【日米】日本の夏祭り「食べ物は不健康だが、素晴らしい日本の伝統行事」[8/23]

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46七つの海の名無しさん
明治15年、東京帝国大学教授アメリカ人モースの記録
(『日本その日その日』(平凡社・東洋文庫)

モースの家に住む料理番の娘とその友達、九歳か十歳ぐらいが遊んでいた。
モースは二人を呼んで、土瓶と茶わんを渡してみた。
好奇心から、これをどう使うか、観察してみるつもりだったのだ。
二人は相対して座り、一人がお茶をつぐまねをして茶わんを差し出した。
するともう一人は丁重な言葉でお礼を言い、うやうやしくこの茶わんを受け取った。
何気ないままごとの光景に、モースは目を奪われた。
(まるで貴婦人のようだ)と思ったのである。

貴婦人の礼儀作法を下層階級の子供までもが身に付けていることに、
素朴に驚き、モースはこう書いている。
「彼らは貴婦人ごっこをしていたのではなく、
かく丁寧にするよう育てられて来たまでの話である。
彼等はせいぜい九つか十で、衣服は貧しく
屋敷の召使いの子供なのにである」

今度は屋敷の召使いの子ども二人を連れて、秋祭りに行った。
小さな女の子二人に十銭ずつ持たせていた。
(どんな風に使うだろうか)と、興味があった。

かんざしを売る店に一軒一軒立ち寄って、女の子はあれもこれも手に取った。
飽きずに一品一品、念入りに調べた揚げく、
たった五厘の品を一、二本買っただけだった。
店を出ると、もの悲しい三味線を弾く女がいた。
路上に座り込んだ乞食であった。
二人はその前を通りかかると、それぞれ一銭ずつ取り出して、
当たり前のことのように、女のざるの中に硬貨を落とした。