【捕鯨問題】シー・シェパードから妨害受けた調査捕鯨船、下関港に…「(妨害は)はらわたが煮えくりかえる」と社長[4/13]
200 :
七つの海の名無しさん:
>>198 お疲れ様でしたの、気持ち込めたおすそ分け。
なんせ、命の危険さえ有ったのだから、問題なし。
201 :
七つの海の名無しさん:2009/04/22(水) 01:08:39 ID:zY+rj4Xl
202 :
七つの海の名無しさん:2009/04/25(土) 00:46:36 ID:aFCYxhTz
普段は売国なクソマスゴミも、捕鯨だけは愛国論調。
裏にいるのは中国政府だろ。
203 :
七つの海の名無しさん:2009/04/27(月) 21:18:49 ID:qikvSYeF
204 :
七つの海の名無しさん:2009/04/28(火) 12:36:34 ID:JfPG72h1
反捕鯨の反日バカは、このスレでは世論誘導が出来ないから、逃げ出しました。
よって、このスレに置いて捕鯨賛成派の勝利を宣言します。
これからも国際社会に置ける日本の正当な権利行使のため、反日バカを叩きのめしましょう。
205 :
七つの海の名無しさん:2009/05/12(火) 14:33:40 ID:hCP9L5KA
>>187 おい!!反論出来ねーのかよカスが!!!
206 :
七つの海の名無しさん:2009/05/12(火) 22:57:26 ID:LGybCb2s
「諸君!」2月号/20年12月25日発売
http://www.bunshun.co.jp/mag/shokun/shokun0902.htm 日本捕鯨vs.環境テロリスト、南氷洋大海戦の帰趨
暴虐非道のシー・シェパード、見え隠れする豪政府の影。鯨文化の伝承もいまや風前の灯だ
富坂 聰(ジャーナリスト)
海上保安庁OB
「〇七年の調査団の母船に海上保安庁から人員を乗り込ませたのは政治家からの圧力が強かったからですが、
庁内には日本の捕鯨を疑問視する意見も少なくないのです。しかも、海保も自分の船を出せるわけではないので、
調査団を保護するといってもできることに限界があるのです。実際、酪酸を投げつけてくるシー・シェパードの
船に対し、こちらは音響投擲弾で応戦するしかなかったのですから。
そんな海保に対し調査団の方でも不満がくすぶっていたようです。その証拠に今年の調査団には保安官の乗船は
ありません。それは調査団が、保安官がいない方がかえって都合が良いと判断したからでしょう」
別の海上保安庁OB
「調査団の方としては海保がもっと激しく戦って反捕鯨の団体を追い払ってくれると考えていたのでしょう。
それが期待はずれだったということです。しかし海保の任務は日本人の安全を守ること。だから危険な衝突が
予測されれば回避という道を選ぶのは当然のことです。ただ、調査団にはそれが不満だったようです。船内では
意見の食い違いが深刻だったという話も聞きましたからね」
石川創〇七年度調査団長
「そういったこともなかったわけではありませんね」
「皮肉ではないのですが、私たちも『いつ自動小銃が火を噴くんですか?』なんて聞いたことはありましたね。
正直なところ、シー・シェパードへの対処の仕方をめぐっては、船内で葛藤や意見を戦わせたこともありました」
207 :
七つの海の名無しさん:2009/05/13(水) 17:40:16 ID:XhRIZo7s
>>187 おい!!反論出来ねーのかよカスが!!!
208 :
七つの海の名無しさん:2009/05/15(金) 23:40:09 ID:i9UQQACh
>>187 おい!!まだ反論出来ねーのかよカスが!!!
209 :
七つの海の名無しさん:2009/05/16(土) 00:46:18 ID:1bh/vNfH
日本の伝統的な捕鯨環境の維持に対して、あの環境団体は無意味なことをしている。
そのうち、軍艦出動だな。
210 :
七つの海の名無しさん:2009/05/19(火) 23:16:39 ID:aInvLiZu
>>187 おい!!まだまだ反論出来ねーのかよカスが!!!
日本の伝統的な捕鯨は近海での原始的な捕鯨です、
ノルウェイから近代捕鯨技術を教わったのに自国の伝統にする恥さらしですか?
日本の伝統的な捕鯨を存続させたいなら日本近海で日本の伝統捕鯨法で調査しなさい。
212 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 09:55:14 ID:JA/LTN6D
ただ単に南極の海に利用もされずに余ってるクジラ獲って食うってだけの話。
伝統文化とか言わなくちゃならなくなったのはクジラ教の信者がカネと票で
それを止めさせようとしてるからでしょ?
そんなのが無けりゃ単に持続的な生物資源利用対象として可能かどうか、
という数値の問題にしかならない筈。
213 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 10:34:38 ID:c/6f9RAA
>>211 鯨肉文化論についてまとめ
日本の伝統ではない
→多くの証拠が残っており否定は不可能、平気で嘘吐くな。
沿岸部だけの文化だ
→魚もそうだな、十分「大衆」の範囲だ。そもそも日本が海洋国家だと知らんのか?
当時の日本人は獣肉はたべない
→一部の種は普通に食べてました、あと鯨の認識なんざ魚に決まってるだろ。
アメリカ式遠洋捕鯨のどこが伝統だ
→「食文化」のメインは「食べること」です獲り方なんざどうでもいい。
→ついでに言うと文化はより効率的に進化・変化するのが当然、捕鯨であることに変わりはない。
トンデモ鯨料理がある
→新たな料理法・活用法をつくるのがなぜ伝統の否定になる?
→先ほども言ったが文化は変化するもの、捕鯨文化とは鯨を食べる習慣・価値観でもある。
文化じゃないったら文化じゃない!!戦後に広まったに違いない!!!
→そもそも文化じゃないから食べてはいけないなんてのがすでにお門違い。
文化論はあくまで日本人の立場を強化するものであり食べて良い悪いとは無関係
野生動物を殺す文化なんかあるか!
→あります世界中に。そして悪いことではありません。
無知を恥じるか、現実を見るか、心の病院に行きましょう。
くぁwせdrftgyふじこlp!!
→そもそもこんな少し考えれば分かる道理をいちいち説明しなきゃいけないとは
思考停止しすぎです。それとも幼児でちゅか?
214 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 10:37:21 ID:c/6f9RAA
要約すると
どこでどんな取り方しても
「捕鯨」であることに変わりはないし
鯨肉を食べることが伝統文化であることは否定しようがないな
まあ現時点では沿岸捕鯨すらまともに出来ないんだから
あさっての方向への批難だが
日本の伝統は仏教伝来から近代まで
殺生禁止、獣食タブーですよw
クジラなど食べたら成仏できません。
216 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 11:38:36 ID:JA/LTN6D
あぁ、またこの馬鹿かw
此間みたいに大量の「江戸以前にも庶民がクジラさんのお肉食ってた」証拠、
何十レス分のソースと共に示して欲しい?
全部保存してあるけど^^
クジラは獣の認識では無いと言い出す人が出るだろうが
それは嘘
クジラやクジラの胎児を祭る墓が存在するのが、クジラを獣と認識してる証拠
中世期の捕鯨目的は鯨油取りがメインで鯨食は一部の嗜みです
獣肉など食せば菩提寺から破門され成仏できない世の中で鯨食が広まることは無理。
218 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 11:54:05 ID:JA/LTN6D
125 :七つの海の名無しさん:2009/04/16(木) 23:27:54 ID:wDg5nTpw
>>124 年末に散々いたぶられちゃってたのが忘れられなくて再現したいんだね?ゴミ屑愛護反捕鯨ちゃんw
江戸時代後期に出された「鯨肉調味方」と言う料理本には、クジラのからだを実に70にも分類し、
それぞれの料理方が紹介されています。肉や皮、舌、内臓ばかりでなく、顎から歯ぐき、さらには、
ペニス、睾丸、などのイカモノまで、食の本場、中国をしのぐ徹底ぶりです。
食べられないところは、骨と歯とヒゲだけです。わが国はクジラを余すところなく利用してきています。
ちなみに歯ぐきは「子ひげ」と呼ばれ、生のまま薄く切り、醤油などにつけて食べると淡白で美味しいと言います。
それからクジラの体に付着しているフジツボやカキなども紹介されているが、クジラジラミだけは「食料にあらず」のようです。
日本人は太古の時代からクジラを食料として脈々と利用してきました。その歴史のすべてを知ることは当然不可能ですが、
文献などで垣間見ることはできます。たとえば平安時代に書かれた「倭名類聚抄(わみょうるいじ ゅしょう)」にはいくつかの魚にまじってクジラの名がみられます。
仏教の影響から獣食が忌み嫌われていたわが国では、魚の仲間とされていたクジラは貴重なたんぱく源だったようです。
また、室町時代の料理本「四条流包丁書」には、最高の献立としてクジラ料理が紹介されています。安土桃山時代には、
土佐の大名であった長宗我部元親(ちょうそがべもとちか)が、豊臣秀吉にクジラを丸ごと一頭献上したという記録も残っています。
江戸時代には、冒頭に紹介した「鯨肉調味方」をはじめ、多くの料理本でクジラが紹介されており、庶民的な食材として広く食べられていたことがうかがわれます。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~takahama/kujiraniku.html
219 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 11:56:07 ID:JA/LTN6D
四方を海に囲まれた日本は、大昔より鯨も他の魚と同様に海の恵みとして利用してきました。
鯨を食料や骨器の材料として利用しだしたのは、縄文時代からでした。当時の漁撈用具や漁船では
積極的な捕鯨は無理とみられ、「寄鯨」(死んだり、傷ついて漂着したもの)、「流鯨」(沖に漂流し
ているのを引揚げたもの)等の利用に限られていました。縄文時代中期に編年される土器群の底に
鯨の背椎骨を回転台、あるいは製作台として使用した痕跡があるものが多く確認されています。
土器底に鯨の背椎骨の圧痕を有することから、その背椎骨を縄文中期において回転台として使用し
て土器製作を試みたことが窺えます。
弥生時代には、鯨は食料としてはもちろんであるが、壱岐の原ノ辻遺跡から鯨骨製骨剣(あわびおこし)、
鉾先、紡錘車などが出土しており、鯨骨の利用が広まっていたことがわかる。その後、「寄鯨」や「流鯨」など
の消極的な捕鯨から、鯨を発見して捕獲しようとする積極的な捕鯨へ変わっていった。
江戸時代になると、銛突捕鯨法、掛網捕鯨法といった方法が考案され、積極的な捕鯨が行なわれるようになり、
鯨の捕獲頭数も漸次増大していきました。江戸中期、八代将軍吉宗の時代に、鯨油駆除法(水田の蝗害防除)
が発案され稲作の必需品として需要が増大しました。化学薬品がない時代には、鯨油が農薬として重宝されました。
さらに、鯨が動物性食品としての需要も急増し、鯨組の経営規模は巨大化していきました。江戸時代の鯨体七十ヶ所
の部分の調理方法と食べ方が「鯨肉調味方」(天保三年刊の“勇魚取絵詞”の付録)に書かれています。食べ方としては、
鍋焼、あるいは、揚げ物がほとんどでした。鯨肉の保存法としては、塩蔵しかなかったので、このような食べ方が適していたのでしょう。
http://ww7.tiki.ne.jp/~yosizen/kousatu/kousatu.htm
220 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 11:57:39 ID:JA/LTN6D
221 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 11:58:42 ID:JA/LTN6D
スキヤキのルーツは生月島?
生月と鋤焼の関係を記す資料として、江戸時代の終わり頃、益冨家が制作した捕鯨図説『勇魚取絵詞』に付録としてついている
『鯨肉調味方』という鯨専門の料理書があります。その黒皮の項には「酒にてときたる味噌、又は生醤油を付て、鋤焼にすべし。
鋤焼とは、古き鋤のよくすれて鮮明なるを、おき火の上に置わたし、それに切肉をのせて焼をいう。鋤にもかぎらず、鐵器のよく
すれて鮮明なるをもちいるべし」とあります。また赤身の項にも「鋤焼にしてよし」とあり、これらが、鋤焼という名称が使われ
た最も古い事例になっているからです。つまり、まずは言葉としての鋤焼の起源が生月であるわけです。しかしこの鋤焼の料理
内容をみると、黒皮や赤身を、味噌や醤油を塗って平たい鉄の上で焼くという、何だか今の焼肉に近いような料理である事が分かります。
また『鯨肉調味方』には、黒皮、簀子、赤身、吹腸などの食べ方として、煎焼(なべやき)という料理が出てきます。
この漢字をそのまま読むとイリヤキと読めますが、生月では昔から、肉を焼いて様々な野菜と一緒に煮込んだ料理をイリヤキと呼んでいました。
〜
江戸時代にも、猪や鹿、兎などを狩って食べる事はあったのですが、一般的に四つ足の獣を食べる事は、仏教で言う殺生にあたるとして嫌われていました。
牛は農耕や運搬の大事な担い手で、豚は明治に入るまで沖縄などを除くと飼育されていませんでした。日本人が牛肉を食べ始めるのは明治に入ってからで、
東京などでは牛鍋という料理が流行しています。鯨は、多分にこじつけた所もあるようですが、江戸時代には魚の範疇に入れられ、漁場がほど近い近畿以西
ではよく食べられていました。しかし関東以北の地方では、捕鯨漁場が殆ど無かったため一般的でなく、その上戦後の食糧危機の際に処理が悪い鯨肉を食べ
た経験から、鯨肉を不味いと思っている人も多いようです。しかしながら漁場を控え、内臓を含め新鮮な鯨肉が特に入手しやすかった生月の人々は、昔から
各種の鯨料理に舌鼓を打っていた事は間違いありません。
http://www.ikitsuki.net/kouza/016.html
222 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 12:00:13 ID:JA/LTN6D
中世の荒縄と小船での原始的な捕鯨では
都へ新鮮な鯨肉をデリバリーするのは無理
その方法が何も紹介されてません、
何十トンあるクジラを沖で仕留めて
解体する為に陸揚げする頃には致死から時間が経過しすぎて
鯨は腐敗がかなり進行していたはずです、中世捕鯨は鯨油取りがメインです。
誰でも簡単に想像できる矛盾に一切触れない変な人がいますね。
224 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 12:03:24 ID:JA/LTN6D
というか、全部このスレで一月前にやってるんだよねw
相手も今日のID:bosGtrsKと同じ愛護反捕鯨ちゃん^^;
もっと見たい人は
>>130あたりからもう10数レス分はある筈だから読んでちょ♪
225 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 12:04:33 ID:JA/LTN6D
>>223 つまり愛護反捕鯨ちゃんは「現実を見たくない」と。w
『勇魚取絵詞』は、長崎の生月島の御崎浦で操業する益冨・御崎組の様子を紹介した捕鯨図説で、
文政12年(1829)の跋文(小山田與清)があることから、この年代頃に益冨家が主体と
なって制作されたと考えられています。この付録として『鯨肉調味方』があります。
その一部をご紹介いたします。
黒皮
鯨の皮なり。表は黒漆のごとくにて鱗なし
厚さ二三分。裏に白き皮附たり。その厚さ背の方は八寸ばかり。腹脇の方は一尺二三寸ばかりなり。右の黒皮に白皮厚さ七八分附けて。廣くへぎたるを黒皮といふ。
背美鯨の皮。最佳味也。
○薄く切って生醤油、又は煎り酒にて食べし。○煎り焼きによし。○酒にてときたる味噌。又は醤油を付て。鋤焼きにする。鋤焼きとは、古き鋤きのよく摩て鮮明なるを。焚火のうへに置わたし。
それに切肉をのせて焼くをいう。鋤にもかぎらず。鉄器のよくすれて鮮明なるを用べし。○湯煮して薄く切。煮物に。太煮ごぼう。川茸。貝わり菜、又は小形に切て。
はんぺん。
牛房。きくらげ。など。葛かけ。わさびにてよし。○背美の皮を揚げものにし。薄く切て。生醤油。煎酒。などかけたるがよし。又湯煮したるを。右の仕法にて食ふもよし。
揚物とハ、湯煮をして。鯨油煎る時。同く其釜に入て揚げたるを。油揚げハ味久しく損せず。湯煮のの侭なるハあざれやすし。
注:あざる(魚肉などの鮮度がおちくずれること)○座頭鯨の生皮は、薄く切て、三杯酢にて食べし。又野菜を取合せ、酢味噌にてあへても用ふれど。三杯酢よりも味劣れリ。
山の皮
頭(かばち)の皮をいふ。外黒く内白し。黒皮に同じけれど、背の皮よりもこはく。歯切れよく、味淡薄にして、下品なり。○藻焼きにしたるをうすく切。生醤油にて用べし。
藻焼きとは、藻に包て焼たるをいふ。
片皮
丸切の両脇の皮を云う。こと所の皮よりも油少なく。専食糧にする也。尤も若き魚の。塩にしたるがよく。生ハよろしからず。
○塩にしたるを。薄く切。水に入てよくさらし、塩気を去り。熱湯をかけ、さて冷水もて数多度あられ。酢ぬた。生醤油。煎り酒等にて食べし。
右のごとくにして、野菜取合わせ。すましにてよし。
テイラ
尾の事を尾羽毛と云う。表は黒き皮ニ三分にて。ウラは白い皮附たり。是を食料にしてテイラと云う。最佳味也。若魚の塩にしたるがよし。生はさまでよろしからず。
塩にしたるを、いと薄く切。或いは細作りにして。熱湯をかけ、数多度水にて洗ひ、煮物に。○牛房せん。松だけ。柚子、また吸い物に。わかめ、芽うど、指身に。紅のり、
岩たけ。春ぎく。三杯酢、煎り酒、酢ぬた、などにて用ふ。一寸方ばかり四角に切。水にて煮。数多度水をかへ。半日余煮れば、いとやわらかになれるを、水にてよくあらひ、
酒にてよく煮しめて。敷砂糖。或いはくずあんかけにしてよし。油臭いなどもなくして。尤ももいひがたき佳味なり。
三合(みつあい)
丸切の留り。尾の両端に分かるゝ所を三角切りたるを、三合といふ。丸切りと尾羽毛との間なり。黒き皮に、白き皮七八分つけてへぎ、食料にす。これもテイラに同じ。若魚の塩にしたるがよし。
生はよろしからず。
○塩にしあるを薄く切。水にsらして塩気を去り、熱湯をかけ、又水もてあまたゝびすゝぎ。酢ぬた、生醤油、煎り酒、等にて用すべし。上のごとくにして、野菜など取合せ、すましにしてもよし。
落とし
尾羽毛と三合との間の。切小口を切落としたるを云う。若魚の塩にしたるがよし。
上におなじ。
立羽(たっぱ)
鰭(ひれ)なり。黒き皮に白き皮附たり。食料にして、テイラにひとし。尾羽毛には品劣れリ。
上におなじ
ウ子(ウネ)
座頭及長須にのみあり。下あぎより貝の本一尺八寸ばかり上迄、腹皮のう祢(ネ)だちて皺みたる所を云なり。座頭ハ皺大く黒して。白筋あり。長須は皺小く白くして、黒筋有。
背美児鯨には、ウ子だちたる所なし。此迄を敷きの皮と云也。背美の敷の皮は白くして黒筋色々あり。児鯨は鼡色なり。
http://www.rakuten.ne.jp/gold/kuziran/geinikutyoumikata.htm
226 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 12:05:46 ID:JA/LTN6D
>>223 日持ちしにくい部位や沿岸から遠い所での食材としての使用法も事細かに
書いてあるけど、辛すぎて一切見たくない、現実が受け入れられない、とw
嘴(はし)の内皮
下唇を棚と云う。棚の内皮厚さ三分ばかりに剥ぎたるを。嘴の内皮と云う。
灰色なり。
白身を薄くつけて、細作りにし、ぬるみ湯をかけ、生醤油、煎酒、三杯酢、にて用ふ。
野菜など取り合わせ、すましにてよし。
耳
端の事をいへり。丸切の上皮の端。同下皮の端。又下唇の上の端なり。
若魚の塩にしたるがよし。
○塩にしたるを薄く切。水にてよくさらし、塩気を去り。熱湯をかけ、水に数たびあらひて、酢ぬた、
生醤油、煎り酒ににて食べし。
○野菜取合わせ。すましにても用ふ。
すのこ
座頭長須の、下あ腮辺より。貝の本一尺八寸ばかり上の方迄。
腹皮のう祢(ね)だちて皺みたる所をウネと云う。ウネ皮厚サ三四分ばかり有て、その内赤身に白身がちの肉有をばスノコと云うなり。厚キ所を一尺ばかり。薄キ所は三四寸あり。生は味おもし。塩にしたる方味淡くしてよろし。
背美児鯨には、ウネスノコともになし。
○生なるは、薄く切て煎焼きに用ふ。
○塩したるは、薄く切。水にさらし、塩気を去り、あつき湯をかけ、さてよう水にてあらひて、三杯酢、又ぬたにて食べし。
○野菜など取合せ、すましにてよし。
片身
黒皮白皮とも。すべての皮を集めたるを皮身と云う。
油つよき魚は食料にしがたき故、油煎油少なきをば食ふなり。
前に出せる黒皮といへるは、背皮脇皮などの油少なき所なれば、もっぱら食料にせり。
片皮というふも丸切の両脇の皮にて、油少なく食料によし。
○料理方、黒皮に同じ。
切りだし
切り屑の事也。皮身の内なる白き和かなる皮付の所を切出し。
或いは赤身の内の油なき所を切り出し。又舌の油なき所を切り出し。
凡ての小切れをあつめて、これを切り出しといふなり。
田舎にて下人の食料とす。いと下品なり。
○醤油かけ、あるひは煮などして用いふ。
http://www.rakuten.ne.jp/gold/kuziran/geinikutyoumikata.htm
227 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 12:06:38 ID:JA/LTN6D
赤身
皮の肉に有肉也。色赤黒し。生にては背美の赤身最よし。
○薄く切、ぬるき湯をかけ、煮ものに、麩、松だけ、みつば、すましに。
○生のり、又ハワカメ。ばうふう。
○二日ばかり味噌に漬たるを、焼いて薄く切て用ふ。
・○薄く切。酒ぬた。又は醤油付け、鋤焼きにしてよし。
・○厚く切。塩焼きにしたるを又薄く切て用ふ。
・○うすく切て湯をとほし、生醤油、三杯酢にてよし。
・○鍋焼き、また味噌煮によし。
・○野菜加へ酢ぬたあへよし。
塩赤身
・塩にしたるは、座頭の赤身を佳とす。
・薄く切、水にさらし、塩気を去て、なべやきにしてよし。
○生醤油、三杯酢、にて用ふ。
○鯛のすり身を引。太平に、椎茸、長いも、くはゐ。芽うど。取合せてよし。
・厚く切て焼。ぬるみ湯をとほし。塩を抜。うすく切。
酒をかけてよし。又初めより薄く切。あつき湯をとほし。塩を出して、酒をかけ用ふ。
胸の身
喉の下の辺、腹より上の方を。胸の身と云う。赤身にて同じけれど、少し堅し、色赤黒し。
○料理方。赤身におなじ。
小骨先
アバラ骨の左右を抱まはして。骨先をつなぎたる肉の赤身を、小骨先という。味佳なり。
赤腸
十二指腸なり。外黄にして。内赤し。下人食用とす。
○湯煮をしそ。醤油をかけて用ふ。
百尋(ひゃくひろ)
小腸也。外は白く、薄赤し、内は少し黄也。
○なべやきに良し。
○野菜取合わせ、すましにてよし。
○揚げもの、又湯煮して、生醤油、いり酒、三杯酢にてよし。
大腸(おおわた)
すなわち大腸の事也。白くして薄赤し。肉は黄にして青色を帯びたり。百ヒロにおなじけれど、下品なり。
○なべ焼きによし。
○野菜取合せ、すましによてし。
○揚げもの、又湯煮して、生醤油、いり酒にsてよし。
豆腸(まめわた)
腎の臓也。色は赤黒して、白きかたまりむらむらあり。
味佳也。背美最よし。生或いは塩にしたるは用ひず。
○揚ものにして、生醤油、いり酒、三杯酢、等にてよし。
ブタ
座頭長須のスノコの内に、ぶたぶたする肉をいうなり。
○肥魚は油に煎じ、痩魚は油少
http://www.rakuten.ne.jp/gold/kuziran/geinikutyoumikata.html
クジラやクジラの胎児の墓が古来より存在するのに獣認識してないと言う鯨食マンセーな人
ハード的に無理と解かり切ってるのに中世の原始的捕鯨で都の庶民へ新鮮な鯨肉を配れると妄想する鯨食マンセーな人
229 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 12:08:18 ID:JA/LTN6D
いつまで経っても現実を直視できない、幻想の世界で雄大なクジラと暮らしてる
ゴミ屑愛護反捕鯨のID:bosGtrsKちゃんはまた現れるでしょうから、以上の
「江戸時代、若しくはそれ以前にも庶民が食ってた美味しい美味しい鯨料理」
に関するリンク・コピペは保存しておいて、いつでもすぐに貼れる様に準備しときますw
塩、味噌、醤油は当時は大変高価な貴重品
それらを使い保存食は無理な話
庶民へのデリバリーの話ですから
231 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 12:11:54 ID:JA/LTN6D
>>231 理解不能
どのようにして原始的な捕鯨で何十トンある鯨を
腐らせずに曳航し陸揚げし解体していたのか解説願いたい
致死から数時間で鯨は内臓から腐敗しますよ。
どのように都の庶民へ新鮮な鯨肉をデリバリーしたのでしょう?
中世捕鯨は鯨油取りが目的と判断するのが理に叶ってます。
233 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 12:29:56 ID:JA/LTN6D
234 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 12:36:09 ID:pWAG/JuI
近いうちのSSメンバー総逮捕で解体までの辛抱。
日本お得意の臥薪嘗胆ですよ。
>>233 既出の出所不明なソースでドモってないで
自分の言葉で中世期の鯨肉デリバリーシステムを解説してくれないか?
人力と原始的な道具でどのように都の庶民へ新鮮な鯨肉をデリバリーしたのだ?
冷蔵システムが無い時代だぞw
236 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 12:40:26 ID:JA/LTN6D
ついでに言うと、
>>232 >致死から数時間で鯨は内臓から腐敗しますよ。
たとえ真夏の気温下だったとしても内臓から始まった腐敗が数時間で
巨大なクジラの分厚い筋肉を食用不可になるまで腐敗あせる事は不可能w
それ以外の季節ならば尚の事何をかいわんや・・・
"鯨肉調味方"には内臓肉の料理まで紹介されてるのにw
これほど簡単な事実さえ直視してしまうとクジラさん守れなくなっちゃうもんねぇ・・・w
237 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 12:41:30 ID:GEddIy+9
>>232 腐敗もなにも現に食ってるんでしょ?
「数時間で腐敗」してても「新鮮なまま」でなくても
普通に荷車なりで運んでちゃんと食べられるって事では?
確かにID:JA/LTN6Dさんが挙げてるのは、調理法であって
輸送手段ではないけど。
238 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 12:45:05 ID:c/6f9RAA
>>235 できたからたくさんの証拠が残ってるんだろ?魚はどうなるんだ?
そもそも本当にそんなすぐ腐るのか?仮にそうなら腐りやすい部分だけ沿岸で消費しりゃいいんだろ?
あと塩皮とか保存技術だよな?てか原始的って当時の日本人の技術半端ないぞ?
実際に食べてる事実があるのに食べれなかったとかイミフすぎる
事実より推測が重要?
239 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 12:46:53 ID:JA/LTN6D
致死から解体まで数日は要した
こらが中世捕鯨の実態では?
沖合いで捕鯨した何十トンある鯨を人力で曳航、陸揚げ、解体するは容易い事では無い
日本の平均温度、海水温度も鯨肉を腐敗させるには十二分です。
都の庶民へ新鮮な鯨肉デリバリーは夢の話では?
241 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 12:52:02 ID:GEddIy+9
>>240 そりゃ冷凍技術の発達した現代のイメージ通りの
「新鮮なまま」は無理でしょうさ。
でもそれで鯨肉が食べられないなんてことにはならないよ?
デリバリーデリバリーって何とかの一つ覚えみたいに…
>>241 油ギッシュな鯨肉をどのような技術で鮮度を保ったのか全く解説せずに
古来の都の庶民は鯨肉を食していたと主張されても聞く耳持てません
味覚的にも油ギッシュは嫌われていたのでは?マグロのトロのように。
243 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 13:03:50 ID:2HRM9H5V
次回は復元46センチ砲でも一門積んでいけよ。
至近弾でも逃げていくさ。
244 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 13:35:16 ID:JA/LTN6D
245 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 13:41:26 ID:JA/LTN6D
246 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 13:46:05 ID:GEddIy+9
>>242 だから何で「新鮮」でなくちゃならないんだ?
誰も「新鮮なまま江戸へデリバリーしてました」なんて言ってないだろう?
だからこそID:JA/LTN6Dさんが「新鮮でない」鯨を美味しく調理する
方法を挙げてるのではないのか?
ここの参加にリアルに生きてる鯨を見たことがある人がいるのか?
たとえ沿岸から数百メートルの至近距離で鯨を射止めても
人力で曳航、陸揚、解体にどれほど時間を費やしたと考えるのだ?
そんな湾内に迷い込むレアケースより現実的な思考はできないのかね
一番の問題は中世の日本人は油ギッシュな食材を好まなかった事だ
マグロのトロは嫌われて捨てられていたが
同じように油ギッシュな鯨は好んだとする二枚舌を笑わずにはいられないw
中世捕鯨は鯨油取りが主です。
248 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 14:00:14 ID:JA/LTN6D
249 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 14:04:26 ID:JA/LTN6D
>>247 >たとえ沿岸から数百メートルの至近距離で鯨を射止めても
>人力で曳航、陸揚、解体にどれほど時間を費やしたと考えるのだ?
だ・か・ら・♪
「最低でも何時間以上は掛かる」
「だから腐敗して加熱調理しても食用不可だったはず」
という、「証拠」を出してみなさい、って言ってるんだよクジラ愛護ちゃん♪
それから、
>>239のコレ↓に答えてみろ能無しw
上で紹介してる調味方の殆どは加熱調理した料理で、刺身など生の状態で
食してもないのになんで冷蔵システムが要るのかキミのそのアタマで説明
できるかな?w
たったの数時間でクジラさんの分厚い筋肉が全て加熱食用さえ不可になるほど
腐敗する原理を説明しておくれでないか?御馬鹿さん♪
たとえ沿岸から数百メートルの至近距離で鯨を射止めても
人力での曳航、陸揚、解体には数日を要するでしょう
鯨をリアルに見たことありますか?
でかいですよ
重たそうですよ
水中抵抗は相当なものですよ
思いっきり譲渡して曳航を半日で完了したと夢のような仮定を立てても
陸揚げに相当時間を費やしたでしょう。
陸揚げして解体しないと血の匂いで鮫が寄ってきて解体夫が鮫に解体されちゃいます
大鉈をふるうので足場の覚束ない海上では解体など無理な話ですが。
251 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 14:10:23 ID:JA/LTN6D
それでは江戸庶民に愛されていた鯨肉料理の調理法の御紹介をば・・・w
江戸時代後期に出された「鯨肉調味方」と言う料理本には、クジラのからだを実に70にも分類し、
それぞれの料理方が紹介されています。肉や皮、舌、内臓ばかりでなく、顎から歯ぐき、さらには、
ペニス、睾丸、などのイカモノまで、食の本場、中国をしのぐ徹底ぶりです。
食べられないところは、骨と歯とヒゲだけです。わが国はクジラを余すところなく利用してきています。
ちなみに歯ぐきは「子ひげ」と呼ばれ、生のまま薄く切り、醤油などにつけて食べると淡白で美味しいと言います。
それからクジラの体に付着しているフジツボやカキなども紹介されているが、クジラジラミだけは「食料にあらず」のようです。
日本人は太古の時代からクジラを食料として脈々と利用してきました。その歴史のすべてを知ることは当然不可能ですが、
文献などで垣間見ることはできます。たとえば平安時代に書かれた「倭名類聚抄(わみょうるいじ ゅしょう)」にはいくつかの魚にまじってクジラの名がみられます。
仏教の影響から獣食が忌み嫌われていたわが国では、魚の仲間とされていたクジラは貴重なたんぱく源だったようです。
また、室町時代の料理本「四条流包丁書」には、最高の献立としてクジラ料理が紹介されています。安土桃山時代には、
土佐の大名であった長宗我部元親(ちょうそがべもとちか)が、豊臣秀吉にクジラを丸ごと一頭献上したという記録も残っています。
江戸時代には、冒頭に紹介した「鯨肉調味方」をはじめ、多くの料理本でクジラが紹介されており、庶民的な食材として広く食べられていたことがうかがわれます。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~takahama/kujiraniku.html
>>251 中世におき
マグロのトロは油ギッシュを嫌い捨てられていたのに
同じ油ギッシュなクジラはなぜ食材利用されたのか
矛盾してますよw
253 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 14:17:23 ID:JA/LTN6D
254 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 14:24:43 ID:JA/LTN6D
>>252 またまた襤褸が出たねぇ、クジラ愛護ちゃんw
愛護反捕鯨であるキミは当然クジラさんのお肉なんか食った経験がないだろうけどw
髭クジラの赤身肉なんか殆ど油っけはありません♪
更に現在まで受け継がれてる皮鯨の加工品、「湯かけ」・「オバ池」は
充分油を絞った後で湯晒しして油を抜き、日本人の口に合うように工夫
されたものですw
そしてその絞った油は御存知「鯨油」として行灯や殺虫剤として活用されてたのです・・・
というか、食った事無いのに「油ギッシュ」とか言ってるのは毎度毎度だなw
油分が多い食材の腐敗速度をここで再認識させなければ理解不能ですか?
腐った食材は煮ても焼いて腐った食材です、腐る手前が良いと言う人もいますがそれは冷凍技術とのコラボが必須ですから
曳航に数日、陸揚にも数日を費やしたと考えるのが一般常識
陸揚には潮の干満を利用していたでしょうから
潮の干満差が無い時は数日間は潮が動くのを待ってたでしょう。
そんなことより中世人の味覚にクジラは合わないと思うのですが
マグロのトロは捨てられていたのに同じように油ギッシュなクジラを中世人が好んで食べたとは思えません。
256 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 14:32:33 ID:JA/LTN6D
>>255 254 :七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 14:24:43 ID:JA/LTN6D
>>252 またまた襤褸が出たねぇ、クジラ愛護ちゃんw
愛護反捕鯨であるキミは当然クジラさんのお肉なんか食った経験がないだろうけどw
髭クジラの赤身肉なんか殆ど油っけはありません♪
更に現在まで受け継がれてる皮鯨の加工品、「湯かけ」・「オバ池」は
充分油を絞った後で湯晒しして油を抜き、日本人の口に合うように工夫
されたものですw
そしてその絞った油は御存知「鯨油」として行灯や殺虫剤として活用されてたのです・・・
というか、食った事無いのに「油ギッシュ」とか言ってるのは毎度毎度だなw
257 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 14:36:57 ID:JA/LTN6D
>>255 今でも和田町ではクジラを半日以上港に係留していますが腐らずに食べられますよ
259 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 14:44:01 ID:JA/LTN6D
江戸時代等の庶民がクジラさんのお肉とその様々な料理に親しんでいた、という
事実にクジラ愛護であるキミ、ID:bosGtrsKが身を切られるようなツラさを覚え、
その事実を受け入れられようが、受け入れられまいが、事実は事実です♪
四方を海に囲まれた日本は、大昔より鯨も他の魚と同様に海の恵みとして利用してきました。
鯨を食料や骨器の材料として利用しだしたのは、縄文時代からでした。当時の漁撈用具や漁船では
積極的な捕鯨は無理とみられ、「寄鯨」(死んだり、傷ついて漂着したもの)、「流鯨」(沖に漂流し
ているのを引揚げたもの)等の利用に限られていました。縄文時代中期に編年される土器群の底に
鯨の背椎骨を回転台、あるいは製作台として使用した痕跡があるものが多く確認されています。
土器底に鯨の背椎骨の圧痕を有することから、その背椎骨を縄文中期において回転台として使用し
て土器製作を試みたことが窺えます。
弥生時代には、鯨は食料としてはもちろんであるが、壱岐の原ノ辻遺跡から鯨骨製骨剣(あわびおこし)、
鉾先、紡錘車などが出土しており、鯨骨の利用が広まっていたことがわかる。その後、「寄鯨」や「流鯨」など
の消極的な捕鯨から、鯨を発見して捕獲しようとする積極的な捕鯨へ変わっていった。
江戸時代になると、銛突捕鯨法、掛網捕鯨法といった方法が考案され、積極的な捕鯨が行なわれるようになり、
鯨の捕獲頭数も漸次増大していきました。江戸中期、八代将軍吉宗の時代に、鯨油駆除法(水田の蝗害防除)
が発案され稲作の必需品として需要が増大しました。化学薬品がない時代には、鯨油が農薬として重宝されました。
さらに、鯨が動物性食品としての需要も急増し、鯨組の経営規模は巨大化していきました。江戸時代の鯨体七十ヶ所
の部分の調理方法と食べ方が「鯨肉調味方」(天保三年刊の“勇魚取絵詞”の付録)に書かれています。食べ方としては、
鍋焼、あるいは、揚げ物がほとんどでした。鯨肉の保存法としては、塩蔵しかなかったので、このような食べ方が適していたのでしょう。
http://ww7.tiki.ne.jp/~yosizen/kousatu/kousatu.htm
中世の原始的な捕鯨技術では都の庶民へ食用に耐える新鮮な鯨肉をデリバリーすることは不可能
ハード的に不可能と指摘してるのに
意味不明なリンクを貼って自己満悦してる人は何でしょうか?
鯨油取りの捕鯨を鯨肉取りに摩り替えてはダメダメですよ。
しかも真夏にですわよ♪
>>258 和田町の沿岸近辺は日本有数のアワビの漁場
クジラの生血を沿岸に流せば鮫が寄ってきてアワビ漁の妨げになりますから
>>260 鯨油も取ったし、鯨肉を庶民も食べられるような調理法も確立されていたでいいじゃないか
じゃあこの一連の資料は全てウソなのかい?w
264 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 14:49:33 ID:JA/LTN6D
>>260 >ハード的に不可能と指摘してるのに
具体的に、一体どういった理由根拠で「ハード的に不可能」なのかを
キミの妄想ソース以外で一度も示せてないのは分ってる?w
因みに「ハード的に可能だった」証拠w ⇒
>>218-222、
>>225-227 それから、
>>239のコレ↓に答えてみろ能無しw
上で紹介してる調味方の殆どは加熱調理した料理で、刺身など生の状態で
食してもないのになんで冷蔵システムが要るのかキミのそのアタマで説明
できるかな?w
たったの数時間でクジラさんの分厚い筋肉が全て加熱食用さえ不可になるほど
腐敗する原理を説明しておくれでないか?御馬鹿さん♪
キミみたいな馬鹿がいくら頑張ったところで大事な大事なクジラさんの命が
助かるわけでなし・・・w
266 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 14:51:51 ID:plI7l24N
>>215 江戸の町には「ももんじや」があって畜肉を扱っていた(まあ表向きは薬だが)
という点で終了。
>>255 魚食ってた、って時点で終了。まさか鮨が和食じゃないなんて言わないよな。
江戸時代に流通していた魚は(江戸でも)多くが塩蔵か干物、最低でも酢締めだったのは事実だけど。
まあこの辺の事情が新書で読めるって時点で終了。「江戸」「下級武士」「食」あたりでググれ
庶民が鯨肉を食せるハードが中世には存在しないと指摘してるのです
腐っても鯛ではなく、腐った鯨肉は誰も食せません。
鯨食が可能だったのは新鮮なうちに新鮮な部位を調達できる一部の漁民程度でしょう
江戸や京の都の庶民が鯨を簡単に口にできたとは到底考えられません。
>ハード的に不可能と指摘してるのに
何度でも書きますが中世の捕鯨技術では
曳航、陸揚、解体に数日間を要し鯨肉は食用不可な腐敗状況で鯨油を取るしか無かったでしょう。
269 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 14:57:36 ID:JA/LTN6D
>>267 >庶民が鯨肉を食せるハードが中世には存在しないと指摘してるのです
だ・か・ら・♪
具体的に「中世にそのハードが存在しえなかったという証拠」を
キミの妄想以外で出してね?って言ってるんだよ御馬鹿さん♪
264 :七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 14:49:33 ID:JA/LTN6D
>>260 >ハード的に不可能と指摘してるのに
具体的に、一体どういった理由根拠で「ハード的に不可能」なのかを
キミの妄想ソース以外で一度も示せてないのは分ってる?w
因みに「ハード的に可能だった」証拠w ⇒
>>218-222、
>>225-227 それから、
>>239のコレ↓に答えてみろ能無しw
上で紹介してる調味方の殆どは加熱調理した料理で、刺身など生の状態で
食してもないのになんで冷蔵システムが要るのかキミのそのアタマで説明
できるかな?w
たったの数時間でクジラさんの分厚い筋肉が全て加熱食用さえ不可になるほど
腐敗する原理を説明しておくれでないか?御馬鹿さん♪
>>267 ははは 君が考えられないだけで現実には江戸や京都で食されていたというショウコがあるのだよw
271 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 15:01:35 ID:JA/LTN6D
>>270 江戸や京都の庶民が好んで食べていなければ文化とは言えません
マグロのトロは捨てるがクジラは食べていた証拠は?
273 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 15:06:44 ID:JA/LTN6D
>>271 >宗教的理由から クジラの肉を食べたことは公式文書に記載されていません
そのソースにも宗教的に鯨食は嫌われていたと書いてありますが?
275 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 15:12:31 ID:JA/LTN6D
276 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 15:13:08 ID:GEddIy+9
>>272 1行目と2行目が見事なまでに繋がってませんね。
>>270さんは「鯨肉が江戸や京都で食されていた」と主張しているのだから
それは貴方の言う「文化」でしょう?
で、今までに挙げられた調理法は証拠にならないとでも?
>>274 まずは和田町の係留ツチクジラについて反論は?
ちなみに千倉のアワビ解禁はGWから7月初めまでで素もぐりの海女さんが獲る
鮫避けの網が張ってある
もちろんサーファーも多いから海岸にはまず鮫は入ってこないようにしてるわ
で、和田の沿岸捕鯨解禁は7月半ばから・・・
君には和田に友人がいるんだろう?似非サーファーかい?
J'sっていうショップのオーナーにでも聞いてみなよ
幾ら言い訳しても
中世人の味覚がマグロのトロを嫌っていた事を否定できません
マグロのトロを嫌うのに同じように油ギッシュなクジラを好む訳がありません
矛盾した主張は矛盾点を解決させてから主張しましょうw
279 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 15:19:14 ID:JA/LTN6D
>>277 >もちろんサーファーも多いから海岸にはまず鮫は入ってこないようにしてるわで
嘘ばかり書くと周○君に言いつけますからw
>>280 ほう、おもしろいw
言いつけ坊や、さっさと言いつけてくれ
で、係留クジラについての反論は??
282 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 15:27:44 ID:JA/LTN6D
>>278 >マグロのトロを嫌うのに同じように油ギッシュなクジラを好む訳がありません
だから、キミはクジラさんが可哀想で可哀想でたまらなくて今までただの一度も
鯨肉食った経験が無いんだろ?w
クジラさんの筋肉(赤身)は恐らくオージービーフよりも脂ッ気が少なくて
さっぱりしてるんだよ?
そして鯨油は鯨油で食用以外の用途があるから皮部分に付随する脂は
こそぎ落とした上に湯晒しした加工品「湯かけ」「オバ池」として食われていた。
キミの論法だとクジラさんのお肉は江戸時代日本人の嗜好に充分マッチした
人気食材だった、という事になるねぇ・・・w
254 :七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 14:24:43 ID:JA/LTN6D
>>252 またまた襤褸が出たねぇ、クジラ愛護ちゃんw
愛護反捕鯨であるキミは当然クジラさんのお肉なんか食った経験がないだろうけどw
髭クジラの赤身肉なんか殆ど油っけはありません♪
更に現在まで受け継がれてる皮鯨の加工品、「湯かけ」・「オバ池」は
充分油を絞った後で湯晒しして油を抜き、日本人の口に合うように工夫
されたものですw
そしてその絞った油は御存知「鯨油」として行灯や殺虫剤として活用されてたのです・・・
というか、食った事無いのに「油ギッシュ」とか言ってるのは毎度毎度だなw
中世捕鯨はヤリ入れから解体まで数日を要しその間に鯨肉は腐敗して都へは搬送不可能と指摘しても
変な上げ足ばかりで議論にならない
文献に載る程度の珍味を
中世期の庶民の常食として文明化するのは無理ありすぎ
無理無理な日本捕鯨体制と同じ動きだな。
>>283 君が指摘しても議論にならないのは、君の指摘の「根拠」が無いから
全て君の頭の中だけの妄想に過ぎない指摘でどう「議論」せいと?
こちらは全て客観的資料に基づいてかつ提示しているというのに・・・
286 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 15:36:26 ID:JA/LTN6D
「根拠」が無い主張は意味不明なリンクを貼りまくる人
どうすれば中世の原始的捕鯨で
近代捕鯨と変らない時系列処理をして庶民へクジラ肉を配れるのだ
主張してる内容がまったく見えない。
288 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 17:25:53 ID:JA/LTN6D
まぁ、ID:bosGtrsKのアタマじゃ到底クジラさんの命は守れそうもないよね^^;
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
>なお江戸時代の捕鯨の対象は、主に体長 17 メートルの セミクジラ でしたが、それは主に沿岸に回遊し、動きが遅く脂肪層が厚いので、死んでも クジラが浮くので確保が容易なためでした。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/han-hogei.htm なんで曳航に「半日」以上掛かったのか、
「半日で加熱調理してさえ食えなくなるほど腐敗したのか」
砂浜への陸揚げに「相当(腐敗するほど/数日も?w)」時間が掛かるのか、
(江戸古式捕鯨の殆どは↓の図にあるように砂浜に引き揚げて解体していた)
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/ikiisana/page.html?style=a&part=1&no=1 説明してみろ能無し^^;
それからいい加減、
>>239のコレ↓に答えてみろ能無しw
上で紹介してる調味方の殆どは加熱調理した料理で、刺身など生の状態で
食してもないのになんで冷蔵システムが要るのかキミのそのアタマで説明
できるかな?w
たったの数時間でクジラさんの分厚い筋肉が全て加熱食用さえ不可になるほど
腐敗する原理を説明しておくれでないか?御馬鹿さん♪
>陸揚には潮の干満を利用していたでしょうから
>潮の干満差が無い時は数日間は潮が動くのを待ってたでしょう。
事実「庶民が食ってた証拠」は幾つも出してるんで、後はキミが↑の具体的な
証拠を出すだけだよ?
「ハード的に可能だった」証拠w ⇒
>>218-222、
>>225-227 どうしていつになっても自分の妄想根拠でしかモノが言えないの?クジラ愛護ちゃん♪
289 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 17:30:57 ID:GEddIy+9
>>487 だから、誰が
「近代捕鯨と変らない時系列処理をして」
いたなどと言っている?
勝手な解釈はしないで頂きたい。
死後硬直が終了すると「腐敗」ですから
中世の原始的な人力捕鯨でヤリ入れ、曳航、陸揚げ、解体を10数時間でやってのけたと?
292 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 17:44:09 ID:GEddIy+9
>>291 だから、貴方の言うところの「腐敗」していても
ちゃんと喰えるんだよ、江戸や京都の人もね。
数十時間経ったらそれだけで喰えなくなる(に決まってる)、という
貴方の盲信がおかしいだけで。
脂身や内臓の腐敗は早い事ぐらいヒキオタ君でも知ってるよね?
そして腐敗は移る事も常識なんだが知ってるかな?
中世人力捕鯨ではヤリ入れ、曳航、陸揚、解体に最低でも数日の時間を要したはずです
江戸や京都に送る新鮮な鯨肉はとれますか?
また陸揚、解体した場所から江戸や京都に送るのに何日加算されますか?
こうなったら、クジラを操って海チワワに突っ込ませる。
海チワワ、グジラに撃沈される。というハラワタがよじれる様なニュースw
295 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 18:02:57 ID:TOTWI29C
>>293 塩鯨って知らんの?塩蔵やコロみたいに乾燥すれば良いだけだが。
そもそも江戸や京都では鯨はほとんど食べなかったが。
京都は塩鯖や生命力の強いハモ、塩をしたグジとかだな。
江戸も浅草に鯨鍋屋があるが、そんな古いものでもない。
大阪では鯨はよく食べ、おでんや土手焼のコロやサエズリ、
ハリハリ鍋は名物料理。
日本文化を知らないなんてチョンかなんかですか?
296 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 18:06:05 ID:JA/LTN6D
297 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 18:08:39 ID:JA/LTN6D
>>293 >中世人力捕鯨ではヤリ入れ、曳航、陸揚、解体に最低でも数日の時間を要したはずです
ハイ、その根拠はいつになったら出せるのクジラ愛護ちゃん^^;
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
>なお江戸時代の捕鯨の対象は、主に体長 17 メートルの セミクジラ でしたが、それは主に沿岸に回遊し、動きが遅く脂肪層が厚いので、死んでも クジラが浮くので確保が容易なためでした。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/han-hogei.htm なんで曳航に「半日」以上掛かったのか、
「半日で加熱調理してさえ食えなくなるほど腐敗したのか」
砂浜への陸揚げに「相当(腐敗するほど/数日も?w)」時間が掛かるのか、
(江戸古式捕鯨の殆どは↓の図にあるように砂浜に引き揚げて解体していた)
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/ikiisana/page.html?style=a&part=1&no=1 説明してみろ能無し^^;
それからいい加減、
>>239のコレ↓に答えてみろ能無しw
上で紹介してる調味方の殆どは加熱調理した料理で、刺身など生の状態で
食してもないのになんで冷蔵システムが要るのかキミのそのアタマで説明
できるかな?w
たったの数時間でクジラさんの分厚い筋肉が全て加熱食用さえ不可になるほど
腐敗する原理を説明しておくれでないか?御馬鹿さん♪
>陸揚には潮の干満を利用していたでしょうから
>潮の干満差が無い時は数日間は潮が動くのを待ってたでしょう。
事実「庶民が食ってた証拠」は幾つも出してるんで、後はキミが↑の具体的な
証拠を出すだけだよ?
「ハード的に可能だった」証拠w ⇒
>>218-222、
>>225-227 どうしていつになっても自分の妄想根拠でしかモノが言えないの?クジラ愛護ちゃん♪
中世期におき塩、味噌、醤油は大変高価な貴重品でした
その高価な調味料漬にしたクジラ肉を庶民が食していたと?
299 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 18:18:21 ID:JA/LTN6D
300 :
七つの海の名無しさん:2009/05/20(水) 18:21:58 ID:plI7l24N
>>298 いやなんで中世まで飛ぶんだと(藁
だったらいわゆる「和食」なんて全部アウトじゃん。