【カンボジア】映画「キリング・フィールド」のモデル、ディス・プラン氏が死去[03/31]
1 :
盥安φ ★:2008/03/31(月) 23:47:17 ID:???
【カンボジア】映画「キリング・フィールド」のモデル、ディス・プラン氏が死去[03/31]
カンボジア内戦でポル・ポト派の虐殺を生き延び、映画「キリング・フィールド(The Killing Fields)」
のモデルとなったディス・プラン(Dith Pran)氏が30日、ニュージャージー(New Jersey)州の病院で、
すい臓がんのため死去した。65歳だった。
■カンボジア内戦を取材、虐殺を生き延びる
プラン氏は1972-75年、米ニューヨークタイムズ紙(New York Times)のシドニー・シャンバーグ
(Sydney Schanberg)記者の助手に採用され、カンボジア内戦を取材。1975年4月に米国民がプノンペン
(Phnom Penh)を退去した後も同地に留まり、ほかの2人の記者とともにプノンペン陥落を報じた。
4人はポト派にとらえられ死刑宣告を受けたが、プラン氏は3人の記者が「中立的な立場のフランス人
ジャーナリスト」だとポト派を説得することに成功。全員が釈放され仏大使館に避難した。
大使館内の外国人に国外退去命令が出た時、カンボジア人のプラン氏だけは出国を認められず、
カンボジアの辺境にある強制労働収容所に送られた。そこはポト派の虐殺の舞台として、後に
「キリング・フィールド」として知られるようになる。プラン氏は200万人を虐殺したとされる
ポト派政権下で、飢えと拷問の 4年間を生き延び、1979年にタイへ脱出してシャンバーグ記者と再会した。
シャンバーグ記者が自身の体験を描いた著書、『The Death and Life of Dith Pran』(1980)を元に、
この再開の場面をラストシーンにすえた映画「キリング・フィールド」(1984)は、3部門でアカデミー賞を
受賞。プラン氏を演じ助演男優賞を獲得したハイン・S・ニョール(Haing Ngor)氏は、自身もポル・
ポト時代の生き残りだった(1996年にロサンゼルスで強盗にあい射殺された)。
シャンバーグ氏は1976年に、カンボジア内戦の取材でピュリツァー賞(Pulitzer Prize)を受賞している。
■希望を捨てず、虐殺を後世に伝える
1942年9月27日、アンコールワット(Angkor Wat)付近の村に生まれる。シャンバーグ記者の
助手となるまでは、観光業に就いていた。内戦後の1980年以降は、ニューヨークタイムズ紙の
カメラマンとして活躍した。
ポト派の大虐殺で父と兄弟4人を殺害されたが、カンボジアの将来への希望は捨てず、過去のあやまちを
繰り返さないようにとの思いから、新しい世代に虐殺を伝える「The Dith Pran Holocaust Awareness
Project(ディス・プラン・ホロコースト認知プロジェクト)」を立ち上げた。
1985年には、国連難民高等弁務官事務所(United Nations High Commissioner for Refugees、UNHCR)の
親善大使に任命された。
ソース AFP BB News 2008年03月31日 18:32
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2372150/2792171
2 :
七つの海の名無しさん:2008/03/31(月) 23:54:51 ID:y/uPoV0+
凄い映画だったなぁ
ナムナム
3 :
七つの海の名無しさん:2008/03/31(月) 23:59:57 ID:woJMYaEN
5回劇場で見た。
何度も号泣した。
4 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 00:04:57 ID:e3YlfVOp
あの傍若無人な記者の事か
主人公と一緒に出国したい子がいなかったっけ?
切なかったなあ
6 :
:2008/04/01(火) 00:06:19 ID:r34Y+9AY
中坊の時に映画観たけど、オレの中にある凶参主義の位置づけを決定的にした名作だったな
7 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 00:07:50 ID:Xp85jVdB
うむ、名作だ。この映画の名を口にした時、糞サヨ教授の口が止まったww
8 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 00:25:37 ID:bltRsoMz
衝撃的な作品だったな。
10 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 00:42:36 ID:ZCXFpvZh
良きにしろ悪しきにしろ、アメリカ合衆国というのは凄い国だなと思いました。
虐殺者もいれば優れたジャーナリストも映画製作者もいますね。
地獄へ落ち!
トカゲをデコピンで〆るシーンが好き
13 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 00:58:46 ID:pd2e3R8+
キリング・フィールドは、印象深い映画だったな。
YouTubeとかで、カンボジア虐殺のドキュメント
フィルム観ていると思い出す。
少し古い映画だけど、まだ観たことない人には
お勧めしますよ。
14 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 01:05:02 ID:ZCXFpvZh
戦略爆撃というのは日本が発祥であると何かで読みました。
それから少年の「メルセデス イズ 1」のセリフがなぜか耳に残っています。
15 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 01:11:15 ID:u3fbqaDC
支那軍も多数入り込んでいたんだよな
キリングフィールドとキングスフィールドがごちゃ混ぜになってしまうのは俺だけ?
17 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 01:14:22 ID:MSgxFWym
>>14 日華事変のことだろうが、これらが先だよ
・第一次大戦、ドイツの英国空襲とフランスのドイツ空襲
・英国委任統治領メソポタミアでのゲリラ側住民への空襲(毒ガスを含む)
・1920年代アメリカ人種暴動での民間機による黒人街空襲
・スペイン内戦、ドイツ空軍による空襲
マイク・オールドフィールドの曲が素晴らしかった
19 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 01:21:56 ID:ZCXFpvZh
>>17 「航空機による爆撃」のことではなくていわゆる無差別爆撃のことです。
前の戦争では日本もやられました。
重慶の人々の反感は今でも強いとの話も聞いていますが確かではありません。
20 :
14:2008/04/01(火) 01:37:01 ID:MSgxFWym
>>19 無差別爆撃に絞るために、初の「航空機による爆撃」であるイタリアのリビア征服を
省いたわけだが。で、このスレで重慶空襲の話をしてるのはなぜかね?ポルポトを
支援してた当時の中共は「重慶は国民党の首都だったからうちは関係無い」という態度だったが
21 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 01:41:36 ID:ZCXFpvZh
記憶が確かならポル・ポトもアメリカの空爆も両方描かれていたと思うんですが。
23 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 01:50:27 ID:uUjU6key
俺の中では「ディア・アメリカ」と双璧する名作
24 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 02:10:07 ID:/noJsI8R
戦略爆撃の発祥が日本っていうのは、
基本的に都市は国際法で砲爆撃できないことになっていて、
一方で軍事施設は都市に設置してはいけないとなっていた。
都市内の軍事施設を爆撃しようとすると周辺も巻き添えになる。
そこで「軍事施設の周辺地区は軍事地区なので爆撃可」と言い出したのが英国かどっか。
その概念をさらに拡張して「軍事施設で防御された都市は軍事都市だから爆撃可」だと主張したのが日本だった。
25 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 02:12:46 ID:/noJsI8R
(結果的にこの日本陸軍の官僚が考えた法解釈は、米英独なども流用し、日本に対して最大に適用されることになるのだが)
26 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 02:39:39 ID:qdGMJ23Z
この虐殺も中国が主役。
27 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 07:45:31 ID:Y+7uJ39U
>>7 ベトナム、ソ連贔屓のサヨならポルポト否定なんじゃないの?
それともサヨである時点でカンボジアでの出来事は全て目を瞑るのかな。
散々賞賛したベトナムが同じ共産圏の中国、カンボジアと戦争した現実を見たくないからと
28 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 07:51:53 ID:Y+7uJ39U
>>21 ベトナム戦争中からの流れを見れば
米国はじめ西側諸国の手法にも色々と問題あったかもね
その後の中ソ対立、中越紛争、米中接近、カンボジア内戦などなどの経緯も見ると
主犯・ポルポト派&中国 共犯・米国、タイ他西側諸国
29 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 08:08:28 ID:mxlQeqKM
キリング・フィールドは傑作
見てない奴は今からでも見ろ!
ポルポト派の行為を相対化する為に必死な奴がいるな。
32 :
七つの海の名無しさん:2008/04/01(火) 08:44:08 ID:DbiRY4Zg
キリング・フィールドってウヨクの方々が観て、良いと感じる映画なんですか?
意外です。
本当に観たんですか?
私はサヨクじゃないですよ。
文庫のキリングフィールド買ったばかりだったから、新聞の国際欄での訃報を見て驚いた
歴史に生きた人が亡くなっていくのは、なんとも言えず寂しいな
ご冥福をお祈りします