謎に包まれたミャンマー軍政のトップ タン・シュエ議長
ミャンマーの軍事政権が首都をヤンゴンから同国中部の森林地帯ネピドーに移してから、
その実態は謎に包まれたままだ。
軍政のトップを務めるのが、タン・シュエ(Than Shwe)国家平和発展評議会議長だ。
現在、実験を握る軍政は1988年9月、タン・シュエ議長らが率いる軍部が独裁体制を敷いた
ネ・ウィン(Ne Win)将軍へのクーデターを決行。1992年にタン・シュエ議長が軍政トップに
就いた。それ以来、ミャンマー軍事政権は秘密主義的な政治を貫いている。
早くから軍人としてのキャリアを築いてきたタン・シュエ議長は心理戦部隊に所属した経験を
活かして、民主運動家アウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)氏や、その他のライバルを
排除してきた。
専門家らによると、タン・シュエ議長は軍事的な戦略やミャンマーの伝統に加え、占星術などの
オカルト的な思想に基づいて政策を決定するため、その行動は予測しがたいという。
首都移転の際のエピソードがその典型的な一例といえるだろう。2006年11月7月、タン・シュエ議長は
占星術のお告げがあったとして、突然、ミャンマー中部の森林地帯にあるピンマナ周辺に首都を
移すことを宣言。官僚らは数時間以内に荷物をまとめて、移動するよう求められた。しかし、
ネピドーと名づけられた新首都は、まだ水道や電気といった基本インフラも整備されていなかった
という。
外部から隔離されたネピドーの官庁施設は謎に包まれている。時おり外部に流出するビデオ
映像などから、タン・シュエ議長の娘の結婚披露宴でダイヤモンドを身に着けた花嫁や豪華
マンションなど、ミャンマー官僚の贅沢な生活の一端を知ることができる程度だ。
評論家によれば、タン・シュエ議長が首都を山奥に移設した理由の1つは、都市部の抗議デモを
避けるためだという。ヤンゴンでは26日早朝、僧侶による抗議デモを阻止すべく軍政が主要パゴダ
(仏塔)や寺院周辺に治安部隊や兵士を配備している。また前日夜には、ヤンゴンおよびミャンマー
第2の都市マンダレーに夜間外出禁止令が出され、集会も禁止された。
ヤンゴン駐在の欧米外交官は「何が起きてもおかしくない状況だ」と語り、2つの都市に出された
夜間外出禁止令を事実上の非常事態と受け止めている。
これほどの大規模なデモは学生が中心となった1988年の民主化要求デモ以来のことだ。
しかし、この時のデモは軍部により弾圧され、3000人以上の死者を出した。この時の悲劇は
いまだにミャンマー国民の記憶に深く刻まれている。それでも仏教僧らの主導で始まったデモは、
この2日間で10万人規模に拡大した。
「タン・シュエ議長の最終的な野望は国内全土に敷いた徹底した軍政を維持することだ」と人権
監視グループ「ヒューマン・ライツ・ウオッチ(Human Rights Watch)」のDavid Mathieson氏は語る。
「軍部が国の最高機関として国内を支配するのは軍政指導者らにとって合理的な考えなのだ。
それが星占いの結果なのか、政治的判断によるものなのか知らないが」
問題の原因の1つは、世界の最貧国20位以内に入るミャンマー国民の窮状をタン・シュエ議長が
理解していないことだとMathieson氏は指摘する。「ミャンマー各地を視察する役人らは現状を
把握していると思われるが、おそらく議長を恐れて事実を告げられずにいるのだろう」
軍事アナリストのWin Min氏は、軍政側にとってこれほどの大規模なデモは予想外だったとみる。
「諜報機関は処分を恐れて、デモが10万人規模に拡大している事実をタン・シュエ議長に報告
できないのでは」
タン・シュエ議長は、20年来の大規模デモに発展した仏教僧が主導する反軍政デモに対しては、
今のところは目だった反応を示していない。
(c)AFP/Griffin Shea 2007年09月26日 17:59
http://www.afpbb.com/article/politics/2289049/2179860