僧侶らによる反政府デモを「制圧」したミャンマーの軍事政権は、民主化勢力と並ぶ、もうひとつの
大きな“敵”である少数民族の動きも押さえ込んだ。一時は10万人規模に拡大したデモが、急速に
勢いを失った背景には、歴史的に民族解放を求めて闘ってきた少数民族のほとんどがすでに
軍政側に取り込まれ、一大勢力として結集できなかったことも要因のひとつにある。
ミャンマーは人口の約6割強を占めるビルマ族をはじめカレン、シャン、カチンなど少数民族から
構成され、細分すればその数は、150を超えるとも言われる。1948年の独立後、ミャンマーでは
多くの少数民族が独立を目指して各地で蜂起し、深刻な状況に陥った。軍事政権が成立した
1988年には、17の少数民族武装勢力が反政府闘争を展開。軍政にとって、大きな脅威になっていた。
軍政はこれらの少数民族に対して弾圧を進める一方で、「和解工作」を展開。89年、コウカン族と
停戦協定を締結したのをはじめワ族、カチン族などと次々に交渉を進め、95年までに南東部の
主要民族であるカレン族をのぞき、ほとんどの少数民族勢力と停戦を結んだ。
今回、発生した大規模デモでは唯一、残ったカレン族の武装勢力、カレン民族同盟(KNU)が、
軍政との停戦協定に応じている他の少数民族に共闘を呼びかけたが、これに呼応する勢力はなかった。
ミャンマー国境に近いタイに潜伏するKNUの政治部門責任者、マン・シャ書記長は1日、産経新聞の
電話取材に答え、僧侶によるデモが発生したこの1カ月の間に、カレン州内の支配地域で連日、
政府軍による激しい攻撃を受けたと話す。
中国やロシアから武器を輸入している政府軍に比べ、KNUは軍から横流しされた銃や旧式の小型
兵器しか持たず、武力の差は歴然としたという。
軍政はさらに、国営メディアを通じて、少数民族が軍政側に立ったことを強調。「カチン州では
10万人以上が(親軍政)デモに参加した」と報じた。「少数民族が結集することを警戒し、動きを
分断する工作を展開した」と消息筋は分析する。
ミャンマー観測筋は、少数民族の積極的な関与を思いとどまらせている理由として指摘するのが、
先月3日に終了した国民会議によって採択された新憲法草案の基本原則の内容だ。
「シャン州のパオ族は国民会議終了後、自治権を約束されたと喜びの思いを知人に語った」といい、
民主化プロセスの過程で少数民族の中には軍政側から自治をほのめかされている可能性を指摘。
すでに少数民族が反軍政として市民や僧侶と呼応する土壌は失われていることを示唆している。
2007.10.1 21:40
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/071001/asi0710012140009-n1.htm 【ミャンマー】綿密に計画された鎮圧作戦 88年デモ教訓に [10/2]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1191285655/ 【タイ】ミャンマー軍政から逃れた人々が暮らす西部の難民キャンプ [10/1]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1191228921/ 【ミャンマー】国連揺さぶる軍政側 [10/1]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1191228752/