【ミクロネシア】ミクロネシア連邦の議会が大統領に日系人のイマニュエル・モリ氏を選出

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1かばほ〜る φ ★
ミクロネシア連邦:大統領に日系のモリ氏選出

西太平洋のミクロネシア連邦の議会は16日までに、チューク州出身の日系人
イマニュエル・モリ氏(58)を第7代大統領に選出した。任期は4年。

モリ氏の曽祖父に当たる森小弁氏は高知市出身で、1892年に商社マンとして
トラック諸島(現チューク州)に上陸、地元の首長の娘と結婚し最初の日本人
定住者となった。

ミクロネシアでは、1979年5月の自治政府発足後の初代大統領も日系の
トシオ・ナカヤマ氏が務めた。(シドニー共同)

ニュースソース
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070517k0000e030008000c.html
2七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 11:12:28 ID:87Y0xz/T
特アの反日とは、大違い。
3七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 11:12:59 ID:IKVOay7H
「エマニュエル夫人」は禁止。
4七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 11:21:32 ID:fex9WEdn
酋長の娘w
5七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 11:21:47 ID:kD7/kdFp
>地元の首長の娘と結婚し

鬼太郎か
6七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 11:32:04 ID:/wcGqZI+
俺の苗字も森
7七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 11:37:20 ID:fphbE3XA
ミクロイドS
8七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 11:44:25 ID:7wl9//7Q

フジモリでODAがかなり稼げたからな。
その2番煎じねらいだろ。

問題は害務省の利権の構図がチャントわかっているかだが、
まあ、わかっていなくても、多分懇切丁寧に教えてもらえるだろう。
9七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 12:05:41 ID:+Nyc6gwY
私の〜ラバさん酋長の娘〜色は黒いが南洋じゃ美人 昔 婆さんが良く歌つた歌
10七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 12:08:05 ID:5qF/RbFC
高知出身の森小弁は韓国系ニダ
だから、この大統領も韓国系ニダ
11七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 12:25:18 ID:lgP8s9rL
酋長の娘の曾〜〜孫♪,どっか隣の酋長じゃ無いだろうな!!.
12七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 12:38:23 ID:FBQ0E2KB
>>3
「エマニエル坊や」は?
13七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 13:09:01 ID:yxSZgTdT
フォーグラー!?
14七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 13:30:56 ID:ME/ezAZC
名実共にエロイ人
15七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 13:58:57 ID:aJycbjTh
http://www.kibicity.ne.jp/~mz3000/2005/0614b.html
実在した冒険ダン吉

  ミクロネシア・チューク(旧 トラック島)は
今、ニッポンに一番、近いトロピカル・リゾート地ですが、
かつてこの地の大酋長だったのが高知生まれの商社マン・森小弁でした。
トラック(チューク)島旧夏島(デュブロン島)には、森さんの顕徳碑が遺っているそうですが、
明治2年生まれの森さんの子孫は、現在六世代。
その父方直系だけでも1000人を超える子孫を残し、近代国家に生まれ変わった現在も、
“モリ・ファミリー”は、トラック島随一の名家と言います


読んでて涙が出そうになった・・・
16七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 16:15:26 ID:IKvwyVDV
ミクロネシアの日系大統領は6人目?7人目か?
17七つの海の名無しさん:2007/05/17(木) 16:33:54 ID:IKVOay7H
>>12
それは想定外だったので、許す。
18( ´@ω@)エマニエル坊や ◆1wRFPWphLs :2007/05/17(木) 20:51:17 ID:tEMMlErX
(*@ω@)
19七つの海の名無しさん
1)森小辯の略歴
 森小辯(こべん=1869年・明治2年生れ、1945年・昭和20年没)は、1892年(明治25年)
一隻の帆船で南の海に旅立つ。船の名は天裕丸、南洋へ二度目の航海で、船には南の島々
に夢を抱いた若者たちが乗り、その中に南洋群島雄飛先達森小辯さんもいた。
 彼は島の特産物の椰子の実から取るコプラ(油脂原料・石鹸、ロウソク用)などを、日
本に送り、その金で学校を建て公共に貢献、水曜島の大酋長に選任された。小辯に11人の
子供ができ、それぞれに3人から16人の孫がいた。たった一人でトラック島にやって来
た小弁の子孫は「近隣の島々を合わせると四百人以上いるでしょう」孫の一人森アント
ニーさんは語る。森フアミリーの家には必ずと言っていいほど、小弁の写真が飾られて
いる。写真を前にひ孫の森マーさんは言う。「私は自分に日本人の血が流れていること
を誇りに思います。ひいおじいさんは、たった一人でチュークに来た。私だったら怖い
と思う。その勇気はすごい。そして、自分の食べ物が少ない時、島の人々に食べ物を分
けあい、病人に薬をあげた。日本人だからそれが出来たんだと思う」マーリーンさんの
家族は、今も「勇気」「思いやり」と言う「日本人の気持ち」を大切に子供に伝え続け

てきた。
 『森は、高知市生れ、先に大阪、奈良在住を経て、1889年(明治22年)上京、土佐出
身政治家後藤象二郎、大江卓の知遇を得る。東京専門学校を中退、1891年(明治24年)
南洋貿易の商社、一屋商会に入社、翌年同社員として、ポナペ(ポンペイ)を経て、
トラック・モエン島に至る。後に島の酋長の娘イサベラと結婚、六男五女をなす。1897

(明治30年)南洋貿易日置会社トラック支店主任となる。
 1899年(明治三二年)ドイツ国策会社ジャルイットと契約、1915年(大正4年)南洋群
島が日本海軍に占領されるまで取引を行ったが、その後は独立経営。1914年(大正3年)
日本軍のトラック島占領に伴う、軍と現地の間に立って活躍、その功により「勲八等瑞
宝章」「従軍徽章」を授与された。青年時代にトラックで右手を失い、晩年は”左拳”
と号した。
 現在トラック島における彼の子孫は、直系だけでも一〇〇〇人を肥え、トラック島で
最も有力な家系となっている。』
http://www.recycle-solution.jp/micro/mm45.html