ベルリンで戦時中の地下壕の専門家らが、都市西端の人工丘の下に埋没していた忘れ
られしナチスの陸軍士官学校を発見したと発表した。
ナチの建築家であった、アルベール・シュペーアによって設計された軍学校は、ベルリンに
あるトイフェルベルク(悪魔の山)という116mほどの瓦礫で造られた丘の、25立方メートルの
空間に戦時中建設された。
ナチス党首のアドルフ・ヒトラーが1937年に礎石を置いたこの未完成のビルは、ドイツ1000年
帝国の巨大な首都の一部となるはずであった。だが、ナチスの内部文章によれば”戦争特有”
の問題で、ちょうど3年後にビルの建設は中止された。
当初イギリスの占領軍は、転用することが困難と判明するまでそのビルを現地本部として
運用することを計画していたそうだ。また、破壊することが出来ないほど頑丈な造りだった。
代わりにベルリンの半分の瓦礫(40万の建築物に相当するほどの量)が、草の実のように
注がれて生まれたのがトイフェルベルクである。
今ではベルリンの市民が冬にはスキーやソリに乗り、夏にはカイト(西洋凧)を飛ばして遊ぶ
お気に入りの場所となっている。
実際には軍学校の存在は、ベルリン・アンダーワールズ協会が文章からその場所の位置を
発見するまでは一握りの熱狂的な人間を除き殆どの人が忘れていた。
「あの地下壕の全てを明らかにする予定だったのですが、教授陣はまだ大部分が未確認
のままだと言っています。」とアンダーワールズ協会のディトーマー・アーノルドは言う。
この10年の間に50の地下壕を発見した協会では、更なる採掘を切望している。
「我々は、まだ下層部に大規模な多階地下壕の集合体があると確信しています。」
計画では発掘人と一緒に、北東の表面からコンクリートやレンガに当たるまで20m程堀り
進み、熱心な者が山の内部にある設備へと入れる穴を作るとの事。
ベルリンの報道機関では「ベルリンが捧げる最後にして最大の未知なる秘密」を暴露する
試みと任務を帯びている、などと呼んでいる。地下壕に隠された戦時建造物への魅力は
ベルリン市民にとっても尽きないもののようだ。
ちょうど発狂したヒトラーが、終戦を指示しようとしていた最も有名な地下施設を最後のドア
ハンドルや窓枠までCGで「再現した」されたことが話題になっている。
参考画像:CGで再現された総統の地下壕
http://image.guardian.co.uk/sys-images/Guardian/Pix/pictures/2007/06/19/bunker372.jpg 歴史家などは、1970年代の国家安全保障記録に基づいて造られた、現時点でヒトラーが
最後を過ごした地下壕を最も正確に再現しているとして、この要塞のバーチャル・ツアーを
称賛している。
ポツダム広場近くにあった本物の地下壕は、既に埋め立てられ建物で覆われている。
ツアーの創案者であるグラフィックアーティストのクリストフ・ノイゲバウアーは、ヒトラーが
豪華な高度科学技術が凝らされた地下の穴で最後の日を過ごしていたという、一般的な
イメージとは違い、逆に「非常にありふれた政府職員用の地下壕にいたようです。」と語った。
ソース:ガーディアン(英語・・・誤訳あったらごめんなさい)
http://www.guardian.co.uk/secondworldwar/story/0,,2106083,00.html