今月10日に91歳で死去したチリのピノチェト元大統領の国民にあてた手紙が24日、遺族らによって公
表された。大部分は社会主義アジェンデ政権を打倒した73年の軍事クーデターについての記述で、「マ
ルクス・レーニン主義を阻止した行動を誇りに思う」などと記している。
AP通信によると、手紙は「私の死に際し公表される国民へのメッセージ」と題し、5ページ。73年当時の
状況を「内戦になったりプロレタリアート独裁を強要されたりする可能性があった」と分析し、「なぜ73年
の行動が必要ではなかったと言えるのか」と軍事クーデターを正当化した。
73〜90年のピノチェト軍政下では左翼弾圧で3000人以上の死者・行方不明者が出た。しかし手紙は
「死者や行方不明者がなぜ、どのように発生したかは分からない。大きな紛争には常に行き過ぎた行為
と誇張がつきまとう」と弁明している。 (毎日新聞) - (12月25日19時29分更新)
ソース:毎日新聞
(´・ω・)つ【
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20061226k0000m030060000c.html】
依頼主
(´・ω・)つ【
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1155527627/885】
*チリ・クーデターについて・・・1973年9月11日チリで発生。サルバドール・アジェンデ博士を指導者とす
る社会主義政党の統一戦線である人民連合(Unidad Popular)は1970年自由選挙により政権を獲
得した。しかし、反発した富裕層や軍に(そしてアメリカに)支援された反政府勢力による暗殺事件な
どが頻発し、遂には1973年陸軍のアウグスト・ピノチェト将軍、空軍のグスタボ・リー将軍らがクーデ
ターを起こした。首都サンティアゴは瞬く間に制圧され、僅かな兵と共に大統領宮殿に篭城したアジェ
ンデ大統領は最後のラジオ演説を行った後自殺(他殺または戦死説あり)した。
以後、軍事政府評議会による独裁政治が始まり、労働組合指導者などが監禁、拷問、殺害され
た。 出展:Wikipedia (
http://ja.wikipedia.org/wiki/チリ・クーデター)