。
私は枝村大使の了解を得て、24日の朝アルクスニスに電話し国会で演説する前に昼飯の約束をした。
日本人は情報が入らないと離れる、力のある者にだけすり寄りよると思われることを危惧したからだ。
中華レストランに誘い、自分の母が14歳で沖縄戦に巻き込まれた苦難を、人民の敵として辛酸をなめた
アルクスニスに語り、以下のやり取りをした。
アルクスニス「これから国会でソ連邦維持の演説をする」
佐藤「やれ、信念を通せ!」
アル「日本はカミカゼの国だろう」
佐藤「実は(熱心な社会党支持者の)母はこっそり靖国神社に通っている。姉が祀られているからだ」
アル「スターリングラードでソ連兵はドイツ戦車に特攻した。このことはタブーとして歴史から隠ぺいされている」
佐藤「カミカゼの精神とスターリングラードの精神は同じだ!」
アル「北方領土は日本からスターリンが盗んだ土地だ。おれはそれを知っている。日本は還せと言い続けるべきだ」
佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より
166 :
七つの海の名無しさん:2011/01/15(土) 12:01:18 ID:uUcl7BxU
アルクスニスは三島由紀夫の愛読者で、1989年ロシア語で出版された『憂国』が一番いいと言い次のように
評価した。
・2.26事件の世直しとソユーズ(連邦維持を唱える院内会派)とは似ている。
・これは友情の小説だ。
・主人公が決行部隊から外されたのは結婚したばかりというのはウソだ、決行の中心人物でなかったからだろう。
・しかし主人公は夫人との愛、同志との友情の中にいる。
アルクスニスは私にボリス・プーゴのことを覚えているかと訊き、次のように語った。
「クーデタ派は破れソ連国家は崩壊した。 セルゲイ・アフロメーエフ参謀長はこめかみを打ち抜いた。
ラトビア人のプーゴ内務大臣はKGBが自宅に逮捕に来たが、役人を外で待たせ2発の銃声を発し、夫人と
一緒に死んだ。ラトビア人には血の掟がある。 名誉を守るために自決を選んだのだ。
ラトビア人は奥さんを先にし、『憂国』では奥さんが後だ。日本人は奥さんへの信頼が篤いからだろう」
日本人もキリスト教的で死後のよみがえり、死後の復活を前提にしているといえる。
私はキリスト教(プロテスタントのカルバン派)だが、日本の神話にある世界観と聖書の世界観は同じだと思う。
天照大神とキリストは同じだ。仏教は壮大精緻な世界観を持つが、日本の神話では、聖書同様混沌の中から
世界がうまれる。いざなぎ、いざなみの営みからだ。これは平田篤胤に継承されている。
近代国家は欧米思潮の流れにあるが、その源流はギリシアにあり、ギリシア世界はドイツ語にある。日本の
知的退廃はこのドイツ語を学ばなくなっているせいだ。(中略)
新渡戸稲造や内村鑑三などの神学者が日本の「国体論」を一番わかっている。各国のキリスト教は別々に
つくられ、存在している。臣民の道、靖国を位置付けられなければ、日本のキリスト教とはいえない。(中略)
靖国に行くなというキリスト教徒はダメだ。霊性、リインカネーションを感じる力が衰えているのだ。
佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より
167 :
七つの海の名無しさん:2011/01/15(土) 12:03:08 ID:uUcl7BxU
旧ソ連国家保安委員会(KGB)の後身であるロシア連邦保安庁(FSB)ではカリキュラムの中で日本語の
三島の作品を読ませている。物欲のないこういった日本人にしてはならないと警戒しているのだ。
ロシアは新自由主義経済の流れの中でサブプライム問題に引っ掛からなかった日本の国力を恐れている。
ただぼんやりしていただけだが。
「ファシスト・サムライ」というロシア語には日本人への尊敬と畏敬の気持ちがある。
本当の日本人は「ファシスト・サムライ」でヘナヘナしているのはウソである、と思っている。
大いなる誤解だが誤解のままにしておけばいい。
(中略)
私は大学の2回生のときに小説を読まないことにした。哲学と神学書を読み、そのためにヘブライ語、ラテン語、
ギリシア語を勉強する時間を確保するためだ。ただし役に立つ小説は読む。
モスクワでは30冊くらい『憂国』をロシア人に渡した。三島にはテクストだけではない生き方がある。
三島は個別の命を超えた大義に生きた。
言っていることとやったことがかい離していない三島はロシア人の心を打つ。
キリスト教は自殺を禁止しているというが、国家に忠義を尽くすことをヤン・パラフというチェコの青年は
「プラハの春」の1968年ヴァーツラフ広場で焼身自殺して示した。
15世紀宗教改革に命をかけたヤン・フスの末裔の殉教者と見られて、今でも広場に献花が絶えない。
佐藤優
講演「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」より
168 :
七つの海の名無しさん:2011/01/17(月) 14:45:58 ID:7aHqCfH8
横尾(忠則)番記者として働きはじめた頃に、三島由紀夫とも親しくなった。
平凡パンチ誌で三島の悪口を書くという企画があり、他の編集者は担当したくない様子だったので、自分が
名乗りでた。すぐ三島に電話をし、「今回は三島さんの悪口を書く企画ですが…」と正直に打ち明けて取材を
申し込んだのが、三島の好感をよんだらしい。
三島は人気実力ともにトップの作家でありながら、ハリウッドスターのようなオーラを発していた。
三島はこれまで見たこともないような光り輝く“創造物”という感じであった。パンダとかマダガスカル島の
横っ飛びのベローシファカのようにいつ会っても新鮮な驚異を与えてくれた。
…オーラを発する人々ということでは、やはり六〇年代後半の、三島、横尾、寺山、玉三郎、土方たちは
超弩級であった。彼らのそばにいるだけで、異世界に連れていかれそうな気分になった。そのどこかに連れさられる
という不安感が、悦楽味であった。
モノの時代に入ると、そばにいるだけで、異界へつれていってくれそうなスターはいなくなった。
…ぼくは、三島の最後の三年間を剣道の弟子として稽古をつけてもらい、一緒に学生デモ視察へ行き、ボーリングをし、
白亜の三島邸へ何度も行った。
三島は、文学の方では、大ベストセラーを何作も書き、今なら流行語大賞受賞まちがいなしの国民的喝采を
あつめた。そういう文学的才能以外にも、新しい才能を発見する眼力があった。横尾忠則、坂東玉三郎、
美輪明宏、澁澤龍彦らは、三島の紹介によって市民権を得た、といってよい。
椎根和「オーラな人々」より
169 :
七つの海の名無しさん:2011/01/17(月) 15:39:46 ID:4d0pbwUl
北方謙三じゃだめなのか?
俺は北方謙三になりきってタバコを吸わない俺は
葉巻の代わりにチュッパチャプスを舐めている
おかげで、ここんと頃三キロばかし太っちまったよ。
どうだい、お前らもコーラ味でも舐めて見ないかい?
170 :
七つの海の名無しさん:2011/01/19(水) 05:15:24 ID:9Id3vmQo
ヨーロッパの三島が好きなインテリ達は「アメリカに三島がわかるの?」小馬鹿にしてるからなあ。
しかも、自分達だけは日本人より理解していると思ってる。
太宰はイタリアで知名度あるの?
172 :
七つの海の名無しさん:2011/01/19(水) 11:41:25 ID:2i6sgJuu
三島はダンディだな、youtubeで映像見たけどさ
173 :
七つの海の名無しさん:2011/01/20(木) 12:36:12 ID:CNhPlvSn
イタリア最大の出版社の一つであるモンドダリは、二年後(投稿時2002年)に、三島由紀夫選集を出すことを
企画している。ローマ大学のマリアテレーサ・オルシ教授を編者とするこの選集の目的は、三島文学の美しさを
あらためてイタリアに紹介することにある。
その目標を達成するため、序文、解題と共に訳文の精確さが大切なポイントとして顧慮され、日本語からではなく
英語などから重訳されている作品も、今度は新しく日本語から直接翻訳される。
その中には…(中略)「鏡子の家」等も含まれる。この最後の作品は私の担当作品なので、少し考察したい。
周知のように、三島がひたすら情熱と才能を傾けて書いた「鏡子の家」は非常に評価が低かった。
予想を裏切る反応に作者は落胆したが、昭和42年にはこの小説を「自分の好きな作品」に数えている。
それにも関わらず、この作品はあまり研究の対象になっていない。評判が良くなかった理由は様々に書かれて
いるが、ここでは反論するよりも、私にとって興味深く、秀逸と思われるところをすこし分析してみたい。
「鏡子の家」は構成が見事である。その枠組みの中に、美しく表現力豊かな文章や隠喩がちりばめられている。
冒頭に〈みんな欠伸をしてゐた〉という、短いが意味深長な一文がある。
「みんな」に含められる登場人物たちは、生との関わりに困難をきたし、倦怠感に蝕まれている。
群小人物の光子と民子は倦怠を逃れるため銀座の美容院に行って満足する。
他の主要人物たちは自分の内面世界と外界との関係に支障をきたしている。
俳優志願の収は自分の身体を明確に知覚できず、身体と存在を同一視するに至る。画家の夏雄は突然視界が
消滅する出来事に遭遇して以来、絵が描けなくなるが、内面世界をより狭くすることで再び描けるようになる。
拳闘選手の峻吉は記憶空間のない生活を構築する。鏡子は自分の内面世界についてあまり考えないようにし、
友人たちの経験、思想に満ちている「家」に住んでいる。
マティルデ・マストランジェロ「『鏡子の家』イタリア語初訳」より
174 :
七つの海の名無しさん:2011/01/20(木) 12:36:39 ID:CNhPlvSn
しかし冒頭の「みんな」には、会社員である清一郎が意図的に挿入されていない。清一郎は一番俗世に混じって
生活している人物で、日本だけではなくニューヨークに住んでいる時も問題なく仕事環境に溶け込める。
しかしその能力は世界崩壊を固く信じることから来るものと言うべきである。
「鏡子の家」の完璧な構造では、鏡子が友人たちを追い出して自分の家を“閉める”という経緯が作品の
結びとなる。つまり小説の終わりと“家の終わり”が一致するのである。
そして冒頭と同じく、光子と民子はつまらなそうに「仕方なし」に銀座の美容院に行く。
三島の描写は暗示的で、しかも読者の目前に見えるような印象的なイメージが豊かである。
最も顕著で、優雅なイメージ操作は「鏡」をめぐるものであろう。
タイトルとなる女主人公の名前を始め、すべての人物にそれぞれ自分の「鏡」がある。
収は本物の鏡に映るとほっとするが、鏡より肉体を強く感じさせる女性と出会った時、その人間的な鏡と
死ぬことを決意する。
夏雄は自分の絵におのれを投影する。それゆえ、絵が描けなくなった時、一旦自分を見失う。
峻吉は力を自分の鏡とする。しかし喧嘩で手を怪我して拳闘ができなくなると、自分の鏡である力を右翼の
青年団に入って使う。
鏡子は自分を皆の鏡であると思いながら、他人を自身の鏡として使う。最後に娘と互いに映しあう鏡遊びで、
どちらが娘かどちらが母か、どちらが女らしい魅力と欲情をよりそなえているかわからなくなる。
ちょうど金閣寺が素晴らしく金色に輝く姿を鏡湖池に映すように、「鏡子の家」の人物たちは自らを
映す物なしでは生きられないのである。ひょっとしたら、作者も小説に自分を映したのかとも思われる。
登場人物に三島自身の投影が認められるかどうかは別として、隠喩やイメージが豊富で、とても面白く読める
作品である。
マティルデ・マストランジェロ「『鏡子の家』イタリア語初訳」より
175 :
七つの海の名無しさん:2011/01/20(木) 12:37:02 ID:CNhPlvSn
個性的であざやかな表現が多いので、翻訳する側はそれをうつし変える困難を何とか切り抜けなければ
ならないが、作者の力量や熱意がページごとに感じられる。
古典文学を翻訳するとき、イタリアの読者に伝えにくい雰囲気、理解しがたい習慣等がある。
しかし「鏡子の家」の場合、そのような難しさはなくて、例えばサルトル、モラヴィアを読んだ者には
感じやすい倦怠感もあり、場面がニューヨークになっているページもあるし、それほど遠い文化が感じられる
ところはないと言える。
ただ、完璧に文体の美しさを伝えることはやはり容易ではない。しかし、それは読者より翻訳者の問題であろう。
原文の美しさに感服しつつ、同レベルの文体の文章を作ろうと格闘中の私には、何故今まで「鏡子の家」が
訳されなかったのか不思議に思われる一方、その任を受けたことを幸いに思い、この作業がたいへん有意義な
経験となることが確信されるのである。
マティルデ・マストランジェロ「『鏡子の家』イタリア語初訳」より
176 :
七つの海の名無しさん:2011/01/20(木) 13:32:34 ID:9Z7uTDbP
三島のご子息は今なにしてるんだ
昔、FRIDAYだかで見たな
新選組や忠臣蔵や白虎隊を好きな人がそれなりにいるらしいから
似たような空気感じて三島を好きな人もいるんだろうな
178 :
七つの海の名無しさん:2011/01/23(日) 16:53:15 ID:w3le3p+3
三島由紀夫が透徹した認識の目を持っていたことは、彼を知る人ならば誰もが認めるだろう。例えば動物に
対する描写を取ってみても、その異様に鋭い認識能力が垣間見れる。(引用略)
言葉を喋らぬ一個の生命に対して、これほどその根源に迫れるほどの認識能力を持っているなら、人間を洞察し、
その自意識を具体的に纏め上げた安永透という人間を作り上げることくらい造作もなかっただろう。(中略)
三島文学ほど明確に人間の個人的精神と結び付けて涅槃を説いている作品は他にないだろう。悟り……、そして
悟りへ至るための道である八正道とはつまり、自意識の塊りである安永透という存在の否定なのだ。
天人五衰や「安永透の手記」には、悟りへの道である八正道に、見事に反する精神状態が描かれているのである。
安永透の自意識こそ、仏教が説く人間の捨て去らねばならない“我”そのものだからだ。
三島由紀夫の重要性、そして特殊性は、その並外れた認識の能力にある。(中略)
なぜ三島由紀夫にだけ、これほど高度な認識能力があり、一般の人はそうではないのか。それが私には大きな
疑問となり、三島文学への好奇心を駆り立てた。(中略)
どちらかというと私は三島の小説よりも日記やエッセイなどを好んだ。(略)…概念の捉え方が行間からより
鮮明に表れていて、その明晰さに私は驚嘆した。(中略)
三島由紀夫は単なる小説家という存在を超えている人間なのかもしれない、と私はうっすらと理解し始めた。
多くの人は『ミシマ文学』と言っているくらいで、どうも彼の使う表現の卓越さ、認識の正確さのすべてを、
三島由紀夫の文才と考えているようだった。
しかし私にはそうは思えなかった。言葉使いが巧みなだけなのではない。確かに十代までの三島はそうだった。
しかし「仮面の告白」以降は違う。正確に現実を認識しているのだ。あまりに正確すぎるほど正確に……。
つまり、何かをきっかけに三島由紀夫は、その正確無比な認識に覚醒したのだと私は思った。
三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より
179 :
七つの海の名無しさん:2011/01/23(日) 16:54:11 ID:w3le3p+3
…『一目で見抜く認識能力にかけては、幾多の失敗や蹉跌のあとに、本多の中で自得したものがあった。欲望を
抱かない限り、この目の透徹と燈明はあやまつことがなかった』(天人五衰)(中略)
三島は自分の奇跡待望の不可避とその不可能の自覚を、若いときは自分の文学的素養として芸術の領域で
捉えていて、仏教的な意味での仏性だとか悟性だとかいう風には捉えていない。或いは最後までそのスタンスは
変わらなかったかもしれない。(中略)
三島由紀夫が行っていた無我の認識とは、この阿頼耶識を認識することだ。(中略)
古来から悟りを開いた者は神通力を得ると言われている。(略)阿頼耶識による無我の認識は、原理は単純だが、
或る意味そういった超能力に近いものだ。(略)…三島の表現力を神技に近いと評した評論家もいたようだ。
超能力とまでいかなくても、第一章でも記したように、その認識の正確さは燈明を極めていた。(中略)
無我の認識という正確な認識の方法を理解している三島由紀夫という存在は、私には途轍もなく重要に思えて
きたのだった。三島由紀夫が理解されれば、人間同士の完全な相互理解が可能になるからだ。
…三島由紀夫について研究していて、ひとつ不思議に思った事があった。なぜ三島が自分への理解を求める
方法として、小説という形を選んだのかということだ。彼はそこいらの哲学者や心理学者よりよほど頭が良く、
人間精神に精通していたから、自分を理解して欲しいなら、自分の認識の体系を分かりやすく論文のような形で
まとめて発表すればよかったのにと思った。なぜそうしなかったのか。実際に三島由紀夫について書いてみて
分かった。それは不可能だからだ。近代自我哲学や精神分析学は三島本人も言っているように、些か暴論で、
妄味を生み出している気がする。精神という性質を詩的幻想と規定することは出来ても、その精神が生み出す
幻想世界を分割したり、現実世界に対する精神の認識構造を解析することは不可能だ。(中略)
唯識的に言うと、欲望を捨てて第七識を超えたところにある阿頼耶識という存在の究極の片鱗を読み取った
ということになるだろうが、では、どのようにして読み取ったのかとなると、それ以上の詳しい説明は出来ない。
それ以上は、もう“ありのまま、ただ見た”としか言いようがない。
三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より
180 :
七つの海の名無しさん:2011/01/23(日) 16:58:52 ID:w3le3p+3
…プラトンのイデア論にしても、ニーチェのパースペクティブ主義にしても、デカルトの良識論にしても、
実念論にしても唯名論にしても、フーコーのエピステーメーにしても、フランシス・ベーコンが「ノーヴム・
オルガヌム」で言うイドラにしても、実存主義にしても、ライプニッツのモナドの概念にしても、そして
唯識さえも、認識に至るまでの経緯の仮定的な説明なのだ。(中略)
過程を明確に示す方法がないから結果から示すしかなかった。小説という物語の形を借りた方法で、自分が
認識した安永透という人間の自意識を正確に記すしか、つまり、感覚的に、自分の認識能力とその認識能力を
持っているということが何を意味しているのかを理解できる人間を探すしかなかったように、私には思える。
無我に至るまでのその過程を説明しなくても、天人五衰を読んだら分かる人間に向けて三島は天人五衰を書いている。
(中略)
三島由紀夫が天人五衰に書いているような、人間世界を裁定する漁師の目、それは神仏の目だ。無我による
正確な認識は、最終的に神の目に近づく。人間を監督し、その行いに応じて命運を決定する存在との視点の同一化。
それが一種の予言性を帯びてくる究極の認識であり、人間が最終的に至るべき境地なのだろう。そしてそれは、
いわゆる宿命通・天耳通・死生智にあたるのだろう。
『狐はすべて狐の道を歩いていた。漁師はその道の薮かげに身を潜めていれば、難なくつかまえることができた。
狐でありながら漁師の目を得、しかも捕まることが分かっていながら狐の道を歩いているのが、今の自分だと
本多は思った』(天人五衰)(中略)
精神という願望的幻想性を利用したこの現実の都合のいい変容を、人を化かす『狐』に例えているのである。
三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より
181 :
七つの海の名無しさん:2011/01/23(日) 16:59:19 ID:w3le3p+3
(中略)
そもそも彼のあの異常な明晰さは、人間の領域を遥かに超えている。彼は人間でありながら神仏の目を得、
しかも人間として生きたのだ。(略)三島は晩年、生涯を通じてあれほど批判してきた太宰治と自分は同じ
なんだと言ったそうだ。太宰がそうであったように、三島にも人間の世界が理解しがたかったのではないか。
理解できすぎたが故に。
その無意識。その認識の欠如。すべてが彼には奇妙に思えただろう。
三島にとって人間は、運命の自己表現のようなものだった。(中略)
三島は確かに誰よりも正確に物事を認識することができたわけだが、単純にその能力を喜んでいたわけでは
なかったようだ。(中略)
三島由紀夫は確かに稀に見る認識の天才で、完璧に近いほど人間存在、そしてその命運を裏側から管理している
神仏の神秘まで理解していた。しかし、求道者ではなかった。
三島は悟達に至ろうと思って悟達に至ったわけではない。セキュリティー・システムを打破するはずのハッカーが、
逆にセキュリティー・システムに詳しくなるように、犯罪を犯すはずの犯罪者が、逆に刑法に詳しくなるように、
あまりにも夢想的であったために、逆に真実に目覚めてしまったのだ。
そして三島はその欣求の欠如ゆえ完全なる悟りには至っていなかった。いや、至ろうとしなかった。(中略)
ここに三島由紀夫という人間の独自性がある。彼は悟りの構造を知っていながら詩を求め続け、仏教には帰依せず
天皇に帰依したのだ。奇跡は到来しないと理解してからも、つまり詩が現実ではないとはっきり理解してからも、
生来の気質から詩的椿事を待望し続けることをやめられず、また神仏に帰依する気もなかった三島由紀夫は、
自分の意志の不毛に気付いていた。紙の上の現実と実際の現実、その二種の現実のどちらもいつでも選べるという
自由が三島由紀夫という人間の意志だった。
三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より
182 :
七つの海の名無しさん:2011/01/23(日) 17:03:36 ID:w3le3p+3
(中略)
どんな奇跡への待望であれ、それが絶対に到来しないと分かっているなら、そしてそれでも猶、奇跡を待望し
続けるとするなら、いったい精神はどこへ向うのだろう。三島にとって至福と言うものが、少年時代に感じたように、
願望と現実の一致にあるなら、詩から覚醒した三島の唯一の至福は、自らが絶対的存在と融和することだった。
それが「憂国」であり、天人五衰の末尾において本多繁邦に語らせている『聖性』だった。(中略)
ああいう最期を遂げたことには、批判的な意見の方が多かったようだが、バルコニーに立って演説する三島の
姿を見るたびに、私は何か心を動かされる。別に憲法を改正して自衛隊を国軍にして欲しいわけではないけれど、
命を賭けて訴えるその姿に素晴らしい何かを見るのは確かだ。(中略)
天人五衰における本多の涅槃への到達の仕方は、一見したところ幸福からは遠く、それはまるで神への挑戦のようだ。
恒久平和の不可能を自明のものとして死んでいった彼の存在が、実は精神という幻想を打ち破り、人間の相互
理解を可能にする唯一の鍵だったというのはなんと皮肉だろう。
(中略)
私には三島由紀夫が、自分がロボットだと気付いてしまったロボットのように思えてしまう時がある。自分の
内部構造、背負わされた宿命、世界の実相……、その仕組みを、それを創造した者と同じくらい完全に理解
できる能力を持っていた三島由紀夫は、結局、自分が何者であるかを知ってしまった。三島由紀夫は自分が
【人間】であることを理解してしまったのだ。
精神の奇跡待望の不可避とその不可能の自覚という性質。告白は不可能であり、真の自己は規定し得ないということ。
人間は自由意志を持ってはいないということ。見えない誰かに何かを強いられて生きているということ。
人間であるということそれ自体がひとつの罠にかかってしまっているということ。そして、自分が誰からも
理解されてはいないということ……。
三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より
183 :
七つの海の名無しさん:2011/01/23(日) 17:03:54 ID:w3le3p+3
世界についても理解した。
それは涅槃の文学である三島文学の最終的な主題「奇跡自体よりもふしぎな不思議」だ。
即ち古代存在論にはじまり、中世スコラ哲学へと続き、デカルトやウィトゲンシュタイン、ライプニッツらも
問うた『神秘的なのは、世界が如何にあるかではなく世界があるということ』という命題。数多くの哲学者が
求めたこの命題に対する三島由紀夫の答えは、「仮面の告白」における素面の不在と同じように、世界存在
そのものの実体の不在だった。
『「海と夕焼け」は、奇跡の到来を信じながらそれがこなかったという不思議、いや、奇跡自体よりもさらに
ふしぎな不思議という主題を凝縮して示そうと思ったものである。この主題はおそらく私の一生を貫く主題に
なるものだ』(花ざかりの森・憂国 あとがき)
…つまり、世界が存在しているということ自体が奇跡よりもふしぎなことなのであって、それは唯識論哲学に
おける存在の実体の無さ、一切諸法がただに『識』に帰すという思想によって表されている。
『本多は夢の生に対する優位を認識した』(天人五衰)
三上秀人「三島由紀夫の遺言 観世音」より
コピペ荒らしは通報されっぞ
185 :
七つの海の名無しさん:2011/01/23(日) 17:32:03 ID:tTfLdtoK
186 :
七つの海の名無しさん: