イラク・クルド人の町、ハラブジャでは、サダム・フセイン元イラク大統領の処刑
(昨年12月30日執行)を歓迎してもしきれないほどの理由があった。
イラン・イラク戦争も末期の1988年3月、イラク空軍機がこの町を化学爆弾で攻撃し、
5000人が死亡した。そのころ町はイラン軍に占領されていた。
アルジャジーラのバーナビー・フィリプス記者はこのほど、町の墓地を訪れ、死んだ人たち
の遺族が何を考えているかを取材した。
アンワル・ハサミンさん一家は父親の墓のそばで慰めをみつけていた。
しかし、焼け付くような痛みが町に降りかかってきた時のことが今日もまだ昨日のようだ。
毎日がそうなのだ。
化学兵器の攻撃はアンワルさんの父親を傷つけたが、治療してくれる医師などいなかった。
最後に死んだ時に救いが来たようなものだった。
フセイン処刑はこの一家にとって大変なことであった。
アンワルさんは「このニュースを聞いた時、人々は集まってきました。歌い、踊り、お菓子
を分け合い、お互いに訪れ合って祝ったんです」と話した。
「この時代が終わるのを見て、ハラブジャの人ほど幸せな人がいるとは思いませんよ。サダム・
フセインの支配下で一番ひどい目に遭わされたのは私たちですから」。
今もなおイラクは恐怖に口も利けないような国だが、ハラブジャの町は生き残った。
だが、フセインの暴虐から19年たったが、その間に復興のための開発も投資もほとんどなき
に等しい。今もハラブジャはむさ苦しい町で、多くの人々はクルド人の自治政府からもひどく
無視されていると愚痴った。
街頭で人々は、誰かがぼろぼろになったインフラを何とかしようとすると、必ず汚職など驚く
ことがあるのだと話していた。
もう一人の墓参者、ガリップ・サイドさんは、フセイン政権との戦いで兄弟2人を失っていたが、
本当のクルド人なら誰でも前のイラク支配者が去っていったのを見て喜んでいると言った。
彼は「あいつは怪物ですよ。あいつを処刑し、そのありさまを見ていたのは私兵じゃなかった。
あの人たちはあいつに正義を課した真のイラク人ですよ」と話した。
ハラブジャの町では、サダム・フセインの罪業は墓地の墓石の多くに刻まれている。
そして、この町のクルド人たちは、フセインが生きている間は、平和などあり得ないと信じて
いるのだった。
ニュースソース:
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2946768/detail
処刑をめぐっては、元大統領に立会人が罵声(ばせい)を浴びせている
様子の映像が流出。エジプトのムバラク大統領は「野蛮だ」と不快感を示した
ほか、サウジアラビア政府も非難。ヨルダンでも5日、イラク政府を非難するデモが起きた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彡ミ ___ __ 非難してる国を見れば、これまた親米国ばかり
|ヽ /| ,,,,,,,,l / / だな。ま、形の上で米は処刑に消極的だったからな。
|ヽ | | ミ ・д・ミ/_/旦~~
⊥ |  ̄| ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| しかしこれで親子すべて米政策に殺されたのなら
凵 `TT | ̄l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l まさに「従う者は殺される」という事ですよね。(・д・ )
07.1.7 朝日「イラク首相、キレた?『処刑批判の国とは関係見直す』」
http://www.asahi.com/international/update/0106/027.html