米国とロシアのお別れサミットは、儀礼的なものに終わった。4月初めブッシュ米大統領は
ロシア南部ソチに赴いたものの、プーチン露大統領との間で実質的な合意には達しえなかった。
北大西洋条約機構(NATO)拡大、ミサイル防衛などをめぐる米露間の溝はあまりにも広く、
突破口はおろか歩み寄りの余地さえ見出しえなかった。
米軍のイラク武力行使以来とみに顕著となってきた米露間の「新しい対立段階」は
改善の目途がつけられないまま、次期政権へと引き継がれるもようである。このような
対立状態に注目して、それを「新冷戦」と名づけるべきか。イエス、ノー両様に答えうる。
「冷戦」は、比喩(ひゆ)である。現実に銃火を交える熱戦にたいして「戦争でも
平和でもない厳しい対立状態」を指す。もともと学術的な定義を欠く用語であるために、
一体それが何時はじまり、何時終了したかさえ、厳密には述べえない。
今日すでに「新冷戦」が開始しているともいえるし、それはまだ時期尚早の誇大表現ともいえる。
かつて冷戦の最中、米ソ超大国は、互いに相いれないイデオロギーを信奉していた。
米国は民主主義、ソ連は共産主義。このイデオロギー上の差にもとづいて、東西対立
ブロックが形成されていた。たしかにこの点では、現在事態は改善されている。
ロシアはその後共産主義思想を放棄し、民主主義への移行を宣言したからである。
ロシアも中国も、よもや上海協力機構をNATOに対抗する軍事ブロックへ格上げしようとは
考えていないだろう。
≪ゲームのルールに違反≫
しかし厳密にいうと、プーチン政権下では、民主主義が拠って立つ価値や原則
(三権分立、地方自治、メディアの自由など)は順守されていない。ブッシュ政権は、
それを民主主義からの後退として批判する。
が、プーチン政権は、秩序や安定のほうがロシアにとりはるかに重要な価値と反論する。
あまつさえ、「主権民主主義」概念を発明して、ロシア土着の「政治的DNA(遺伝子)」に
適合したロシア版民主主義を実施中と抗弁する。
仮に一歩譲って、人々の間に価値観の違いがあろうとも、ゲームのルールを守るかぎり、
議会制民主主義は成立する。欧米社会はこう考える。ところがロシア人は、法やルールは
状況の変化とともに変わるものとみなす。
彼らは極端にいえば、「法律とは、電柱のようにすり抜けてゆくべきもの」
(ロシアの諺(ことわざ))とすら考える。
たしかに、次期大統領のメドベージェフは法律の専門家で、現ロシアに蔓延(まんえん)中の
「法的虚無主義」に対する闘いを、選挙スローガンに掲げた。だが、ガスプロム会長としての
彼が実際行ってきたことを想起すると、この公約は説得力を失う。
彼は、エリツィン前政権が合意したはずの「生産物分与協定」を事実上反古(ほご)にして、
外資系企業から「サハリン2」プロジェクトなどの主導権を奪った人物だからである。
もとより、米露両国が一定の利害を共有していることは、間違いない。
例えば、反テロ共闘、核不拡散、エネルギー資源売買などの分野においては、
他方を必要とし他を敵には回しえない。とはいえ、一体利害の一致だけで価値や
ルールの相違を克服できるものだろうか。疑問である。
>>2に続く
ソース(MSN産経ニュース):
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080505/erp0805050415000-n1.htm