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第一次世界大戦(1914〜18年)の激戦地・ベルギー西部。
そこでは、約90年前の戦いで使われた爆弾の除去作業が、いまだに続いていた。
1日の発見数は数個から200個にも上り、うち1割は毒ガス弾だ。いまだに爆発や、ガス漏出の危険性も高い。
「戦争で爆弾をまき散らしたら、汚染は半永久的に続く」。そう話すベルギー軍の爆弾処理班に同行した。
■日常茶飯事
その爆弾5個は、まるでゴミ出し日のゴミのように、農家の庭のすみに置かれていた。赤茶けてさび、
一部が腐食している。ベルギー西部・イープル。現場に到着した処理班の係官が、爆弾の一部を
鉄ブラシでこすり、鑑定を行った。「第一次大戦中、独、英軍が使ったものだ。一部は毒ガス弾だと思う」。
処理班のログ班長(42)がそう説明した。
「家の前で畑を掘っていたら爆弾が5個、一度に見つかった」。通報した農家の主人(45)が話す。
「驚いたかって? これまでも、農作業で10回は、爆弾を見つけた。毎度のことだ」
係官が爆弾を手で抱え、収容車の荷台に乗せる。荷台には砂を敷いた囲いがあり、そこに爆弾は
等間隔に並べられた。「落とせば爆発の危険性があるが、砂の上に置いておけば安全だ」と係官が話す。
この間、約15分。処理班は作業を終え、次の収集地に向かった。
民家の庭。畑。建設現場−−。市周辺の至る所で見つかった爆弾は、市民の手で無造作に
道ばたなどに積まれていた。警察を通じ連絡を受けた処理班が、それらを一つずつ丁寧に収容する。
1カ所1個の時もあれば、10個の時もあった。
「いい時に来た。持っていってくれ」。近くの住宅建設現場の担当者の求めで急きょ、
約10キロの爆弾も回収した。作業中に発見したばかりだという。
この日の「収穫」は約30個。大半が第一次大戦中の独、英軍のものだった。処理班は同じ日の朝、
別の発見通報も受けたが、現場に赴くと、重さ80キロの爆弾を含む約30個が見つかった。
このため「態勢を整え出直す」(係官)予定だ。
◇毎年3000件、300トンを発見 ■「処理工場」
イープル北東10キロの村、プルキャペル。そこに軍処理班の地域本部(約200ヘクタール)が広がる。
第一次大戦の主戦場だったベルギーは現在、全国を3地域に分け、爆弾処理を行う。うち同本部(120人)は、
最大の「処理工場」だ。地域一帯では当時、4年間のざんごう戦が続き、大量の爆弾が使われたからだ。
年3000件の爆弾発見通報のうち3分の2は、同本部が担当。また毒ガス弾はすべて同本部が処理する。
爆弾収容を担当する処理班(4〜5人)は24時間態勢で待機、時には1日15カ所に赴く。
処理班が回収した爆弾は本部内の集積地に運ばれ、エックス線写真などで内容物を判定する。
外見だけでは、通常弾か毒ガス弾かわからないからだ。
この後、廃棄作業に入るが、困難がつきまとうのは毒ガス弾だ。
回収された毒ガス弾は大きく二つに分かれる。毒ガス原料となる化学物質が、
容器(瓶)ごと爆弾内に残るものと、容器から漏れ出し、爆薬と混ざってしまったものだ。
前者の場合はまず、爆弾に穴を開け、化学物質の一部を抽出し鑑定。
その後、爆薬部分と化学物質の部分を切断し、化学物質は外部業者が処理する。
爆薬が汚染されている後者は、特殊設備で爆発させ、化学物質も同時に処理する。
この処理過程では来年から、神戸製鋼所が開発した設備が稼働し、
「3年で3400発を処理する」(同社)という。
これとは別に通常弾は敷地内で、まとめて爆発させる。作業は雨の多い冬を除きほぼ毎日行われ、
爆発量は一日、最大で800キロにもなる。
同本部が現在、抱える「在庫」は2万7000発(うち毒ガス弾9000発)。
これに加え、ベルギー全土で、年平均200〜300トンが見つかる。
「私の死後も、処理は続いているだろう」。ある中年の隊員がそう、ため息をついた。
■毎日新聞 2007年10月8日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/world/europe/archive/news/2007/10/08/20071008ddm007030098000c.html ■記事2/2
◇毒ガス、頼りは鼻だけ
■爆発事故も
「最大の懸念は隊員の安全と健康です」
同軍責任者の一人、ベーレンス氏(36)が話すように、多くが手作業の爆弾処理は危険と隣り合わせだ。
86年には同本部で爆発事故が発生、4人が死亡したほか、毎年平均1人が負傷している。
毒ガスも大きな脅威だ。大戦中、窒息剤のホスゲンガス、皮膚をただれさせるマスタードガスなどが使われたが、
後者は残留性が高く、作業で皮膚に炎症を負った隊員もいる。
「毒ガス検知? 鼻が頼りだ」。ログ班長が語るように、ガスには効果的な検知器が少なく、
主ににおいで爆弾からの漏出を知る。においに気づくと、隊員らはマスクと防護服をつけ、
また黙々と処理を続ける。
ベルギーは、長年の経験が高く評価され、隊員の多くは、旧ユーゴスラビアなどで地雷やクラスター爆弾の
除去経験がある。だが負傷者も多く、昨年12月〜今年1月には、レバノンで作業中に同爆弾が爆発。
隊員計5人が、重軽傷を負った。ベルギーは対人地雷とクラスター爆弾の生産・使用を世界に先がけ禁止した。
「われわれは90年も爆弾の汚染と戦ってきた。クラスター爆弾の禁止は当然だ」。班長がそう話した。
◇4年続いた「ざんごう戦」
第一次世界大戦とは、1914年6月、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子がサラエボでセルビア人
民族主義者に暗殺され、オーストリア側が翌月、セルビアに宣戦。独、オーストリア、トルコなど同盟国と、
英、露、仏、日、米、伊、ベルギーなど協商(連合)国側が戦った戦争。
18年に同盟国側が敗れ終戦。犠牲者は1000万人を大幅に超える。
戦争では初めて、爆撃機、戦車などのほか、毒ガスが使われた。機関銃の出現により、歩兵が
銃撃の嵐から身を守るためざんごうを掘って戦う「ざんごう戦」が野戦のスタイルとなった。
第一次大戦の西部戦線ではざんごう戦を中心に戦闘が続いた。ざんごう戦が4年間続いた独、仏などの国境では
毒ガス弾を含む大量の爆弾が使われた。毒ガスを最初に使用したのは独だが、その後、
仏、英、米、露、伊なども使用した。
イープル付近では1メートルの前進に35人の戦死者が出たという。
同市周辺には戦死者の墓地が多数残り、今年7月には英女王などが記念式典に参加した。
毎日新聞 2007年10月8日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/world/europe/archive/news/2007/10/08/20071008ddm007030098000c.html
人類が100年後も存在するか解らないのに......
軍事産業は今日も元気です!