イギリスの女流英文学賞「オレンジ賞」の栄冠は、ビアフラ戦争を描いたナイジェリア人女性に輝く[06/07]

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1シャイニング記者。φ ★:2007/06/08(金) 01:25:51 ID:???

賞はナイジェリアの作家を驚かせる
Award surprises Nigerian author
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ナイジェリア人の作家、Chimamanda Ngozi Adichieがオレンジ賞(*1)を受賞した。
本命視されていたにもかかわらず、彼女はとても驚いている。
「私はすぐに、『これはきっと悪い前兆だわ』と思ったの」と彼女はBBCにコメントしている。

29歳の彼女は、1960年代のビアフラ戦争を描いた「Half of a Yellow Sun」で、
歴代で最も若い受賞者になるとともに、初のアフリカ出身者の受賞者となった。
彼女の両方の祖父は、ともにこの戦争で亡くなっている。
「この本は、私にとって『忘却の拒否』なのです」

彼女は、「The Inheritance of Loss」でブッカー賞を受賞していたKiran Desaiなど、
最終選考に残ったほかの5人の候補者を負かして、3万ポンドの賞金を得た。
審査委員長のMuriel Grayは受賞作について「信じられないほどエキサイティングな作者による
躍動的でエキサイティングな本だ」と語った。

授賞式でAdichieは、「私は自分が心から喜びを感じているかを伝えることしかできません。
あ。ナイジェリアに電話しないと」と語った。

彼女の作品は3人の登場人物に焦点が合わせられている。
下働き、金持ちのナイジェリア人女性、ナイジェリア在住の自称作家というイギリス人だ。
そして、彼らの人生と関係が戦争によってどのように動かされるか、というものだ。

1967年当時、ナイジェリア南東部で、この地方に住むイボ語を話す部族が、
国から脱退しようとして紛争が勃発し、100万人あまりの人が死亡した。
タイトルの「Half of a Yellow Sun」は、この短命だったビアフラ共和国の国旗(*2)から
つけられている。

Adichieは、チヌア・アチェベ(Chinua Achebe)(*3)や、
ウォーレ・ショインカ(Wole Soyinka)(*4)にような「ナイジェリアの作家」という重責を
担うことを誇りに思っていると話した。
彼女は、アフリカ、特にナイジェリアとケニアは、多くの作家の才能が眠ってると話す。
しかし、新しい作家が活躍するには、貧困のせいで難しいという。
(06/07 08:26 GMT)

★ ソースは、BBC [英語] とかからはしょり気味に訳。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/6729435.stm (英語)

★ 画像。(6歳から書き始めていたと言うAdichie。)
ttp://newsimg.bbc.co.uk/media/images/43014000/jpg/_43014575_chimimanda.jpg

★ 訳註。
(*1) Orange Broadband Prize for Fiction。
  イギリスで1年間に発表された、女性作家が英語で書いた文学作品の中から選ばれる文学賞。
(*2) Wikipediaから。
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/82/Flag_of_Biafra.svg
(*3) ナイジェリア出身の小説家。(1930 - )
   「アフリカ文学の父」と呼ばれる。
(*4) ナイジェリア出身の小説家、劇作家。(1934 - )
   アフリカ人初のノーベル文学賞受賞者(1986年)。

★ ビアフラ戦争。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%A9%E6%88%A6%E4%BA%89

★ ビアフラ共和国。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%A9%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD
2七つの海の名無しさん:2007/06/08(金) 01:29:21 ID:RkgXltRd
「戦争の犬たち」
3七つの海の名無しさん:2007/06/08(金) 01:30:55 ID:RkgXltRd
「ビアフラ物語」
4七つの海の名無しさん:2007/06/08(金) 02:11:04 ID:SLvxjwKT
ビアフラ戦争と聞いてドラクエ5を思い浮かべました。
5七つの海の名無しさん:2007/06/08(金) 03:27:00 ID:eSXtb5SQ
記者ならもっと日本語訳の質を上げましょう。
何ですかこの素人翻訳は?
6七つの海の名無しさん:2007/06/08(金) 04:17:23 ID:yWHl46VO
アメリカでは、学問(サイエンス)というのは、「自分の打ち立てた仮説(理論)を、実際の、現実の社会の中でみずから、ポリシーメイカー
(政策立案実行者)として実験してみて、その結果を冷酷に検査すること」なのである。これを、positivism (人為的実験証明主義とでも
訳すか)と言う。このポジティビズムを、「実証主義」などと、訳して、分かった気になるな。この世で、実証できるのは、自然学問(代表、
物理学)系の実験だけだ。こえは厳密に同じ条件で誰がやってみても同じ結果になるものだから、これは本当に学問(サイエンス)なのだ。
ところが、人間社会を対象にする学問、すなわち、ソシアル・サイエンス(私は、社会学者という訳語が嫌いだ)は、本当にサイエンスと
して成立しているか、ものすごく、今でも怪しいのだ。なぜなら、現実の人間社会を使って実験証明(ポジティビズム)するというようなこと
は、できないからだ。ソシアル・サイエンスとは、それでも、一応、次のようなものだ。人間社会を刺し貫く諸法則を発見すること。かつ
それは、個々の人為や願望から独立した客観であり、同一条件でなら、世界中どこにでも存在するものでなければならない。そして
それらを、冷酷に記述することである。だから、これは、文学即ち、=下等学問=夢の世界との混合=人文(じんぶん)=今の北朝鮮の
人間たちと同じ=カルトの世界=幼児の並みの人々=なのに自分を知識人だと勘違いしている日本の文芸愛好的読書人階級。これらの、
一切を排除したものの考え方のことである。ところが、このソシアル・サイエンス(政治学、経済学、社会学、サイコロジーの4つ)が
アメリカでも、1980年代に、どうも、うまく行かない、ということが、判明し始めて、それで、世界的に困った事になったのである。
アメリカ行動科学(ビヘイビアラル・サイエンス)という、壮大な学問体系は、50年代にアメリカで起こり、そして80年代には崩れ去ったのだ。
副島隆彦「属国日本論を超えて」P37〜38
7七つの海の名無しさん:2007/06/08(金) 04:18:06 ID:yWHl46VO
この数十年間で日本の政治思想・評論業界は孤絶し、かなり立ち遅れてしまった。ドイツとフランスの古色蒼然たる百年前、
二百年前の政治思想の本を。訳も分からないまま読み続けてるのが現状だ。 全くヒドいものだの一語につきる。 日本の
八十年代の言論を圧倒したフランスの構造主義の大家ミシェル・フーコのような、現代ものでも、かなり癖のある思想・
哲学なのであって、本当はフーコや、ジル・ドゥールズらの思想は 「人文」である。文学あるいは文化研究なのだ。
政治権力なるものを生まで扱う学問ではない。 現在のフランスやドイツの本当の最高の知識人たちとは「どうやったら、
自分たちが、アメリカの支配から脱却できる」を本気で考えている人々だ。日本知識人は文化研究しかできない人々だ。
副島隆彦「日本の秘密」
8七つの海の名無しさん:2007/06/08(金) 07:15:50 ID:eSXtb5SQ
>>6 >>7
コピペなんだろうけど、一応マジレス。

ワトソン流の極端な行動主義理論にはアメリカ内でさえ60年代には
本格的な批判が登場している。副島の言う80年代よりもずっと前に。
特に70年代以降のアメリカの認知心理学の発展を知っていれば、
副島みたいな単純な解釈はできないはずなんだけどね。

副島本人は決して嫌いじゃないけど、副島自身、80年代日本で流行った
実証主義批判(フランス現代思想経由の)のイメージでアメリカの学問の傾向を
分かった気になってるんじゃないのかね。そういうことを知らずにこういう
コピペ貼ってたら恥ずかしいよ。
>>5 がんがります。
10七つの海の名無しさん:2007/06/08(金) 08:06:49 ID:NAEzK83m
イボ族って最初アフリカのユダヤ人、つぎはアフリカの日本人
といわれてた。数年前六本木の客引きがイボの青年で驚いた。
11七つの海の名無しさん:2007/06/08(金) 11:26:22 ID:rSGlh9Bp
失礼だがナイジェリア人でも優秀な人はいるんだな
12七つの海の名無しさん